りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

いつかの岸辺に跳ねていく

 

いつかの岸辺に跳ねていく

いつかの岸辺に跳ねていく

 

 ★★★★★

あの頃のわたしに伝えたい。明日を、未来をあきらめないでくれて、ありがとう。生きることに不器用な徹子と、彼女の幼なじみ・護。二人の物語が重なったとき、温かな真実が明らかになる。

幼馴染の護と徹子。「フラット」の章は護、「レリーフ」の章は徹子の視点から物語が語られる。

単純で優しくてフラットな護が語る物語はシンプルで「普通」なのだが、徹子の物語は過酷だ。
徹子には何かがあるんだろうなと想像はしていたけれどこんなことだったとは…。
自分の能力を十字架のように感じながらすべてを一人で背負おうとしていることに気づいて駆けつける人たちが素敵だ。

久しぶりに読んだ加納朋子さんの作品、ファンタジーな要素もあってとても面白かった。

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋

 

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋

 
鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋
 

 ★★★★★

AERA dot.」で大反響の連載、待望の書籍化。子育て、夫婦の不満、容姿、孤独……相談者に寄り添った鴻上尚史さんの丁寧な回答に、「電車で思わず泣いてしまった」「素晴らしすぎる、神回答!」「何度も読み返した」などとTwitterでも話題沸騰! 書き下ろしも収録。 

ネットでも読んでいたけどこうしてまとまって読めるのは嬉しい。

回答が理想論だけに留まっていなく実践的なのがとても良いし、断罪しないところもいいし、でもこれは急を要する!と思ったらはっきりと言っているのもいい。
柔らかい心を持った人だなぁと読んでいて何度もウルウル…。

「専業主婦になりたいと言って結婚した妻が今になって正社員になりたいと言い出したのは契約違反」という旦那への回答が秀逸。
上から目線ではなくその人の隣に寄り添って腹から答えてる。こんな風に人と対峙したいものだよなぁ…。よかったー。

さん助の楽屋半帖

2/17(月)、駒込落語会で行われた「さん助の楽屋半帖」に行ってきた。
始まる前にさん助師匠自作のプリントとかわいい駄菓子の番付表が配られて、???と思ったら、前回かけた「猫の皿」に駄菓子の名前が出て来たんだけど、落語の中に出てくる駄菓子の名前とそれがどういうものなのかをさん助師匠が解説。主催の方がそこに名前が挙がった駄菓子を買ってきてくださっていて、それをみんなで食べるという不思議な時間(笑)。
「これが狸の糞」「で、でかい…実際もこんなに…?」などと語りながらもぐもぐ。
シュールで面白かった。
 
・さん助「これは全てフィクションです」(「釣り堀」「都市伝説」「お子様ランチ」)
・さん助「鮫講釈」
・さん助「死神」
 
さん助師匠「これは全てフィクションです」(「釣り堀」「都市伝説」「お子様ランチ」)
「ねぇ、燕弥くん、聞いたことある?駒込の釣り堀の話(ぱちぱち!)」
「え、なに、兄さん?」
「いやかなり昔に駒込に落語会をやってる会場があったんだけど、そこが今は取り壊されて釣り堀になったんだよね」
「あ、なんか聞いたことあるよ。なんでも夜になると…」
「そう。夜になるとなんか不気味が声がして足を引っ張られるっていう…」
「なんでも噺家の怨念じゃないかっていう…都市伝説があるんでしょ」(ぱちぱち!)
「ちょっと行ってみない?」
「行ってみようか」
 
というわけで、二人は駒込の釣り堀へ。
入り口で声をかけるとそこにいたおばあさんがどうやらこの会の主催者の方の30年後…(ちょっと表現に悪意が…)。
5千円払って中に入り、さっそく釣り堀に竿を投げ入れる二人。
すると…なにか激しく引っ張るものが。魚だと思って喜んで吊り上げるとそれは噺家の情念(?)で…(さん助師匠、楽屋に置いてあったネタ帳をぱらぱらやりながら)…「あっこれは!三木男くん!え?なになに?ああ、”お見立て”か。なに?お見立てを1時間やったけどちっともウケなかった?」
次にかかったのが喬志郎!「え?なに?主催者の希望で〇〇をやらさせた?…地獄だな、そりゃ!」
…そんな調子で次々吊り上げられていく噺家の情念。
中には「天どん兄さんとおれじゃねぇか!そうだよ、この日は大雪で、こんな日はお客さんも来ないから中止だよな、と思って主催者に電話したら、会はやりますから来てくださいって言われて。行ったんだけどやっぱりお客さんが少なくて。それなのに打ち上げまであって…遭難しそうになったんだよ」
 
次々噺家の怨念を釣り上げながら「ああ、でも燕弥くん。わかるよなー。噺家ってさ、いろんなところに行って落語やらされるんだけど、中には、え?ここで?っていうような場所もあるんだよな。ニツ目の時二人でデパートの屋上で落語やったの覚えてる?」
「ああ、行った行った、ありゃひどかった」
「たっぷり二席やってくださいって言われたけど、誰も聞いちゃいねぇ…」
「そうそう。それで昼に出されたのが、お子様ランチ(ぱちぱち!)…これ、実話だからね」
 
