りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

朝井リョウ「イン・ザ・メガチャーチ」

 

★★★★★

☆2026年本屋大賞受賞☆

【第9回未来屋小説大賞】
【第2回あの本、読みました?大賞】

沈みゆく列島で、“界隈”は沸騰する――。
あるアイドルグループの運営に参画することになった、家族と離れて暮らす男。内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側――世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。
「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」

めちゃくちゃ面白かった!

何を隠そう、私も推し活経験者。
コロナ禍、オーディション番組にハマり、そこで結成されたあるグループをデビュー前から応援するようになり、まさにこの小説に描かれているように、動画の再生回数を上げようとしたり、音楽系のサブスクで曲が上位にランクインされるように流したり、twitterでトレンド入りするようにタグを付けてつぶやいたりしていた。
twitterで推し活用のアカウントを作って同じ推し活仲間との交流もあって、出来立てのファンダムということでお互いにテンションも高かったし無敵感もあった。
だからここで描かれているファン同士の交流で心が潤う感じとか達成感とかそういうの、すごく分かるし、そこから生まれる依存や弊害も経験済みなので、読んでいてもう痛い痛い。

 

「イン・ザ・メガチャーチ」には3人の登場人物を中心に話が展開していく。

洋楽好きでレコード会社に入社し、若い頃は仕事に情熱を注いでいたものの、洋楽を聴く人が減り音楽事業から離れて15年になる久保田慶彦。妻と離婚し大学生の娘・澄香と月に一度ビデオ通話をすることだけが楽しみだが、実際には話題もなく…しかし手放す気もなくくすぶっている。

幼いころから洋楽を聴いて育ち、留学をして英語の勉強をするつもりで入った大学で、帰国子女や留学経験者の多さから劣等感を持つようになり、やはりくすぶっている慶彦の娘の澄香。

倫太郎という2.5次元俳優の推し活を生きる糧にしている派遣社員の澄川絢子。

慶彦が同期で今も音楽事業の最先端で活躍している橋本から、次に売り出すグループの物語戦略に力を貸してくれと言われるところから物語は始まる。エンタメ系IT会社の国見からグループを成功に導くためには信徒獲得と教義の布教が大切、と言われ、いわゆる推し活をさせる側のノウハウが語られる。
推し活をしている自分からするとこの国見のワードがまた痛いこと…。
いわくファンはプロデューサー気質、アナリスト気質、学級委員気質、疑似恋愛気質、信徒気質の5つの気質に分類できる。この中で信徒気質を持つファンを獲得することが熱いファンダムを作り出しグループを成功に導くことができる、と。

そして私はここに区分されているファンの5つの気質でいうと、間違いなく信徒気質。一番カモにされるやつ。その理由は、ここで書かれているように、私が物語好きだから。視野を狭くするのが得意だから。

タイミングよく情報を与えるだけで、信徒は勝手に物語を作り上げ勝手に燃えあがり売り上げに貢献する動きをする。まさにそう。

でも実は物語で人を惹きつける商法が推し活だけではなく、政治や宗教もそうなのだ。それがこのタイトルに繋がっている。

この物語の中は何度も「視野を狭める」「視野を拡げる」というワードが出てくる。

推し活に依存していた女性がその対象を失って(推していた2.5次元俳優が自殺)呆然としている時、彼が自殺するわけない、何らかの陰謀に巻き込まれたんだという考えに傾倒していき、そういう団体に取り込まれていく。
彼女自身がしきりに自分は今まで視野が狭かったが今になって視野が拡がったと言うのだが、読んでいて「視野が拡がるってなに?」という違和感がある。

その答えは推し活で常軌を逸した行動を取るようになった澄香が教えてくれる。

結局誰だって、信じる物語を決めて生きているだけだ。それが世界平和だったり自己啓発だったり陰謀論だったりするだけで、皆各々のドラッグで自分の脳を溶かしながら死ぬまで生きるだけだ。

澄香の父で今は搾取する側の仕事をしている慶彦の言葉。

何が本当に対象のためになるのかとか、何が今最も本質的な行為なのかという問いは、”視野を拡げて考えて見ると”という呪文を唱えさえすれば、その答えを永遠に反転させられる。
つまり、どの角度から見ても間違いなく本質的に正しい答えなんて、どこにもない。
どこかで、”この視野で、ある程度の確率で、間違う”と覚悟を決めるしかないのだ。
(中略)
本質的であろうとすればするほど、何の行動にも出なければどこからも裁かれないという考えに吞み込まれる。そんなことに何の意味があるんだとか、それが最適解じゃないのにとか、そんな冷笑だけが両手に溢れ、人生の砂時計をただ眺めているだけになる。

推し活を描いているということで話題になった作品だが、まさに今の日本を切り取っていて凄かったし、最初から最後まで面白くてページをめくる手が止まらなかった。

キム・エラン「どれか一つは嘘」

 

★★★★

『外は夏』『どきどき僕の人生』のキム・エラン、13年ぶりの長編小説
2024年「小説家50人が選ぶ“今年の小説”」第1位! (韓国最大手書店・教保文庫特別企画)
韓国で12万部突破のベストセラー (2026年6月現在)

私が涙もろいんじゃない、過酷な今を描く言葉があまりにも優しいから。――星野智幸氏、推薦!

クラスメイトのジウ、ソリ、チェウン。これまでほとんど関わることのなかった三人が、〈一つの嘘〉をきっかけに初めて結びつく。それぞれが抱える秘密と悲劇に触れ、彼らの日々が静かに変化していく……。
〈一つの嘘〉が繋いだ、三人の高校生の再生と希望の物語。


「どれか一つは?」のやり方:五つの文章で自己紹介をする。ただし五つの内、どれか一つは?を入れること。
「僕はテジカルビが嫌いだ」
「私は絵を描くのが好きだ」
「僕は脚を怪我してサッカーを引退した」
「自分はトカゲと暮らしている」
「私はもうすぐ死ぬ人がわかる」

3人の高校生が背負っているのは家族の問題。

ジウは自分が飼っているトカゲのヨンシクの様子を漫画に描いてSNSに公開し人気を博している。母と母の恋人ソノおじさんと3人暮らしだったが、脳腫瘍と診断された母が事故で亡くなってしまう。もしかして母は自分にお金を遺すためにわざと?というもやもやに苛まれている。

