りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

チョン・ミョンソプ「記憶書店 殺人者を待つ空間」

 

★★

残忍な男によって、目の前で妻と娘の命を奪われたユ・ミョンウ。犯人は捕まらず、未解決のまま15年を迎えた。犯人が古書に異常な執着を持っていることを見抜いたユ・ミョンウは、犯人をおびき出すために古書だけを扱う〈記憶書店〉を開店した。そこに現れた4人の怪しい客。「この中に犯人がいる」と確信し、調査をはじめるが……。
家族を失った怒れる男のかつてない復讐劇が、いま始まる。

妻子を猟奇的な殺人鬼(自称「ハンター」)に殺された大学教授が、テレビに出てコメンテーターとして活躍する中で、大学とテレビの仕事を引退して「記憶書店」という予約制の古書店を開くことを発表し、古書好きの「ハンター」をおびき出して復讐しようとする物語。

登場人物が少なくて舞台劇を見ているような感じでさくっと読める。ありえないことの連続だけどフィクションと割り切って楽しめばそれなりに楽しめる。

これ舞台にしたらいいかも?と思ったけど、残酷なシーンが多いから無理か。

箸休め的な感じで流し読み。

 

 

 

ドナテッラ・ディ・ピエトラントニオ「傷つきやすいものたち」

 

★★★★

イタリア文学賞の最高峰ストレーガ賞+同賞ヤング部門賞W受賞!

ルチアは故郷の山間の町に暮らしている。夫は単身赴任で家を出たままで、老父が暮らす近所の実家を時々訪れる日々。都市封鎖でミラノの大学から戻ってきた娘は部屋に引き籠もったままだ。ある日、ルチアは父親から土地を継げと持ちかけられる。その土地はかつて、今も町に影を落とす忌まわしい事件が起きた場所だった。ルチアは封印していた記憶と向き合うことに――。
すべての人間の弱さを力強く描いた、感動の人生賛歌。

ミラノ大学に合格し意気揚々と家を出て行った娘アマンダが、コロナ禍で家に帰ってくるが、心を閉ざし勉学への意欲も失い部屋に引きこもっている。
母ルチアに胸の内を明かさないアマンダの心配をしながら、近くに住む老齢の父の元へも通う。

あるとき父から彼が所有しているいわくつきの土地「狼の牙」をルチアに生前贈与したいと言われ、気が重くなるルチア。
かつて「狼の牙」には父と親友とで作ったキャンプ場があり栄えていたのだが、ルチアが20歳の時にキャンプ場に泊まっていた女性客2名が殺され、ルチアの親友ドラリーチェだけ生き残るいう陰惨な事件があった。
本当だったらその3人とともに自分も山に行く予定だったが当日反故にしたルチアは、彼女らに対して罪悪感があり、その後ドラリーチェとも離れてしまった。

贈与されたことで過去と向き合わざるを得なくなったルチア。

過去と現在が交互に語られ、事件の全貌が明らかになるとともに、ルチアの現在も様相を変えていくという物語。

 

過去の事件がどのように始まり犯人は誰でどういう理由で…というミステリー要素があって引き込まれてぐいぐい読める。

また大学生の娘との距離感や明らかに傷ついて気力を失っている娘にどう対応したらいいのかという問題もリアルで身につまされた。

ラストは正直少し安直にも感じたが、ここ最近読んだ本が余韻文学というか最低限の言葉や表現から読み解いたり想像しなければいけないものばかりだったので、この小説は分かりやすくてありがたかった。

 

ユーディット・ヘルマン「夏の家、その後」

 

★★★★

都会で暮らす若者たちの浮遊感覚を繊細で軽やかな筆致でつづったドイツ新進作家のデビュー集。日常にふと顔をのぞかせる人生の深い淵を、鋭い観察眼を駆使しながらも慈しみをこめて描く。

1988年に発表されてドイツで大ベストセラーになった短編集。

なんかもっと昔の作品のような感覚があったのは1話目の「紅珊瑚」がロシアに渡った曾祖母の話で「決闘」が出てきたせいもある?

自分の意志とは別に絡み取られていくような感覚になったり、湿度が高くてじっとりした不快感を感じたり、自分の殻に閉じこもり孤独だけが友になっている暮らしの中で心が揺らぐ瞬間があったり…と、読んでいてもどかしいようなイライラするような「わかるー」とぐっとくるような作品が多かった。

 

好きだったのは「ソニヤ」(出会った瞬間からソニアに絡み取られる感じ。でも何度も出てくる「ちょうどいい婚約者」のヴェレナの方が実は気持ち悪いかも?と思ったり…)、「何かの終わり」(祖母の晩年をレストランで独り語るゾフィー。おそらくゾフィーも老女で認知が怪しくなってる?祖母のラストが恐ろしい…)、「ハンター・ジョンソンの音楽」(好き!なんかよくわからないけれどジョンソンがかっこいい!)、「夏の家、その後」(あとがきを読んで腑に落ちた!)。

 

心のひだを丁寧に描写した作品が多くて、もやもやするけど心に残る。
他の作品も読んでみたい。

 

 

アン・マイクルズ「抱擁」

 

抱擁

抱擁

Amazon

★★★★

カナダの巨匠、14年ぶりの新作にしてブッカー賞最終候補作

1917年、戦場で瀕死の重傷を負ったジョンは記憶の断片にすがりながら生還する。やがて北ヨークシャーへ戻り写真館を再開するが、写した像に亡霊が現れ始め――夢幻的な語りの断片が紡ぎだす四世代にわたる物語。詩的な文体で記憶と愛を描き出す巨匠の最新長篇

第一次大戦時から2025年までの4世代の物語。

作者が詩人ということもあり、詩のような散文のような…断片的に切り取られたシーンが美しい言葉で描写されるので、最初のうちは描かれているのがいつのことなのか何のことを言っているのか理解するのに苦労した。

