りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

中野新橋寄席

10/25(木)八津御嶽神社で行われた中野新橋寄席を見に行ってきた。

・小はぜ「真田小僧
・今松「開帳の雪隠」
~仲入り~
・今松「首ったけ」

小はぜさん「真田小僧
こちらの会ではニツ目3人で前方を回しているらしいんだけど、ここ何回か小はぜさんが連続で出ているらしい。
他の二人が売れっ子なので自分にまわってくることが多いんだけど、この会に出られるのはとても嬉しくて、でもこれだけ続くとお客さんにも「もう小はぜはいいよ」と思われているんじゃないか、その分次回からの出番が減ってしまうのではないかと語る小はぜさん。

…小はぜさん、まくら苦手ね…(笑)。
きっと言いたいことは自分はこの会に出たいからこれからも出してねってことなんだと思うけど、伝わりづらい…特に年を取った人というのは大雑把になるっていうか細かい機微が受け取りづらくなる傾向にあるので、え?なに?出たくないの?って思われてしまうのではないかと心配。
僕はこの会に出るのはとても名誉に思っているのでこれからも出していただけたらうれしいです、でいいのでは。おばちゃん心配になっちゃう。がんばれ。

そんなまくらから「真田小僧」。
小はぜさんの「真田小僧」、おとうさんが金坊を悪く思いすぎな気がするんだなー。
口では悪く言ってもやっぱり自分の子どもがかわいいから半分喜んでだまされてる感じがあってほしい、個人的には。

今松師匠「開帳の雪隠」
今松師匠がさらりとやられた小噺がツボにはまった。
御開帳を見に行って御朱印をおでこにおしてもらおうと仲良し4人組。
中で一人だけ「俺は行かないよ」と固辞する男が。
たった一度押してもらえば極楽に行けるんだよ、ありがてぇじゃねぇか。
他の3人がどんなに勧めても「おれはいやだ」の一点張り。
じゃ押さなくていいから一緒に来いというと、それならいいよと付いていく。
帰りに4人で茶屋に寄ると店のおばあさん「今日は御開帳を見に行かれたんですか」と話しかけてくる。
見に行って御朱印も押してもらった。で、この中で一人だけ押さなかったやつがいるんだけどばあさんわかるかい?と聞くと「ああ、そうですねぇ」と四人の顔をまじまじと見てから「一番端の方じゃないですか」。
「おお、たしかにそうだ。さすが長年見てきた人にはわかるんだな。やっぱりこいつ一人だけご利益がないんだろ?」と聞くとおばあさん。「いえ、端の方がこの中で一番賢そうです」。

いいなぁ。すごい皮肉が効いてて。
今松師匠これを言ったあとに「あ、またこういう場所でこんなこと言っちゃった」と、ペロリと舌を出したのがまたおかしくて。
そういうところ、好きだなと思った。

そんなまくらから「開帳の雪隠」。
こういう姑息な金儲けがいかにも嫌いそうな今松師匠。
だからといって意地悪~くやるわけじゃなく、なんとなくこのおじいさんもおばあさんにかわいげがあるのが面白い。
面白かった。


今松師匠「首ったけ」
おおお。そうめったに聴く話じゃないのに、先週小満ん師匠で聞いたばかりのこの噺を今度は今松師匠で聞ける幸せ。
半ちゃんのぼやきがとてもリアルで共感できる。そうだよねぇ。やってられないよねぇ。そしてここで「やってらんねぇ帰るぞ」って騒ぐと「野暮」って言われちゃうんだよねぇ。わかってるけど言うなら言え!って気持ちになるよね。
そして呼ばれた若い衆の物言いが確かに癪に障るわ。言われていちいちはんちゃんが「おおっ」「なに?」と身体を引くのが面白い。
花魁も結構誠実に引き止めてくれてるんだな。でもはんちゃんのことを軽く見てることは間違いない。
そういうのがなにげないやりとりから伝わってきて、自分がはんちゃんになったような…引き止めてる花魁になったような気持ち。

引き止められても「帰る!」と強く言い張りながら「だったらお帰り」と言われて「なにを?帰れと言ったな!」と怒るはんちゃんのめんどくささ。
それが向かいの店で若い衆にうまいこと言われてその気になってしまうお手軽さ。
こういう人間の弱いところを笑い話として描くから、私は落語が好きなんだなぁ。

サービスしてもらってすっかりいい気になって向かいの店から「やーい」と自慢する男のしょうもなさと可愛らしさよ。

吉原が火事だと聞いて「男の見せどころ」と駆けつけるはんちゃんもおかしいけれど、すっかり色香の抜けきった花魁たちが逃げてくる様子を見ている野次馬もおかしい。

ちょっと意地が悪くて皮肉が効いた噺を2席。今日の今松師匠は少し皮肉が勝っていたかな。
でも楽しかった。