チェウンは日常的に母と自分に虐待をしていた父が、ある日酔っぱらって包丁を持って母を襲おうとしてきたので、初めて勇気を振り絞って父に抵抗しているうちに父をその包丁で刺してしまう。
母は自分がやったことにして刑務所に入り、自分は叔母夫婦の家に犬のムンチと一緒に世話になっている。


ソリは優しい両親と3人暮らしだったが母が癌になり通院を続ける中で自動車事故に遭い亡くなってしまう。それ以前から手に触れた時にその人が(動物も)もうすぐ死ぬことが分かるようになっていて、そんな自分に罪悪感を抱いている。

 

彼らが背負う業があまりに重く、それを一人ぼっちで背負っているのがかわいそうで、読んでいて胸が苦しかった。
悩みが深刻であればあるほど誰にも話せず一人で抱え込み罪悪感に苛まれる。
誰か助けてあげて…と思って読んでいたが、ジウを迎えに来たソノおじさんの5つの言葉、チュウンに送られてきた母の手紙、ソリにかけた父の言葉が、彼らにとって救いになるのだろうか。

ジウが描いた絵にしっかり描かれていたムンチに涙…。
寄り添ってくれる動物は家族以外の何物でもない。

深緑野分「この本を盗む者は」

 

★★★


少女たちは本の世界を冒険する!胸躍るファンタジー。

“本の街”読長町に住み、書物の蒐集家を曾祖父に持つ高校生の深冬。父は巨大な書庫「御倉館」の管理人を務めているが、深冬は本が好きではない。ある日、御倉館から蔵書が盗まれたことで本の呪いが発動し、町は物語の世界に姿を変えてしまう。泥棒を捕まえない限り町が元に戻らないと知った深冬は、不思議な少女・真白とともにさまざまな物語の世界を冒険していくのだが……。初めて物語に没頭したときの喜びが蘇る、胸躍るファンタジー!

以前読んだ「戦場のコックたち」「ベルリンは晴れているか」とは作風が全然違っていたので戸惑いつつ(もしかしてこちらが本流?)…でも読みやすくはあったので一気読み。

もともと作中作って好きなんだけどここに書かれている作中作には正直あまり惹かれなかったのと、前半はこのテンションに付いて行けず…。
後半の展開が予想外でようやくそこから物語に引き込まれて行ったんだけど、うーん…。
舞台が本の街だったり、巨大な書庫の本が毎回テーマになっていたりと、私の好きそうな要素がたくさんあったんだけど、軽いノリがちょっと私には合わなかったかな。

 

 

 

 

 

マリー=ヘレン・ベルティーノ「プラネット・ダイアリー」

 

★★★★

1977年9月、ボイジャー1号が打ち上げられたとき、アメリカ合衆国フィラデルフィアで生まれたアディーナ。
母親と二人で暮らす彼女は、4歳で自身が宇宙人であることを自覚し、以来故郷のコオロギ・ライス星の「上官」宛てに、ファックスを通して地球の生き物たちについての報告を続けている。
「ビューティーランド」での母との思い出、親友との出会い、9・11との遭遇、大切な人との別れ……。ニューヨークの片隅で生きる異星人が綴る、この地球の不思議と発見。
2025年アメリカン・ブック・アワードを受賞した長編小説。

フィラデルフィアで母親と二人で暮らすアディーナはコオロギ・ライス星から地球に送り込まれた宇宙人。人間を観察し地球が住むに値する場所であるかの判断材料にしてもらうため、母親が拾ってきた古いFAXで、宇宙にいる上官に都度報告している。
アディーナという女性の成長譚としても読みごたえがあるが、彼女が俯瞰して人間の行動を見る視点が独自でそこがとても面白い。

人間が小さな器で四苦八苦しながら生きていることを伝えるのにアディーナが「人間はいまだに手紙を送るのに切手を貼っています」と報告するところがあるのだが、着眼点が宇宙人らしくて笑ってしまった。
その後携帯電話が出てきてメールで連絡を取ったりSNSでつながることが当たり前になっていくわけだけど、アディーナがなかなかそれを持とうとしないというのも面白い。

親友のトニとコーヒーショップに入った時に、トニに「あそこに、ガブリエル・ガルシア=マルケスにそっくりな男がいる」と言われ、「いま、『コレラの時代の愛』を読み返しているからそう思うんでしょ?」と答える。トニが帰ってしまって一人になった時にその男が近づいてきてアディーナに話しかけてくる。

「僕が誰かわかるかな?」
アディーナは言う。「マジック・リアリズムを発明した人でしょ」
すると彼は言う。「きみの父親だよ」

4歳の時にアディーナを階段から突き落としてお払い箱になった父親が?!えええ?
このシーンには爆笑した。

 

アディーナにも親友や恋人はできたものの、宇宙人であることを信じてくれた人は一人もおらず、上官とも全く心が通わない。
彼女が心の拠り所をいっぺんに失くすシーンの圧倒的孤独には胸が痛んだ。
ここには私のことを分かってくれる人はいない、私がいる場所はここじゃない、そう思って助けてくれ、迎えに来てくれとFAXを送るがその声は届かない。

そしてようやく待ちに待った返信があった時には…。

 

独特なテンションと間合いに慣れるまでちょっと苦戦したけれど、ユーモアがあってドキッとするシーンやセリフもたくさんあって、面白い小説だった。
読めて良かった。 

角田光代「希望という名のアナログ日記」

 

★★★★★

 

作文得意な少女は作家になる夢を追いかけた

全三章の構成。
第一章「〈希望〉を書く」――小学生時代の作文修行から作家デビュー、数度の挫折を経て直木賞受賞までを描く半生の記に始まり、「武道館で見たくらいに小さいけれど、でも見える」という愛に満ちた長文の忌野清志郎論など。全21篇。(第一章は全体の半分を占める)
第二章「旅の時間・走るよろこび」――〈旅のエッセイ〉と見せかけて実はフィクションという見事な短篇小説「それぞれのウィーン」で幕を開け、「永遠、という美」と題したシャネルN°5のドキュメントがつづく。そして台湾・韓国・バリ・スペインへの旅、さらには那覇マラソンと西表島マラソンの鮮やかな記録。全12篇。
第三章「まちの記憶・暮らしのカケラ」――これはUR都市機構の雑誌に連載された17篇を一挙収録。住んでいる町の素顔から東日本大震災で失われた町、そして日々の暮らしを生き生きと描いたエッセイまで。全17篇。
2012年から2019年までに書かれたエッセイの中から厳選した充実の一冊。そのなかでも冒頭に収録した半自伝は女性誌に連載された15ページに及ぶ感動的な名篇である。