どの世代にも共通するのは戦争、愛の芽生え、家族、そして喪失。

死は誰にでも訪れるが死に方とタイミング、受け取られ方はそれぞれ。詩的な文章は決定的な瞬間を鮮やかに切り取った絵画のようで、いつまでも忘れられない印象を残してくれた。

作者名にも覚えがあるし翻訳されている作品名にも覚えがあったのに、読書メーターにもこのブログにも登録がなく、なんでだろう?と思ったんだけど、おそらく2冊とも挫折していた。
言葉数が少なくて抽象的な表現が多いところが多分私は苦手で何度か手に取ったものの、途中で「うーん?」となって読み切ることができていない。

初めて読み切れたのがこの作品。「抱擁」っていうタイトルが好きすぎたんだけど、原文ではheld。あとがきによれば

散り散りに逃れ去っていこうとする生の断片をなんとかその手につかみ、抱擁し、保持しようとするのがheldという身振りだと考えることもできるだろう。

そういえば作品中何度も「ヘルド」とルビが振ってあった。


 

 

ゲオルギ・ゴスポディノフ「タイム・シェルター」

 

★★★★

2023年ブッカー国際賞受賞!
「ブルガリアのジョージ・オーウェル」がノスタルジアに警鐘を鳴らす傑作

謎めいた散策者、ガウスティンが開設した「過去のためのクリニック」。 そこでは認知症患者のため、各階に異なる年代を細部まで再現し、患者を自らの記憶へと“送り返す”。 助手である語り手は、1960年代の家具や1940年代のシャツのボタン、匂い、さらには午後の光に至るまで、失われた時代の断片を集め続けることに。 だが再現された“過去の部屋”があまりに精巧になると、健康な人々までもが現在の恐怖から逃れるため、郷愁にのみこまれていく。やがて過去は避難所ではなく、現在を侵食する存在となっていき――。

認知症の治療に過去を再現した部屋を用意し功を奏したクリニック。この治療を行うのはガウスティン博士。彼の助手を務めるのが書き手である「ぼく」。
ぼくとガウスティンは過去と現在を行ったり来たりできて、またそもそもガウスティンはぼくが創作した人物らしい?

クリニックは評判になりガウスティンはいろんな国でこのようなクリニックを作りたいという野望を抱き、ほどなくそれは実現する。

いつの日か、それもすぐ近いうちに、多くの人びとが、自分の意志で記憶を「失くす」ために、すすんで過去に戻って来るようになるから。ますます多くの人びとが、元に戻って洞窟に隠れたいと思うようになるぞ。しっかりした理由があるわけじゃないけれど。ぼくらたちは、過去という爆弾を避けるシェルターを準備しなければならないね。お望みなら、それをタイム・シェルターと名づけよう。

ガウスティンは特定の時代の都市全体を作るようになり、そこには治療を受けたい人やその近親者だけではなく、特定の年代で暮らしたいという人たちが集まってくる。

過去への回帰はまるでウィルスのように広がり、ついにガウスティンの元へEUの三首脳が訪れる。

未来のひどい欠損に直面しているのに、この先の時間などいったいどうやって獲得できるのか。答えは簡単だーーー少し前へ戻るのだ。確実なものがあるとしたら、それは過去である。

(中略)

未来のヨーロッパがもはやありえないなら、ぼくらは過去のヨーロッパを選ぶしかないのだ。単純なことだ。未来がないから、過去に一票を投ずるのだ。

ヨーロッパの各国で過去回帰の国民投票が行われ、投票の結果どこの国も「過去回帰」が勝つ。それではどの年代に戻るかということについても国民投票が行われることになる。

「ぼく」は国民投票の1週間前に母国ブルガリアに帰国する。
ブルガリアでは「社会主義のための運動=社会(ソツ)」と「ブルガリア人勇士(ユナツィテ)」のグループの一騎打ちとなる。

ソツは60年代や70年代に戻るべきだと主張し、ユナツィテは1878年の四月蜂起を頂点とするブルガリア民増復興運動後期の時代を理想としている。

国民は自分の国が一番良かった時代を模索し、自分や一族が裕福だった時代を選択するが、その結果ポピュリズムが台頭し自由が奪われる。

長生きした先には認知症という治らない病が待ち受けていて、昔は良かったというノスタルジーは集団のレベルではポピュリズムの台頭に結び付く地獄。

過去へ回帰したことで未来もすでに知っている過去をなぞり、徐々に未来も現在も見失っていく。
作者である「ぼく」も老人になり認知症になり時系列もめちゃくちゃになり、読んでいる私も物語の中で迷子になって、もうなにがなんだか…状態。

ストーリーが派手にどんどん展開していく小説ではなく、思考を旅するようにいろいろな事例や出来事が淡々と進んでいくので、勢いで読み進めることもできず、正直私には難しくてきちんと理解はできなかった。
でもこの小説を荒唐無稽と言い切れないところに今の世界の恐ろしさがあるとも感じた。

 

ローベルト・ゼーターラー 「名前のないカフェ (新潮クレスト・ブックス)」

 

★★★★★

その店には、居場所のない人々が集まった。ささやかなぬくもりを求めて――。
街角に戦争の名残をとどめるウィーンで、孤児院で育った男が開いた小さなカフェ。メニューはラードを塗ったパン、赤白ワイン、ビール、コーヒー、塩づけキュウリと、わずかばかり。市場で身を粉にして働く者、盛りをすぎたプロレスラー、ロシア生まれの女癖の悪い画家などそれぞれ孤独を抱えた人々が、束の間の居場所を求めて集まるが……。
ドイツ語圏のミリオンセラー『ある一生』の著者が描く、働き続けることと生き続けることのかすかな輝きが静かな感動を呼ぶ長篇小説。

