いつかの岸辺に跳ねていく
★★★★★
あの頃のわたしに伝えたい。明日を、未来をあきらめないでくれて、ありがとう。生きることに不器用な徹子と、彼女の幼なじみ・護。二人の物語が重なったとき、温かな真実が明らかになる。
幼馴染の護と徹子。「フラット」の章は護、「レリーフ」の章は徹子の視点から物語が語られる。
単純で優しくてフラットな護が語る物語はシンプルで「普通」なのだが、徹子の物語は過酷だ。
徹子には何かがあるんだろうなと想像はしていたけれどこんなことだったとは…。
自分の能力を十字架のように感じながらすべてを一人で背負おうとしていることに気づいて駆けつける人たちが素敵だ。
鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋
★★★★★
「AERA dot.」で大反響の連載、待望の書籍化。子育て、夫婦の不満、容姿、孤独……相談者に寄り添った鴻上尚史さんの丁寧な回答に、「電車で思わず泣いてしまった」「素晴らしすぎる、神回答!」「何度も読み返した」などとTwitterでも話題沸騰! 書き下ろしも収録。
ネットでも読んでいたけどこうしてまとまって読めるのは嬉しい。
回答が理想論だけに留まっていなく実践的なのがとても良いし、断罪しないところもいいし、でもこれは急を要する!と思ったらはっきりと言っているのもいい。
柔らかい心を持った人だなぁと読んでいて何度もウルウル…。
「専業主婦になりたいと言って結婚した妻が今になって正社員になりたいと言い出したのは契約違反」という旦那への回答が秀逸。
上から目線ではなくその人の隣に寄り添って腹から答えてる。こんな風に人と対峙したいものだよなぁ…。よかったー。
さん助の楽屋半帖
愛と人生
★★★★
「男はつらいよ」シリーズの子役、秀吉だった「私」は、寅次郎と一緒に行方不明になった母を探す旅に出る。映画の登場人物と、それを演じる俳優の人生が渾然一体となって語られ、斬新で独創的と絶賛された“寅さん小説”の表題作ほか、短編「かまち」とその続編「泥棒」の三作を収録。野間文芸新人賞受賞作。
今、自分の寅さん愛が燃え盛っていることが逆にこの小説を読む上で邪魔になった感。
寅さんの物語の中の世界と外の世界の間をたゆたうように行ったり来たりするのが、寅さんワールドにどっぷりはまりたい私からすると物足りない。中なら中、外なら外、はっきりしてもらいたい。
なんて言ったらこの小説を半分も楽しめないことになってしまうのだが。
この映画の登場人物とそれを演じる俳優の人生が交錯しているところが、この物語の肝なのだろうから。
とはいえ寅さんフリークの作者さんならではの蘊蓄や空気感はとても良くて、特に美保純が語る家出した時に迎えに来たのが寅さんだったという話にはじーん…。
今寅さん映画を順番に見ている最中なので、この物語の主人公秀吉が出てくる39話目を見終わったところで、また読み直したい。
他に収められた「かまち」「泥棒」もちょっと不思議な話。滝口さんはもしかすると落語が好きなのかもしれない?
真景累ヶ淵 半通し公演
貞寿先生の真打披露興行の時に見て以来の貞山先生。
宗悦が脅したりなだめたり開き直ったりするのが、酒癖の悪い
この人を聞きたい第114回 漫才VSコント
~仲入り~
こびとが打ち上げた小さなボール
★★★★★
取り壊された家の前に立っている父さん。小さな父さん。父さんの体から血がぽたぽたとしたたり落ちる。真っ黒な鉄のボールが、見上げる頭上の空を一直線につんざいて上がっていく。父さんが工場の煙突の上に立ち、手を高くかかげてみせる。お父ちゃんをこびとなんて言った悪者は、みんな、殺してしまえばいいのよ。70年代ソウル―急速な都市開発を巡り、極限まで虐げられた者たちの千年の怒りが渦巻く祈りの物語。東仁文学賞受賞。
急速に経済が発展し都市開発が始まり高級マンションの建設が始まった時期の韓国。
搾取される側は貧しいだけではなく障害を持っていることも蔑まれ虐げられる最底辺の暮らし。抵抗したら職を奪われ再就職もままならない。
低賃金で過重労働を強いられ公害で心身に異常をきたしてもその声を誰も聞いてはくれない。
貧しいのは努力してないからだと蔑まれ、住んでいる家は再開発のために追い出され、新しくできたマンションに住む権利はやると言われてもとても手が出る値段ではない。
自分たちが得ているのは生活費ではない生存費だという彼らの言葉が胸に突き刺さる。
出版物の検閲が厳しかった時代にこの小説が出版できたことにも驚くが、それが韓国で長い間ずっと読み続けられ、そして2016年に日本で翻訳書が出版されたということにも驚く。
こんなことが今でも…?と思うが、この間読んだ「中央駅」も再開発で家を失った人たちの物語だった。
とてもヘヴィな物語で読んでいて顔が険しくなってくるが、決して他人ごとではなく、平和ボケと言われる今の日本でも、これに似たような空気を確かに感じる。
読まれ続けなければいけない物語だと思うが、作者自身がこの本が二百刷を迎えた時に「これは恥ずべき記録だ」と発言したということに、はっとする。
ショパンゾンビ・コンテスタント
★★★★
おれは音楽の、お前は文学のひかりを浴びて、ゾンビになろう――。音大を中退した小説家志望の「ぼく」、同級生は魔法のような音を奏でるピアニストの卵。その彼女の潮里に、ぼくは片想いしている。才能をもつ者ともたない者。それぞれが生身のからだをもって何百年という時間をこえ体現する、古典を現代に生き継ぐことの苦悩と歓び。才能と絶望と恋と友情と芸術をめぐる新・青春音楽小説!
