りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

カッコーの歌

 

カッコーの歌

カッコーの歌

 

 ★★★★★

「あと七日」意識をとりもどしたとき、耳もとで言葉が聞こえた。わたしはトリス、池に落ちて記憶を失ったらしい。少しずつ思い出す。母、父、そして妹ペン。ペンはわたしをきらっている、憎んでいる、そしてわたしが偽者だという。なにかがおかしい。破りとられた日記帳のページ、異常な食欲、恐ろしい記憶。そして耳もとでささやく声。「あと六日」…わたしになにが起きているの?『嘘の木』の著者が放つ、傑作ファンタジー。英国幻想文学大賞受賞、カーネギー賞最終候補作。 

 「嘘の木」が面白かったので読んだんだけど、こちらの方がもっと好き!

冒頭は家にいながら囚われているような息苦しさだったのが、そこから飛び出して行ったとたんに物語の疾走感がどんどん増してきてドキドキワクワク!

信頼が生まれて初めて幼さや弱さを表に出すことができるんだなぁ。

魔法の要素もたっぷりで、成長と友情の物語でもある。素晴らしかった。

富士日記〈中〉

 

 

富士日記〈中〉 (中公文庫)

富士日記〈中〉 (中公文庫)

 

★★★★★

並はずれて奇抜で誰も思い及ばぬ発想のなかで、事物の核心をすべて喝破する、いわば生まれながらの天性の無垢な芸術者が、一瞬一瞬の生を澄明な感性でとらえ、また昭和期を代表する質実な生活をあますところなく克明に記録する。

大事に読んでいる「富士日記」。

淡々とつづっているだけの日記なのに、読んでいてとても楽しくて気持ちが爽やかになる。

中巻ではやはり愛犬ポコの衝撃的な死。その時は言葉少なく描かれているけれど、その死が長いこと影を落としていたことが伺える。
泣いたり極端な行動をとろうとしたり宥められたりしながら家族でその死を乗り越えていったのだなと感じた。

印象的だったのは百合子さんが事故に遭ったと思って探しに来た時の泰淳氏の様子。思い浮かべると涙が出てくる。

附記が苦い

池袋演芸場2月中席昼の部

2/22(金)、池袋演芸場2月中席昼の部に行ってきた。

・だいなも「浮世根問」
・さん光「牛ほめ」
・馬太郎「湯屋番」&踊り
・さん喬「そば清」
・ホームラン 漫才
・市馬「高砂や」
・権太楼「天狗裁き
~仲入り~
・燕弥「猫の皿」
・小ゑん「下町せんべい」
・紋之助 江戸曲独楽
・甚語楼「お見立て」


馬太郎さん「湯屋番」&踊り
黒い羽織が初々しい。ニツ目になってすぐに高座で「湯屋番」とは。すごい意気込みを感じるわー。
とてもきれいな芸で笑いは少な目だったけど初々しかった。
なすかぼの踊りも微笑ましかったな。


さん喬師匠「そば清」
何度も聴いてるさん喬師匠の「そば清」だけど、お客さんがぐっと引き込まれて安心して笑っているのがわかる。いつ見てもこの安定感…すばらしいな。


市馬師匠「高砂や」
笑いどころが少ない噺だと思うんだけど、最初から最後までとても楽しい。
「謡」がわからない八っあんが、都々逸や浪曲が無駄に(笑)うまいのがまたおかしい。


権太楼師匠「天狗裁き
「代書屋」じゃない!(嬉)
夢の話を問いただす女房、隣の男、大家さん…と進むたびに女の名前が付けくわえられていくのがおかしい。しかもそれがお囃子の師匠さんたちの名前!
聞かれる男がほんとに夢を見ていなくて困惑しているのが伝わってきて楽しかった~。

燕弥師匠「猫の皿」
いつもさん助師匠との会で見ていて、「きれいな(芸)の方」と認識している燕弥師匠なので、この「猫の災難」にはちょっとびっくり。
なんかお茶屋の主人がいかにも変人!まるでさん助師匠みたい(笑)。
誰に教わったんだろう?と聞きたくなるような「猫の皿」で、おかしかった~。新境地?


小ゑん師匠「下町せんべい」
最初から最後までハイテンションでめちゃくちゃおかしい。
江戸っ子のせんべい屋さんの江戸弁にいちいち過剰反応する男との対比がたまらない。
しかもこの男の妄想が結構酷くて大笑い。
ノリのいいこの日のお客さんが最高潮に盛り上がった。すごい。


甚語楼師匠「お見立て」
お客さんに合わせて、いつもより笑い成分の多い「お見立て」。
最初は振り回されているだけだった喜助がお墓に行くと徐々に楽しそうになってくるのが面白い。
ほんとにこの日のプログラムは最高の並びで最初から最後まで素晴らしく面白かったなぁ。満足。