戦争孤児のローベルト・ジーモンは15歳で学校を去った後、さまざまな肉体労働で金を稼ぎ、戦争未亡人マルタ・ポールの貸し出すアパートの部屋に住み、7年間市場で働いた後、かつての市場カフェの店舗を借りてカフェを開く。

下宿先の未亡人との夕べの団欒でカフェを開こうと思っていることやその不安を打ち明けた時の未亡人の答えが素敵だ。

「人っていうのはね。いつも心配よりは希望のほうを少し多めに持ってなきゃ。そうでなきゃバカらしいじゃない、ね?」

カフェは市場で働く人や老女や訳あり女やレスラーなど…常連ができるが、冬になったら客足がぱったり途絶えたりボイラーが故障したり…順風満帆とはいえない。
それでも働き者のミラがカフェで一緒に働くようになったり、レスラーのレネとミラのロマンスがあったり…いいこともあれば悪いこともある。

カフェに来る人たちの人生がうっすら見えるところも好きだ。
常連の老女2人の会話がカギかっこもなく改行もなく繰り広げられるのだが、諦めとユーモアがあってとても楽しい。

いま誰が面倒見てるの?朝早くに介護士が来て、午後にはジーモンが食事を持っていくみたいよ。まぁ、そんな感動的な話ってある?ヴァヴロフスキのボイラーに指を三本も吹っ飛ばされたっていうのに。それがなんの関係があるのよ、あれは事故でしょ、それにもうずっと前の話よ。体の一部をなくした場合に、時効なんてない。あんたってときどきほんとうに馬鹿なことも言うのねぇ。なにもかもが悲しい世の中になったら、せめて心のなかは明るさを保たなきゃ。憂鬱な老人ほど醜悪なものはないでしょ。苦々しい顔で生きるくらいなら、阿呆に近づくほうがましよ。私はね、もう三十年前に老人になったの。だからいまは一日ごとに若返っていくような気がする。それっていいこと?それとも悪いこと?

辛いことがあってもどうにかして辛い時をやり過ごし生きていく。死を受け止める。時間がかかっても苦しくても受け止めるしかないのだから。命が生まれたら喜び、育てる。死ぬまで生きる。

辛いシーンも多いけれど、暗くて人気のない市場にカフェの灯りがぽっと光っているように、心温まるシーンもあって、しみじみ良かった。

これでゼーターラーの作品は3作目だけど、この作品が一番好きだった。

 

キム・ユダム 「ケアする心 (エクス・リブリス)」

 

★★★★★

韓国社会と向き合った優れた作品に贈られるシン・ドンヨプ文学賞を受賞している女性作家による注目の短篇小説集。祖母の看病をする長男の嫁、育休中の母親、同い年の子をもつママ友、認知症の父を施設に預けている専業主婦の女性など、収録する10篇の主人公はすべて女性。ワンオペ育児や介護など、家族のケアに時間と労力を捧げる人々がケアされない日常の中で、不安、孤独、嫌悪感、愛着と憎しみにまみれながら静かに奮闘し、どんでん返しが待ち受ける――。
ケアする人が抱える不安や、繊細な感情の揺れを掬い上げ、ケアそのものを取り巻く社会の構造的な問題や矛盾も浮き彫りにする本作は日本の多くの読者に共感と衝撃を持って受け止められるだろう。

嫁として娘として休む暇なく家事をすること、自分の子どものケア、親の介護…様々な環境の中でケアをすることが描かれている。 身近すぎてヒリヒリしたり目を背けたくなったりホラーに思える作品もあったけれど、面白かった。 

 

「ナツメ」
内孫で男の子ということもあって祖母に溺愛されている孫のヨンソク。

私は母と叔母(ヨンソクの母)と祖母のお見舞いに行くが、買って行ったナツメを祖母に「まずくて食べられない」「私の家のナツメは本当に美味しかった」と言われてしまう。
ヨンソクに「おばあちゃんのために元祖母の家(売ってしまって今は別の人の家になっている)のナツメを取ってきてあげよう」と言われて、ついて行く。
塀をのぼって血だらけになってナツメを取ってきたヨンソクを見て「これのおかげでおばあちゃん長生きするね」と思わず言うと、「それじゃダメ」と言うヨンソク。

その後に続くヨンソクの言葉に呆然とするのだが、それは自分の母が祖母の世話をするためにパートを辞め毎日病院に通い下の世話も全てやっている姿を見ているからこその言葉で…そう考えると何一つ手伝ったり犠牲になることなく「長生きしてね」というのがとても無責任で無神経な言葉にも思えてくるのだった。

 

「ケアする心」

八か月の娘を抱えたミヨンは、職場復帰を前にベビーシッターを探すが、信頼できそうな人はなかなか見つからない。そんな時、同じ団地に夫婦で暮らす高齢女性、ナムヒが名乗りを上げ、自宅で子どもを預かりたいと言う。ミヨンは監視カメラを設置する条件で子どもの世話を頼むが、ある日、映らない場所の秘密を偶然目撃してしまう……。

これも本当に息が詰まる…呼吸が苦しくなるような作品。
ベビーシッターの面接をし、実際に来てもらってその人が本当にちゃんと子どもを可愛がってくれる人なのか…安心して家を任せられる人なのかをチェックすることの難しさと気まずさよ…。
そしてこれ夫が全くノータッチで丸投げで正論しか言わないのがほんとにしんどい。

紆余曲折あって、同じ団地に住むナムヒという品のいい老女に夫に何も相談せずにお願いしてしまう気持ちもすごくよくわかる。
そして仕事で本当にきついことがあってぼろぼろだった時に限ってこういう…見たくなったモノを見てしまうんだよな…。さらにもう預けたくないと思ってもどうしてもはずせない仕事があってまた預けないといけなくなって預けてしまうんだよな…。

主人公の気持ちがよくわかるし不安もわかるし私には彼女を責められない。
ラストがほんまにホラー…。この先が知りたい。

 

