りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

大江戸悪人物語2017-18 episode 7

7/31(火)、社会教育会館で行われた「大江戸悪人物語 episode 7」に行ってきた。


・全太郎「まんじゅう怖い」
・松之丞「丸橋と伊豆守 奥村八郎右衛門の裏切り(慶安太平記より)」
~仲入り~
・龍玉「お累の自害(真景累ケ淵より)」


全太郎さん「まんじゅう怖い」
おもしろい!
ギャグで押しているわけではないけど、思わず笑ってしまう。表情が豊かで調子がよくて間がいい。すごい達者な前座さんだなぁ。


松之丞さん「丸橋と伊豆守 奥村八郎右衛門の裏切り(慶安太平記より)」
家光が亡くなり、いよいよ幕府転覆のチャンス到来。
槍の名人丸橋が何かやらかしそうな予感があって始末してしまいたかった正雪だったが、丸橋の義兄弟二人が優秀で欠かすことができない人物だっただけに、その二人を失うことを惜しんで殺すことができない。このことを正雪はその後ずっと後悔することになる。

正雪が丸橋に混乱に乗じて家綱を連れてくる大役を任せると告げると、張り切った丸橋は城の下見に出かける。
そこで伊豆守に呼び止められた丸橋。伊豆守のただならぬ迫力に気圧される。
駕籠に乗るが、自宅ではなく吉原に連れて行かれて喧嘩になって逃げだしたり、その後つぶれるほど飲んだりして、ようやく家へ帰る。
母親に小言を言われ面白くない丸橋は妻に褒めてもらおうと幕府転覆の計画を話すのだが、武家の出の妻に逆に「そういうことをたとえ妻にであっても口外してはならない」と怒られる始末。

いよいよ本番という前の晩、将棋を打っていた丸橋と八郎右衛門。勝負のことで言い争いとなり、丸橋は八郎右衛門の眉間に傷をつけてしまう。
八郎右衛門は「武士の眉間に傷をつけるということはどういうことかわかっているのか」と刀を抜きかけるのだが、まわりの者に「明日の大事を前にこんなことは小事ではないか」となだめられる。
しかし気持ちがおさまらない八郎右衛門は、兄と父の顔をこっそり見ようと実家に行き、女中に見つかって家にあげられてしまう。
眉間の傷に気づいた父に詰問され、つい「大事の前の小事」と返事をすると、「眉間の傷を小事というということは、恐ろしいことを企んでいるにちがいない」と気づかれてしまう。
奥村家は代々徳川家に仕えているのだ、幕府転覆に加担するなどとんでもないこと、と八郎右衛門は縛られ、その情報はすぐに伊豆守のもとに届けられてしまう。


…前回の乞食坊主を殺すところは熱演すぎて、ちょっと「うへぇ」と思ってしまったのだが今回は抑え目。
私はこれぐらいの引いた調子の方が好きだな。
しかし緻密に練り上げた計画も、1人浮かれポンチがいるとおじゃんになってしまうのねぇ…。(そんな感想…)


龍玉師匠「お累の自害(真景累ケ淵より)」
お累の顔がやけどでただれ、生まれてきた子どもが打ち首になった兄に瓜二つ。
これは豊志賀の祟りに違いないと無縁仏の供養のために毎日墓の掃除をしていた新吉は、そこで江戸にいた頃に見知っていた芸者お賤と再会する。
お賤は名主の妾になっているのだが、羽生村には知り合いがいないから遊びに来てくれと言われ、通ううちに、お賤にのめりこむようになる新吉。
家財道具はすべて質に入れ、家に寄りつかなくなる。
心配したお累の兄の三蔵が家を訪ねてみると、畳もない家で今にも死にそうなお累が寝込んでいる。
坊のためにもせめて蚊帳を…と三蔵が家から蚊帳を取り寄せてつってやり、3両の金を置いていく。
そこへ帰って来た新吉はその金を手にしても満足せず、蚊帳も質屋へもっていこうとするが、お累は「蚊帳だけは坊のために置いて行ってくれ」とすがる。
弱っているお累を殴りつけるだけでなく、赤ん坊に煮え湯を浴びせかける新吉。結局赤ん坊は死んでしまう。
新吉は蚊帳を奪い、お賤の元へ向かう。

お賤の家で床についた新吉だが、なかなか眠ることができない。
そのうち表を叩くものがあるのでお賤を起こして開けさせると、そこには赤ん坊の死骸を抱いたお累がいて「坊の弔いだけはしてくれ。家に帰って来て」と頼む。
お賤も家に帰るように勧めるのだが、新吉は今にも死にそうなお累を足蹴にする。
しばらくするとまたお賤は寝入ってしまい、新吉はなお眠れずにいると、今度は村人が訪ねてきて、「家が大変なことになっているからすぐに帰れ」と言う。
家に帰ってみるとそこには死んだ坊を抱いたまま自害したお累の姿があった。


…うわーーーー。
新吉のお累への仕打ちが酷すぎてもうほんとにいや…。
とにかくもうお累が可哀そうで可哀そうで。
もういっそ、お累はとっとと死んで化けて出てくれ!と思ったよ…。
だいたい新吉は自分のせいでお累がこんな火傷を負ってしまい、申し訳ない、一生大事にする、と誓ったんじゃないのかい。
供養のために墓に日参していて芸者に会ってそこに通うようになってこんな風に豹変するなんて。
ちょっと性格変わりすぎじゃない?それも豊志賀の祟りゆえなわけ?

談洲楼燕枝に比べれば圓朝の方がまだまし、と思っていたけどそんなこともないなぁ。
結局のところ、通しでやるとどうにも我慢できないぐらいおぞましいシーンがあったり、話が破綻してたりするのね…。
だからいいところだけ切り取ってやってるわけだ。
そして切り取り方や演出の仕方なんかも、圓朝物は多くの噺家がやっているうちにどんどんブラッシュアップされて、ようやく聞ける形になっているのかもしれない。

つくづく私は落語はやっぱり軽い笑える噺が好き、と強く思った。
悪人の噺は当分聞きとうない…。(でもまた近いうちに聞く。チケットも買ってるし)