圓橘の会

2/23(土)、深川東京モダン館で行われた圓橘の会に行ってきた。

・ぽん太「しの字嫌い」
・圓橘「夢金」
~仲入り~
・圓橘 圓朝不朽の名作 怪談「牡丹燈籠」ー発端・湯島天神の場


ぽん太さん「しの字嫌い」
好楽師匠のお弟子さん。最近ニツ目になったばかりらしい。
まずは自分の名前の由来から。ぽん太というのは圓朝師匠のお弟子さんで、「絵を描かない山下清」みたいな人だったらしい。このお弟子さんを圓朝師匠はとてもかわいがっていて、今も圓朝師匠のお墓と同じ敷地内に「ぽん太」の墓があるらしい。

まくらも堂々としているし、落語もテンポがいいし笑わせどころも抑えていて…なんとなく小太郎さんっぽい。
面白かった。


圓橘師匠「夢金」
前座時代、師匠のお供で圓朝師匠のお墓参りに何度か行ったことがある。その時に「ぽん太」というのが気になって師匠に「これはいったいどういう人なんですか」と聞いたのだが、師匠は言葉を濁した。おそらくうちの師匠は「バカ」とは言いづらかったのだろう。
さきほどのぽん太の話しをきいていて「絵を描かない山下清」はうまいこと言ったなぁと感心した。
このぽん太の噺を作って8/11にリレーでやります、とのこと。うおおおー是非とも行かねば。

それから「今日は暖かいですね」と。
もしかして雪が降るかもしれないと思って雪の噺を準備して来たんですけど、あいにくでした…。

と言いながら「夢金」。

くまの欲の張りっぷりと侍のいかにも胡散臭い様子がくっきり。
侍に呼ばれて身支度をするくまの様子(上着をバーンと脱ぐところや笠を外すところ)から本当に寒いことが伝わってくる。

女を殺すことを持ちかけられたくまがきっぱりと「とんでもねぇ!!」と断るところ、また手伝わなければ殺すと言われて「ならやります」と言うところ、やると決めればすぐに分け前の交渉に入るところなど、くまが侍と五分五分で渡り合ってることがわかる。

中州に侍を置き去りにしてからのスピードの速さはまさに爽快。
いやほんとにくまが生き生きしていて楽しい「夢金」だった。
圓橘師匠がすごく大きな声を出すのがすごくメリハリがあってよかったー。


圓橘師匠 圓朝不朽の名作 怪談「牡丹燈籠」ー発端・湯島天神の場
今日から「牡丹灯籠」を連続でかけていく、と。おそらく9月ぐらいまでかかるのではないかということ。
園朝物やこういう嫌な噺はもうこりごりだなぁという気持もあるが、圓橘師匠のは聞いてみたいと思う。

刀屋で飯島平太郎という若い侍が刀を買おうとして店の主人と話をしていると、店先で黒川という浪人に自分の家来が絡まれている。
平太郎は丁寧に謝るのだが酒癖が悪い黒川はまるで許さず、平太郎に唾を吐きかける。
もともと癇癪持ちの平太郎はそれに怒り、持っていた刀で黒川を斬りつける。
そのことを自ら自身番へ届け出るが、さしたるお咎めもなく、平太郎は出世する。

平太郎は10年後父の名前(平左衛門)を継ぎ、お露という娘も生まれる。
お露が16歳の時、妻が亡くなるが、平左衛門は女中のお国といい仲になる。
お国とお露の仲が悪いので、平左衛門はお露を女中を付けて柳島の別宅へ住まわせる。

今回はここまで。
頭を下げた後に圓橘師匠が「置いた扇子がどこに行ったか見失っちゃった。お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ない」と謝ったのがちょっとかわいかったなー。

黒門亭3285回

2/23(土)、黒門亭3285回に行ってきた。
春輔師匠と萬窓師匠が見られるってすごい!これは行くしかない!と鼻息荒く。

・やまびこ「子ほめ」
・文吾「雛鍔
・春輔「そば清」
~仲入り~
・ニックス 漫才
・萬窓「さじ加減」

文吾さん「雛鍔
今、姉が家にいるので甥と姪と一緒に過ごすことが多いという文吾さん。
1歳半の姪がとにかくかわいくてしょうがなくて、アンパンマンへの心酔ぶりや止められない指しゃぶりの話しをするんだけど、それがすごく面白い。
その流れからの「雛鍔」も、金坊の悪童ぶりがリアルでおかしい。
お屋敷の主人が訪ねてきて、穴あき銭を知らないふりをした金坊に感心して、お小遣いをやろうと懐に手を入れてから、あ、そうかこの子に銭なんかやっちゃいけないねと引っ込めたところで、主が「あれ?いまこの子舌打ちした?」と言ったのがおかしかった~。

滑舌がよくて早口で心臓強そうでいかにも文蔵師匠のお弟子さんっていう感じだなぁ。


春輔師匠「そば清」
春輔師匠のおっとりとした口調で聴くと「そば清」もまた違った印象。
おそばを食べるそば清さんはわりと無言でつーつーっとそばを食べることに集中。時々思い出したように「こういうのはその日の調子ですから」。
でも言葉の端々に気の強さや強情さが伝わってくる。
サゲを言ってから説明するという形だったけど、私はサゲを言