迷いながら何度も文章を書きなおし出だしから進めない「ぼく」とコンクール本番に照準を合わせて一日中ピアノを練習し夜はショパンコンクールの映像を見続ける源元。
ぼくは源元の才能を前に打ちのめされ音大を中退した上、彼の恋人潮里に恋をし、まさにどん詰まりのように見えるが、小説を書くことで自分の気持ちと向き合い現状を俯瞰して見られるようになってくる。
これはつまりまさに青春小説だな、照れるぜ、おい、という今の私と同じ気持ちを主人公が弟に対して思っているところに笑ってしまう。
独特のリズムがある文体が心地いい。なによりも瑞々しくて素敵だ。
村に火をつけ,白痴になれ 伊藤野枝伝
★★★★
ほとばしる情熱、躍動する文体で迫る、人間・野枝。筆一本を武器に、結婚制度や社会道徳と対決した伊藤野枝。彼女が生涯をかけて燃やそうとしたものは何なのか。恋も、仕事も、わがまま上等。お金がなくても、なんとかなる。100年前を疾走した彼女が、現代の閉塞を打ち破る。
わざとなのかな。軽すぎる文体がやや鼻につく。でもこの文体による疾走感があったからこそ読みきれたともいえる。
結婚制度や社会道徳と戦い続けた伊藤野枝。社会主義者の大杉栄と出会ってそれまで一緒に暮らしていた夫を捨て出奔。子どもをもうけるが結婚制度にはあくまでも反対。
家庭でも仕事でも誰かの奴隷になるのはやめろ。腐った社会に怒りの火の玉をぶつけろ、とその主張は単純明快だ。
今の時代でも受け入れられることはないだろうし、この時代ならなおのこと。
官軍から目を付けられた二人は壮絶な最期をとげるのだが、それも覚悟の上だったようにも感じられる。
こうして読むと彼女の生き様は爽快とも思えるけれど、自分勝手といったらこれ以上の自分勝手はないわけで、身近にいたら迷惑だろうな…。
彼女の言うこと、全てに同意するわけではないけれど、確かに…と思う部分もある。でもそうは言ってもねぇ…と思ってしまう私は彼女らに言わせれば奴隷根性に冒されているのか。
結局その結果が今なのだから彼らの言ってたことはあながち間違っていたわけでもなかったのかもしれない。
ぎやまん寄席 柳家さん助の会
・さん助「富久」
贔屓を何人もしくじり仕事にはぐれ、飽きれ果てて女房も家を出てしまう
ある日そんな久蔵を心配した善兵衛が訪ねて来る。
この間見た茶楽師匠のお洒落な「富久」とは全然違うけど、さん助師匠らしい「富久」でとてもよかった。
メインテーマは殺人
★★★★★
自らの葬儀の手配をしたまさにその日、資産家の老婦人は絞殺された。彼女は、自分が殺されると知っていたのか?作家のわたし、ホロヴィッツはドラマの脚本執筆で知りあった元刑事ホーソーンから、この奇妙な事件を捜査する自分を本にしないかと誘われる…。自らをワトスン役に配した、謎解きの魅力全開の犯人当てミステリ!7冠制覇の『カササギ殺人事件』に並ぶ傑作!
楽しかった!
元刑事ホーソーンに事件を捜査する自分を本にしないかと頼まれるアンソニー・ホロヴィッツ。いけ好かないホーソーンに翻弄されながらも徐々に謎解きに夢中になるアンソニー。
語り口がユーモラスで楽しいし、あちこちに証拠がきちんと散りばめられているところも好き(最近推理する側が後手に回るだけのものも多すぎ!)。
新しいけど古典的なミステリー(前作はクリスティで本作はホームズ!)の香りもするところも好きだー。
シリーズ物になるらしいので次回作も楽しみだ。
そして確かにシェイクスピアがこの物語のカギになっていた!(トーマス先生!)