経済的な格差や優越感が覆されて動揺して不寛容になるのも分かるし、家族のためにすべてを犠牲にして尽くすような生き方は否定するし自分は決してそんなことはしたくない(そもそもできない)のに、自分が快適に感じていた生活の陰には誰かの犠牲があったというのもリアルだし、コロナが始まった時のマスクが手に入らなかったり学校が休校になったりリモートワークになって家族が全員家に閉じこもってそれまでのバランスが崩れたりするのもリアルだった。

苦いけれど共感できるしそっと手をつなぎたくなるような登場人物が多かった。キム・ユダムの作品はこれが初めてだけど、これからも読んでいきたい作家さんだ。

 

ディケンズ「バーナビー・ラッジ(上)」「バーナビー・ラッジ(下)」

 

★★★★

1775年3月19日の夕暮れ――

ロンドン郊外チグウェル村の酒場〈メイポール亭〉に、一人の旅人が訪れる。
奇しくも22年前の同日に近隣で発生した殺人事件について馴染客が彼に語ったその時、止まっていた運命の輪が動きだす……

イギリスを代表する文豪が推理小説的技巧を用い、E・A・ポオを嫉妬させた歴史長篇、初文庫化。

 

実際にあった歴史的な事件を扱ってますよ~この事件はイギリス人としては思い出すことすら恥ずかしいような事件だけど、無視するのは違うやろと思うから、書きますよ~というディケンズの文章が巻頭にある(ニュアンス)。

しかし上巻ではその事件はほぼ出て来ず。
メイポール亭という居酒屋で常連3人と店主との会話から物語は始まり、ウォレン屋敷でかつて起きた殺人事件、親同士が敵対している男女の恋愛、陽気な鍵屋とそこで働く徒弟のちんちくりんが通う秘密結社、などなど。

このかつて起きた殺人事件の真相と、反カトリック運動という暴動を利用して自分の気に入らない人間を徹底的に潰そうという陰謀、この2つが物語の主軸にある。

タイトルになっているバーナビー・ラッジというのは、かつて殺人事件があったウォレン屋敷で召使頭をしていたラッジ(池の中から死体が見つかる)の息子。事件が起きたまさにその晩に生まれるのだが、知的障害を持っていて純粋だがほとんどのことを忘れてしまうし騙されやすい。

バーナビーの安全と幸せだけを祈っている母親ラッジ夫人が何者かに脅されて住み慣れた家を離れ田舎に隠れ住むのだが、そこにまた彼女を脅していた男の仲間が訪れて金をせびられ、ラッジ夫人はわざわざまた田舎を離れてロンドンへ行き、騒乱の真っただ中に飛び込んでしまう。

暴動の最中に、メイポール亭の馬丁ヒューはバーナビーを見つけ、利用価値があると判断してバーナビーに「これは正しい行動でお金にもなる」と声をかけ、バーナビーは騒乱に加わり何もわからないまま騒乱の英雄に祭り上げられてしまう。


悪党が分かりやすく悪党で、善人(おそらく)は事情があって口をつぐみ怪しい行動を取ったり、意固地になって心を閉ざしたりしているので、前半はもう歯痒いやらイライラするやら…。
特にバーナビーくんは頭が弱いお人よしなのでやたらと渦中に入って行ってしまうし、もうなんでやねん!なにしてるのほんとに!の嵐。

反カトリック暴動(ゴードン騒乱)が、歴史的に見てどういう位置づけになっているのか分からないのだが、最初は誰も相手にしなかった政治的な運動がどんどん暴動に発展していき無秩序状態になっていくのはとてもリアルで怖かった。

こんな暴力の中にバーナビーは本当にいたの?怖くて逃げださなかったの?とか、この人たち途中から全然出て来なくなったけど何してたの?とか、ツッコミどころ満載なんだけど、最後は全部きれいに回収していって大団円になったのも凄かった。筆力!

 

解説がエドガー・アラン・ポーで、あらすじをきれいにまとめてくれていたのも助かった。もやもやと書かれていて理解できていないところもあったから。
そしてポーが殺人事件の部分について「詰めが甘い」とおもいきりツッコんでいるのも面白かった。

今年はディケンズも再読したいなぁ。

ダイアン・クック 「人類対自然 (エクス・リブリス)」

 

ミランダ・ジュライ絶賛! 米作家のデビュー短篇集

配偶者を亡くし自活できない男女が、収容先で再婚に向けて奇妙な再教育を受ける「前に進む」。大洪水のなか水没をかろうじて逃れた自宅で、助けを乞う人々を追い返して生き延びてきた男が、ある男をボディガードがわりに唯一受け入れたところ……「最後の日々の過ごしかた」。会議中に襲来した怪物から逃げまどいパニックに陥ったエリート役員たちが、死を前にして思い至ったのは……「やつが来る」。友人と出かけたボートが遭難し、来る気配のない救助を待つ男が、長年の友情が幻想だったと突きつけられる表題作。特異な生殖能力を持つため、あらゆる女に追い求められる″みんなの男"が、落ち着いた関係を望みはじめたとたん……「おたずね者」。抽選で〈不要〉と認定された子どもたちが繰り広げる、一瞬も気を抜けない苛酷な生存競争を描く傑作「不要の森」など。
不条理な絶望の淵で生き残りをかけてもがく人々の孤独と微かな希望を、無尽の想像力で描く、ダークでシュール、可笑しくて哀しい鮮烈な12篇。本書は多数の新人文学賞を受賞、最新長篇The New Wildernessは2020年ブッカー賞最終候補作になり、将来を嘱望されている。