なんてことを言ってると、あたりはすっかり闇の中。
「あ、気が付いたら夜になっちゃった。」
なんてことを言ってると、暗闇の中でぴかっと二つ光るものが。いったいなんだろうとおびえながら近づいてみるとこれが目。「ああ、これは、い、犬の目だ!」
今度は噺家じゃなくて落語の演目の怨念が次々出てくる。
「あーーー金明竹だーー。これ一つ目の言い立てでくすりとも笑いが起きないとその後もうずっと地獄!!」
時そばこれも全然ウケないときがあってそうするとなんかムキになっていつまでもいつまでもそばをすすったりしてさ。俺なんか15分すすり続けたことがあるよ」
「ああ、居残り佐平次。これな、噺家はみんなやりたいんだよ。やりたい噺なんだよ。でもなかなかやれないんだよ。今でも覚えてるよ。ある師匠と地方の仕事に行った時、その師匠は居残りをやるぞ!って電車でもずっと稽古してて、落語会でかけたんだよ、居残りを。そうしたらそこの主催者になんて言われたと思う?”今度はもっとわかりやすい噺にしてください。時そばとか。” これが落語会を20年やってる主催者の台詞なんだから!」
 
なんてことを言ってるといよいよ足を引っ張られる。
ああーーーー引きずり込まれるーーーー足をーーー足を取られるーーー」と言っていると、「ああ、そうか。ここは釣り堀だからいいんだよ」
「え?なんで?」
「釣り堀だからおあしを取るんだよ」でサゲ。
 
…なにかとても激しい三題噺だった。
ちょっと毒がきつめでしたわね…と思っていたら、一度引っ込んでから出て来たさん助師匠から「タイトルは…これは全てフィクションです、です」。
あわててそんなタイトル付けても、フォローになってないぞーー。
 
 
さん助師匠「鮫講釈」
先日旅行で金毘羅様に行ってきました、とさん助師匠。
最近は御朱印ブームもあって結構な人。そして御朱印っていうのは一か所だけじゃなく、語本宮、奥の方にある神社、とか何か所かでもらえる。どこに行っても人だらけ。
どうせなら一番奥まで行ってみよう、そこまで行けば少しは神聖な気分も味わえるのでは、と思って頑張って行ってみたら、「〇〇を買えば幸せになれます!」「さらに倍の値段を出せば御利益も二倍!」って商売っ気満々。霊験あらたかでもなんともなかった。
そんなまくらから「鮫講釈」。
わりと刈り込んで手短に。船に乗ってからのシャレ遊びにぐだぐだしたところも好きなんだけどね。
講釈部分が前に見た時わざと下手にやっててお客さんがドン引きしてたけど、今回は普通にやってた。うん、そのほうがいい(笑)。
 
さん助師匠「死神」
水戸芸術館で「やさしい死神」に出た時の思い出。
自分は芝居をやるわけではなく落語をやるだけだからと軽い気持ちで引き受けたけど、お芝居というのは最初から最後までやって初めて「お芝居」なので、稽古がほんとに大変で。
2か月間、近くにアパートを借りてもらってそこに寝泊まり。
役者さんたちが稽古の前のウォーミングアップでヨーロピアンミュージックに合わせてエアロビをやるんだけど、いつからかそれにも誘われて、着物姿で参加。
演出家からはダメ出しの連続で思ってた以上に大変だった。
そのかわり舞台が終わった時、役者さんたちが泣いても自分は泣かないつもりだったのに、演出家にぎゅっとハグされて、思わず号泣。
そんなまくらから「死神」。
さん助師匠の「死神」は鈴本のトリの時やぎやまん寄席で見たことがあってとても好きなんだけど、この日はなんかちょっと…久しぶりだったのかな?という感じ。
呪文も最初に教わった時と実際にやる時で違うし(笑)。
ちょっと残念でした。
 
 

愛と人生

 

愛と人生 (講談社文庫)

愛と人生 (講談社文庫)

 

★★★★

男はつらいよ」シリーズの子役、秀吉だった「私」は、寅次郎と一緒に行方不明になった母を探す旅に出る。映画の登場人物と、それを演じる俳優の人生が渾然一体となって語られ、斬新で独創的と絶賛された“寅さん小説”の表題作ほか、短編「かまち」とその続編「泥棒」の三作を収録。野間文芸新人賞受賞作。 

今、自分の寅さん愛が燃え盛っていることが逆にこの小説を読む上で邪魔になった感。

寅さんの物語の中の世界と外の世界の間をたゆたうように行ったり来たりするのが、寅さんワールドにどっぷりはまりたい私からすると物足りない。中なら中、外なら外、はっきりしてもらいたい。
なんて言ったらこの小説を半分も楽しめないことになってしまうのだが。
この映画の登場人物とそれを演じる俳優の人生が交錯しているところが、この物語の肝なのだろうから。

とはいえ寅さんフリークの作者さんならではの蘊蓄や空気感はとても良くて、特に美保純が語る家出した時に迎えに来たのが寅さんだったという話にはじーん…。
今寅さん映画を順番に見ている最中なので、この物語の主人公秀吉が出てくる39話目を見終わったところで、また読み直したい。

他に収められた「かまち」「泥棒」もちょっと不思議な話。滝口さんはもしかすると落語が好きなのかもしれない?