角田さんのエッセイは大好きでたくさん読んでいるけれど、誠実で真面目な人柄が伝わってくるし、なにより文章が良いから、これこれ!ってなるし、自分がモヤモヤ思っていたことを言語化してもらってすっきりする。

「<希望>を書く」に書かれた角田さんの半自伝は、読んだことがあるエピソードもあったけれど、どうして文芸から大衆小説の方に行ったのかとか、どういうふうに作風を変えていったり幅を広げていったのかということが赤裸々に描かれていて、とても面白かった。

作家になることは夢ではなく目標と言い切って惜しまぬ努力を続けてきたこと、死んでいく父のことをどう作文に書くかを病院で考え続けその作文がいい出来だったことを恥じているけれどそれが今の自分の職業に繋がっていると言い切っているところにもぐっときた。 

結婚について、一度目の結婚に失敗しその後再婚されているけれど、「結婚というもので、努力してみたいと思った」という文章には鳥肌。良い…。

自分のパートナーとしてすぐに思い浮かぶのは旅、とおっしゃる角田さん。
20代から30代にかけては旅に依存していたけれど今はそんなことはない、と。

私はもう旅には依存しないが、頼りにはしている。

うーん。素敵。
角田さんは旅から自分は何も得ていないし学んでもいない、とおっしゃるけれどそんなことは絶対になくて、角田さんの小説にはご本人がいろんな国を旅してきたことや生活を離れることで生活がより戻ってくることが根底にあるように思う。

1話だけ収められている短篇小説がとてもよくて、また角田さんの小説を読みたくなった。

益田ミリ「今日の人生2 世界がどんなに変わっても」

 

★★★★

へこんだ気持ちにゆっくりと空気が入っていく。
深呼吸を忘れていた

『今日の人生』(8万部突破)から3年半。この間の「日々」に、
書き下ろし「ポーランドごはん」を加えた待望の第2弾。

忘れてしまいそうななにげない日々が再び生き返る。
奇跡のようなコミックエッセイが誕生。 

大好きな益田ミリさんのコミックエッセイ。

通り過ぎた人たちの会話やカフェで隣に座った人の様子や旅でふと感じたことなど…切り取っているのは日常の些細な一コマなのに、励まされるし温かい気持ちになれる。

いつか私もはやぶさで函館に行ってみたいし、日本一の万華鏡を見に行きたいし、六本木の文喫も行って元を取りたいし、ごちそう列車に乗ってみたい。

コロナ禍の異様な空気感もリアルに伝わってきたし、そんな中でもマスク越しに一言かけあったり笑ったり…私たちの生活もまんざらでもないし私たち自身も概ね悪くないじゃんっと思った。

大嫌いだったけどどーでもよくなった人と今でも許せない人といるの、とってもよくわかる。
私も会社員時代にぶっ殺してやりたいと思ったお客さんが何人もいるけど、今では新人の時に一緒のプロジェクトになって頭を押さえつけられて手柄も全部取られて嫌だったOさんのことしか覚えてないし、もはやどーでもいい。
でも許せない人に関しては時々お風呂の中で思い出しては不幸を祈ってしまう。

未来の自分を助けてやれるのは今の自分だけとか。無理して笑って疲れるって全責任自分とか。心に刻みたい。

イリナ・グリゴレ「優しい地獄」

 

★★★★

『雪国』を読んだ時「これだ」と思った。
私がしゃべりたい言葉はこれだ。
何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。
自分の身体に合う言葉を。

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社会主義政権下のルーマニアに生まれたイリナ。
祖父母との村での暮らしは民話の世界そのもので、町では父母が労働者として暮らす。

川端康成『雪国』や中村勘三郎の歌舞伎などに魅せられ、留学生として来日。
いまは人類学者として、弘前に暮らす。

日々の暮らし、子どもの頃の出来事、映画の断片、詩、アート、人類学……。
時間や場所、記憶や夢を行ったり来たりしながらつづる自伝的なエッセイ。


《本書は、社会にうまく適応できない孤独な少女の記録であり、社会主義から資本主義へ移っていくルーマニアの家族三代にわたる現代史でもある》


社会主義政権から資本主義に移っていくルーマニアで生まれ育ち、祖父母との村での暮らしと両親との都会暮らしを行き来した著者は、チェルノブイリの被害者でもある。

村での暮らしはおとぎ話みたいで魔法とも距離が近い感じがして、彼女の細胞にはそれらが刻み込まれている。
「え?」と驚くようなことが断定的な迷いのない言葉で書かれていて、そんなところに魔法を感じてしまうのだ。

私はそのころ、一瞬、人と目を合わせるとその人になる能力を持っていた。つながるというのか、共感するというのか、永遠にその人のイメージが私の中に残っていて、自分はその人だと感じてしまう。デペッシュ・モードの曲「Only when I lose myself」と同じで、自分を失う時だけ自分を見つけることができるという状況だ。だから、私は薬物はいらなかった。部下れるとの雰囲気を生きることだけで十分に自分を失っていた。

読んでいて日本語が少し独特?と感じるところもあったんだけど、この本は翻訳ではなく著者が日本語で書いている。
22歳の時に日本に留学し、川端康成の「雪国」を読んで、私がしゃべりたい言葉はこれだと思ったという著者。母国語でない言葉でこれだけの文章を書いたということに驚愕。

「映画」で表現できないなら、きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ。

 

著者紹介に「オートエスノグラフィー」という見慣れないワードがあるのだが、Wikipediaによれば

著者が自己省察および著述を用いて、個人的経験を調査し、その自伝的なストーリーをより広い文化的、政治的、社会的な意味・理解へと結びつけるための、質的研究 のひとつの形態である

ということらしい。

タイトルの「優しい地獄」とも5歳の娘が言った言葉で、著者によれば資本主義の地獄と女性の身体で生まれる地獄を指しているのだという。

ちょっと今まで読んだことのないタイプの本で興味深かったし読めて良かった。

イーディス・パールマン「蜜のように甘く」

 

★★★★★

沈黙を抱える者たちの視線が交差し、気高い光を放つ。
胸に刻まれたその残像が、今も消えない。 ーー小川洋子さん推薦!


