りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

ローズ・アンダーファイア

 

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

 

★★★★

1944年9月。飛行士のローズは、戦闘機を輸送する途中でドイツ軍に捕まり、ラーフェンスブリュック強制収容所に送られる。飢えや寒さに苦しみながら苛酷な労働に従事するローズ。収容所で出会った仲間と生き延び、窮地を脱するための意外な方策とは―。戦争に翻弄される女性たちの絆と闘い。日記や手紙で構成された、先の見えない展開の果てに待つ圧巻の結末が胸を打つ傑作!

天真爛漫なアメリカ人のパイロットの少女が、戦闘機を輸送する途中でドイツ軍に捕らえられ強制収容所に入れられてしまう。
そこでの日々はまさに地獄。それでも捕らわれているポーランドやロシアの少女たちと友情を結び協力しあい知恵を出しあって生き延びようとする。

こんな地獄のような日々を救うのは想像力とユーモアと反逆心。
ローズの覚えている物語や詩を聞きたがり、彼女の創作する夢物語に群がる少女たちは本当に尊い

収容所の職長という立場にあっても良心を残し残酷に振る舞わなかったアンナにわずかばかりの希望を感じた。

それにしてもしんどい物語だった。
ナチスに関する本は何冊も読んできたけれど読むたびに人間はどこまで残酷になれるのかということを思い知らされるし、またその歴史をなかったことにしよう隠ぺいしようとする力も感じる。こうやって物語として読むことができることに意味があると思う。

 

白酒・甚語楼ふたり会

11/30(金)、お江戸日本橋亭で行われた「白酒・甚語楼ふたり会」に行ってきた。

・ひしもち「狸の札」
・白酒「短命」
・甚語楼「夢金」
~仲入り~
・甚語楼「町内の若い衆」
・白酒「二番煎じ」

ひしもちさん「狸の札」
ふつうにやってふつうに面白い。以前感じていた滑舌の悪さも全く感じない。
いいなぁひしもちさん。ニツ目になったらどんな高座を見せてくれるんだろう。楽しみ。

白酒師匠「短命」
もしかして白酒師匠の「短命」を初めて見たかも。
八五郎の察しの悪さとそれに手を焼くご隠居。ご隠居が何度も説明するんだけどそれがほら、わかるだろ?わかるだろ?と、言い方を大きな声にしたりひそひそ声にしたりしながらも言ってる内容はずっと同じっていうのが、なんともいえずおかしい。そのたびに八五郎が「そうヒソヒソ言われてもねぇ。言ってることさっきと一緒だもん!」とむくれるのもおかしくて、大笑い。
「よし、わかった。布団もつけよう!」とご隠居が「おまんま、手と手が触れる、いい女、布団!」。それでもわからないと「もうおまんまもいらない。いい女、布団!」と言うと八が「布団に入っておまんまを食う?」。「だからおまんまは離れろ!」。

悔やみの口上を「あれはごにょごにょ言って悲しい気持ちが伝わればいいんだ」「内容はなんでもいい」と言って「寿限無」を悔やみっぽく言うばかばかしさ。それを聞いた八が「パイポパイポに無理がありますね」って。ぶわははは。

ひっくり返るほど面白い「短命」だった。楽しい!

甚語楼師匠「夢金」
噺家というのは個人事業主なので会のお知らせや営業活動、ギャラの交渉も自分でやらないといけない。
このギャラの交渉というのがいまだに苦手です、と甚語楼師匠。
相手が慣れてる人ならいいんだけど、初めての落語会、相場もなにもわからないという人だった場合に、最初に「だいたいどれぐらいお出しすればよいんでしょう?」と聞かれてそこで「このぐらい」と言うのが難しい。そもそも相手がこちらをどの程度のものと思っているのかがわからないから。こちらが言ったのが上だったらまだいい。下げて行けばいいので。でももっと上を思っていたとすると、なんか悔しい。特にその後別の噺家がそこの会にでてギャラをいくらもらったなんていうことを聞いてそれが自分の倍ぐらいだったりするとすごく悔しい。
でも「だいたいどれぐらい」と言われた時に高い金額を言いづらい。なぜならこちらも「話すだけだもんなぁ」という負い目がありますから。

…ぶわはははは!
話すだけという負い目があるっていうのが最高におかしい。
甚語楼師匠ってこういう自分の会や二人会の時にまくらで結構ぶっちゃけ話をするんだけど、それがめちゃくちゃ面白いんだよなぁ。ざっけかない人柄が伝わってきてほんとに楽しい。

そんなまくらから「夢金」。
とても丁寧なたっぷりの「夢金」。
親方がいかにも船宿の親方らしくしっかりしていて用心深い。
侍は刀傷の描写もあったけれど、いかにも胡散臭い。
熊は寝言がもにゃもにゃしつつも「百両ーーー百両ほしいぞ…」「二百両ーーー二百両ほしいぞ」とはっきり「ほしい」と言っているのがおかしい。強欲だけどカラっとしていて明るくて軽い。