真景累ヶ淵 半通し公演

2/16(日)、お江戸日本橋亭で行われた「真景累ヶ淵 半通し公演」に行ってきた。
陰惨な噺はあんまり好きじゃないと言いながら、時々行きたくなる。特に「通し」とか言われると弱いわっ。
 
・こう治 圓朝について&小話
・貞山「宗悦殺し」
・ぜん馬「豊志賀の死」
・龍玉「お久殺し~土手の甚蔵」
~仲入り~
・圓橘「勘蔵の死」
 
貞山先生「宗悦殺し」
貞寿先生の真打披露興行の時に見て以来の貞山先生。
なんとなく私の苦手な「固い講談」のイメージで苦手意識があったんだけど、抑え目の語りで素敵だった。
落語で聴く「 宗悦殺し」は、 宗悦が雪が降る中、借金の取り立てに出かけるシーンから始まり、娘たちが心配して「今夜はよした方がいい」と引き留めたりするだけに、その後の展開が哀れなのだが、講談だと深見新左衛門の酒癖の悪さを最初に説明されていたので聞く側にもそれなりの覚悟?ができるというか…。
宗悦が脅したりなだめたり開き直ったりするのが、酒癖の悪い新左衛門の癇癪に火をつけたんだろうな、という納得感があった。
少しかすれた小さめの声が余計に怖かった。
 
ぜん馬師匠「豊志賀の死」
「豊志賀の死」を一番よく聞いているかもしれない。
確かに見せ場がたくさんあるもんなぁ…。
おかしかったのは新吉と豊志賀が初めて一夜を共にするシーンでまるっきり関係ない歌の文句を並べて「立川流はこういうところに品がある」。
緊迫した場面が続くだけにこういうところでふっと笑えるのはいいな。
 
龍玉師匠「お久殺し~土手の甚蔵」
1時間あまりの熱演。
やはり私にとっては「 真景累ヶ淵」といえば劉玉師匠なんだなぁ。
気の弱い新吉、まだ幼さの残るお久、どこからどう見ても「ワル」の土手の 甚蔵、と人物がくっきり。特に 甚蔵の悪党ぶりは小気味いいほどで笑いが起きる。
うーん。すごい。劉玉師匠。さすが私があまりの悪党ぶりに「もう見たくない!」としばらく立ち直れなかっただけのことはある。
かっこよかった。
 
圓橘師匠「勘蔵の死」
叔父の勘蔵が危篤と聞いて久しぶりに長屋に戻った新吉。
長屋の人たちが看病をしてくれているのだが、それをあしざまに言う勘蔵と「そんなことを言うもんじゃない」とたしなめる新吉がおかしい。
二人きりになると新吉を座布団の上に座らせて新吉の生い立ちについて語る 勘蔵。なるほど、そういう因縁があったのか、と納得する場面。
帰りに雨に降られ駕籠に乗るのだが、亀有へ向かっているはずなのに小塚っ腹をぐるぐるぐるぐる。
業を煮やして新吉が駕籠を降りると、そこで 勘蔵から聞かされた行方不明になっている自分の兄に出会い…。
 
ここまででかなり時間が押してしまっていたので「私は手短に申し上げます」と言っていた圓橘師匠だったけれど、どこを詰めたのかわからないほど…静かな語りで迫力も十分。
素敵だった。

この人を聞きたい第114回 漫才VSコント

2/14(金)、無何有で行われた「この人を聞きたい第114回 漫才VSコント」に行ってきた。
 
宮田陽・昇 漫才
・コント青年団 コント
~仲入り~
・コント青年団 コント
宮田陽・昇 漫才「芝浜」
 
予約と当日のお客さんで会場はぎゅうぎゅう。すごい熱気。
楽しかった~。
感想を箇条書きで。
 
・コント青年団オサム先生が政治家や政党のことを言うところが苦手だったんだけど、あれは服部先生の方がいろいろ言いたいこと(政治的に訴えたい内容)があるんだな、という発見。むしろ服部先生が言いたいことがあってそれをカバーする意味でのオサム先生の発言、のように感じた。どちらにしてもあんまり好きじゃない。お笑いに政治はいらないの党。
・前半は出所した男が交通整理をしている兄貴分に会うコント、後半は選挙事務所に運転手のバイト面接で来た男が立候補を強いられるコントで、寄席でもおなじみの内容。でも細かいところは初めて聴くネタも。
宮田陽・昇の漫才、前半は陽先生がいろいろ依存症がある、というやつ。でもやはりこちらも聞いたことがないネタがぎっしり。
・後半は「芝浜」漫才。陽先生が「落語の人情噺?ああ、”まんじゅうこわい”だろ!もうあれは何度聞いても号泣。サゲの”そろそろ渋いお茶がこわい”なんかもう…涙なしに聞けないよ」から始まって、これがちゃんと「芝浜」のサゲにもつながっていて、最高。
・打ち上げもちょっと出てみたかったけど勇気なかったな。
・コントへのつなぎのところで、陽先生と昇先生がコントに加わったんだけど、面白かった。さすが元役者。
 

こびとが打ち上げた小さなボール

 

こびとが打ち上げた小さなボール

こびとが打ち上げた小さなボール

 

 ★★★★★

取り壊された家の前に立っている父さん。小さな父さん。父さんの体から血がぽたぽたとしたたり落ちる。真っ黒な鉄のボールが、見上げる頭上の空を一直線につんざいて上がっていく。父さんが工場の煙突の上に立ち、手を高くかかげてみせる。お父ちゃんをこびとなんて言った悪者は、みんな、殺してしまえばいいのよ。70年代ソウル―急速な都市開発を巡り、極限まで虐げられた者たちの千年の怒りが渦巻く祈りの物語。東仁文学賞受賞。 