戦争で夫を亡くし、足のケアサロンを営むペイジ。
斜向かいに住む大学教師ボビーの密かな楽しみは、ペイジの生活の一部始終を観察することだった。

ある日ボビーは、意を決し初めて店を訪れる。
足を洗ってもらっているあいだに、ひとり語りを始め、忘れ得ぬ事故のことを打ち明けるボビー。
悲惨な体験を通して、孤独な二人の心は結びつくのだが……(「初心」)。


79歳の作家が贈る、全10篇の濃密な小説世界。

「世界最高の短編作家」(ロンドン・タイムス)
「現存する最高のアメリカ作家による、最高傑作集」(ボストン・グローブ紙)

ーーなんとまあ大袈裟な、と思う方は、是非とも本書を読んで確認していただきたい(古屋美登里)

 

共感や感動を簡単には赦さない人物造詣、たった一文でその人の孤独の深さや人生の苦さが伝わってくる表現力、〇〇みたいと言えない独特の世界が広がる短篇集だ。

 

「石」

ニューヨークに住むイングリッドは72歳。2度夫に先立たれ一人暮らし。友だちも多いしおしゃれもして毎日を楽しんでいる。

甥のクリスは南部の田舎に住み木工所を営んでいるのだが、さらに拡大して工場を作る準備をしていて、イングリッドに一時的な経営者になってくれないかと頼んでくる。
クリスの家には妻と小さな娘がいて家事の手伝いもしてほしいという。
承諾したイングリッドはこの何もない田舎でクリスの事務所と家事を手伝う生活を行うことになる。

家から木工所まで歩いて通うイングリッドは森の中で黒い石を拾い大切に持って帰る。
仕事をすることや家事をすること、クリスの家に訪ねてくる人と会話をすることは楽しく、普段心の中にしまい込んでいる悲しみも消えてしまうような日々。

幸福は時を引き伸ばす。毎日が一篇の長篇小説のように長く感じられた。毎晩が二本立ての映画だった。毎週が一生に等しかった。静かな一生。いつも彼女の胸の下にドア・ストップのように無理やり押し込められている悲しみが、その公量kをなくすような一生。

やがて工場が完成し運営が始まりクリスももとのオフィスで仕事ができるようになりイングリッドもいつでも実生活に戻れるようになる。

クリスはイングリッドを引き留めたい気持ちになっていて、本当はイングリッドもここに残って暮らしたい気持ちはあるのだが、その気持ちをおくびにも出さない。

でも、わたしはあなたよりはるか先まで見透かせる。自分がどんどん衰弱するのを、愚痴っぽくなるのを。使い道がないのではなく、足手まといになる姿を。(中略)

求めることがなくなって悲しむあなたの姿が見える。それに、そんな辛抱強い未来の先にあるのは、楽しくないことだ。直視したくない映像、と呼んでもいいかもしれない。わたしが脳卒中になり、あななたちは介護施設に釘付けになる。

イングリッドの老いることへのリアルな想像が痛いけれど正しい。若いクリスには今の若々しくてチャーミングなイングリッドからここまでの姿を想像することはできない。彼女に対して恋愛に近い感情を持っているからなおのこと…。
だからイングリッドは本当はここにいたいけれどその気持ちを隠してクールに去っていく。別れのシーンの美しく切ないことったら…。

 

「お城四号」「妖精パック」「幸福の子孫」表題作も好き。

これでイーディス・パールマンの翻訳されている作品は全部読んでしまったのかー。
他の作品も翻訳されますように!

フリーダ・マクファデン「ハウスメイド2: 死を招く秘密 」

 

★★★

前作を凌ぐ、絶望と驚愕のシリーズ第二作。


ギャリック家のハウスメイドとして雇われたミリー。この家で働くには、守らなければならないルールがあると雇い主のダグラスから告げられる。何があってもゲストルームには入らないこと。そこでは病気の妻ウェンディが静養をしているという。ある日、ミリーは異様な量の血にまみれたガウンを見つけ……。閉ざされた部屋の中の秘密が明かされたとき、これまでにないほどの恐怖がミリーを襲う。

完全なエンタメ小説かつ、ミリー=必殺仕事人と割り切って読み始めたものの、前半はミリーがただのバカ女にしか見えなくてイライラ。

なんでブロックなんかと付き合ってるんだ?どう考えても全然好きじゃないでしょう。でもって自分が過去に犯したことを打ち明けたらこの関係はおそらく終わるって分かっているなら、とっとと言ったらいいのでは?と思ってしまう。


依頼の電話をもらって、とんでもない金持ち…でもどう見ても訳ありそうな家に雇われるのは前作同様。
雇い主である夫ダグラスから開けるなと言われた妻の部屋をノックし、妻ウェンディが虐待されているのではと思ったミリーが、彼女を助けるべく、どんどん深入りしていくのは、まぁ…仕事人ですから…ええ。

でも絶対そのままではないでしょう。多分これは罠でしょう。見たままの事情ではないでしょうと前作のこともあるので疑いのまなざしを向けながら読み進めて行ったんだけど…。

 

以下、ネタバレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはきっとウェンディが仕組んだことなのではと思いながら読んでいたのは、ピンポン。正解。
でもミリーが事件のニュースを見てみてびっくり。死んだ夫が見たこともない人物。え?だれ?

で、そこからウェディ側の物語。

なるほどなるほど。ウェンディは、夫の会社の受付をしている女の旦那ラッセルと不倫関係になり、慰謝料をもらってダグラスと離婚しようとしたのだが、不倫だったら慰謝料は払わないよーんと言われて、じゃ殺すしかないと決意。
ミリー=仕事人の噂を聞きつけて最初から犯人に仕立て上げるつもりでミリーを召喚。

暴力を受けたかのように顔に痣の化粧をしミリーの仕事人魂に火をつける。
そうしておいて、ミリーがダグラスと不倫しているように見せかける工作。
うまくいったかと思いきや、夫ダグラスがマンションの裏口に防犯カメラを付けていて、ミリーが裏口から入ってダグラスとマンションで不倫していたという工作はきかなくなる。
さらに冒頭にあった山小屋に「わたし」(ウェンディ)を殺しに来たのは、ミリーではなくラッセルの妻。


