りつこの読書と落語メモ

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圓橘一門会 ~四代目三遊亭小圓朝を偲んで~

4/6(土)、深川東京モダン館で行われた「圓橘一門会 ~四代目三遊亭小圓朝を偲んで~」に行ってきた。

・まん坊「狸札」
・朝橘「うなぎ屋」
・好太郎「ちりとてちん
~仲入り~
・圓橘「三味線栗毛」

まん坊さん「狸札」
この日、自分の師匠・萬橘師匠が来られないということを告知するまん坊さん。
決して具合が悪くなったとかではないのでご安心ください。そのかわり、苦情も受け付けません、に笑った。
まん坊さんの落語、まだ拙いところもあるけれど明るくてテンポがよくて楽しい。好きだな。


朝橘師匠「うなぎ屋」
今日は兄さんから教えてもらった噺をやります、と朝橘師匠。
兄さんには噺もたくさん教えていただきましたけど、噺だけじゃなくいろんなことを教えていただきました。
兄さんは東京生まれの東京育ちで一緒にいると「え?」と驚くようなことをポロっと言われたりするんですよ。
例えば一緒に飲みに行ったとき「おい、七色取ってくれよ」。
え?七色?なに?レインボー?と思ったら七味のことだった。かっこいいじゃないですか。
稽古の後は必ず飲みに連れて行ってくれた。
「うなぎ屋」を教えてくれた時は赤羽のうなぎ屋に飲みに行きました。まだ午後の3時だけど店は満員。カウンターに座って日本酒を飲みながらつまみをあれこれ。うなぎ屋だけど絶対うなぎは頼まないんです。ここのうなぎ屋食えたもんじゃないから、って言って。
満員の客を見回して「平日の3時だぜ。仕事もしないでなにしてんだろうな、こいつら」。
思わず「それは私たちもそうじゃないですか!」と言うと「あ、そうか。しかしなにしてるやつらなんだろう」「俺たちと同じ、噺家じゃないですか」「あ、そうか」。…いえ、そんなわけないです!
そんなまくらから「うなぎ屋」。


実は朝橘師匠の落語は初めて聞いたんだけど、多分あんまり好きなタイプじゃないんだろうなと思っていた。
というのはtwitterでは時々見かけていて(フォローはしてないけどリツィートでまわってくる)、twitterで語りすぎる噺家さんが苦手なのだ。って自分はパーパー語りまくってるくせになんや!って話だけど、でもやっぱり芸人がtwitterで芸を語るのは野暮に感じてしまうんだな。
多分暑苦しい落語なんだろうなと思っていたけど、意外にもそんなこともなく、とても面白かった。
テンポがよくてメリハリがあってたまに入るギャグも落語の邪魔になってなくて楽しい。
おおお、やっぱり先入観を持つのは良くないなぁ。楽しかった~。

 

好太郎師匠「ちりとてちん
圓朝師匠とはとても親しく付き合っていた、という好太郎師匠。
子どもの年齢が近いこともあって家族ぐるみで付き合っていて、毎年のように一緒に海水浴に行ったり旅行に行ったりもしていた。
身体の具合を悪くしてお酒をしばらくやめて復帰して行った独演会での「芝浜」素晴らしかった。
その時に、今度噺を教えてくれよと言われて「俺のでいいの?いいよ。じゃ今度な」と答えたのだが、結局その後教えることはなく亡くなってしまった。
そんなまくらから「ちりとてちん」。

この師匠も初めてみたんだけど、穏やかな語り口がどことなく扇遊師匠に似ていて、とても素敵。
ふわっとしてるんだけど、時々入るクスグリも楽しくて、明るく楽しい落語。
楽しかった~。
大好きな萬橘師匠が師匠と一緒にいるところを見たいという気持ちもあったけど、そのかわりに好太郎師匠を見られたから満足だ。
円楽党はなかなか見られないのでラッキーだったな。

 