急速に経済が発展し都市開発が始まり高級マンションの建設が始まった時期の韓国。

搾取される側は貧しいだけではなく障害を持っていることも蔑まれ虐げられる最底辺の暮らし。抵抗したら職を奪われ再就職もままならない。
低賃金で過重労働を強いられ公害で心身に異常をきたしてもその声を誰も聞いてはくれない。
貧しいのは努力してないからだと蔑まれ、住んでいる家は再開発のために追い出され、新しくできたマンションに住む権利はやると言われてもとても手が出る値段ではない。
自分たちが得ているのは生活費ではない生存費だという彼らの言葉が胸に突き刺さる。

出版物の検閲が厳しかった時代にこの小説が出版できたことにも驚くが、それが韓国で長い間ずっと読み続けられ、そして2016年に日本で翻訳書が出版されたということにも驚く。

こんなことが今でも…?と思うが、この間読んだ「中央駅」も再開発で家を失った人たちの物語だった。
とてもヘヴィな物語で読んでいて顔が険しくなってくるが、決して他人ごとではなく、平和ボケと言われる今の日本でも、これに似たような空気を確かに感じる。
読まれ続けなければいけない物語だと思うが、作者自身がこの本が二百刷を迎えた時に「これは恥ずべき記録だ」と発言したということに、はっとする。

ショパンゾンビ・コンテスタント

 

ショパンゾンビ・コンテスタント

ショパンゾンビ・コンテスタント

  • 作者:町屋 良平
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/10/30
  • メディア: 単行本
 

 ★★★★

おれは音楽の、お前は文学のひかりを浴びて、ゾンビになろう――。音大を中退した小説家志望の「ぼく」、同級生は魔法のような音を奏でるピアニストの卵。その彼女の潮里に、ぼくは片想いしている。才能をもつ者ともたない者。それぞれが生身のからだをもって何百年という時間をこえ体現する、古典を現代に生き継ぐことの苦悩と歓び。才能と絶望と恋と友情と芸術をめぐる新・青春音楽小説! 

 迷いながら何度も文章を書きなおし出だしから進めない「ぼく」とコンクール本番に照準を合わせて一日中ピアノを練習し夜はショパンコンクールの映像を見続ける源元。
ぼくは源元の才能を前に打ちのめされ音大を中退した上、彼の恋人潮里に恋をし、まさにどん詰まりのように見えるが、小説を書くことで自分の気持ちと向き合い現状を俯瞰して見られるようになってくる。

これはつまりまさに青春小説だな、照れるぜ、おい、という今の私と同じ気持ちを主人公が弟に対して思っているところに笑ってしまう。

独特のリズムがある文体が心地いい。なによりも瑞々しくて素敵だ。

村に火をつけ,白痴になれ 伊藤野枝伝

 

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

  • 作者:栗原 康
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/03/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 ★★★★

 ほとばしる情熱、躍動する文体で迫る、人間・野枝。筆一本を武器に、結婚制度や社会道徳と対決した伊藤野枝。彼女が生涯をかけて燃やそうとしたものは何なのか。恋も、仕事も、わがまま上等。お金がなくても、なんとかなる。100年前を疾走した彼女が、現代の閉塞を打ち破る。

わざとなのかな。軽すぎる文体がやや鼻につく。でもこの文体による疾走感があったからこそ読みきれたともいえる。

結婚制度や社会道徳と戦い続けた伊藤野枝社会主義者大杉栄と出会ってそれまで一緒に暮らしていた夫を捨て出奔。子どもをもうけるが結婚制度にはあくまでも反対。

家庭でも仕事でも誰かの奴隷になるのはやめろ。腐った社会に怒りの火の玉をぶつけろ、とその主張は単純明快だ。
今の時代でも受け入れられることはないだろうし、この時代ならなおのこと。
官軍から目を付けられた二人は壮絶な最期をとげるのだが、それも覚悟の上だったようにも感じられる。

こうして読むと彼女の生き様は爽快とも思えるけれど、自分勝手といったらこれ以上の自分勝手はないわけで、身近にいたら迷惑だろうな…。
彼女の言うこと、全てに同意するわけではないけれど、確かに…と思う部分もある。でもそうは言ってもねぇ…と思ってしまう私は彼女らに言わせれば奴隷根性に冒されているのか。
結局その結果が今なのだから彼らの言ってたことはあながち間違っていたわけでもなかったのかもしれない。

ぎやまん寄席 柳家さん助の会

2/12(水)、湯島天神で行われた「ぎやまん寄席 柳家さん助の会」に行ってきた。
 
・まめ菊「一目上がり」
・さん助「富久」
~仲入り~
・さん助「莨の火」
 
さん助師匠「富久」
先日仕事で大阪に行ってきました、とさん助師匠。
せっかくだからと前乗りしてちょっと観光もしてベストなコンディションで高座にのぞむことに。
宿泊先のホテルから天守閣が見えてテンションが上がりあそこに上ろう!と決意。歩き始めたのだがお城というのは直線で近づけないようになっているため、歩けど歩けど近づけない。そういう客を見越してエレクトリックカー(?)というのがいて歩き疲れたと見える人に「乗ってきませんか」と絶妙のタイミングで声をかけてくる。
何度も声をかけられたけど歩いて行くんだ!という強い意志でどうにかたどり着いたのが16時28分。入ろうとすると門の所に立っていたおじさんに「今日はもう終いやで。また明日おいでー」。
いやいやいやいや。そこをなんとか入れてくださいよ!と思っていると自分の後ろからロシア人ぽい女性。くっきりした顔立ちに胸もでかい。彼女がおじさんのまえにたったらおじさん「ほな、入り~」。
…これ実話なんですから!!
 