ってすこん!と終わる方が好み。


萬窓師匠「さじ加減」
名医の息子でやはり医者をやっている玄益は遊びが過ぎて勘当される。仕方なく長屋に引っ越して医者を始めるが、徐々に患者も増えどうにか暮らしていけるようになる。
玄益が久しぶりに品川宿の叶屋というお茶屋を訪ね、なじみの芸者のおなみの様子を聞いてみると、夫婦約束をしていた玄益が来なくなり食べ物が喉を通らなくなり病気になって今では松本屋の座敷牢に入っている、と言う。
それを聞いて玄益がおなみを引き取りたいと言うと、叶屋は3両くれたら自分がその金で話をつけてくる、と言う。
松本屋に行った叶屋は、3両くれたら自分がおなみを若先生におっつけてきます、と言う。

おなみを引き取った玄益が看病をすると半年でおなみは全快する。
その噂を聞いた叶屋はまた松本屋に行き、病気が治ったのだからまたおなみで儲けることができる。あの時どさくさで身請証文を渡してないのが幸い、おなみを連れて帰ってきましょう、と言う。

叶屋を信頼し切っていた玄益はそう言われて驚くが、その話をおなみが大家に相談に行くと大家が「私に任せてくれ」と言う。

玄益はいかにも人のいい素朴な人物。
一方、叶屋と大家はやくざっぽいが、二人が「こういうこと(もめ事)は大好きだ」という台詞があって、そこに救われる感じ。
お裁きに爽快感もあって、楽しい!よかった~。

末廣亭2月中席夜の部

2/21(金)、末廣亭2月中席夜の部に行ってきた。


・ぴっかり「何があったのかしら」
・にゃん子・金魚 漫才
・百栄「猫おとこ」
・きく麿「寝かしつけ」
・勝丸 太神楽
・白鳥「青春残酷物語」


ぴっかりさん「何があったのかしら」
会社の飲み会で記憶を失くした女の噺。新作。
面白かった!これ、ぴっかりさんが作ったのかな。
飲んでしょっちゅう記憶をなくす私にはリアルすぎる噺だったわ。


百栄「猫おとこ」
紹介されて付き合った男のリアル猫ぶりと会社の世話焼きおばさんがどんな話を聞かされても全てポジティヴにとらえるのがめちゃくちゃおかしい。
二人で近所を無言で散歩して最後は廃車置き場みたいなところに連れて行かれて…どう考えても自分の縄張りをチェックしているようにしか見えなかったとか、自分の家に連れて行ったら餌場と認識して毎日通ってくるとか、ペットボトル置いたら来なくなったとか。
楽しかった~。


きく麿師匠「寝かしつけ」
歌の応酬に入った時の間が、今苦し紛れで思いついた感があって(そうじゃないのに)それがたまらなくおかしい。押したり引いたりのバランスが絶妙なんだよなぁ。
この日のお客さんにぴたりとはまって、ものすごい盛り上り!すごい!


白鳥師匠「青春残酷物語」
この芝居では最近つやってない噺をやるということで「青春残酷物語」。これは師匠がニツ目の時に作った噺らしい。
それだけにちょっと今では伝わらないフレーズがあったりして、そこにアドリブであれこれ入れるのがめちゃくちゃおかしい。
キンキラの衣装を表すのに「寿輔師匠みたいな」と言ったのがめちゃくちゃツボで笑ったら「こんなのが今日来るようなマニアにはウケるのか!」と白鳥師匠がぼやいたのがすごくおかしかった。

 

立川こしら出版記念/新宿紀伊国屋イベント 第二部

2/20(水)、紀伊国屋書店で行われた「立川こしら出版記念/新宿紀伊国屋イベント 第二部」に行ってきた。


・こしら トーク
・かしめ「ん廻し」
・こしら「干物箱」


こしら師匠 トーク
こしら師匠の書いた「その落語家、住所不定。」の出版イベントということで「今日はどういう話が聞きたい?」とこしら師匠。
手を挙げた男性が「師匠は家のない暮らしをされているっていうことですけどどういう暮らしなのかをもっと詳しく聞きたいです」。
そう言われたこしら師匠。「あのね、あなた会社行って仕事してる?もし会社に通ってるなら家はあった方が便利。なにも家をなくす必要はないよ。俺は東京にあんまりいないのよ。一か月のうち10日ぐらい、東京にいるの。あとは地方に行ったり時には海外に行ったりしていて、そうすると家ってそんなに必要じゃないんじゃね?たった10日のために家賃払うの無駄じゃね?って思ったの。逆に家がないと帰る時間を気にしなくてよかったりオールで付き合えたり、呼ばれたらひょいって地方に気軽に行けたりして、楽なのよ。でもこの本さ、出版社もやたらと”ホームレス”の部分で売りたがっててね、”ホームレス真打”みたいなさ。それでそこに興味が行っちゃってると思うんだけど、俺が言いたかったのは、みんな家を持つのやめようよっていうことじゃなくて、自分の生活を見直して、実はこれはいらなかったんじゃねぇ?ってものを捨ててみたら、っていうことなんだよね」。

