居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 東畑開人
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2019/02/18
- メディア: 単行本
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★★★★★
「ただ居るだけ」と「それでいいのか?」をめぐる
感動のスペクタクル学術書!
京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。
しかし、「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった――。
ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。
一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書!
とても面白かった。
東大出の博士が沖縄のデイケアで働いた4年間のことを綴っているのだが、デイケアの意味、ケアが完ぺきであればあるほど価値に気付かれないことなど、そして「ただ居る」ということの意味など、いろいろ勉強になった。
この方の勤めていた職場で情熱的に仕事をしていた人たちが次々が辞めていく原因についてははっきりと書かれていないのだが、看過できない歪みがあるのだろうと感じた。
「居るのがつらい」と感じる場面は私にも多くある。
どちらかというと自分は人との調和をそれほど重んじているつもりではない方だと思っているのだが、それでも職場や学校などで「居るのがつらい」と感じることがあって、特に職場でそれを感じ始めるとあっという間に鬱状態に一直線。
効率や利益が何よりも大事な職場で目立った成果をあげること。そのプレッシャーは大きくて、そこから少しでも外れると、自分はここに居てはいけない人間なのだ、と感じてしまう。
仕事をしている人は多かれ少なかれこの重圧の中で生きていて、それが通勤電車の一触即発の雰囲気や子連れや専業主婦への暴言にも繋がっているような気がする。
職場だけではなくあらゆる場面で「ただ居るだけ」ということが否定されていることが、今の生きづらさに通じているのだろう。
ケアにおいて「ただ居ること」がどれほど大切なことなのか、ということがこの本を読んでいると伝わってくる。
それを誰かに説明することは難しい。でもこの本の中にはそれがある。
こういう場所がとても大事なのだということ。そしてそこで働いている人たちも決して万能でもなければ強靭でもないということ。お互いにケアしあっているということはこの本を読むまで知らなかった。
軽い文体で書かれているのでとても読みやすい。いろんな人に読んでほしい。
雲一里
10/30(水)、日本橋公会堂で行われた「雲一里」に行ってきた。
・あられ「元犬」
・白浪「寿限無」
・雲助「庚申待ち」
~仲入り~
・一朝「蒟蒻問答」
・小里ん「お直し」
白浪さん「寿限無」
二ツ目になって嬉しいのはプログラムに名前を載せていただけることと、SNSができるようになること。
私もtwitterを始めたんですが、私をフォローしてくださった方を見に行ったら、私と橋本環奈さんの二人だけをフォローしている。
え?どういうこと?となんか気になってしばらくしてからまた見に行くと今度は広瀬すずさんをフォローして3人。
また半年ほどたって見に行ったら今度は能をやってる方を一人とアイドルを2人追加してる。
私と能の人はいったいなんなんだろうかと謎だったんですが、この間本屋に行ってはたと気づきました。
私がアイドルの写真集を買う時…写真集一冊だけは買わないんです。池上正太郎を2冊買って間にアイドルの写真集をはさんでレジに出します。つまり池上正太郎で蓋をするんですね…。
私と能の人も…その方にとっての池上正太郎だったのではないか、と。
…ぶわははは!!面白い!!
好きだなぁ白浪さん。面白いわー。独特で。
そして「あの…どうやって噺に入っていいかわからなくなりました」にも笑った。
「あれ?誰かと思ったらはっつぁんじゃないか」と唐突に噺に入ったのにも場内爆笑。
「寿限無」も、名前を言われたはっつぁんがいちいち突っ込みを入れるのがとてもおかしい。
「パイポパイポ…」には「あ、それは…参考程度に」とか、「長助」には「あれ?普通に戻りましたね」とか。
楽しかった!