…ぶわはははは。
天守閣にテンション上がるさん助師匠…歩き疲れたおじいさんと思われて車に何度も声をかけられるさん助師匠…目の前で門を閉められるさん助師匠…最高だ。
 
あと繁昌亭に出た時、自分の前に上がったニツ目が鳴り物を入れてたっぷりやったことに驚いたというのと、笛を上手に吹いてるおじいさんがいて、上方ではそういう専門の人がいるのかな、と思っていたら、なんとこれがトリの師匠。
上方の寄席ではトリの師匠が前座がやる時間から楽屋入りしている、ということに驚いたらしい。
 
そんなまくらから「せっかくですので湯島にちなんだ噺を」。
富札はあちこちで売られていたけれど湯島の富札はなかなか売れなかったらしい。
というようなまくらから「富久」。
 
腕はいいけれど酒癖の悪い幇間の久蔵。酒を飲ませてごちそうもしてやったのに最後は酒に酔って絡んできたり喧嘩をふっかけてくるのでお客は「二度とお前なんか呼ぶか」とカンカンになる。
贔屓を何人もしくじり仕事にはぐれ、飽きれ果てて女房も家を出てしまう
1人になり裏長屋に移るが、一日何もせずただぼーっとしているだけ

ある日そんな久蔵を心配した善兵衛が訪ねて来る。
善兵衛は「お前はこんなところにいる男じゃない、なにか商売替えをしたらどうか」と言うが「よしましょう」と久蔵。
元手のいらない商売だってあるぞと自分もやっているという富くじを売る商売はどうか?と勧める久蔵に「富くじそれなら売るより買うほうがいいや」と久蔵。
一分で買って千両当たると聞いて食いつく久蔵に「こんなもん、あたりゃしないんだよ」と善兵衛。
知り合いには売りたくないというのを無理矢理金を出して買う久蔵はすっかり当たる気になっている。
善兵衛は「でも私が部屋に入ってきた時は死んだようになっていたお前さんが富くじを買ったら元気になって目が輝きだしたからよかったのかな」というのは素敵なセリフ。
久蔵というのは根っからの芸人なんだなぁというのが伝わってくるし、善兵衛の優しさが出ている。
お札を大神宮さまのお宮に入れて「どうか千両当たりますように」と手を合わせる久蔵。
 
その晩芝の辺りが火事になり、長屋の連中が「芝にはお前を贔屓にしてくれていた旦那がいただろう?こういう時にいたら詫びがかなうかもしれないよ」と久蔵を揺り起こす。
最初は「どうでもいい」と言っていた久蔵だったが、みんなに説得されて芝を目指して走りだす。
この時にものすごい風にあって吹き飛ばされそうになりながら走って行くところがさん助師匠らしくていい。
犬に吠えられたり(凄まじい鳴き方で笑っちゃう)、想像上の旦那が「おお、久蔵(喜)」となったり「誰だ、お前は」となったり…あの旦那のことだ、きっと喜んでくれるに違いないという思いと、こんなことでわびがかなうはずがないという思い。この葛藤が面白い。
 
いざ再会の場面になると旦那は他の噺家さんがやるように満面の笑みですぐに「許すぞ」とは言わない。
「久蔵、酒はいい加減にしろよ」ときつく言ったあと、「よく来てくれた。寒かったろう」とねぎらい「これからもちょくちょく顔を出せよ」と一言。
芸人らしく目立つように働いてた久蔵、主が「そこにむすびがあるから食いなよ」。
番頭さんも飯を勧めたり、油揚げをやたらと勧めるのがおかしい。
酒がほしくてしょうがない久蔵の意地汚さが酒飲みらしくてリアルだ。
 
冷で5杯飲むと今度は燗を飲みたがる。飲むとろれつが回らなくなり毒々しくなっていく。
その時に旦那も番頭も酒じゃなく飯を勧めたことを久蔵がねちねち文句を言うのがおかしい。
出入り止めになった時も「うちの外にほっぽりだせ」と旦那に言われた番頭が久蔵を蔵の中に入れた、という話。
ちゃんとむしろをしいた上に腕を荒縄で縛って寝かせた、というのがおかしい。
 
今度は自分の家の方が火事だと言われて久蔵が家に戻ると、長屋の連中はみんな無事だがなぜか久蔵から目を逸らす。
聞けば久蔵の家だけが燃えてそこを壊したことで長屋の他の家は助かった、と言う。
そう聞いてがっかりするものの「みなさんが無事でよかった」と言う久蔵。
旦那に優しい言葉をかけられそのまま旦那のところに居候となる。
暮れで忙しくてほったらかしにしてごめんよと謝る旦那が奉加帳を用意してくれる。金を渡された久蔵がかつてのごひいきを回ると旦那が話を付けてくれていたらしく金は集まる。
そこで湯島の富くじの発表があることを聞いた久蔵が湯島の境内へはいって…。
 
上がったり下がったりのジェットコースターではあるんだけど、札がないと金をもらえないと聞いた久蔵が粘るものの「ああ、いいや!くれてやらぁ!」とすぐに自棄になるのが、その前の久蔵の人柄をしのばせて面白い。
町内の頭に会った時も「お宮なんかは持ち出してねぇよな」と言うと「いや、あったあった」と言われ「泥棒!」と食いついて行くのも、いかにもこの人らしい。
 
たっぷりやるところとわりとあっさりやるところがさん助師匠らしい解釈が見えて好き。
この間見た茶楽師匠のお洒落な「富久」とは全然違うけど、さん助師匠らしい「富久」でとてもよかった。
 
