★★★★
2023年ブッカー国際賞受賞!
「ブルガリアのジョージ・オーウェル」がノスタルジアに警鐘を鳴らす傑作
謎めいた散策者、ガウスティンが開設した「過去のためのクリニック」。 そこでは認知症患者のため、各階に異なる年代を細部まで再現し、患者を自らの記憶へと“送り返す”。 助手である語り手は、1960年代の家具や1940年代のシャツのボタン、匂い、さらには午後の光に至るまで、失われた時代の断片を集め続けることに。 だが再現された“過去の部屋”があまりに精巧になると、健康な人々までもが現在の恐怖から逃れるため、郷愁にのみこまれていく。やがて過去は避難所ではなく、現在を侵食する存在となっていき――。
認知症の治療に過去を再現した部屋を用意し功を奏したクリニック。この治療を行うのはガウスティン博士。彼の助手を務めるのが書き手である「ぼく」。
ぼくとガウスティンは過去と現在を行ったり来たりできて、またそもそもガウスティンはぼくが創作した人物らしい?
クリニックは評判になりガウスティンはいろんな国でこのようなクリニックを作りたいという野望を抱き、ほどなくそれは実現する。
いつの日か、それもすぐ近いうちに、多くの人びとが、自分の意志で記憶を「失くす」ために、すすんで過去に戻って来るようになるから。ますます多くの人びとが、元に戻って洞窟に隠れたいと思うようになるぞ。しっかりした理由があるわけじゃないけれど。ぼくらたちは、過去という爆弾を避けるシェルターを準備しなければならないね。お望みなら、それをタイム・シェルターと名づけよう。
ガウスティンは特定の時代の都市全体を作るようになり、そこには治療を受けたい人やその近親者だけではなく、特定の年代で暮らしたいという人たちが集まってくる。
過去への回帰はまるでウィルスのように広がり、ついにガウスティンの元へEUの三首脳が訪れる。
未来のひどい欠損に直面しているのに、この先の時間などいったいどうやって獲得できるのか。答えは簡単だーーー少し前へ戻るのだ。確実なものがあるとしたら、それは過去である。
(中略)
未来のヨーロッパがもはやありえないなら、ぼくらは過去のヨーロッパを選ぶしかないのだ。単純なことだ。未来がないから、過去に一票を投ずるのだ。
ヨーロッパの各国で過去回帰の国民投票が行われ、投票の結果どこの国も「過去回帰」が勝つ。それではどの年代に戻るかということについても国民投票が行われることになる。
「ぼく」は国民投票の1週間前に母国ブルガリアに帰国する。
ブルガリアでは「社会主義のための運動=社会(ソツ)」と「ブルガリア人勇士(ユナツィテ)」のグループの一騎打ちとなる。
ソツは60年代や70年代に戻るべきだと主張し、ユナツィテは1878年の四月蜂起を頂点とするブルガリア民増復興運動後期の時代を理想としている。
国民は自分の国が一番良かった時代を模索し、自分や一族が裕福だった時代を選択するが、その結果ポピュリズムが台頭し自由が奪われる。
長生きした先には認知症という治らない病が待ち受けていて、昔は良かったというノスタルジーは集団のレベルではポピュリズムの台頭に結び付く地獄。
過去へ回帰したことで未来もすでに知っている過去をなぞり、徐々に未来も現在も見失っていく。
作者である「ぼく」も老人になり認知症になり時系列もめちゃくちゃになり、読んでいる私も物語の中で迷子になって、もうなにがなんだか…状態。
ストーリーが派手にどんどん展開していく小説ではなく、思考を旅するようにいろいろな事例や出来事が淡々と進んでいくので、勢いで読み進めることもできず、正直私には難しくてきちんと理解はできなかった。
でもこの小説を荒唐無稽と言い切れないところに今の世界の恐ろしさがあるとも感じた。