大学教授のように小説を読む方法
★★★★★
小説好き必読の一冊がパワーアップして再登場!
筋を楽しむだけでなく、深く読み解くためにキリスト教の象徴、性的暗喩、天気や病気の使い方…。小説の筋を楽しむだけでなく、一歩踏み込んで読み解くための27のヒント。
ひと味違った文学の楽しみ方
小説好き・文学部の学生必読の1冊がパワーアップして再登場!
英米文学を読むのに、ギリシア・ローマ神話、聖書、シェイクスピアの知識は欠かせないといわれる。ではてっとりばやく知識を仕入れればすむかというと、話はそう単純ではない。読者がなにげなく読み流している文章の中にも、それらの要素は象徴やアイロニーとなって潜んでいたりし、見抜くにはコツが必要だ。本書は長年にわたって文学を教えてきた教授が、学生や一般読者のために、そうしたコツを惜しげもなく伝授すべく書いた解説書である。はじめにあげた3項目はもちろん、天気や病気の象徴性、性描写の意味、隠された作者の政治的意図など、象徴やパターンの読み込み方が、豊富な実例に作品のあらすじをまじえ、27章にわたって説明されている。
まるで授業を聞いているような生き生きとした語り口と、時には有名な映画の一場面も例に挙げる親しみやすさから、本書の旧版はアメリカでロングセラーになった。『老人と海』をはじめとするヘミングウェイの作品や、『デイジー・ミラー』、エドガー・アラン・ポーの作品など、おなじみの小説の違った顔が見えてくる1冊。
登場人物に共感したり反感を覚えたり…そういう感情だけで読むのではなくもう少し深い読み方ができるようになりたいなぁと思い読んでみたのだが、聖書、神話、シェイクスピアが腹に入ってないと英米文学を真には理解できないですかそうですかと若干肩を落としつつ…でもテクストを読み解くためのヒントがいっぱいあってためになった。
一生懸命集中して読んだけど、本を読んでいる時に「あ、なんかそういうことが書いてあったな」と時々取り出して確認するべき本だと思う。
言い切ったかと思えば「文学に絶対〇〇はない!」と言ったり、そういうところも含めて文学部の教授っぽさ満点でそこも楽しかった。
そして読みたい本がたくさん増えてしまった。古典も読まなきゃ!
末廣亭2月上席昼の部~夜の部(途中まで)
2/8(土)、末廣亭2月上席昼の部~夜の部(途中まで)行ってきた。
・左ん坊「からぬけ」
・たん丈「新寿限無」
・カンジヤママイム パントマイム
・三朝「やかんなめ」
・天どん「長ネギ」
・紋之助 曲独楽
・圓十郎「まんじゅうこわい」
・一九「親子酒」
・小菊 粋曲
・はん治「妻の旅行」
・文生 小噺、志ん生の物まね等
・正楽 紙切り
・小燕枝「権助提灯」
~仲入り~
・小団治「大安売り」
・アサダ二世 マジック
・馬の助「権兵衛狸」&百面相
・仙三郎社中 太神楽
・小ゑん「顔の男」
・市松「たらちね(前半)」
・緑太「反対俥」
・おしどり
・きく麿「首領が行く!」
たん丈さん「新寿限無」
噂のたん丈さん、初めて見た。
なまはげ小噺からの「新寿限無」。な、なるほど(笑)。なにかこう…私が何もできないまま高座に上がってやってしまった…みたいなお生な感じがあってちょっとうおおおっとなったんだけど、でもなまはげ小噺でちょっとツボに入って笑ったら「こちらを向いてやろうかな」と言われてしまった。わははは。
天どん師匠「長ネギ」
20年ぐらい前に38度出てどうしても一晩で治したかったので当時ネットで検索するようなこともできずに、「(イメージ)」のままネギをお尻に入れると熱が下がるという民間療法を試してみた、という話。
ステテコ姿でお尻にネギをはさむ姿を上手にも下手にも見せつける、というサービス(?)ぶり。
笑った笑った。
小燕枝師匠「権助提灯」
焼きもち焼きの亭主が5階から冷蔵庫を投げつける小噺でどっかん!とウケて、すごいなー。話し方とか間がいいから初めて聞いた人が本気で笑ったのが伝わってきた。
そんなまくらから「権助提灯」。
旦那をバカにしきっている権助と、律義に本宅と妾宅を行ったり来たりする旦那がおかしい。
小燕枝師匠の「うぇーーーーい。月々おあしを運んでくる旦那が来たぞーーーぃ」の声が好き。楽しかった。
小ゑん師匠「顔の男」
おおお。寄席で…しかも池袋以外の寄席で「顔の男」を見られるとは。嬉しい。