さん助師匠「莨の火」
落語にはいろんな噺があります、とさん助師匠。
面白い噺、面白くない噺、人情噺、…なかに、皮肉な噺というのがあります。これなんかはそうだと思います。
そう言って「 莨の火」。
 
車屋の前を一人のいい身なりをした老人が通る。
声をかけられた老人は「私が乗ると助かりますか?では乗りましょう」。
行くあてもないという老人を乗せてとりあえず西の方角を目指すと老人が「江戸で一番の料理屋と言ったらどこですか」と聞く。
それなら柳橋の万平です、と聞くと「私のような田舎者が行ったらバカにされるでしょうね」と老人。
車屋は女中頭と顔だからちゃんと話を通しておくからその点は心配ない、と言う。
 
店について若い衆・伊八が付くと、1両立て替えてくれ、と老人。
帳場に言うと「はい、持ってお行き」と金が出てくる。これがこの後も繰り返されていいリズム。
見習いの芸者、本物の芸者、たいこもち…それらに立て替えてもらった金で祝儀をきる。
店の若い衆たち全員にあげましょうと50両の立て替えを願うと、ついに帳場から断られる。
それを聞いた老人はならば最初に私が預けた風呂敷を出してくれ、という。
その中にはあふれんばかりの金貨。
それを投げて、店の者や芸者などに拾わせて面白がる男。
 
…なんか聞いたことがあったようなないような…と思っていたら、小満ん師匠の在庫棚卸の会の最終回で聞いたことがある噺だった!
確かに皮肉…。でもちょっと洒脱でもある。
金をまくしぐさをしながらさん助師匠が「このぐらいの(客の)数なら大丈夫」と言ったのもおかしかったー。
 
とても楽しかった!

メインテーマは殺人

 

メインテーマは殺人 (創元推理文庫)

メインテーマは殺人 (創元推理文庫)

 

 ★★★★★

 自らの葬儀の手配をしたまさにその日、資産家の老婦人は絞殺された。彼女は、自分が殺されると知っていたのか?作家のわたし、ホロヴィッツはドラマの脚本執筆で知りあった元刑事ホーソーンから、この奇妙な事件を捜査する自分を本にしないかと誘われる…。自らをワトスン役に配した、謎解きの魅力全開の犯人当てミステリ!7冠制覇の『カササギ殺人事件』に並ぶ傑作!

楽しかった!

元刑事ホーソーンに事件を捜査する自分を本にしないかと頼まれるアンソニーホロヴィッツいけ好かないホーソーンに翻弄されながらも徐々に謎解きに夢中になるアンソニー

語り口がユーモラスで楽しいし、あちこちに証拠がきちんと散りばめられているところも好き(最近推理する側が後手に回るだけのものも多すぎ!)。
新しいけど古典的なミステリー(前作はクリスティで本作はホームズ!)の香りもするところも好きだー。
シリーズ物になるらしいので次回作も楽しみだ。

そして確かにシェイクスピアがこの物語のカギになっていた!(トーマス先生!)

大学教授のように小説を読む方法

 

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

 

 ★★★★★

小説好き必読の一冊がパワーアップして再登場!
筋を楽しむだけでなく、深く読み解くために

キリスト教の象徴、性的暗喩、天気や病気の使い方…。小説の筋を楽しむだけでなく、一歩踏み込んで読み解くための27のヒント。

ひと味違った文学の楽しみ方

小説好き・文学部の学生必読の1冊がパワーアップして再登場!
英米文学を読むのに、ギリシアローマ神話、聖書、シェイクスピアの知識は欠かせないといわれる。ではてっとりばやく知識を仕入れればすむかというと、話はそう単純ではない。読者がなにげなく読み流している文章の中にも、それらの要素は象徴やアイロニーとなって潜んでいたりし、見抜くにはコツが必要だ。本書は長年にわたって文学を教えてきた教授が、学生や一般読者のために、そうしたコツを惜しげもなく伝授すべく書いた解説書である。はじめにあげた3項目はもちろん、天気や病気の象徴性、性描写の意味、隠された作者の政治的意図など、象徴やパターンの読み込み方が、豊富な実例に作品のあらすじをまじえ、27章にわたって説明されている。
まるで授業を聞いているような生き生きとした語り口と、時には有名な映画の一場面も例に挙げる親しみやすさから、本書の旧版はアメリカでロングセラーになった。『老人と海』をはじめとするヘミングウェイの作品や、『デイジー・ミラー』、エドガー・アラン・ポーの作品など、おなじみの小説の違った顔が見えてくる1冊。

登場人物に共感したり反感を覚えたり…そういう感情だけで読むのではなくもう少し深い読み方ができるようになりたいなぁと思い読んでみたのだが、聖書、神話、シェイクスピアが腹に入ってないと英米文学を真には理解できないですかそうですかと若干肩を落としつつ…でもテクストを読み解くためのヒントがいっぱいあってためになった。
一生懸命集中して読んだけど、本を読んでいる時に「あ、なんかそういうことが書いてあったな」と時々取り出して確認するべき本だと思う。

言い切ったかと思えば「文学に絶対〇〇はない!」と言ったり、そういうところも含めて文学部の教授っぽさ満点でそこも楽しかった。

そして読みたい本がたくさん増えてしまった。古典も読まなきゃ!