雲助師匠「庚申待ち」
おどろおどろしい話が始まるのかと聞いていると、結果くだらない、というのがたまらなくおかしい。
雲助師匠の「庚申待ち」は何回か聞いてるけど、毎回ばかばかしくて大笑いしちゃう。
後半の展開もわかっていても毎回ハラハラ。
面白かった。
一朝師匠「蒟蒻問答」
こんにゃく屋の親分がいかにもこざっぱりした気風のいい人物でスカっと楽しい。
世話になって住職にさせてもらってるのに問答で追い払われるのはたまらないと寺にあるものをバッタに売ろうとするなんてひどいわーと思うんだけど、それを知った親分が「ばかやろう!ここのあるものはおめぇのもんじゃねぇんだぞ!」と怒鳴りつけながらも、ケロッとしているのもいかにも一朝師匠らしくていいなぁ。
問答で勝ったのに全く気付いてなくて「なんで煮え湯をかけてやらなかったんだ!」と怒っているのも傑作。
楽しかった。
小里ん師匠「お直し」
この元花魁はいい女なんだろうなぁ、と感じる。
酔っ払いも旦那もめろめろだもの。
甘い言葉をささやかれてその気になる気のいい酔っ払いが気の毒にもなる。
ちょっとやってられないよね(笑)。
走れ、オヤジ殿 (韓国文学のオクリモノ)
★★★★★
臨月の母を捨て出奔した父は、
私の想像の中でひた走る。
今まさに福岡を過ぎ、ボルネオ島を経て、
スフィンクスの左足の甲を回り、
エンパイア・ステート・ビルに立ち寄り、
グアダラマ山脈を越えて、父は走る。
蛍光ピンクのハーフパンツをはいて、
やせ細った毛深い脚で――。若くして国内の名だたる文学賞を軒並み受賞しているキム・エラン。
韓国日報文学賞を歴代最年少で受賞した表題作や、
第1回大山大学文学賞を受賞した「ノックしない家」など
9編を収載したデビュー作、待望の邦訳。★ 1980年生まれの著者が若くして文壇を席巻し、同世代から圧倒的な共感を得たデビュー短編集。本国では累計8万部を記録。
★「この本は、こわばった表情で私があなたに送る、最初の微笑みです」――キム・エラン
続けざまに韓国の女性作家の短編集を読んで正直誰が誰だかごちゃごちゃになってしまっているのだが、テーマや物語の背景は似ていてもテイストはそれぞれ違う。
表題作は「逃げるオヤジ」を描いているが、深刻な状況なのにユーモラスに描かれていてそれが面白悲しい。日本語タイトルが絶妙。「オヤジ殿」って素晴らしいセンスだ。
読んでる最中に下北沢B&Bの斎藤真理子さんのトークショーに行き、翻訳された古川綾子さんのお話を伺えたのも嬉しかった。
この間読んだ「外は夏」が最新作で、こちらがデビュー作とのこと。「外は夏」はかなり深刻な喪失感が表に出た作品だったので作風がこんなにも変わったことにびっくり。
表題作と「ホッピング」「愛の挨拶」が特に好き。
重いテーマを少し離れたところからユーモアを交えて描くところが好みだった。
斎藤真理子「韓国現代文学入門~その2 IMF経済危機と韓国文学」トークショー
10/26(土)、B&Bで行われた”斎藤真理子「韓国現代文学入門~その2 IMF経済危機と韓国文学」トークショー”に行ってきた。
以下、覚書。
1997年韓国のIMF危機。「国難」。
それまで軍事国家だった韓国が民主化したのが1987年。生活が豊かになり中産階級が増える中、1997年株が暴落し韓国経済は破綻。これがIMF危機。この時に、韓国経済が破綻し経済主権を完全に失いIMFに全てを委ねた。
リストラが行われて仕事を失い家を失い自殺する人も多く、また企業が新卒採用をやめたため非正規社員が増え、また格差が広がった。これが韓国文学にどのような影響を与えているか。
・「三美スーパースターズ 最後のファンクラブ」(パク・ミンギュ)IMF当時29歳。作品発表時35歳。
デビュー作。IMF当時サラリーマンをしていて、勤めている会社のビルから公園が見え、そこにはリストラされたことを家族に言えない人たちが大勢集まっていた。その姿を見てこの人たちを少しでも励ましたいという思いからこの作品を書いた。これがデビュー作。
弱小のプロ野球チーム「三美スーパースターズ」を通して、プロフェッショナルとして生きること、圧倒的な弱さを引きうけて生きることの意味を描く。
・「誰でもない」(ファン・ジョンウン) IMF当時21歳。作品発表時36~39歳。
作家の間で人気があり信頼されている作家。自分が見聞きしたことを丁寧に描き、様々なことを引きうけようという覚悟が見られる作家。