地方の仕事に呼ばれたとき。
今みたいな恰好で行ったら「そういう恰好だと田舎の人からは馬鹿にされる。というか信用されない。いいスーツ着て金の時計をしていかにも金を持ってる風にしてみろ」とアドバイスしてきた人がいて、無理してそういう恰好をしてみたら、確かにだんだんお客さんは増えていって会場も広くなってもらえるお金は増えたけど、お客さんがじじばばばかりになってしまった。
そういう人たちは自分の落語を面白がって来てくれてるわけじゃなく、東京からちょっと有名な人が来たと思って見に来た人たち。
その「有名」というのだって、ラジオで売れてた頃に1回だけ出たテレビ番組とかそういうのを経歴に書き連ねてみたり、一度だけ会ったことがあるお笑い芸人とのエピソードを大袈裟に話したりして、下駄をはいただけのこと。
そんなお客さんの前でそういう人たちにウケるような落語をやっても、自分は全然面白くなかった。
お金はもちろん必要だしほしいけど自分が本当に求めているのはそこじゃない。

ラジオ番組を持っていて売れた時に芸能人のやってるシークレットパーティみたいのに呼んでもらった時。
ちょっと無理してブランドのスーツ買ってネックレスとかブレスレットつけたりして行ったんだけど、俺ゲームが好きだからDSも持って行ったのよ。それをブランドの腰袋(腰袋って何度も言ってたけどなに?ウエストポーチ?)に入れて。すげー高い腰袋。それがさ、DS入れた状態で走ったりすると擦れてあっという間にビリビリになっちゃうの。
なんか違うなと思って。
俺、そういう華やかなパーティ行っても全然楽しくないし、それより家でDSやってる方が楽しいし、DS持ち運ぶならおしゃれな腰袋より職人が使ってるような頑丈な腰袋の方が絶対いい。

俺の師匠はテレビも出ていてすげぇ売れてて、だからお客さんでも「早く売れてね」って言ってくる人もいるけど、俺別にそれ求めてない。
こんな格好で落語も全然ちゃんとしてないから俺の会に来るお客さんって変な人ばかりなのよ。でもそういう人たちの前でやるの、すごく楽しい。
だから地方に行く時も、なるたけ若い人を集めてくれって言ってるの。
それで行ってお客さんすげー少なかったりもするけど、そっちの方が面白い。

今日も昼間7時間ここにいてね、悩み相談っていうのをやって、本を買ってもらおうとしたんだけどさ。
それで売れたのたった3冊よ!そんなのサイン会でもなんでもないっつうの!
でも俺はいいのよ。これをまたネタにできるから。
かわいそうなのは出版社の人よ。ずっと付いててさ、3冊だからね売れたの。

チケットが取れない落語家とか講談師とかいるけど、それってたんに会の値段設定を間違ってる。マーケティングに失敗してるだけ。
売れて客が増えてるんだから、もっと値段を上げればいいのよ。そうすれば、ほんとに好きでその人を見たいと思ってる客が来るから。
それをそんな風に思い切って値段を上げないから、「なんか売れてるらしい」「有名らしい」っていう客が大勢来ちゃうの。
そうするとそういう人向けのことをしなきゃいけなくなっちゃう。それで「つまんない」って言われちゃう。

値段は下げればいいってもんじゃない。
俺も相手に「これぐらいしか出せません」とか言われてすごい安い値段で会をやったりもしてたこともあったけど、安い値段でやった仕事ってすごい文句言われるのよ。「金は出せません」っていうやつに限って文句言ってくる。
それなりの値段をとったら案外言われない。

…いろんな話をパーパーしてお客さんもいじって好き勝手言ってるんだけど、時々はっ!とする言葉があって、うぉおおーーっとなる。
特に私、最近会社のことでうじうじ考えることが多かったから、ああそうだ、そうなんだよっていう思いが大きかったなぁ。
すごくいい話をした後に、電子マネーのこととかを熱弁するから、それがとってもうさん臭くて、おかしい。楽しかった~。


かしめさん「ん廻し」
「ずっと後ろで見ていて中には頷いて聞いてるお客さんがいましたけど、うちの師匠にだまされないで!!電子マネー!あとくれぐれも落語家になろうなんて思わないで!(落語家になりたい中学生が来てたので)あとでいろいろ教えるから!」に大笑い。
かしめさんの「ん廻し」、前にも一度見たことがあったけど、めちゃくちゃ面白い。
途中までは古典の通りなんだけど、途中からオリジナルの展開(歌とか花火とか)がすごくおかしい。さすがこしら師匠に弟子入りするだけのことはある。
笑った笑った。
初めて「こしらの集い」で見た時は、「こ、これは…(やばい)」と思ったのに、みるみる面白くなっていってすごい。


こしら師匠「干物箱」
善公に身代わりを頼む若旦那。
「あのさ。家の間取りはさ、玄関入るとすぐにリビングがあってそこを突っ切って行くと階段があるからそれを上って俺の部屋へ…」
「え?ちょっと待って!なにその間取り?玄関開けてすぐにリビング?そこを通らないと階段に行けないの?」
「うん。リビング4畳だから」
「4畳?狭いじゃん!おやじいたら絶対見られるじゃん。え?若旦那の家って金持ちじゃないの?」