そこまでは思わなかったわー。やられたー。
で、最後の最後にあほ女と思っていたミリーが一枚上手だったのがわかる、と。

ここまで気持ちよーくどんでん返ししてくれたら「そうだったのか!すっきりしたー!」になるね。
前作もそうだったから2も読もうってなったんだろうな。>自分。
でももう自分自身がミステリーとかスリラーというジャンルに興味が持てなくなってるなぁと読みながらつくづく感じたなぁ。

 

ペク・スリン「夏のヴィラ (韓国女性文学シリーズ)」

 

★★★★★

過去と現在が交差し、一瞬煌めいて消えるーー
韓国で五つの賞に輝いた珠玉の短編集

いまやペク・スリンの小説は、母語と母国、母性の世界の不均質にまで手を伸ばす。普段は見られない母親の美しさに怯えて泣き出す子どものように、私もまたその過程にすっかり魅了された者のひとりだ。ーーキム・グミ(小説家)『あまりにも真昼の恋愛』著者

「黒糖キャンディー」(『私のおばあちゃんへ』)『惨憺たる光』に続くペク・スリン、待望の最新作
美しく繊細な文章で、宇宙ほどにも捉えがたい人の心を追いつづけるペク・スリン。決して完璧に理解しきることなどできようもないのだが、そこによぎる一筋の彗星のような軌跡を目の当たりにさせてくれる。前作『惨憺たる光』では、光に至るまでの深くもあてどない闇を置き去りにしない慈愛のような作品たちを届けてくれた。今作『夏のヴィラ』では、人と人、世界と世界の境界線を静かに見つめることで、私たちがこの入り組んだ世界でいかに関係しながら共存しているのかを考えさせてくれる。
『夏のヴィラ』は二〇二〇年に刊行された、ペク・スリンの三冊目の短編集である。著者は二〇一一年に短編「嘘の練習」でデビューして以来、多数の文学賞を受賞してきた。なかでも本書は、合わせて五つの賞を受けている。「時間の軌跡」と「ひそやかな事件」で若い文学賞、「夏のヴィラ」で文知文学賞、「まだ家には帰らない」で現代文学賞、さらに本書自体は審査員満場一致で韓国日報文学賞に輝くという快挙を成し遂げている。(訳者あとがきより)


<あらすじ>
初めてのヨーロッパ旅行で出会い親交を温めてきたドイツ人夫婦に誘われ、苦しい講師生活のなか気持ちがすれ違っていた夫と共に訪れたカンボジアのヴィラ。数日過ごすうち、夫とドイツ人夫婦の間に小さな諍いが起こり……「夏のヴィラ」。夫の希望で仕事を辞め、変わらない毎日を過ごすなかでの楽しみは、子供を送迎するときに見かける赤い屋根の家に住む空想をすることだった。そんななか、親友が開業したイタリアンレストランで出会った若い男性とのささやかな会話が引き起こした心のさざ波に……「まだ家には帰らない」。人と人、世界と世界の境界線を静かに描いた八つの短編を収録。

かけた言葉、かけられなかった言葉、誰かを置き去りにしてでも得たかった幸せ、誰かのためにそっとしまい込む自分の気持ち。
空気が変わる瞬間を丁寧に繊細に切り取った物語が多くて、しみじみ良かった。好きだった。

 

「夏のヴィラ」

初めてのヨーロッパ旅行で出会い親交を温めてきたドイツ人夫婦に誘われ、苦しい講師生活のなか気持ちがすれ違っていた夫と共に訪れたカンボジアのヴィラ。数日過ごすうち、夫とドイツ人夫婦の間に小さな諍いが起こり……

韓国で大学の講師として働いている韓国人夫婦。いつか昇進できることを夢見て安い給料でほんの一コマのために長い通勤時間を耐えて働いているけれど、全く未来は開かれず子供も諦めざるを得ず、夫は政治的闘争心を高めていく。
初めてのヨーロッパ旅行で出会いその後も連絡を取り続けていたドイツ人夫婦からカンボジアのヴィラに誘われて、夫婦関係を修復したい気持ちから二人で出かけて行くのだが、ドイツ人夫婦が何気なく口にした外国人差別にもとれる発言に夫が反発し、気まずい空気になる。
カンボジアの人たちが貧しくても楽しそうだと彼らが言ったことにも噛みつく夫。

どちらの気持ちも分かる…こういう場面に出くわしたとき、自分はきっとこの妻たちと同じようにどちら側につくこともできず黙ってしまうだろう。

肌の色の違いや貧富の差。環境や境遇の違いが分断を生むし憎しみも生む。

帰国した後、ドイツ人の妻の方から来た手紙にあった

やはりこの世界を在らしめているのは暴力や憎しみではなく、生に近いものなのかもしれないと思ったの。

その言葉に深く同意。
そして韓国人の妻が、アルツハイマーになったというドイツ人妻に、最後まで覚えていてほしいと思った旅の4日目の出来事。

ドイツ人夫婦が連れてきた孫(4歳)が川を見下ろせるレストランの前で遊んでいた時に、現地の少年が彼女の遊びに加わりたくて近づいてきてじっと見つめていて…でも彼らの間には「ここからは観光客がいるエリア」ということを示す線が引かれている。
それに気が付いてしばし悩んでいた孫はその線を足でかき消して、少年の背後に新しい線を引いたシーン。
この場面には涙腺をやられて涙がどっと出てしまった。

 

母親が自分と父親を棄ててアメリカに行き再婚する「大雪」、父親の仕事の都合フランスへ引っ越ししその時に祖母がフランス人の男性と心を通わせる「ブラウンシュガー・キャンディ」、真面目で勉強家の主人公が遊んでいる女子と仲良くなる「アカシヤの林、初めてのキス」も好きだった。

 

 

「死んでいる元カノとの旅 (新潮クレスト・ブックス)」

 

★★★★

死んだはずの元恋人と一緒に旅に出る、アメリカのいまを描いたゾンビ小説。

心を病んでいた元恋人リリーが自殺を図ったらしい。僕は慌てて駆けつけるが、時すでに遅し、もう埋葬されたという。だが失意の僕が墓地に行くと、生前ほぼそのまま(ただし少し腐りかけ)のリリーが。彼女の願いは「死体農場」に行くこと――全米批評家協会賞受賞、トランプ時代のアメリカを映し出す不思議なロードノベル。