「誰でもない」に入っている「誰も行ったことがない」は、子どもを亡くした夫婦が海外旅行に出かけ、留守番を頼んでいた弟に自分たちが無事についたことを知らせる電話をかけるとそこで「兄さん、韓国がつぶれた」と言われ、意味が分からずに茫然とするシーンが書かれている。
この子どもを亡くしたというのは、2014年のセウォル号沈没事故が示唆されている。IMF世代(IMF危機の時に20代前半だった人たち)にとってこの事故は非常にショッキングな出来事で小説を書けなくなった作家も多数出た。ファン・ジョンウンもこの時期作品を書けなくなっており、しばらくしてから書いたのがこの作品。
セウォル号沈没事故 は船長が非正規で給料も安くそれ故自分が誰よりも先に逃げ出すというような行動をとった、とも言われている。
・「走れ、オヤジ殿」(キム・エラン) IMF当時17歳。作品発表時22~25歳。
それまで家長制度がしっかりしていて一家の大黒柱として君臨していた父親が、IMF危機後仕事を失いショックから酒に走ったり鬱になったりして家にいることが多くなる。そんな父親の姿に戸惑ったり軽蔑を抱いたり家庭が崩壊するようなことが当時いくらでもあった。
ここに描かれる父親も逃げる情けない父親。しかしそれを冷たく突き放すのではなくユーモアをこめて少し引いた視点から描いている。この作品ではどちらかというとユーモアがあるが、最新作「外は夏」は喪失感がもっと前面に出ている。
・「あまりにも真昼の恋愛」(キム・グミ)IMF当時18歳。作品発表時36~37歳。
仕事を失って無気力になった父親のみじめな姿、将来への不安、感情の行ったり来たりを繊細なタッチで描く。
ーーーーーー
斎藤真理子さんが講義形式で話をされ、途中から古川綾子さん、すんみさんも登壇されて自分たちの経験や翻訳された作品についても話をされた。
IMF危機のことなど私は全くよくわかっていなかったのだが、ここで題材として挙げられた作品は全部読んでいたので、あそこに描かれていた焦燥感や危機感はこういう背景があったのか、と初めて知ることができた。
また今なぜこんなに韓国文学が面白いんだろうかと不思議に思っていたのだが、韓国経済がこんなにも急展開したことで我々日本人の三倍速ぐらいのスピードで変化を受けていること、三世代同居していたら全く違う社会を生きているわけで価値観の違いや摩擦も日本以上にあることなども挙げられて、なるほど…と納得した。
社会の変化を見つめ人間の在り方をまじめに考える若い作家がたくさんいるのは素晴らしいことだと思う。
また斎藤真理子さんのようにセンスがあって頭のきれる翻訳家がいることで優れた作品がどんどん見いだされ翻訳されているのだろうと感じた。
日本にいて韓国の若い作家の作品を次々読める幸せを噛みしめる…。
モンスーン
★★★★
韓国現代文学の到達点を示す短篇小説集
李箱文学賞受賞「モンスーン」から最新作まで、都市生活者の現実に潜む謎と不条理、抑圧された生の姿を韓国の異才が鋭く捉えた9篇。
ピョン・へヨンは、韓国で最も権威ある文学賞・李箱文学賞を2014年に「モンスーン」で受賞し、以後も数々の文学賞を受賞、男女問わず多くの読者に支持される女性作家である。
派遣社員、工場長、支社長、上司、部下、先輩、管理人……都市という森に取り囲まれ、いつのまにか脱出不可能になる日常の闇を彷徨う人たち。「モンスーン」から最新作「少年易老」まで、都市生活者の抑圧された生の姿を韓国の異才が鋭く捉えた9篇。著者のこの10年の充実の作品群を収めた、日本語版オリジナル短篇集。「モンスーン」:郊外の団地。ユジンとテオの夫婦関係は冷めきって、会話が成り立たない。きっかけは、生まれて間もないわが子の死だった。子どもを家に置いたまま、二人が別々に外出した時に起きた出来事だった。テオは妻に対する疑念を打ち消すことができない。テオは駅近くのバーで、妻の勤める科学館の館長に偶然出会い……。
「ウサギの墓」:派遣社員の彼は、6か月間だけこの都市に暮らす予定だが、公園に捨てられていたウサギを抱いて家に帰る。仕事は簡単だった。資料を集め、書類を作り、担当者に提出する。前任者は彼に仕事を引き継いだ後に行方不明となるが……。