圓橘師匠「三味線栗毛」
先ほど、まん坊がやった「狸」も朝橘がやった「うなぎ屋」も小圓朝が教えたものです。聞いているとそこかしこに彼らしさが出ていました。
好太郎がやった「ちりとてちん」は小圓朝に教える約束をしていた噺。
私もいずれ小圓朝に教えようと思っていた…一門の噺をやります。

大名の子どもに生まれても後を告げるのは長男だけで、次男や長女は継げない。財産や待遇など雲泥の差。
大名の次男、酒井角三郎は、父親から疎まれて、下屋敷で家臣同然の暮らしを強いられている。
こういう扱いを受けたら誰でも恨んだりくさったりするものだが、この角三郎、鷹揚な性格をしているのか「まぁこの方が気楽でいいや」と荒れることもなく淡々と暮らしている。
夜は書物を読んで勉強をしているのだが、ある時肩が凝ったので通りかかったあんまを呼び入れた。
このあんまの錦木、物知りで話し上手なので角三郎の良い話し相手になる。
ある時、錦木が角三郎の療治をしながら「あなた様はお殿様のお身内ですか」と尋ねる。
角三郎は「家臣だ」と嘘をつく。
すると錦木は「家臣の方が出世してお殿様になることはありますか」と聞く。
「動乱の世であればそのような出世もあるかもしれないが、今のように太平の世の中では決してそんなことはおこらない」と角三郎が答えると「そうですか。おかしいなぁ。あなた様の骨格は大名の骨格なのですが」と言う。
それを聞いた角三郎は「もし万が一私が大名になるようなことがあれば、そなたを検校に取り立ててやろう」と約束する。
錦木はそれを聞いて喜び、「角三郎様が大名になれますように」とお参りに通う。
しばらくすると錦木は風邪をこじらせ倒れてしまう。
長屋の人たちがみなで世話をしてくれて、ようやく少し病がよくなるが、療治にも出られずお金もなく風呂にも入れずすっかり弱気になった錦木が泣きごとを言うと、長屋の者が「そんなに嘆いちゃいけない。お前さんだっていつ運気が向くかわからない。下屋敷に住んでいた侍は大名の次男だったが父親から疎まれてあんなところに追いやられていた。その父が隠居して継ぐはずだった長男が病死。父親は養子を取ろうとしたが、親戚一同が次男坊がいるのに養子をとるとはけしからんと意見し、角三郎様が跡取りになることになった。こんな風に出世することもあるのだなぁと世間では評判になっている」。
それを聞いた錦木は「角三郎様が大名に…こうしてはいられない」と屋敷を訪ねる。
汚らしい身なりではあったが、角三郎の側近の名前を出すとお目通りを許された錦木。久しぶりに再会した錦木に角三郎は…。

…うおお。これは前に三三師匠で聞いたことがある。
そうなのか、これは圓橘一門では大切な噺だったのか。
これ喬太郎師匠が「錦木検校」というタイトルでやっているのは救いがない噺だけど、「三味線栗毛」の方はそうじゃなくて私はこちらの方が好き。
圓橘師匠の重みのある語りにぴったりで、とてもよかった。じーん…。

 

圓橘師匠の一席が終わると全員が出てきて、ご挨拶。
圓橘師匠は小圓朝師匠に宛てられた手紙を読み…そこに亡くなる直前に小圓朝師匠がやった「芝浜」がとても素晴らしかったとあって、「小圓朝、聞こえてるか」と言って涙ぐまれて、見ているこちらも涙涙。
「私は小圓朝の酒を止めろと言ったことはありませんでした。でも好太郎はこの数年かなりきつくたしなめてくれていて、それでしばらく酒を止めていた時期もあったようです。私も酒好きですけど、あいつも酒好きで…。萬橘も朝橘もまん坊も…多分あいつの酒で迷惑をこうむったこともあったと思います。でも弟子たちは偉くて…一度もそのことを私に言ったことがありませんでした。おそらくそれだけあいつのことを慕っていたのだと思います」。
またこの後に、小圓朝師匠の息子さんを呼んで挨拶をさせて、「芸人ですから最後は三本締めで」と三本締め。
こんな風に弟弟子に慕われて師匠にも悲しまれて…なんだかたまらない気持ちになった。