上に上がってからのおとっつぁんとの会話でも「いただいた干物はどこに仕舞った?」と聞かれて「干物箱です!」と答えると「ああ、干物箱に仕舞ってくれたか。それなら安心だ」「え?干物箱あるの?」とか、親父からトンデモナイ家族の秘密を告白されたり、「ちょっとおとっつぁん、待ってくれよ。そういう話は明日改めて聞くわ」と善公が言うと父親が「こんな話を聞かされた後でもまだおとっつぁんと呼んでくれるのか。うれしい!今からお前を抱きしめに行く!」とか、ぶっとんだ展開に大爆笑。

あー楽しかった。
会の後には列に並んでサインももらって(「え?えつこさん?美人に多い名前だ!え?りつこ?あーーそっちの方がより美人!」←なんてテキトー。)うれしかった~。

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その落語家、住所不定。 タンスはアマゾン、家のない生き方

 

 ★★★★★

身一つで世界中の落語会を飛び回る、家さえ持たない究極のミニマリストである著者が、自らの生き方哲学と実践を初めて明かす。 

前座時代にお金がなくてバイトをすることもできなくて(師匠に呼ばれたらすぐに行かないといけない)どうやって食っていたかというところからもうぶっ飛んでる。

こしら師匠って、なんでも金儲けに結び付けているように見えるけれど、実はお金を目的としていないところも面白い。

自分じゃなくてもいいことはやらないとか、不得手なことからは逃げるとか、生きるヒントもたくさん。

ここに書いてあること全部が全部賛同できるわけじゃないところも含めて楽しい一冊。
読んでいるとまた無性にこしら師匠の落語が聴きたくなってくる!また行こう、「こしらの集い」。

蜜蜂と遠雷

 

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 ★★★★★

 私はまだ、音楽の神様に愛されているだろうか?ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。著者渾身、文句なしの最高傑作!

面白かった。音楽を表現する言葉がこんなにも豊かであることに驚く。

まるでその場にいるかのようにピンとした空気や風景やお腹の底から湧き上がってくるグルーヴが伝わってくる。

若者たちの成長の物語としても素晴らしいが、コンクールの審査員側の姿勢も素敵だ。音楽への圧倒的な信頼と尊敬の念に満たされた物語だった。

ここに書かれている曲を一つ一つ確かめながらもう一度読みたいな。

さん助ドッポ

2/18(月)、お江戸両国亭で行われた「さん助ドッポ」に行ってきた。

・さん助 ご挨拶
・さん助 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」第二十七回「最後の情婦」
・さん助「二番煎じ」
~仲入り~
・さん助「鴻池の犬」


さん助師匠 ご挨拶
ヘッドハンティングされるような優秀な会社員だった知り合いが脱サラして故郷に戻ってワインバルを開いた、と。
会をお手伝いされているUNA様とも共通の知り合いなので、二人で開店祝いを贈ることに。
開店祝いといえば花が定番だけどただの花じゃつまらない。そこで思いついたのがプリザーブドフラワー。あれなら3年ぐらいもつらしい。
プリザーブドフラワーって結構高いんですよ。これぐらいの大きさでも。で、二人でお金を出し合って買って送ったんですけど、すぐにご本人からお礼の電話があって…そこで言われたのが「こんなシャレたものをさん助さんが思いつくわけないから、UNA様が選んだんでしょ?」。
…こういう時必ずこう言われるんです。「さん助さんがこんなオシャレなもの選ぶわけない」って。
でもこれにしようって思いついたの、わしじゃ!!

…ぶわははは。
話をしながら何度も手で四角を作っていて、なんだろう?と思っていたら、大きさを表しているらしく、「これっぱかりの大きさでも結構な値段がする」とおっしゃる。
それを大きさの話をする前も後もずっとしているのがなんかおかしかった。
そして思いついたのはさん助師匠でも調べたり手配したのはUNA様じゃないのかい?なんて思ってしまった。いや知らんけど。


さん助師匠 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」第二十七回「最後の情婦」
首尾よく鬼一郎を始末した義松は、今では平三の片腕となっている。
この町の遊郭で一番栄えているのが萬屋で、そこの板頭がお京という女。
このお京に入れ込んでいるのが金十郎。豪農で金はふんだんに持っているがものすごい不細工。
この萬屋にある時義松が客として来て以来、お京は義松に傍惚れ。2人はいい仲になる。
義松とできた途端、扱いが悪くなったことに気づいた金十郎は、お京を見受けしようと考える。
早速お京にそのことを告げると大喜びしたお京は「すぐにそうしておくれ」と言う。
店に話をすると二百両で見受けという相談がまとまる。
酒肴を運ばせて大宴会となるが、金十郎が目を覚めると隣にいるはずのお京がいない。
部屋を出るとどこかの部屋で男女のヒソヒソ話。聞き耳を立ててみると、お京が義松に、自分は金十郎に見受けされるが、何日かだけおとなしくてしてその後好き勝手な真似をすれば追い出されるだろうから、その時に金を奪えるだけ奪ってしまおう、と話している。
それを聞いて金十郎は見受けすることをやめる。