トランプ大統領が誕生する2016年を生きる高校教師フィンが余命僅かの癌の兄と自殺して死んでいる元カノ・リリーにひたすら喋って喋って喋りまくる。

癌の兄はもう治療もできない状態でホスピスに入っている。
フィンは話をしている間は兄が死んでしまうことはないのではないかという一心で、兄が好きな野球の話や自分の仕事の話やどうでもいい与太話を病室でしゃべり続ける。
そんなフィンの元に元カノのリリーのことで大変なことになっているからすぐに戻って来るようにと連絡が入る。

リリーはフィンが10年間付き合った末に別れてしまった恋人なのだが、希死願望が強く今までも何度も自殺を繰り返している。
彼女が自然葬を望んだためすぐに埋めるしかなかったと聞き、彼女が埋められた墓地に行くが墓標もなくどこに彼女が埋まっているのかわからない。
途方に暮れていると白い布の下に病院の白いパジャマを着たリリーが「遅かったじゃない」と現れる…。

リリーはいわゆるゾンビ状態。埋められた時の状態で耳に土が入っていたり虫がたかっていたりする結構グロい状態なのだが、彼女がせめて自分の遺体を有意義に使ってほしいというのでゾンビのリリーを助手席に乗せてフィンはノックスビルにある死体農場へ向かう。
これはゾンビ彼女とのロードノベルなのだ。

 

別れた後もリリーを想い続けていたフィンはリリーに生き返ってほしいと望んではいるのだが、彼女への恨みも捨てきれない。なぜ自分と別れてあんなくだらない男(ジャック)と付き合ったのか、よりによってなんでジャックだったのか、自分と何が違っていたのか。
そして生きている間もずっと死にたがっていたリリーに対していつも必死に思いとどまるように説得し続けていたけれど同時に「さっさとやってしまえ」と思う瞬間もあったこと。
プロポーズをして結婚すれば彼女は死なずにいてくれたのではないかという後悔があったこと。

フィンに感情移入してしまって自分も一緒にリリーを責めたい気持ちでいっぱいになったが、死にたがっている人を引き留めるすべなどないのだろう。

リリーの死を受け止めるためにフィンにはこの時間が必要だったんだろうなと思った。

 

フィンの物語と並行して、南北戦争後を生きる女性エリザベスの日記(亡き妹への手紙という形式)も並行して語られる。

エリザべエスとフィンの物語との関連が良く分からなかったのだが、南北戦争後とトランプ政権によるアメリカの分断や、死者が生き返ったりミイラにしたりというところが繋がっていたのか?

エリザベスの日記の中で法律家のベイツが下宿で死んだ(殺した)ジャックの遺体を引き取ってサーカスで見世物にしようとする話が出てきて、そんなことあるー?と思ったのだが、あとがきを読んでこの部分が実話だと知ってびっくりした。

 

ノリについていけない部分もあったけれど、ブラックなユーモアがもりもりで面白かった。

 

 

エリカ・クラウス「だれか、わたしを助けて」

 

★★★★★

逃れようのない現実を前に、わたしも、あなたも、「だれか、助けて」と心の中で叫んでいる。

 極寒の町を捨て、運命の男と共に出ていくのか。
 愛する人が死を望む時、この手で殺せるのか。
 赤の他人の子どもたちを、本当に救うのか──。

岐路に立つ12人の、それぞれの決断。
『いつかわたしに会いにきて』で熱烈な支持を集めたエリカ・クラウス、待望の最新短篇集。

エリカ・クラウスは以前「いつか私に会いにきて」を読んで、めちゃくちゃ好みだったので、新刊が出た!と思って飛びついた。

まず第一話目の「極寒の街」で、あれ?エリカ・クラウスってこんな感じだった?なんかスケールが大きくなってない?と驚く。
シベリアの街オイミャコン。鳥は飛びながら凍死し、神はベッドに突き刺さり、眼鏡は顔にくっついて離れない。…は「そうなの…?」と思ったものの、

人を探すには、後ろにたなびく息の跡を見つければいい

は、え?ほんとに??

そんな極寒の街で町長をつとめるヴェラは22歳の女性。
町長を務めていた父親は7年前の飛行機事故で亡くなっている。
7年前にアメリカの金持ちの科学者夫婦がパイロットを買収して飛行機でこの地を訪れた時に飛行機事故になり(寒すぎるから飛行機はそもそも無理なのだ)、落ちてきた飛行機の下敷きになって父は死んだのだった。

その飛行機に乗っていた科学者の女性を母に持つ男が訪ねてきて、2人は恋に落ち、彼はヴェラにこの町を出て一緒にアメリカに帰ろうと懇願してくるのだが…。

もうこの第一話でハートを鷲掴みにされる。
想像も難しいような街で暮らす女性の話なんだけど、彼女の気持ちが痛いほど伝わってきて、ぎゅっ。

「ヘラジカを食べてくれ」
安楽死を人助けとして商売にしているボニーとクラウド。二人はアフガンとイラクで戦った元兵士でステージ4の癌患者。復員軍人癌センターの支援グループで出会った時点で二人とも痛みに苦しみ余命いくばくもない状態。
同じグループの男がボニーに安楽死させてくれと頼んできて、ボニーはその仕事にクラウドを誘う。
男が望んだとおりにガスを吸わせて殺した後、救急車を呼び本人が呼んだように電話を持たせてその場を去る。
クラウドはその後今まで自分を襲っていた痛みが去っていることに気づき、またボニーも全く同じ状態であることを聞き、自分たちの死刑が執行停止されたことを知る。

その後も二人はこの商売を続けていくのだがある事件をきっかけにボニーがこの仕事から足を洗ってしまい、ボニーと一緒に生き延びることを夢見ていたクラウドも希望を失う。
仕事をやめると同時にボニーの癌は進行していき…。

2人とも元兵士で戦地で何人も殺していて、その罪を償う気持ちもあって人助けのつもりで安楽死を手伝う仕事を始めるのだけれど、これが果たして本当に人助けなのかあるいは殺人なのか…依頼してくるのは痛みに苦しむ患者がほとんどなので本人の希望だと分かってはいても、死ぬ直前は苦しみ助けを求めるしぐさをしてくる。

それが見知らぬ人ではなく愛する人だった時、最後まで仕事を全うできるのか。

「自分の好きなように死んでいくことのどこが悪い?死に方ぐらいそいつにきめさせてやれよ。生き方の方は他人が決めてきたんだからよ」は考えさせられる言葉。

 