裏表紙にディストピア小説と書いてあったので覚悟して読んだんだけど、シチュエーションが自分の中でかなり苦手とするもので、嫌ー嫌ーの連続だった。

例えば、「最後の日々の過ごしかた」では、大洪水の中水没を逃れた自宅で助けを求める人を全て拒否して備蓄品で生き延びている男がいるんだけど、隣人は来た人を受け入れたせいで備蓄も底をつき「分けてくれないか」と言ってきたりする。
こうなったのは自業自得だろうと隣人が来ても断っているんだけど、ある日「ウィスキーをくれ」と言ってきた男がいて、この極限状態でウィスキーを欲しがるのは面白いなと思って家に入れる。

その言葉通りウィスキーだけを欲しがって飲み続ける男(ゲイリーと名乗る)にウィスキーの見返りとしてボディーガードを頼みしばらくは快適に暮らしているのだが、ある日訪ねてきた隣人とゲイリーが親しげに話しているのを見て不安に駆られる…。

極限状態で助けてくれと訪ねてきた人を受け入れるか否か。唯一心を許して家にいれた人間が家のどこに備蓄品があるかとか倉庫の場所とか暗証番号とか知った状態で出て行ってしまったら、今度は大勢引き連れて襲ってくるに違いないという疑心暗鬼でもう居ても立っても居られない。

自分さえ良ければいいのか。でも誰もかれも受け入れてめちゃくちゃにされるのを我慢する意味などあるのか。あああ…。

 

表題作は、古くからの友人2人を誘って毎年恒例のクルージングを楽しむフィル。フィル所有のプレジャーボートで海に出るのだが、プレジャーボートがガス欠で動かなくなってしまう。
途方に暮れていると、そのうちの一人が「あそこに岸が見えた」と言う。

その言葉を信じて食べ物や飲み物を豊富に詰め込んでいるプレジャーボートを乗り捨てて救命ボートに乗り込んで岸を目指す3人だが、行けども行けども岸はなく船の姿もなく…。
極限状態の中、友人二人が結託し、孤立するフィル。
それは今に始まったことではなく、ある時からフィルは排除されている感じを受けていて、だからこそこの3人で海に出るのを楽しみにしていたのだ。

読んでいるとフィルが薄気味悪いやつだということが分かってくるのだ。
だけどあくまでもフィル目線で語られているから、フィルに感情移入して読んでしまい、自分が発言するたびに二人が顔を見合わせたりしらけたりするのがたまらなくしんどい。

ましてや生きるか死ぬかの極限状態。
うわーーー。なんですわ。

 

あと嫌だったのは(面白かったのは、ではなく)、「だれかの赤ちゃん」「ガール・オン・ガール」「上昇婚」「気象学者デイヴ・サンタナ」「豊作年」「不要の森」。
わけわからないけどここまでやるならむしろ面白いと思ったのは「やつが来る」「おたずね者」。

嫌だ嫌だと思いながら最後まで読んだのは文章が美しかったから。
でも私には合わなかった。

村田喜代子「新古事記」

 

★★★★

第二次大戦日米開戦後のアメリカ。オッペンハイマー、ノイマン、ボーア、フェルミ、若手のファインマン……。太平洋戦争の最中、世界と隔絶したニューメキシコの大地に錚々たる科学者たちが続々と集まってくる。
咸臨丸の船員だった日本人の血を受け継ぐ日系三世のアデラは両親にさえ物理学者の夫の仕事の内容を教えられず、住所を知らせることもできない。秘密裏に進む夫たちの原爆開発、施設内の犬と人間の出産ラッシュ。それと知らず家事と子育てに明け暮れる学者の妻たちの平穏な日々。

「新しい世界は神じゃなく、人の子がつくる」――”われは死なり 世界の破壊者となれり”
その小さな神たちが行き場を探して右往左往している。辺りは火火火火火火、赤いものがボウボウと襲いかかる。
世界は戦さの火だらけだ。火火火火火火が荒れ狂う。小さい神々は蟹のように火火火火火火に追われて逃げ惑う。
山の神も火火火火火火、川の神も火火火火火火に包まれ、樹木の神も立ったまま火火火火火火に焼け焦げていく。
焼け滅ぼされていく。

 

第二次世界大戦下のアメリカ。ルーズベルトが西海岸に住む日系人を収容所に送るという「大統領令9066号」を発令し、西海岸ではない地に住む日系人も不安に駆られ抗議運動も盛んになっている。

そんな中、恋人のベンジャミンに「仕事で遠い土地に行くことになった。その場所は秘密なので誰にも教えられない」と告げられたアデラは彼に付いて行くことを決意する。

アデラは日系三世。祖父ヒコタロウは徳川将軍の使節団としてアメリカに渡り、ホームステイ先で気に入られてアメリカに残り、アイルランド系アメリカ人サーシャと結婚した。
ヒコタロウはサーシャに日本語を教えたりいろいろな話をしてくれていて、その内容をサーシャは古いノートに書き留めていた。
アデラはこのノートを旅の荷物に詰めて、ベンジャミンと一緒にニューメキシコの標高900フィートの山脈メサの頂上「Y地」へ向かう。

Y地にはベンジャミンと同じ科学者とその家族(犬も含む)が大挙して押し寄せ、科学者家族はゲートの中で軍隊に守られて暮らす。
アデラはゲートの外にあるオッタヴィアン動物病院の受付として雇われ住まいもその中の一室になる。

ゲートの中で何の研究・実験が行われているかは家族にも明かされないのだが、集まってきた科学者たちのリーダーがオッペンハイマーとあって、ああ、これは原爆の開発を行うための場所なのだということが分かる。

物語はアデラによって語られるが、その暮らしは驚くほど穏やかだ。
動物病院の待合室は科学者の妻たちの交流所となり、ゲート内の購買で手に入るもの入らないものの話や情報交換がされる。また動物病院を手伝いに来ているプエブロ族アイーダの住んでいる集落をアデラと奥様たちで訪ねたりもする。