金十郎が」お前の魂胆はわかってる、わしは二人の話を聞いた。だから見受けをするのはよした」とお京に告げるが、お京は取り合わない。
それでも金十郎が本気だということがわかると、そんなみっともないことができるか!と暴れだし死のうとするので、金十郎は仕方なく手切れ金として百両渡す。
お京はそれまで金十郎にもらった着物や髪飾りを全て売り払い、また今まで貯めたお金と合わせて百両こしらえて、その二百両で義松のもとへ見受けされる。
板頭を見受けしたということで、義松の評判はうなぎのぼり。
面白くないのは金十郎で、義松についてあることないことを前橋藩の重役である森桂之進に訴え、桂之進は御用聞きの石澤文九郎を義松のもとに差し向ける…。


…義松、また新しい親分のもとで片腕になり、またいい女をものにしやがったよ。
簡単なもんだねぇ…任侠の世界も、女も。
どうせみんな義松に殺されちゃうのにさ。ふっ。
でも、旅をして思わぬ人に出会って殺す、みたいなパターンが続いていたから、ちょっと違う展開になったのでよかった。
それにしてもどうにも酷い噺だなぁ…。でも龍玉師匠がやっていた圓朝物も松之丞さんがやっていた講談も同じぐらい酷い話だったけど、いつも満員御礼だったから、やりようによっては面白くできるのかしら。うーん。

 

さん助師匠「二番煎じ」
月番さんがなんかいい。好き、さん助師匠の月番さん。仕切ってあれこれ言うけど優しさを感じる。
夜回りの歌のところ、面白い。顔を真っ赤にして力いっぱい唸るから大笑い。
あと、軽すぎる歌もばかばかしくておかしい。
戻ってきてからの飲んだり食べたりはおいしそう!
見回りに来た役人が意外にも(!)強面。
普通に面白かったけど、さん助師匠だからもっとキャラが立ってほしいかなぁ。ってエラソーですびばせん!

 

さん助師匠「鴻池の犬」
子どもの頃、犬を飼ってました、とさん助師匠。
それは親が私のために買ってきてくれた犬で、私が付けた犬の名前が「ジャック」。当時「ジャックと豆の木」を読んでたもので…。
来たときは小さかったけど10年以上飼ってる間に大きくなってきて、自分より父親が世話をするようになり、散歩も連れて行っていた。
そのジャックが年をとって夜泣きをするようになって近所迷惑なので病院でもらった睡眠薬を飲ませるようになって…。

…今の時代のペットを溺愛して子供のように扱うというより、もう少し遠い距離感。わかる。私が子どもの頃はそうだった。あと自分の親とかその親の世代はとくに。
ジャックの話にはなんかちょっとこう…しーんとなっちゃったね。
そんなまくらから「鴻池の犬」。

いやぁこれがもうびっくりするくらい良くて。
なんでこんな噺がこんなにいいんだ?さん助?!(←いきなり呼び捨て)やっぱおかしいよ、この人、ほんとおかしい。いい意味で?
捨て犬を見つけた時の定吉のかわいらしさ。乾物屋をやってるから犬は飼えないよと言いながらも定吉に「捨てるのはかわいそうですよ」「死んじゃいますよ」と言われると「それもそうだな」と飼い始める店の主。それでもこれは誰かが飼いたいと言ってきてたらその人に譲るんだよ、と定吉に念押しする。
そこへやってきた鴻池の奉公人(番頭?結構エライ人っぽい)。おぼっちゃんが大事に飼っていた黒犬が焼け死んで代わりの犬を探している。ここの黒はおぼっちゃんが飼っていた黒にそっくりなのでぜひとも譲ってもらいたい、と言う。
主人は定吉に話をして説得し、黒を引き渡す。黒は江戸から大阪まで駕籠に乗せられて大事に運ばれていく…。

人物もきちっと描かれているし、なによりも犬…犬がかわいい。
鴻池の犬になって美味しいものを食べさせてもらってかわいがられて江戸っ子気質を発揮してその界隈でいっぱしの「親分」になった黒。
一方、お気に入りの黒がいなくなってがっかりした定吉が面倒をみてくれなくなって餌もろくにもらえなくなりやせ衰えてしまった残された白とぶち。
白に食べ物を持って来てやろうとしたぶちが車に轢かれて死んでしまい、どうしようもなくなった白は一人大阪の鴻池を目指す。
途中で出会ったのが主人のかわりにお伊勢参りに行こうとしている犬。気のいいその犬としばらく一緒に旅をする白。この二人の別れの場面には思わず涙がどばーーーーっ。
ほんとは白と一緒に伊勢へ行きたいけれど事情を聞いて納得した伊勢参りに行く犬が「もうここでお別れ」と言うと、白が寂しがって「くぅーーん」って鳴いて、お互いに何度も何度も「さよなら」って言うのがほんとに寂しそうで哀れで、涙が…。ううう。
そしてボロボロになってたどり着いて黒と再会。ここでもまた涙。
さん助師匠が薄汚れた白犬にしか見えなくて、その頼りなさと寄る辺なさに胸が締め付けられる。
擬人化されているんだけど、ちゃんと「獣」であるところにもびっくり。その加減が、ジャックのまくらからもつながっているようで、あの微妙な空気になったまくらにも意味があったのか、と。
なんかサゲのところは言い間違えてたような気もするけど。すごくよかった。いいもの見られた。
あちこちからすすり泣きが聞こえてきて、でも「鴻池の犬」でみんなが泣いてるっていう状況がとてもシュールで、全てひっくるめて「落語」の世界だなぁと思っておかしかった。
これがあるからさん助師匠はやめられないんだよー。いがったー。