「夜の求愛」:花屋のキムは、疎遠になっていた友人から共通の知人が死の床にあると知らされ、葬儀のための花輪の注文を受ける。死を待つようにして、キムは花輪を葬儀場に届ける。が、知人はまだ亡くならない。その連絡を待つが、来ない。キムは女との夕食の約束を思い出し、女に電話をかける。知人の死をじりじりと待つ間に、キムの女への感情は揺らめいて…。
「少年易老」: 13歳のユジュンの父は工場経営者。病のために腹水がたまり、体から薬の匂いがする。ユジュンの唯一の友達ソジンはユジュンのお屋敷によく泊まった。ある日ソジンは、ユジュンの家にこっそり入り、書斎の鍵のかかった引き出しを見つけ、ユジュンの父の秘密を想像する。少年たちは秘密が放つ死の匂いにだんだんと浸されて……。
韓国の女性作家の短編集を立て続けに読んでいるのだが、これはかなりひんやりした印象。
ここに描かれる人たちの孤独、閉塞感、分かり合えなさはなんなのだろう。
毎日同じことの繰り返しで自分の感情や存在が埋没していく。付き合ってる恋人に疎ましさを感じ、同じ応答しかしない職場の担当者に物足りなさを感じながらも、身動きができない。しかし確実に危機や破滅は後ろから迫ってきている。
恐ろしかったのはこれが結構見に覚えのある感覚だったこと。
「ウサギの墓」はうさぎを愛する身としては耐え難い作品だった。うさぎの糞は臭くないのよ…。そしてうさぎを公園に棄てるのは殺すのとなんら違いはないよ。
拾われて一時的に飼われてまた棄てられるうさぎは、人間性や個性を殺し、誰でも代わりになりうる状態で働く人たちの象徴なのだとは思うが、しんどかった。
「少年易老」は少年たちの友情(多少の打算は含みつつ)を親や社会の不条理が引き裂いていくのがなんとも不気味でホラーだった。
好きか嫌いかでいうと好きな作風ではないのだが、惹きつけられる。
ほんとに今、韓国文学が熱い。読まずにいられない。
三遊亭金遊を偲ぶ会
10/25(金)、上野広小路亭で行われた「三遊亭金遊を偲ぶ会」に行ってきた。
・金かん「後生鰻」
・金の助「大工調べ」
・南なん「置き泥」
~仲入り~
・金かん「真田小僧(通し)」
・金の助「心眼」
金かんさん「後生鰻」
普段はまくらをふらない金かんさんが、今回は師匠を偲ぶ会ということでまくらをたっぷり。
私がうちの師匠を始めて見たのは4年前の浅草演芸ホールでした。
その時うちの師匠は「権助魚」をやったんだけど、やる気があるんだかないんだか…元気も覇気もなくて…その時お客さんも少なめだったんですけど…でも師匠は声は通るので…その少ないお客さんがみんなぐーっと噺に引き込まれていた。それを見て「なんか面白いなぁ」と妙に惹かれました。
入門してからその時の話を師匠にしたことがあったんですが、「権助魚」はめったにやらない噺なんです。だから師匠も覚えてました、その時の高座。
それで「あー、あの時はひどい風邪をひいてたんだよ」と。
あの元気のなさは風邪のせいだったのか…。
師匠が亡くなってから知り合いの人やお客様に師匠が載っている雑誌とか昔のかわら版とか見せていただく機会が増えたんですが、うちの師匠が二ツ目になりたてのインタビューがありまして。
その時のインタビューで師匠、「売れても売れなくてもどうでもいい。売れないで食えなくなって野垂れ死にするならそれでいい」と。
二ツ目になったばかりでそんなこと言う人いますか?
その後も師匠はよく「俺は野垂れ死にしたいんだ」と言ってました。
ほんとに野垂れ死にしたがる人だな、と思ってました。
兄さんが二ツ目になってその祝いの会を兄さんの地元でやることになって、師匠と3人で初めて一門会をやりました。
師匠はとっても喜んでた。
会のあとに、金の助兄さんのご両親も交えて飲んだんですが、師匠は珍しくたくさん飲んではしゃいでました。
その時に師匠が言ったんです。「俺は今までずっと野垂れ死にしたいと思ってたけど、考えが変わった。長生きしたいよ」。
それを聞いた時、「うわ、師匠、今すごいこと言ったよ!!」と思ったんです。なんかすごいこと聞いちゃった!って。
はっとして兄さんの方を見たら…お酒に弱い兄さんは寝かかってました。
起こしたかったんですけど私が兄さんを小突くわけにもいかないので、これはお父さんに起こしてもらおう!と思ってみたら、お父さんは机にうつ伏して寝てました…。
会はお開きになって、私と師匠はホテルに帰ったんですが、師匠が珍しく「おい、もう少し飲もう」と言って、二人で駅前の居酒屋で飲みなおしました。