電気オタクの部長と部下が自分の行きつけの店(はんだ付けバー、溶接バー、編み物バー)などの様子を説明するところで「ほら、客が付いてこれなくなったぞ」とか「引いてる」とかつぶやくのがおかしい~。
部長行きつけの「顔の店」に入ってからのまぐろとトロの脂ぎり方の違いに笑う。
あとタコの踊り食いをやって親方にキレられるの…最高。
あとで小ゑん師匠のTwitter見たら「ひらめとカレイやるの忘れました」と書いてあってそれもおかしくて。見たかった。ひらめとカレイの違い。
緑太さん「反対俥」
まくらで、最近やった自分の独演会…小さな会場で小さな会ですよ、と言いながら…の後の打ち上げで占い師をやっているというお客さんとの会話のまくら。ツボにはまって大笑いしてしまった。
「反対俥」も途中のフェイクに見事にひっかかってまた大笑い。
楽しいなぁ、緑太さんの落語。
きく麿師匠「首領が行く!」
さすが一時期見まくっていたというだけのことはあってこの登場人物たちのしゃべるVシネマっぽい話し方が最高だ。
夜席に入ったばかりでお客さんも少し減ってあたたまりきってないところをぐわっと自分の世界に引き込んでいくの、すごいなー。
まーろ様も遠くに行っちゃったなぁ…。嬉しいような寂しいような。
鈴本演芸場2月上席夜の部
お小遣いをもらって外に遊びに行っちゃった!と聞いて「おまえ!そういうときこそいないとだめじゃないか!」ってほぼ悲鳴(笑)。
考えてみれば父親が息子の話を聞かされてるだけの話なのにこの臨場感。
とっても楽しかった。
こういう最中(ウィルス騒ぎ、極寒)にお客様が来てくださるのは本当にありがたいです、と百栄師匠。
もうやらなくなってしまいましたけど、以前はここで早朝寄席というのをやってまして。最後の頃は落語ブームもあって立ち見がでるぐらいになってましたけど、私が二ツ目になりたてのころは本当にお客さんが少なかった。喬太郎、たい平という売れっ子が出ても30名は入ればいい方で。少ない時は3名とかざらでした。
そういう時に来るお客さんはとにかくすごい熱を感じましたね。とにかく安い値段で落語を見るぞ!!という熱。この人たちはたとえばこの会場のエレベータ、エスカレータが止まって階段も水浸しになって入れなくなっても、縄梯子をかけたらそこを伝って登ってくるだろうな、という…熱がありました。
鈴本でこの噺を聞くというのがもうそれだけで二割増しにおかしくて。
「落語家ちゃんを買うことはできますか?」
「え?…あ、そうなりますと私ではちょっと…」
「あらでもあなたはお茶子さんでしょ?売店で…」
「ええ、売店でおせんべいとかお茶をお売りしてますけど、それと落語家ちゃんとはちょっと別なので…上の者を呼んできます。あ、ちょうどよかった。あつしさん!(実名)」
毒の多さもあのふにゃふにゃした語り口だと猛毒に感じさせないのもすごいところ。
出来事
★★★★★
仮想と現実を巡る圧倒的言葉の世界。きれいごとを吹き飛ばす圧倒的描写力によって日常世界がめくれあがる。見慣れたはずの外界が何かおかしい。人間の嘘がべろりと浮かび上がる。人間とは何ものか。一見そうは思えないが、本書は脳と文明の虚妄をあばく恐るべき哲学小説である。『季刊文科』連載作、待望の単行本化!
覚悟して読んだけどやはり凄まじかった。静かなタイトルと表紙に騙されちゃいけない。
どこまでが現実でどこからが妄想なのか。その境界が曖昧になるように呪文のように「現実」「偽物」の言葉が繰り返される。
この狂った世界が恐ろしいが、もしかして私が今生きているのも実はこれとあまり変わりがない世界なのかも、とうすら寒くなる。
登場人物がテレビを見ながら「原発のニュースがこんなに軽く扱われて誰も騒ぎもしないところを見てもこの世界は偽物だろう」と思うシーンがあるのだが、確かに…。いつからか私たちはもうあまりにもひどい現実から目を背け見ないように感じないようにして生きていて、ちゃんと目を開けて見ると自分が生きているつもりでいる世界より世界は恐ろしいことになっているのかもしれない。
文明や思考、常識、善意をなんとなく信じて生きているけど、一皮めくればこんなものなのかもしれない?
知らない顔をして生きていると言われると、確かに…とうなづいてしまうのがこの本の恐ろしいところ。