 

何もかも憂鬱な夜に

 

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

 ★★★★

施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。 

施設で育った刑務官の「僕」、夫婦を刺殺して死刑判決が出ている山井、そして「僕」の親友で自殺した真下。

とても重いテーマな上に、「僕」自身も自殺した真下や山井の気持ちに寄り添いすぎて、自分を見失いそうな危うさがあって、読んでいてしんどかった。

思春期の混沌は誰にでもあるものだと思うけれど、感受性が豊かすぎたり、支えてくれる大人がいなかったら、真下や山井のように極端な行動に走ってしまうこともあるのかもしれない。

危うい方向に走り出しそうに見えた「僕」が恩師とのやりとりを思い出して山井に対峙する場面がよかった。
作者は文学や音楽、芸術の力を信じているのだなと感じたし、そこに救いを感じた。

アナザーベース落語会vol.11

2/16(土)、Another Base たまプラーザで行われた「アナザーベース落語会vol.11 」に行ってきた。


・勧之助「宿屋の富」
~仲入り~
・勧之助「寝床」


勧之助師匠「宿屋の富」
真打になる時に付けた「勧之助」という名前についてあれこれたっぷりと。
私は勧之助師匠のtwitterが大好きなんだけど、ふざけながらもすごく熱い人なんだろうなと思っていて、やっぱりそうなんだなと思った。
自分のなかで「こうありたい」という芯がある感じ。それを表に出さないようにしてるけど時々透けて見える。そこに魅力を感じる。

自分は真打になったばかりだけど、こちらの会はニツ目を中心に定期的に行われている会で、こういう会に来て下さるお客様というのは、本格的な名人の落語を聞きたくて来ているわけじゃない。だって名人の落語を聞きたければ小三治師匠の落語会に行けばいいのだから。わざわざこういう会にいらっしゃるのは、若手を応援したいという気持ちやまだ未熟だけど時々いい高座に当たることがあるからひょっとして今度こそそれが見られるのでは?という博打をうつような気持ちがあるに違いない。そういう意味では宝くじを買うのと同じような気持ちなのかも。
そんなまくらから「宿屋の富」。

泊まった男がちょっと年を取ってるイメージ。確かに大旦那風?
ばかばかしいくらいのホラにいちいち感心する宿屋の主人。
湯島天神での若い連中のワイワイガヤガヤの楽しさ。特に自分は二番富が当たると信じ切っている男が登場するときに「ほぇーーー」と声にならないような声をあげているのがなんともいえずばかばかしくて大笑いしちゃった。
楽しかった。


勧之助師匠「寝床」
二席目は大好きな噺を、と「寝床」。
繁蔵と旦那の会話がたまらなくおかしい。なんか会話しているこの二人の顔が近い!それがすごくおかしい。
繁蔵が「提灯や」の言い訳に「急な祭りがあって提灯をたくさん作らなければならなくなって」と言うと旦那が「急な祭り?祭りっていうのは急にやるものかい?」。
豆腐屋」の言い訳でも「急な法事が入って」「法事も急にやるものかい?あらかじめ日取りを決めてやるんじゃないのかい?」。
…たしかに!と思って笑った笑った。
話しを聞いているうちに旦那の方が「おかしい」と思い始めて、ツッコミを入れたり、二人の攻防が激しくなっていくのがおかしい。

最後に「お前はどうなんだ」と聞かれた繁蔵が覚悟を決める場面もはっちゃけていておかしい~。
張り切っていた頃の旦那の声慣らしは「うぉーーうぉーー」と激しかったのが、お客が来ないと聞いて「ふぇん…」としょんぼりするのもおかしい。

勧之助師匠ってきれいな芸なので時々こういう風に「壊れる」と、そのギャップに驚いてすごく笑えるんだな。

大好きというだけのことはあって独自な面白さの詰まった「寝床」だったなー。面白かった。

あちらにいる鬼

 

あちらにいる鬼

あちらにいる鬼

 

 ★★★★★

 

人気作家の長内みはるは、講演旅行をきっかけに戦後派を代表する作家・白木篤郎と男女の関係になる。
一方、白木の妻である笙子は、夫の手あたり次第とも言える女性との淫行を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。
だが、みはるにとって白木は肉体の関係だけに終わらず、〈書くこと〉による繋がりを深めることで、かけがえのない存在となっていく。
二人のあいだを行き来する白木だが、度を越した女性との交わりは止まることがない。
白木=鬼を通じて響き合う二人は、どこにたどりつくのか――。

井上光晴ドキュメンタリー映画を見たことがあったので、あれはいったいどういうことだったのか、また当事者やその家族はどう感じていたのか、そういう下世話な興味もあって読んだ。

