りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

ノアの羅針盤

ノアの羅針盤

ノアの羅針盤

★★★★★

60歳になって学校からリストラされた教師が、新生活の門出の夜、何者かに襲われる。病院で目覚めた彼に襲撃の記憶はなく、やがて彼は偶然出会った記憶係の女性に惹かれる自分に気づく。退院をきっかけに同居をはじめた末娘を始め、彼を取り巻く女たちとの葛藤を淡々と描きつつ、新しい人生の意味を浮かびあがらせる、名手アン・タイラーの新作。

60歳になって学校をリストラされたリーアム。これからは質素に暮らそうと、小さなアパートに引越しをする。もっていくものも最低限におさえて身辺を整理して生活を楽しもう。
そう思って幸せな気持ちで床に就いたのだが、目が覚めたら病院のベッドの上。
どうやら引越し初日の夜に強盗に襲われ、救急車で運ばれたらしい。
そのときの記憶が一切ないことに恐怖を覚えるリーアムは、まわりが辟易するほど、その時に「記憶」にこだわり続け、挙句の果てに、病院で見つけた「記憶係」の女性にどうにかして近づこうとする。

2度の結婚に失敗したリーアム。
前妻と3人の娘たちはリーアムのことを心配して家を訪れたり泊まってくれたりするのだが、自分の悩みには無頓着だし、そのわりに煩わしい。
失った記憶を探すうちに、あきらめかけていた恋を手にしそうになったり、自分が今まで生きてきた人生がうつろに思えたり、どうしようもない孤独感に苛まれたり…。

自分は人生をちゃんと生きてこなかったのではないか、たいせつなことを忘れているのではないかと、老いを迎えてじたばたする姿が身につまされるけれど、でも少しおかしい。
会ってしまった故に踏み出せなくなった一歩。
不肖の父親に会い行って父に言われる一言。
淡々としているのに時々涙がぶわっとでてくるような台詞やシーンがあって、とても良いのだ。これこそがアンタイラーの魅力なのだ。

人と関わるのが面倒だったり煩わしかったりするくせに、辛いときや困った時は誰かに助けてもらいたかったり、自分の気持ちをわかってもらいたいと切に願ったり。 自分が幸せになるためには、時には「正しくないこと」も「あり」なのではないか?と思いながらも、その一歩が踏み出せなかったり。
関係ないはずの別れた女房の恋人の存在に心がざわざわしたり。
仕事が生き甲斐だったわけではないのに、いざ仕事を失ってしまうと、社会とのつながりや自分が生きている意味すら失われてしまったように思えたり。
どれもこれも自分にも当てはまることばかりで、「ああ…」と憂鬱な気持ちになってくるのだが。
でもさして魅力的でもないこの主人公のことが、最後まで読むと、なんだか妙に愛おしくなっているのだ。

些細な出来事を丁寧に描きながら大きな物語のうねりを作り出す。
日常の小さな棘やずれを見つめているうちに、ぞっとするような孤独をのぞかせる。
でも最後まで読むとなぜだか「これでよかったんだ」と思えて、ほっとした気持ちになれる。
久しぶりのアンタイラーはやっぱり良かった。