アイーダの集落を訪ねた時、長老にお土産を渡そうとすると固辞される。その時に言われたのが「インディオは形のないものが好き。物はないほうがいいです」。
そうやって物を持たず自分たちの知恵を惜しげもなく教えた挙句、その土地を奪われたのではないか…そんなことにも思いを馳せるアデラ。

アイーダの集落を訪れ、神に祈る彼らの姿を見て、ゲート内にシナゴーグを作ろうと考え実際行動を起こすユダヤ人科学者の奥様たち。
またゲート内ではある時から結婚と出産が相次ぐようになる。

妻たちが神に祈りを捧げている間に、夫たちは殺人兵器を作るための実験を行っているという皮肉…。
そして殺人兵器を作るための研究を行いながら一方で新しい命をせっせと生み出すという…これが人間の生命力なのだろうか。

 

科学者たちが核分裂の実験に成功して快哉を叫びお祭り騒ぎになるのだが、作られた原爆が広島、長崎に落とされたというニュースを知ってみなショックを受け黙りこくったという記述に、これが事実であってほしいと思った。

 

双雪濤「平原のモーセ」

 

★★★★★

中国現代工業の一大拠点だった瀋陽市鉄西区は、90年代の改革開放の波に乗れず経営破綻が相次いだ。地元出身の著者が土地に息づく5つの物語を掬った初の邦訳短編集。新文芸誌「GOAT meets」掲載で大反響!

文革の記憶を引き摺る家族と、工場にリストラされた父娘。
連続殺人事件を機に運命は交わる。(「平原のモーセ」)

貧民街に暮らす少年はある日、非行少女と石炭工場に忍び込む。(「グラードを出る」)

その冬、僕は父と離れて街外れの教会に住む叔母のもとへ向かった。(「光明堂」)

亡き父の言葉を残し、伯父は闇夜に飛び立った。(「飛行家」)

小説家は、他人の未発表原稿に、自分しか知らぬはずの真実を見た。(「北方は無に帰す」)

その静けさは雪と似ている――カバー裏には、坂崎かおる氏の書評も掲載!

かつては栄えた工業住宅区であるものの、国有企業の工場閉鎖などによる大量失業で貧しさに喘ぐ町・艶粉街を舞台に、そこに住む人の生活や人生を描いた5編が収められている。 

 

「平原のモーセ」

父の工場を引き継いで働く荘徳増は粗野だが商才に長けた男で、大学で哲学を教えていたが文革の時に暴力を受け片耳が聞こえなくなった父親を持つ東心と結婚する。本を読むことが好きで本の挿絵を描くのが好きな東心は実務的なことは全くダメで工場で働くが無能で役に立たない。徳増は東心を印刷部に異動させるよう進言し、彼女はマッチ箱のイラストを描くようになる。
2人の間には樹という息子が生まれるが、徳増に似て子どもの頃から腕白で東心の手におえない。
彼らの住む長屋には李親子が住んでいて親しくしていたが、娘の斐が火好きであることに気づいた東心は将来ものになるかもしれないと思い、自ら先生役を買って出る。
教えれば教えるほど吸収する斐。自分がお金を出すから私立中学を受験させるべきと言う東心に「それぐらいの金なら用意できる」という李だったが、李親子は引っ越して行き行方が分からなくなってしまう。

 

斐の樹に対する恋慕、樹には気がないこと…を示しつつ、物語は急に蔣不凡という警官に焦点が当たる。
タクシーの運転手が1週間のうちに2名殺され車ごと燃やされる。犯人が金に困っていることとガソリンを手に入れやすい人間であるという情報から蔣は部下を率いておとり作戦に出る。
蔣がタクシーの運転手をしている時に乗って来たのが中年の男と12歳ぐらいの女の子を連れた親子連れ。
え?これはもしかして李親子?
いやでお李は清廉潔白な男で犯罪を犯すことなど考えられないけど…?

 

このタクシー運転手殺人事件の謎を追う形で、李親子の行く末と樹の運命が交差していくのがもう「うぉおおお」と言いたくなる…ストーリーに求心力があるというか高揚するというか…。
年月が進むにつれ家族から離れていくように見えた東心の真実も明らかになって、それも納得するし…。

中編ぐらいのサイズなんだけど、大長編を読んだような満足感。

 

他の4作品も長さに関わらず深みがあって芳醇なストーリー。
いやぁ…めちゃくちゃ面白かった。出会えてよかった。読めて良かった。

 

チャン・リュジン「仕事の喜びと哀しみ (K-BOOK PASS 1)」

 

★★★★

決して安寧ではない現実に向き合いながらも、本書に描かれる人々の目線や行動はどこか軽やかだ。日々の労働、生活、誰かとの関わりを静かに、生々しく、辛辣にユーモラスに優しく描くチャン・リュジンと出会えて幸福に思う。
――小山田浩子(小説家)

表題作「仕事の喜びと哀しみ」がチャンビ新人小説賞を受賞し、ネットに公開されるとたちまち読者の共感をよび40万ビューを記録。
2020年11月には韓国KBSでドラマ化もされています。

本書にはこの表題作をはじめ、ミレニアル世代の著者が同世代の人々を主人公に描いた8篇を収録。
2020年「書店員が選ぶ今年の本」小説部門に輝いた話題の短編集を、新たな文学シリーズ「K-BOOK PASS」からお届けします。

初めて読む韓国の新人作家によるお仕事小説。

 

「仕事の喜びと哀しみ 」
スマホの位置情報をもとに中古品の売買ができるアプリ「うどんサービス」の開発で順調な滑り出しをきったスタートアップ企業で働くアンナ。
最近「カメの卵」と名乗るユーザーが開封もしていない新品を最安値より少し安い金額で大量に出品していて、取引成功率が100%である上に取引後の評価も高いのだが、爬虫類嫌いの取締役は「カメの卵」を悪意のあるユーザーだと決めつけて、「カメの卵」と取引し会ってこいとアンナに命令する。