インタビューや自分が幼い頃から見聞きしたことを「こういうことだったの?」と作家の目で練り直して、母と愛人の視点から描くというのは相当にしんどいことだと思うが、恨みがましいところがひと欠片もなく、とても清々しかった。

見て見ぬふりをして共に生きること。そういう関係から離脱すること。書くこと。書かないこと。
火の玉のような男を挟んで生きる二人の女性の魅力的なこと。
「どんどん書いてちょうだい!」と言ってくれたという愛人のモデルになっている寂聴さんも素敵だし、何も語らなかった妻である作者の母も素敵。
そして本当にどうしようもない男としか思えない作者の父も、嫌いになり切れない何かがあって、そこを描ききっているのもすごいと思う。

天晴れな生きざまをこうして一つの物語として読むことができて幸せだ。
素晴らしい作品だった。小説が好きな人みんなにお薦めしたい。

 

book.asahi.com

リリア寄席

2/15(金)、川口総合文化センター リリア メインホールでおおなわれた「リリア寄席」に行ってきた。

・小ごと「たらちね」
喬太郎「ハワイの雪」
~仲入り~
小三治「お化け長屋」


小三治師匠「お化け長屋」
まくらでは、最近話題になっているコンビニのバイトくんの動画投稿について。
「店側も24時間社員を貼りつかせてるわけにもいかねぇっていうんで深夜はバイトだけ一人とか二人の時間帯がある。その時に誰もいねぇからっていうんで、おでんの白滝をね、いったん口に入れたのをまたそこにおえーって戻したりね。それをスマホで撮ってね。あげるんだってね。そのあげるっていうのがよくわからねぇ。揚げるって言ったら天ぷらだけどね…でもなんかそれがあぶねぇんだなっていうのはわかりますよ」。
「それを見た奴がまたこれは面白れぇ!っていうんであげるんだね」

なんかあぶねぇな、と本能的に感じている小三治師匠なのだが、いかんせん「ネットにあげる」とか「拡散」というのがピンとこない。ピンとこないけど、もうそういう風になってきちゃってるからネットも便利なだけじゃないし終わりだなと感じてる、と。

師匠は案外コンビニを利用しているらしく、夜仕事から帰ってなんか小腹が空いたなと思うと近所のコンビニに行ってちゃんぽんを買ってきたり、「なんだこれ20円引き?いいじゃねぇか」と値引き商品を買ってきたりして食べてるらしい。そういうものにももしかして…と思うとなんか買う気がしなくなる。もう買うのやめようかしら。なんて言っていた。

あと、この間近所のラーメン屋に弟子と入ったんだけど、コーンバターラーメンが千円するから「高けぇな」と思ったんだけど、食べてみたらとっても美味しくて、ああ…これはうまい、ちゃんと作ってるラーメンだ、それならこの値段も高くない、と感じた、と。
「いやほんとにうまかったんだよ。これから一緒に行きますか?」。

行きます!!一緒に!!と思ったのは私だけではなかっただろう。
かわいかった。どきっとするほど。

そんなまくらから落語にはいろんな種類の噺があると言って寄席の怪談噺の説明から「お化け長屋」。

木兵衛さんのところに最初に訪ねてくる人。とても丁寧なんだけど「古だぬきの木兵衛さん」と大真面目で声をかけるのがおかしい。
また話を聞いている時の怖がり方。「ええ。ええ」と言いながらどんどん話の中に入り込んで行く様が伝わってくる。
それに対して二番目の男。全く怖がらず…でも話の続きは聞きたがり、独自な反応。
「てめぇこのやろう!おめぇがやったな!!やけに詳しいじゃねぇか」は何度見ても笑ってしまう。

最初の時は怖がる男の反応にどんどんノリノリになる木兵衛さんが、二番目の男には話の腰を折られて言葉に詰まるようすがおかしい。

楽しかった。
このホール、初めて行ったけど、駅から近くてわかりやすくてよかったな。

 

愛人 ラマン

 

 

愛人 ラマン (河出文庫)

愛人 ラマン (河出文庫)

 

 ★★★★★

18歳でわたしは年老いた―。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった…。仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。センセーションをまきおこし、フランスで150万部のベストセラー。J・J・アノー監督による映画化。 

時系列や人称がバラバラだったり、起こった出来事をこちらがすでに知っていると思っているかのような書き方になかなか慣れることができず、行きつ戻りつして読んだのでとても時間がかかった。

絶望に飲み込まれたような母と暴力的な長兄、見捨てられたこどものような彼女と2番目の兄。そんな家族への復讐のように金持ちの中国人の愛人に身を委ねる少女。

少女より愛人の方が痛々しく見えるのは彼が少女への恋慕を隠せなかったせいなのか。あるいは、本当は圧倒的に弱い立場にいる彼女が、プライドを保つことだけに必死にすがっていたからそう見えるのか。

お互いに与えるものと奪われるものがあったのだろうが、この経験があったから彼女は小説家になれたのだと思ったが、作者自身があるいはそう納得したかったのかもしれない。