末廣亭2月上席昼の部~夜の部(途中まで)

2/8(土)、末廣亭2月上席昼の部~夜の部(途中まで)行ってきた。


・左ん坊「からぬけ」
・たん丈「新寿限無
・カンジヤママイム パントマイム
・三朝「やかんなめ」
・天どん「長ネギ」
・紋之助 曲独楽
・圓十郎「まんじゅうこわい
・一九「親子酒」
・小菊 粋曲
・はん治「妻の旅行」
・文生 小噺、志ん生の物まね等
・正楽 紙切り
・小燕枝「権助提灯」
~仲入り~
・小団治「大安売り」
・アサダ二世 マジック
・馬の助「権兵衛狸」&百面相
仙三郎社中 太神楽
・小ゑん「顔の男」


・市松「たらちね(前半)」
・緑太「反対俥」
・おしどり
・きく麿「首領が行く!」

 

たん丈さん「新寿限無
噂のたん丈さん、初めて見た。
なまはげ小噺からの「新寿限無」。な、なるほど(笑)。なにかこう…私が何もできないまま高座に上がってやってしまった…みたいなお生な感じがあってちょっとうおおおっとなったんだけど、でもなまはげ小噺でちょっとツボに入って笑ったら「こちらを向いてやろうかな」と言われてしまった。わははは。

天どん師匠「長ネギ」
20年ぐらい前に38度出てどうしても一晩で治したかったので当時ネットで検索するようなこともできずに、「(イメージ)」のままネギをお尻に入れると熱が下がるという民間療法を試してみた、という話。
ステテコ姿でお尻にネギをはさむ姿を上手にも下手にも見せつける、というサービス(?)ぶり。
笑った笑った。

 

小燕枝師匠「権助提灯」
焼きもち焼きの亭主が5階から冷蔵庫を投げつける小噺でどっかん!とウケて、すごいなー。話し方とか間がいいから初めて聞いた人が本気で笑ったのが伝わってきた。
そんなまくらから「権助提灯」。
旦那をバカにしきっている権助と、律義に本宅と妾宅を行ったり来たりする旦那がおかしい。
小燕枝師匠の「うぇーーーーい。月々おあしを運んでくる旦那が来たぞーーーぃ」の声が好き。楽しかった。

 

小ゑん師匠「顔の男」
おおお。寄席で…しかも池袋以外の寄席で「顔の男」を見られるとは。嬉しい。
電気オタクの部長と部下が自分の行きつけの店(はんだ付けバー、溶接バー、編み物バー)などの様子を説明するところで「ほら、客が付いてこれなくなったぞ」とか「引いてる」とかつぶやくのがおかしい~。
部長行きつけの「顔の店」に入ってからのまぐろとトロの脂ぎり方の違いに笑う。
あとタコの踊り食いをやって親方にキレられるの…最高。
あとで小ゑん師匠のTwitter見たら「ひらめとカレイやるの忘れました」と書いてあってそれもおかしくて。見たかった。ひらめとカレイの違い。

 

緑太さん「反対俥」
まくらで、最近やった自分の独演会…小さな会場で小さな会ですよ、と言いながら…の後の打ち上げで占い師をやっているというお客さんとの会話のまくら。ツボにはまって大笑いしてしまった。

「反対俥」も途中のフェイクに見事にひっかかってまた大笑い。
楽しいなぁ、緑太さんの落語。

 

きく麿師匠「首領が行く!」
さすが一時期見まくっていたというだけのことはあってこの登場人物たちのしゃべるVシネマっぽい話し方が最高だ。
夜席に入ったばかりでお客さんも少し減ってあたたまりきってないところをぐわっと自分の世界に引き込んでいくの、すごいなー。
まーろ様も遠くに行っちゃったなぁ…。嬉しいような寂しいような。

鈴本演芸場2月上席夜の部

2/6(木)、鈴本演芸場2月上席夜の部に行ってきた。
 
・文蔵「道灌」
・文菊「夢の酒」
~仲入り~
・楽一 紙切り
・甚語楼「真田小蔵」
・のだゆき 音楽
・百栄「落語家の夢」
 
文菊師匠「夢の酒」
お花さんが実に女らしく、また御新造さんが実に色っぽい。なんなんだ、この文菊師匠の色っぽさは。前に天どん師匠が文菊師匠のことを「エロ坊主」みたいに言ってたけど…ぶわははは。
(そういえば関係ないけど小ゑん師匠がさん喬師匠のことを「ぱっと見いい男みたいだけど、よく見るとスケベなスヌーピーって言ったの、最高。小ゑん師匠は新作のタイトルもそうだけどほんとにセンスがいいよなぁ…)
大旦那が優しいかどうかが私にとっては結構重要なポイントなんだけど、文菊師匠のは大旦那がとても優しくていい感じ。
「わかったよ。お花。じゃ夜寝る時に(夢の女に会えるように)唱えてみるよ。え?いま?いまじゃなきゃだめ?ああ、泣くんじゃない。いいよ、行くよ。」
あと夢の女に会って冷を勧められた時に「いえ、待ちますよ。燗が付くまで。昔は仕事が終わって帰ってきて膳の上に熱燗が3本ばかりも乗ってないと怒ってずいぶん女房を泣かせましたが。今はすっかり気が長くなりました」と言いながら、しばらくすると「まだですか?」というのに酒飲みの卑しさが出ていて好き。
色っぽい「夢の酒」だったー。
 
楽一さん 紙切り
最初のお題が「きりんの親子」。そう言われた楽一さんが「え?」と聞きなおすと、注文を出したお客さんが「出産した後の赤ちゃんのきりん…」。
「え?出産?出産した直後、ですか?!」
「あーーいや、直後じゃなくていいよ。」
「で、ですよね?しばらくたってからでいいですよね?」
…ぶわはははは。おかしい~。
 