師匠はいろんな話をしてくれて…。
それでももう遅いし明日もあるからと帰って部屋の前で別れたんです。それが生きてる師匠を見た最後でした。
あとうちの師匠は結構いろんな噺を持っていたんですけど、寄席でかける噺はそれほど多くなくて。結構絞ってました。
私、この噺は師匠に合ってるのになぁ…とか…とても生意気なんですけど、そんな気持ちがあって師匠に「この噺はやらないんですか?」「あれは?」とあれこれ聞いたことがあったんです。
すると師匠は「それは嫌いだ」「それも嫌い」と。私が名前を挙げた落語のほとんどを嫌いっていうんです。好きな噺がそれしかなかったらもはやそれは落語が好きではないのでは…(笑)。あと、師匠に「嫌い」と言われた噺はなんとなくやりづらくなってしまうので、これ以上聞くと自分のレパートリーが減ってしまう!と思って、途中で聞くのをやめました。
今日は師匠を偲ぶ会なのでみんなで師匠に教わったネタをやります。やってたってことは好きな噺だったはずなので、それで師匠も喜んでくれるんじゃないかな、と思います。
そんなまくらから「後生鰻」。
金遊師匠の「後生鰻」は聞いたことがなかったけど、ああ…確かに金遊師匠に合ってる。
いかにも落語らしくていいよなぁ。
金かんさんは前座さんなのに師匠譲りでとても落ち着いていて淡々としていて…でもひょいっと面白い。
いいなぁ。すごく好きだなぁ。前から好きだったけど、まくらもとってもよかったし、ますます好きになったよ。
二ツ目になるのが待ち遠しいな。
金の助さん「大工調べ」
金かんさんと違って金の助さんは明るくて元気でわりと前に出る印象があったんだけど、「大工調べ」…師匠を彷彿とさせるところがいくつもあって、ちょっとびっくりした。
まくらでは金かんさんと違って師匠のことは触れなかったんだけど、それもまたカラーが分かれていて面白いなと思った。
活舌がよくて江戸弁がきれいで気持ちのいい「大工調べ」だった。
南なん師匠「置き泥」
とても久しぶりの南なん師匠。
この噺は金遊師匠に教わった噺なのだとか。
噺も教わったし、マージャンにもよく誘ってもらいました。ずいぶん高い授業料を払わせられました。
あと、俳句の会も誘われて入りました。金遊師匠は俳句も随分うまくて我々よりもっと上級の会にも入ってやってましたけど、私はだめで…一生懸命作ってもよく先生に「それは俳句じゃなく川柳」と言われました。
いくつか自作の俳句を紹介してから「置き泥」。
久しぶりに見たけど、泥棒に入られる男がほんとに何もなくてすってんてんで途方に暮れていて…最初から泥棒に何かもらおうという気持ちはなかったんだけど、どんどん心がほどけてきて甘えが出てきたんだな、というのが見えて面白い。
「この先いいことがあると思う…よ?」というのも精いっぱいのお世辞なのかな。
楽しかった。
金かんさん「真田小僧」
ああ、そうだ。金遊師匠の「真田小僧」見たことあった。そしてあの時も師匠は通しでやったんだった。
子どもが口が達者で困っしゃくれてるんだけど、なんかけろっとしていてかわいい。
ことさらしつこくやるわけでもないんだけど、やり込められる父親と妙に感心する母親の対比もくっきりしていて、楽しかった。
金の助さん「心眼」
ああ、金遊師匠の「心眼」見てみたかったな…。
いやしかし金の助さんの「心眼」もとてもよかった。特に目が開いてからのはしゃぎぶり、ちょっと酷いことを言ってしまうあたりの弱さがリアルでよかったなぁ。
こうしてみると、二人とも師匠の芸風や佇まいを受け継いでいるところがあって、いいなぁ…と思った。
とてもいい会だった。
熱帯
★★★★★
汝にかかわりなきことを語るなかれ――。そんな謎めいた警句から始まる一冊の本『熱帯』。
この本に惹かれ、探し求める作家の森見登美彦氏はある日、奇妙な催し「沈黙読書会」でこの本の秘密を知る女性と出会う。そこで彼女が口にしたセリフ「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」、この言葉の真意とは?
秘密を解き明かすべく集結した「学団」メンバーに神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと「部屋の中の部屋」……。
幻の本をめぐる冒険はいつしか妄想の大海原を駆けめぐり、謎の源流へ!