「だれか、私を助けて」

コンビニで10歳の娘と買い物をしていた「私」は強盗の人質になり連れて行かれそうになる。
「助けて」と神に向かって囁くと「ぼくが代わりになる」と立ち上がった10代の少年。「私」の代わりに犯人たちに連れられて殺されてしまう。

罪悪感を拭いきれない「私」は身代わりになった彼の最後の様子と言葉を家族に伝えようと新聞記事から住所を調べて訪ねて行くが、彼には両親もなく一緒に暮らしていた叔母は彼は1か月前に預かっただけで親しく話したこともないと言う。

彼が残した「オリヴィア」というのが女性の名前だとあたりをつけ彼の通っていた高校を訪ねオリヴィアを見つけ彼女に声をかけるのだが…。

母娘は月払いの安いモーテルに泊まり、母は娘が学校に行っている間や寝ている時間に清掃の仕事をして、どうにか食いつないでいる。
自分が殺されていたら娘は天涯孤独になってしまったから本当に助けられたと思いながらも未来のある少年が身代わりになってくれたことが申し訳なくて苦しい。
せめて彼の想いを伝えたいと思ったが、分かったのは少年が家族も頼る人も友だちもなく学校でも一人ぼっちだったこと。

あの子はなぜ身代わりになってくれたんだろう、なぜ、なぜ…苦しむ母に娘が言う「あの人がヒーローだったからだよ」の言葉と、最後のシーンに号泣した。

 

「バンコクにいると」も凄かった。
家族で4回目のタイ旅行に来ている4人家族。
一見幸せそうだが、父は自分以外がお金を持つことを許さず、娘二人にも気分次第で暴力を振るい、さらにタイで「スーツを試着してくる」と言って出かけては、マッサージパーラーで性的サービスを受けている。

母は見て見ぬふり、14歳の姉は心を殺して無抵抗状態、12歳の「わたし」」は父からの暴力で何度も骨折しているが父への嫌悪感と反発を抑えることができない。


もう読んでいて辛くて腹が立ってしょうがなかったけれど、「わたし」の行動力と反骨心に、がんばれ!負けるな!ぶっつぶせ!逃げて!生き延びて!と心の中で叫んだ。
あなたなら必ずこの場から生きて出て行ける。

 

このほか、神にかぶれて肉体的かつ精神的に自分のことを痛めつけるようになった夫から逃げてきた女性を描いた「神を畏れるごとく我を畏れよ」も同じようにがんばれ!と叫びたくなる物語。
「バンコクにいると」もそうだけど、大きなスクリーンで映画を見たような臨場感があって、めちゃくちゃ痺れた!


短編とは思えないぐらいの没入感と満足感があってどの作品も本当に素晴らしかった。 繊細さと表現力と強さと優しさが

 

 

チョン・ボラ「呪いのウサギ」

 

★★★★★

美しい破滅に導いてくれるもの

呪いのウサギはかじってくれる。
排泄物は話しかけてくれる。
キツネは黄金の血を流してくれる。

ライバル会社の策略によって自殺に追い込まれた親友。呪物を作る一族の男が復讐のために作ったウサギは、ライバル会社のすべてをかじり尽くしていく。
哀しき復讐譚の表題作をはじめ、排泄物が意志を持ち話しかけてくる「頭」、避妊薬を飲み続けた副作用で妊娠した女性が父親候補を探す「月のもの」、パートナー・ロボットとの奇妙な関係性を描く「さようなら、【愛/いと】しい人」、黄金の血を流すキツネによって大儲けした男の生涯「【罠/わな】」、ビルを購入した若い夫婦が次々とトラブルに襲われる「楽しい我が家」など。
孤独に寄りそってくれる“恐怖”と、その先に待つ美しく甘美な破滅を描いた、韓国の奇才による異色短篇集。国際ブッカー賞最終候補作。

 

呪いのウサギの復讐譚から始まり、悪夢のような話(お願いだから排泄物は話しかけてこないでーーー)、救いのない寓話(生贄はいやーー)、幽霊譚など、SFというよりはホラーテイスト?でも作者に怖がらせる気は一切ないことは伝わる。生と死の境界があいまいなのだ。最近そういう小説ばかり読んでいるような気がする。

世界は寂しく悪ははびこり正義の鉄拳が下ることはなく孤独は埋まらない。
救いのない話が多いけれど読み心地は意外に温かさもあり、ハッピーエンドではなくてもなぜか少しだけ救われた気持ちになった。

 好きだったのは表題作と「さようなら、愛しい人」「傷痕」「再会」。

「楽しい我が家」は、ほんとにこれでもかというほどの不幸のオンパレードなんだけど、こんなに圧倒的に味方になってくれるなら幽霊でもいいかもと思わされる不思議。

 「再会」の最後の一文がめちゃくちゃ良くて痺れた。これだけでも読む価値ありと私は思った。

 

韓国っぽさはあまり感じられなくて、それは作者が翻訳家だということも関係しているのだろうか。
とても面白かったし好みだった。
まだまだ自分が知らない自分好みの作家さんが眠っていると思うと、とっても嬉しい。

 

 

何致和「地下鉄駅」

 

地下鉄駅

地下鉄駅

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★★★★★

生を手離さずにいることは、こんなにも難しい――。
失業、借金、いじめ、病気……駅で自ら死を選ぶ人々と、その防止に奔走する地下鉄職員・葉育安。
現代台湾文学を牽引する作家・何致和が、都会の声なき声を拾い再生を描く台湾発の話題書。
台湾文学賞、誠品読書職人賞など受賞多数!