「カメの卵」の出品した商品を購入し、近くの駅で受け渡しをする約束を取り付けたアンナ。
駅に行ってみるとそこにはしゃれたスーツを着こなして感じのいい女性がいて、「出品している商品はどこで手に入れているんですか」と聞いてみると「お昼ごはんを一緒に食べながら話しませんか?」と言われる。
2人でお昼を食べながら話を聞いてみると、彼女は会社の会長の機嫌を損ねたというだけの理由で不条理なめにあっていて…。

何が何でもそれはひどいぜという話なのだが、「カメの卵」ことイ次長が、ひどすぎるでしょ?と言いながらも、こんなのはこの会社では小さな事件で、もっとひどい事件も多いという。

ああいう地位にいる人たちは私たちみたいな一般の社員とはそもそも思考回路が違うから、彼らの論理や行動に疑問を持ったりしないほうがいいということだった。

「おかしいと思っちゃいけないの。そう思い始めると頭がおかしくなるから」

イ次長と別れて会社に戻ってきてからアンナがとった行動がとっても建設的だしその後の言動は会社員生活の長かった私にも覚えのあるもので、その調子その調子!と思ったのだった。

 

韓国の小説を読んでいると、日本以上の学歴社会で受験を勝ち抜いたとて就職難で正社員になれなくて非正規雇用で過重労働を強いられたり給料も安かったり…大変だなぁと感じることが多い。

この小説の中でも、優秀でものすごい努力とアピールを続けて希望の部署に異動した女性が結婚相手(同期)の給料を聞いてその差にショックを受けたり、会社の中で経営者のわがままに振り回されたり、Youtubeでバズったもののミュージシャンとしての矜持が邪魔をしてお金をゲットしそびれたり…ままならない状況は変わらないのだが、その中でも自分の納得する働き方や生き方を見つけようともがく若者の姿が描かれていて、ちょっとほっとした。

 好きだったのは表題作と「タンペレ空港」。 じっとりした嫌な感じが残る「助けの手」「真夜中の訪問者たち」も良かった。

 

 

 

 

ローベルト・ゼーターラー「野原(新潮クレスト・ブックス)」

 

★★★★

悲しみとは、生の躍動――。人の尊厳に迫る、このうえなく静かな長篇小説。
ミリオンセラー『ある一生』で国際ブッカー賞候補となったオーストリアの作家が、小さな町の墓所に眠る死者たちが語る悲喜交々の人生に耳を傾ける。たゆまぬ愛、癒えない傷、夫婦の確執、労働の悦び、戦争、汚職、ならず者の悲哀……。失意に終わる人生のなかにも、一瞬の輝き、損なわれることのない人間の尊厳がある。胸を打つ物語。

 

オーストリアのパウルシュタットという小さな町に「野原」と呼ばれる墓地があり、町の人は亡くなるとみなそこに入る。そこのベンチに毎日やってきて死者たちの声を聴く老人。そこに眠る29人の死者が語る物語。

ゼーターラーは前に「ある一生」を読んでいて、名もなき男の人生を丁寧に描いた作品で、渋い作家だなぁというイメージがあったんだけど、これも負けず劣らず渋い。

何かを成し遂げたとか劇的な人生を送った人はおらず(この町の歴史に残る大事件?を起こした人や事故に巻き込まれた人は出てくる)、またこの物語の中で死んでも別の次元に行くことはなく墓の下にその人のままいる。だから生きていた時と同じで愚痴をこぼしたりもするし怒っていたりもする。

夫婦で見えていたものが全く違っていたり、ある人にとっては単なる脇役でしかなかったおばあさんが実は壮絶な人生を送っていたり、クズと言われた男はやはり何も考えていなかったり、クズ男をきっぱり棄てたかに見えた女が実はまだ引きずっていたり…。

語ることと語らないことでその人が浮かび上がってくるのも見事だし、生い立ちから語られるわけではないのに人生を見た気にさせるのも見事だなと思った。

死は生の一部なのだなと実感できて、良かった。

イ・ユリ「ウエハース君 (I am I am I am)」

 

★★★★

子どもが翼をつけて生まれ(「ウエハース君」)、宝石でできた蚊が人間の血と一緒に楽しかった記憶を吸い込み(「ジュエリーモスキート」)、結婚していない私が結婚した私を訪ね(「アナザーストーリー」)、健康な異性愛者だけを選別し、それ以外にはキノコになる液体が配られる(「キノコの国で」)……。
イ・ユリが描く14の世界を一つずつ通過すると、苛立ちや悩みはしばし遠くに追いやられ、私たちの手元から離れていた日常は鮮明になる。唯一無二のSFワールドに魅了される、韓国の大人気作家の傑作短編集。
大好評「I am I am I am」シリーズ、第4弾!

短編というよりショートショートという短さなんだけど、1つ1つの話が結構濃い…そして「うわぁぁ」というようなおぞましい話もあるので、軽く読める感じではなかったりする。

 

「ガーデニングの楽しみ」

惑星栽培を趣味とする私は、春が来たのでウキウキと惑星団地に行き「地球」という青くて美しい惑星を買って日当たりのいい場所に置いて栽培する。

店員に「たまに微生物が発生することがある」と言われて警戒していたのだが、ある日おぞましい微生物「ニンゲン」が発生して惑星自体がくすんでくる。
ネットの掲示板に質問をするとニンゲン専用の薬品を散布するように勧められるのだが、薬品を散布するとなんとこの微生物どもは円筒形の物体に乗り込み隣に植えた火星に次々着陸してくるではないか…。

最近の地球温暖化や地震はもしかして地球を栽培している誰かが「惑星をこんなに汚くしちゃって!」と怒ってニンゲンコロリを散布したせいなのかもしれない?いやでもやはりそもそもは人間が環境を破壊してきたせいなのだ…。

 