次に「夢の酒」のお題が出たら、「え?あれ?あーさっき出た?文菊師匠が?」と言ったあと、(おそらく独り言で)「聴いてなかったんだよな…しまったな…あ、でも前にテレビで見た…」。
「あれですよね?酒を飲む噺ですよね。色っぽい?女性と差し向かいで…酒を酌み交わす…ですよね?」
で、しばらくして切り始めると、「お囃子もね…お題に合わせて即興で弾いてるんですよ。この曲は…ちょっと…どうかと思いますけど…(酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ――♪)」
で、取りに来た女性のお客さんが受け取った後に楽一さんに握手を求めると、握手をした後ですごく恥ずかしそうな楽一さん。
「は、恥ずかしいですよ…だって見られてるんだもん…」
 
最後に出たのが「明智光秀」。「え?」と驚く楽一さんに「きりん繋がりで」とお客さん。
しばらくわからなかったらしい楽一さんだけど切り始めてから「ああ、大河ドラマの。麒麟がくる。…それも知らないんだよな…」
そう言いながら出来上がった作品が、テレビの中に明智光秀がいて、それを降板した女優さんが見ている、という絵。
やるなー。
この日は取りに来るお客さんがみんな最初の女性をまねして握手を求めたりするのもおかしくて、楽しかったー。
 
甚語楼師匠「真田小蔵」
お客さんのノリがよかったからなのか、のりのりの「真田小蔵」。
おとっつぁんのきんちゃんの言葉への食いつき方がハンパなくてそれだけでおかしい。
お小遣いをもらって外に遊びに行っちゃった!と聞いて「おまえ!そういうときこそいないとだめじゃないか!」ってほぼ悲鳴(笑)。
考えてみれば父親が息子の話を聞かされてるだけの話なのにこの臨場感。
とっても楽しかった。
 
百栄師匠「落語家の夢」
こういう最中(ウィルス騒ぎ、極寒)にお客様が来てくださるのは本当にありがたいです、と百栄師匠。
もうやらなくなってしまいましたけど、以前はここで早朝寄席というのをやってまして。最後の頃は落語ブームもあって立ち見がでるぐらいになってましたけど、私が二ツ目になりたてのころは本当にお客さんが少なかった。喬太郎、たい平という売れっ子が出ても30名は入ればいい方で。少ない時は3名とかざらでした。
そういう時に来るお客さんはとにかくすごい熱を感じましたね。とにかく安い値段で落語を見るぞ!!という熱。この人たちはたとえばこの会場のエレベータ、エスカレータが止まって階段も水浸しになって入れなくなっても、縄梯子をかけたらそこを伝って登ってくるだろうな、という…熱がありました。
そんなまくらから「落語家の夢」。
この間、はん治師匠を前にこの噺をするという企画があったけれど、あの時はちょっとソフトにやってたんだな、というのがわかる(笑)。
鈴本でこの噺を聞くというのがもうそれだけで二割増しにおかしくて。
「落語家ちゃんを買うことはできますか?」
「え?…あ、そうなりますと私ではちょっと…」
「あらでもあなたはお茶子さんでしょ?売店で…」
「ええ、売店でおせんべいとかお茶をお売りしてますけど、それと落語家ちゃんとはちょっと別なので…上の者を呼んできます。あ、ちょうどよかった。あつしさん!(実名)」
 
〇〇流は野性味が強いからペットとして飼うのはちょっと…とか、あの師匠は見た目もかわいいし落語もかわいいですけど実際は結構めんどくさいですとか、落語家ちゃんはたいへん嫉妬深い生き物なので多頭飼いには向きません、とか。
毒の多さもあのふにゃふにゃした語り口だと猛毒に感じさせないのもすごいところ。
笑った笑った。楽しかった。

出来事

 

出来事

出来事

  • 作者:吉村 萬壱
  • 出版社/メーカー: 鳥影社
  • 発売日: 2019/12/21
  • メディア: 単行本
 

 ★★★★★

仮想と現実を巡る圧倒的言葉の世界。きれいごとを吹き飛ばす圧倒的描写力によって日常世界がめくれあがる。見慣れたはずの外界が何かおかしい。人間の嘘がべろりと浮かび上がる。人間とは何ものか。一見そうは思えないが、本書は脳と文明の虚妄をあばく恐るべき哲学小説である。『季刊文科』連載作、待望の単行本化!

覚悟して読んだけどやはり凄まじかった。静かなタイトルと表紙に騙されちゃいけない。

どこまでが現実でどこからが妄想なのか。その境界が曖昧になるように呪文のように「現実」「偽物」の言葉が繰り返される。
この狂った世界が恐ろしいが、もしかして私が今生きているのも実はこれとあまり変わりがない世界なのかも、とうすら寒くなる。
登場人物がテレビを見ながら「原発のニュースがこんなに軽く扱われて誰も騒ぎもしないところを見てもこの世界は偽物だろう」と思うシーンがあるのだが、確かに…。いつからか私たちはもうあまりにもひどい現実から目を背け見ないように感じないようにして生きていて、ちゃんと目を開けて見ると自分が生きているつもりでいる世界より世界は恐ろしいことになっているのかもしれない。

文明や思考、常識、善意をなんとなく信じて生きているけど、一皮めくればこんなものなのかもしれない?
知らない顔をして生きていると言われると、確かに…とうなづいてしまうのがこの本の恐ろしいところ。