千一夜物語、物語の中の物語、繰り返しながら少しずつ変化していく世界…と、私の好きな要素がぎゅっと詰まった小説だった。
現実と空想の世界がらせん状になってぐるぐるぐるぐる繰り返す。
理屈が通らなくても矛盾しててもなんでも。こういうこと、あるよね?いや、ないか。でもあってほしい。そして私もこのループの中に組み込まれたい。熱帯の世界に入って行きたい。
とっても面白かった。死ぬほど好みだった。最高。
黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集
★★★★
ヒラヒラと舞う雪花、冬の枯れ草の暖かい匂い、鉄の規律に縛られた軍隊生活、テーブルに刺さった赤い箸の十字架…。農村と軍隊と信仰をめぐる9つの短篇。ノーベル文学賞候補と目される作家が自ら選んだ傑作集。
「愉楽」「丁庄の夢―中国エイズ村奇談」と読んだが、長編とはまた違った味わいがあった。今まで読んだ長編はエキセントリックで激しいストーリーだったけれど、短篇はもう少し素朴というか淡々としている。
貧しさから脱却したい、家庭を築いて一人前になりたい、子どもや若者のそんな想いが胸を打つ。
軍隊や信仰について描いた作品も毒が効いていて面白い。
それにしても中国の女の人は強い。男に痰を吐きつける姿が印象に残っている。
さん助ドッポ
職人だけど読み書きそろばんが出来る甚右衛門は村でたいそう重宝
とても楽しかった!
第6回 小はぜのたび
10/22(火)、落語協会で行われた「第6回 小はぜのたび」に行ってきた。
・小はぜ「浮世根問」
・小はぜ「木乃伊取り」
~仲入り~
・小はぜ「転宅」
小はぜさん「浮世根問」
ラグビーに夢中だという小はぜさん。
テレビでラグビー関連のニュースをやっているとつい見てしまい、見終わると他のチャンネルでもやっているのでは?とチャンネルを変え、また見入ってしまう。
「いろんなことを犠牲にして今のチームがある」ほんとにかっこいいです。すごいです。私を含めてみなさんも…いろんなことを犠牲にしてますか?
私の場合だとやっぱり稽古。いろんなことを犠牲にして稽古に励まねば。そういう気持ちになるもの、また新たなラグビーのニュースをやっているのでは?とテレビの前から離れられない。
でも私ずっとニュースを見ていて気になることがあって。
「笑わない男」と言われている稲垣選手。
今のテレビって何か一つ話題があるともうそればっかり。稲垣選手が笑わないっていうことも…仲間内なら全然いいと思うんです。でも何も知らない素人が「笑わないのはなぜですか」と質問したり、笑わせようとしてあれこれやったり…そういうのってすごい失礼だと思うし、なんか…いじめと変わらなくないですか?あの職員室のいじめと同じものを感じてしまいます。
…わかる。ほんとにそう思う。下品だよね。でも小はぜさんがそんなにも熱中できるものがあってよかった、と思ってしまう母心(笑)。
そんなまくらから「浮世根問」。
あーこれ、小はぜさんが二ツ目になりたてのころに見たなぁ。
あの時よりもぐっとこなれてとってもいい感じ。
なにより、はっつぁんとご隠居の仲の良さが伝わってきて二人の会話がとても心地いい。
こういう噺をこんなに心地よく聞かせてくれるって…小はぜさん、すごいな。
私が大好きなのは岩田の隠居からお金をむしり取ったエピソード。ほんとにばかばかしくて楽しい。
サゲも大好き。このサゲが好きでたまらないという小はぜさん、いいなぁ。
小はぜさん「木乃伊取り」
真面目で純粋な清蔵が小はぜさんと重なって、怒るところはとても迫力があるし、若旦那に「暇を出す」と言われた時はなんか涙が出そうになった。
それだけに後半でれでれになるところのおかしさが倍増で、すごく楽しくて。
とっても素敵な「木乃伊取り」だったな。
小はぜさん「転宅」
ネタ卸しとのこと。
お菊さんが凛としていてきれいで、どろぼうがでれでれするのもよくわかる。
ところで、お菊さんの名前を聞くところが抜けていて、おや?と思っていたら、次の日に泥棒がウキウキと家をたずねてくるところで…「あ!名前聞くの忘れた!」。
もうこれに大笑い!
タバコ屋に聞くところでも「前の家はあれですよね…なに…の家ですよね?」「え?」「なにの…家ですね?」「なに…とおっしゃるところを見るとご親戚の方ですか?」
…ぶわはははは!もうたまらん!!
小はぜさんは焦っただろうけど、面白さ倍増で、失敗をリカバーしてさらに面白くできちゃうってすっごいなぁ、と感心感心。
楽しかった!
死者の国
- 作者: ジャン=クリストフグランジェ,Jean‐Christophe Grang´e,高野優,伊禮規与美
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2019/06/06
- メディア: 単行本
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★★
パリの路地裏で、両頬を耳まで切り裂かれ、喉には石を詰められたストリッパーの死体が発見される。パリ警視庁警視のコルソはこの猟奇殺人の捜査を進めるが、ほどなく第二の犠牲者が出てしまう。被害者二人の共通点は、残忍な殺され方、同じ劇場で働いていたこと、そして元服役囚の画家ソビエスキと交際していたこと。この画家を容疑者と考え、追い詰めるコルソを待ち受けるのは、名画をめぐる血塗られた世界と想像を絶する真相だった…!『クリムゾン・リバー』の巨匠が放つ戦慄のサスペンス!