葉育安(ヨウ・イクアン)、45歳、思春期の娘と認知症の老母との3人暮らし。
優柔不断、すべてに受け身で生きる彼が
地下鉄の自殺防止プロジェクト長として向き合うことになったのは、
地下鉄のホームで今まさに自死へ向かう人たち。

会社のお金を横領したサラリーマン、SNSで失恋を晒された中学生、持病に悩む老人、周囲から羨まれながらも生きる気力を失った女性……自殺防止プロジェクトリーダーを任せられた育安は、なんとか成果を出そうと試行錯誤を重ねるも、自らの足でホームから飛び降りる人たちを止めることはできない。
それでも群集のなかに身を置いて、日々を生きていく寄るべき人々の体温が、見知らぬ他人をいつしか温めていく――出口のない問題を抱え生きる全ての人へ、ささやかでも、明日へ向かう力の一端になる物語。

現代社会のひずみや抑圧を描いたソン・ウォンピョン『アーモンド』、ハン・ガン『回復する人間』らにも通じるストーリーテラーの初邦訳。

地下鉄駅のホームで自殺する人が後を絶たず、そのたびにホームに駆け付け現場の指示をしないといけない運行管理課主任の葉育安。電車にひかれた遺体の処理に、先輩や後輩が言っているようにはいまだ慣れることができない。

15年前に離婚し実母と娘と3人暮らし。母は認知症になりその世話を責任感の強い大学生の娘に押し付けているが、母は可愛がっていた孫のことを憎い嫁と思い込み罵るようになり、娘の我慢も限界に達している。
また大学の先輩で今は自分の上司である部長から、自殺防止の対策を取るように言われた葉育安は課のメンバーと試行錯誤を繰り返すが、思うような結果が全く出ない。
職場でも家庭でも気の休まらない葉育安は、自殺者が出た電車を運転した女性運転士に惹かれるようになる…。

 

とにかくこの葉育安が小心者で逃げ癖があって頭の中がお花畑で読んでいてイライラするんだけど、どこか憎めなくて、応援したくなっちゃう。逆に言うと、葉育安をただの気持ち悪いおじさんとしか思えないと、この小説を読み切るのはしんどいかもしれない。

各章はホームに飛び込む人の物語から始まる。
自殺する人にはそれぞれの事情があって、辛い現状から逃げたい、もう他に手はないという追い詰められた気持ちでホームに立ち、やってきた電車に飛び込んでしまうので、それを止めることは容易ではない。

葉育安は「美男美女を見ると幸せホルモンが出るらしい」「荘厳な音楽を聴くと心が安定する」「ホームの風水がよくないのでは」「信仰があれば飛び込まない」など、思いついたことをすぐにやってみるのだが、もうそれがギャグに思えてくるぐらい、自殺者と対策との間には乖離がある。
会社的にも本当はホームドアを設置することが一番効果があるとは分かっているのだが予算的にすぐに取り掛かれないから、批判されたときの言い訳に何かやっておきたいというのが本音だったりもするのだ。

悪い人ではないんだけどねぇ…な葉育安が社内政治に巻き込まれて(本人は全く気が付かず)自殺防止プロジェクトの責任を押し付けられ、早く復帰したい女性運転士に近づいて来られてメロメロになり、どんどん窮地に陥っていく。

いろいろなことに気が付けなかった彼が悪い部分もあったけれど、そりゃないぜ…ということもたくさんあって、そんな葉育安が最後ホームの点検のため各駅を訪れてベンチに座っている時に、心の中に穴があいて、何かがその穴から漏れ出ているように感じて幻影を追ってふら~とホームに立つ場面にはぞっとした。
私自身も仕事で本当に追い詰められている時に地下鉄のホームに立つとふらっと行ってしまいそうになって必死に目をそらした経験があるし、だれしも他人ごとではないと思う。

彼自身の鈍さと性格の良さもあって、希望を持って歩き出す葉育安に光を見た気がする。


とても面白かった。
深刻なテーマだけど深刻になりすぎずどこか軽妙でユーモラスなところも好きだった。
台湾の作家をもっと読みたいと思った。

 

滝口悠生「長い一日」

 

★★★★★

小説家の夫と妻は、住み慣れた家からの引っ越しを考え始めた。長いつきあいの友人たちやまわりの人々、日々の暮らしの中でふと抱く静かで深い感情、失って気づく愛着、交錯する記憶。かけがえのない時間を描く、著者4年ぶりの長編小説。

「どこまでも伸びる一日。そして過ぎてみれば、たった一日。

小説家の夫と妻は長いこと住んでいる家から引っ越すことを考えて、転居に向けて動き出す。今の家に住むようになった経緯や大家さん夫婦との関係、新しく住む家を探す中で出てくる住処へのこだわり。そういう些末なところから夫婦の暮らしやお互いの性格が浮かび上がってくる。

また夫の大学時代の友だちが集まるホームパーティ(お花見)について、視点が変わりつつ語られて、友人たちの考えていることや夫婦が想うこと、それまでの関係性なども語られる。

なんかこう感想が書きづらい作品だったので思ったことを箇条書きで。


・酔っぱらって感情過多になって泣いてしまうことがあるけれど、なぜ泣いたのかの言語化やそうなってしまった人への寄り添い方が面白かった。
・「どうして泣いたの?」と聞かれて理由を話そうとしたときに、最初から丁寧に話そうと思うとめちゃくちゃ長くなるしわけわからんってなるだろうなーと思って、簡単に話してみると、自分で話していても「あーそうじゃないんだよなー」ってなんか嘘ついてるみたいになること、ある。
・窓目くんを駅まで送る夫みたいに酔っぱらって不穏な感じにエモーショナルになった友人をこれぐらいの距離感でそばにいてくれたら本当に嬉しいよなぁ。泣いてもそのことに触れることもなく理由を詮索するでもなく黙っていてくれと言われれば誰にも言わない。そういうこともあるよなーと思うだけ。
・夫のように友人とそれぐらいの距離感を保てる人は長く友人関係を継続できるのだろう。「どうしてなんだろう」ということを結構深く考えてしまう人(私だ)は友人のハードルが高くなってしまいなかなか長続きさせられない気がする。

 

・家を決めるにあたって、日当たりってほんとに大事。日当たりにはそんなにこだわらないよと思っていても、実際に内見に行った家のリビングにぱーーーっと日が当たっていたらテンション上がると思う。
・近所のスーパーも本当に大事。夫のオオゼキ愛のくだりがこの小説で一番好きだったところかもしれない。好きなスーパーは何物にも代えがたい。

・妻が小説やエッセイに書かれる自分の姿に不満を抱いて爆発するところ、それはそうなんだろうなと思った。
『すべてを書き記すことなく書き記されたものは、まるでそれがすべてで真実だったかのように思わせてしまう。』
・だから妻の視点からの章もあるのかな?というのは穿った見方?


・夫婦といえどもなんでもかんでも話すわけじゃなく、あえて黙っていることや気が付いても触れずにいることもあって、そういうのが関係性や空気を作っていくんだなということを思った。

・独特のリズムとペースがあって、この方の小説、好きだなと思った。