「ウエハース君」

背中に翼が生えた状態で生まれてきて4歳の時にウエハースのCMに出て一躍スターになったウエハース君。成長とともに翼はあるもののもう浮かび上がることもできなくなり、母の店(トト粉食)を手伝わされ見世物になるも、「飛べ飛べ」しつこく迫る客にブチ切れてトッポギの鍋に顔を突っ込み、ようやく母(と金儲け)から解放される。

21歳の今、相変わらず人目を惹き「ウエハース君ですよね?」と声をかけられることも多く、しかし何の仕事にも就くことができない…。

ポップなタイトルだけどあるのは絶望だけのウエハース君。

 

好きだったのは、喜びを感じた瞬間を保存してくれて本人が見たい時に再生してくれる「ハッピーペンダント」。

代わり映えのしない毎日、ルーティンになってしまった仕事、何をしても楽しくない…そんな自分にも実は楽しいと感じる瞬間があったことに気づき、友達がいることにも気づく。

変わっていく世界の中で希望の持てない日々だけど、それでも小さな幸せに自分で気づくしか道はない、いたいけな私たち。せめて自分と近くにいる人を抱きしめてあげたくなるような作品集だった。 

 

 

フローベール「ボヴァリー夫人」

 

★★★★★

19世紀フランスを代表する小説。田舎医者シャルルとの平凡で退屈な結婚生活にエマは倦んでいた。理想と現実とのギャップ。満たされない心……。彼女はやがて夫の目を盗んで情事を重ね、散財を繰り返し、膨大な借金を抱えてしまう。センセーショナルな内容から発表当時は不道徳の廉で訴えられて裁判沙汰になったが、その効果もありベストセラーになった。作家の深意、意向、意図を可能なかぎり反映させた忠実な翻訳。

物語の展開にスピード感があり、登場人物の感情表現が生き生きしているので、面白くて一気読み。

田舎町の免許医(第二級の医師)シャルル・ボヴァリーは、脚を骨折したという農場主の往診に行き、そこの一人娘・エマに恋をする。
女学校を出ていてそれなりに教養もあり若くて美しいエマは田舎暮らしにうんざりしていて、ここを抜け出されるなら…とシャルルと結婚するが、すぐに結婚したことを後悔するようになる。
シャルルは善良ではあるが鈍感で退屈な男で、家もぱっとしないし、夢見ていたような結婚生活とは程遠い。
侯爵邸のパーティに夫婦で招待され、こういう家に嫁ぎたかったと思い不満を募らせる。
エマがどんどん気難しくなり具合も悪くなるのを心配したシャルルはトストを離れ、ヨンヴィルという村に移住する。
そこでエマは自分に恋するレオンという公証人の書記で金髪の青年に惹かれつつも行動に移せず沸々としているところに、遊び人のロドルフが現れて…。

 

恋に恋するボヴァリー夫人ことエマちゃんは、結婚した後も王子様がやってきて運命的な恋をして、今の生活から連れ出してくれることを夢見ている。本人にそこまでの自覚はないがなにかそういうことが起きることを心待ちにしている。
遊び人で女から女へ渡り歩いているロドルフは、一目見てエマのそういう欲望に気づき、口説きにかかる。
ロドルフとエマが急接近するのが共進会という村人が全員参加する農業イベント。さまざまな展示がされ役人や憲兵も駆り出され県の参事官も参加して演説を行う。
演説は大げさな言葉で農業と信仰を結び付け農業従事者を称えるという、誰が聞いても面白くない中身があるようでない内容なのだが、この演説の合間にロドルフがエマに甘い言葉をささやき続ける。

「すでにみなさんが理解されているとおりであります」参事官は言った。「農業従事者にして農村労働者であるみなさん、文明事業の平和的な先駆者たるみなさん!…」

 

「いつの日か見つかるはずです」ロドルフは繰り返した。「いつの日か、突然、望みを失いかけたそのときに。(中略)その人に身の上をうちあけ、その人にすべてをささげ、そのひとのためにならなにもかも犠牲にしたくなる!口に出して言う必要はありません、互いに察しあえばいい。たがいに夢のなかで会ったことがあると思うのです。(そう言って、ロドルフはエマをじっと見つめた)」

やたらと農業従事者を持ち上げながらも話している内容は「働け働け。仕事に専念し国に納めろ」としか言っていない演説と、真の愛情を見つけることを諦めちゃいけないとかなんとエマの自尊心をくすぐって誘惑するロドルフ。

エマにとっては「運命の出会い」の瞬間だが、内容のない演説が挟み込まれることによって、2人の出会いそのものも崇高でもなんでもないということを浮かびあがらせている。

 

恋愛でしか自己実現を感じられないエマは自分を美しく着飾ることに励み恋愛にのめり込んでいくが、本当の意味でロドルフを愛しているわけではない。
ロドルフも美しいエマをものにすることでいい気持ちになっているが、遊びのつもりでしかないので、エマとともに人生を歩いて行きたいわけではない。

ロドルフに逃げられた後のエマちゃんはかつて自分に恋していたレオンと再会し、最初は「そういうことはいけませんわ」と退けようとするのだが、陥落した後はレオンの方が若くて本気だっただけに、さらに暴走していく…。
向かう先がないままに走り出した暴走機関車は走るほどにスピードを上げて最後は大破するしかないのだ。

 

何も気づいていなかった夫シャルルはエマが残した借金の尻拭いを長年にわたってし続けた末、エマの死後何年か経ってからエマの不実を知って苦しむことになる。
エマの元愛人たちは何の痛手を負うこともなく、隣人の薬剤師オメーは毒物を不法に所持したり鍵の管理もずさんだったのに、何のお咎めもなく勲章まで授かってしまうとは…やるせないなぁと思いながらも、結局こういう時に責められるのは女というところは今も昔も変わらないのね…と思ったり。

古典を読んでいることを忘れるぐらい面白くて楽しい読書だった。