ええええー?こんなのありー?
主人公のコルソ警視がひどすぎやしないですかね?
自分の勘だけで突っ走るしすぐ殺しちゃうしそういうのは隠蔽しちゃうし困ったことがあると捜査部長に泣きついて。そもそも自分が闇抱えすぎでしょ、と思ったら、後半になって驚愕の展開。おいおいおい。
「死者の国」ってそういう意味だったのか。二重に酷い。事件そのものも真相も。
でも読メやアマゾンのレビューを見ると結構高評価。
犯人は…とか、真相は…とかではなく、話がごろごろと転落していくのを楽しむべきだったのかな。私には楽しみ方がよくわからなかったな。
さん喬師弟九人会夜の部
10/19(土)、よみうり大手町ホールで行われた「さん喬師弟九人会夜の部」に行ってきた。
・さん助「三人旅ーびっこ馬ー」
・左龍「三人旅ーおしくらー」
・喬太郎「笑い屋キャリー」
~仲入り~
・さん喬「幾代餅」
・小志ん「御神酒徳利」
さん助師匠「三人旅ーびっこ馬ー」
私今年初めてにっぽん丸に乗りました、とさん助師匠。
観光じゃなくて仕事ですよ。
毎日最前列に座って「待ってました!」と声をかけてくださるお客様がいらして、それが毎回同じ男性。「待ってました!大統領!」とか毎回掛け声を変えてくださるんですけど、最後もう言うことがなくなっちゃったんでしょうね。
最後の日には「待ってました!…将軍様!」。
…ぶわはははは。
その夫婦が実は隣の部屋で、エレベーターで会ったりするとめちゃくちゃ褒めてくれるんだけど、二人になると「たいして面白くなかったな」とか「今日はまぁまぁだったな」とか…毎日批判にさらされていた、というのにも笑った。
そんなまくらから「三人旅ーびっこ馬ー」
おお。田舎の馬子の本領発揮か(笑)。
江戸っ子が無尽に当たって大騒ぎ。そんなもんで銭もうけやがって!とおやじには怒られるわ友だちにはバカにされるわ。
じゃその金で吉原の大門を閉めちまえ!と言われて「それは…閉まらないかもしれねぇな」。
当たったのが十両というのがおかしい。
じゃその金で旅にでも出ようじゃないかということになり、でも自分たちは旅慣れないから誰か慣れているやつを誘おうと、くまさんも一緒に行くことに。
何日も歩いているうちにくたびれてきてもう歩きたくないという泣き言が出てきて、それなら馬に乗ろうじゃないか、ということになり、旅慣れたくまさんが「あそこに馬子がいるけどこちらから声をかけると足元を見られるから声を掛けられるのを待とう」。
馬子さんに声を掛けられた時の「あーーなんだ?」のわざとらしさと「へたすぎだろう!」がおかしい。
それから馬の上に乗ってあたりの風景を見渡すところ。いいなぁ。ちゃんと風景が浮かんでくる。
余裕が出てきて、あ、そういえば3つ目の馬が見えないぞと言うと馬子さんが「3つ目のはびっこ馬だから」。
びっこ馬に乗ってる男のぎっこんばったんが激しくて、自分で「やけくそでやってるんじゃないのか」と言うのがおかしい。
そしてこの馬が意外と感が強くて…というエピソードになった時、馬が棹立ちになって崖の下に真っ逆さま。
「ちゃんと助けたんだろうな」
「ああ、助けたよー。客だけ」
…ん?客を助けた?んだったら普通じゃねぇ?と思ったら、「助けたよ、馬だけ!!馬!…間違えちゃった」。
ぶわははははは!
間違えも含めておかしかったー。ってそうじゃなきゃさん助ファンなんてやってない(笑)。楽しかった。
左龍師匠「三人旅ーおしくらー」
まくらなしで3人が宿を探すところから。
おおおお!「三人旅」のリレー!ああっ、こういうことをしちゃうからさん喬一門はたまらない。うれしいー。
宿に入って足を洗ってくれる宿屋のねえや。
「ああ…思い出しちまった」と涙。
「うれしいねぇ。田舎の恋人の足に俺の足が似てるのかい?」と聞くと「田舎に残してきた牛に似てるんだ」に笑う。
それから宿のあがって飯が先か風呂が先か、これが聞き取れなくて何度もやりとりをするのがおかしい。江戸っ子だから聞き返したりできなくて「あーーなるほどね」と3人が3人ともかっこつけるおかしさ。
せっかくだからお楽しみを…と頼んだところ、女の子が2人しかいない、と。
それは困るよ、おれたち3人なんだから。そこをなんとかと頼むと、「一人だけ都合できなくはないけど年増だけど…」。
「いいよいいよ色は年増に限るんだから。あ、待て待て。それっていくつ?」
「米寿の祝いが済んだところ」。
その後の兄貴分の嘘にまんまとひっかかった男があくる朝むくれているのもおかしいけど、それでもちゃんとお礼にご祝儀を渡すのも楽しい。
やっぱりこういう「見栄」ってすごい大切だよなぁ。今の日本人にはそういう見栄がなくなっちゃったからぎすぎすしちゃってるのかもしれないなぁ。
楽しかった。
この二人のリレーで「三人旅」見たことあったよなと思ったら、にぎわい座で見ていた。
喬太郎師匠「笑い屋キャリー」
高座にあがるなり「いやぁいまの三人旅のリレー、よかったすねぇ!」「だなぁ。こういうの嬉しいよなぁ。俺たち前座だけどこういうの見られると、ああ、噺家っていいなぁって思うよなぁ」。
いきなり噺に!しかもちゃんと前の落語からの流れで。
浅草演芸ホールで前座を勤める二人。
朝からお客さんが2階席まで入り、前座の時からどっかんどっかん!
なんだこれは?どうしたんだ?とみると、1階の客席の真ん中に外国人の女性。この人がものすごいウケるもんだからそれがまわりに波及しているのだ。
しかし実はこの女性にはある目的があり、この人が客席にいるおかげでお客が徐々に減っていき、落語家はみんな心が折れて壊滅状態に…。
…次々登場する落語家さんの物まねや「いつものネタ」が入ったり、毒気もたっぷりで、もうおかしいおかしい!
普段寄席に行っている人ほど細かいあれこれがツボでたまらないのだ。
いやぁひっくり返って笑った。楽しかった~。最高~。
さん喬師匠「幾代餅」
穏やかで上品な「幾代餅」。
親方が嘘をついたと怒る清三に親方が語って聞かせるシーンにはちょっと涙が出てしまった。優しさ…。
仲入りの前の破壊的な大爆笑を一度しっとり落ち着かせて、今年真打に昇進した弟子に花を持たせるって…素敵だったな。
本の街神保町午後のぶらり寄席
10/19(土)、神保町・ブックカフェ二十世紀で行われた「本の街神保町午後のぶらり寄席」に行ってきた。
・寸志「紀州」
・寸志「七段目」
寸志さん「紀州」
噺に入る前に徳川家の歴史をたっぷり。
わー、すごいーと思ったら、寸志さんは史学科卒業なんだとか。
歴史に疎いのでこういう説明を聞けるのはとってもありがたい。
次の将軍は順番から行っても家柄から行っても尾州候。
本人だけでなく家来たちもウキウキしている、というは初めて聴いたけど、確かにそうだったんだろうな、と思う。
それだけにこの結末は気の毒だ~。
噺が終わってから、紀州候に決まったのは大奥からの後押しがあったから、という説明が聞けたのも面白かった。
後半はお昼とこちらの会場に着いてから飲んだビールが効いて途中目を必死にこじあけることに…。
申し訳なかった。すんません。
わたしの良い子
★★★★
出奔した妹の子ども・朔と暮らすことになった椿。勉強が苦手で内にこもりがちな、決して“育てやすく”はない朔との生活の中で、椿は彼を無意識に他の子どもと比べていることに気づく。それは、大人としてやってもいいことなのだろうか―大人が言う「良い子」って、何?
主人公の椿がいい。
妹が置いて行った子ども・朔は育てやすいタイプの子どもではなくて、子育てについて…また自分のこれからの人生について、あれこれ悩んだり気にしたりもするけれど、芯がぶれないからきっと大きく誤ることはないんだろうな、と思う。
それに比べて妹の鈴菜の危うさといったら…。わからなくはないけどあまりに身勝手だしあまりにめちゃくちゃなんじゃないかい、と思う。
それでもお互いに好きで「こうなった」わけではない部分もあるわけで、朔を間に挟んでお互いに嫉妬したり無力感に襲われたりしながらも、ともに生きていくのだろう。
椿の恋人の屈託なさもいいし、職場の同僚との距離感も素敵だ。
あたたかな気持ちで読了。