船を漕ぎだしてから「酒手がもらえると思ったら景色も違って見える」と言って雪が降り積もっている景色を言うところ、情景が目に浮かんで「うおお」っとなった。
侍に「銭儲け」と言われてホイホイ乗るんだけど、「女を殺して」と言われると「思ってたのとちがう!」と叫ぶのが漫画っぽくて楽しい。
それでも聞いてしまったからには殺すしかないと言われると「ええ?じゃ殺せば割り前をもらえて、殺さないと殺されちゃうの?…じゃやりますよ」とこれもまたカラッと気持ちを変えるのもおかしい。

中州に侍が降りてからの展開はとてもスピード感があってスカっとする。
楽しかった。


甚語楼師匠「町内の若い衆」
くまのおかみさん(笑)!すごいよ。
家に帰るくまが「それに引き替えうちのかかぁ…。いつでも畳の真ん中であぐらかいて。意味がわかんねぇのがあの鉢巻だよ。一年中してるんだから」と言うのがおかしい。
家に帰ったくまさんが「きったねぇ家だな、ほんとに」と言いながらおかみさんを見て「お前、俺が家を出てから一歩もそこを動いてねぇだろう!」と畳に積もったほこりを見て言い当てるのがおかしい。

お湯へ行こうとした途中で会ったはんちゃんが「家に行ってかみさんにこう聞いてくれよ」と言われると「行きたくないよ!」と嫌がったり、くまの家に向かいながら「いやだなぁ」と心底嫌がってるのもおかしい。

この会はネタ出しされている噺だけじゃなく、軽い噺の方もめちゃくちゃ面白いからすごく得した気分。


白酒師匠「二番煎じ」
白酒師匠の「二番煎じ」は夜回りが二手に分かれない。そして宗助さんは留守番ですぐにぐーーーって寝ちゃう人。河内屋さんという関西人もいるんだけど、白酒師匠、関西弁うまい。きっと耳がいいんだろうなぁ。
先生の謡に無意味に迫力があるばかばかしさ。
あと「いい男」の半ちゃんの彫り物、今では肌がしわしわで伸ばさないとなんて書いてあるから読めないのがおかしい。
あとは、酒を飲んだり食べたりのところが、とにかくおいしそうで。獅子の肉を食べるところではもう何度も唾を飲みこんでしまった。

様子を見に来た侍が威厳があって厳めしいので、酒を飲んで「よい煎じ薬じゃ」と言うと心底ほっとする。
終わった時にはお腹ぺこぺこ。楽しかった。

正しい女たち

 

正しい女たち

正しい女たち

 

 ★★★

容姿、セックス、離婚、老い…。みんな本当は興味津々なのに、はっきりとは言葉にしないもの。女性の隠し事の正しい姿を描いた物語。 

なかなかイタイ作品が集められている。

女の思う「正しさ」と男の思う「正しさ」は違うわけで、また正しければそれでいいのかというとそれもまた違うわけで…。あなたの…そして私の思う正しさは自分のエゴなのでは?自分を守りたいだけなのでは?
彼女たちのとる極端にも感じられる行動にそんな問いかけも感じつつ…それはやりすぎなのではと思いながらもちょっとスカっとしたのも確か。

この中では毛色の違う「海辺の先生」が一番好きだった。

監禁面接

 

監禁面接

監禁面接

 

 ★★★

重役たちを襲撃、監禁、尋問せよ。どんづまり人生の一発逆転にかける失業者アラン、57歳。企業の人事部長だったアラン、57歳。リストラで職を追われ、失業4年目。再就職のエントリーをくりかえすも年齢がネックとなり、今はアルバイトで糊口をしのいでいた。だが遂に朗報が届いた。一流企業の最終試験に残ったというのだ。だが人材派遣会社の社長じきじきに告げられた最終試験の内容は異様なものだった。―就職先企業の重役会議を襲撃し、重役たちを監禁、尋問せよ。重役たちの危機管理能力と、採用候補者の力量の双方を同時に査定するというのだ。遂にバイトも失ったアランは試験に臨むことを決め、企業人としての経験と、人生どんづまりの仲間たちの協力も得て、就職先企業の徹底調査を開始した。そしてその日がやってきた。テロリストを演じる役者たちと他の就職希望者とともに、アランは重役室を襲撃する!だが、ここまでで物語はまだ3分の1。ぶっとんだアイデア、次々に発生する予想外のイベント。「そのまえ」「そのとき」「そのあと」の三部構成に読者は翻弄される。残酷描写を封印したルメートルが知的たくらみとブラックな世界観で贈るノンストップ再就職サスペンス! 

リストラで職を失い4年目、現在57歳のアラン。
娘二人も巣立ち共働きの妻との関係も今のところ良好だが、家のローンもまだ残っていて改築も途中、なにより男としてのプライドがボロボロでどうにかして再就職をしたいと願っている。

バイト先で直属の上司を殴ってしまったアランはついにバイトもクビになり絶対絶命の大ピンチ。
そんな中、ダメモトで受けた一流企業の最終面接に残ったという通知が届く。
最終面接はテロリストを演じる役者たちと他の就職希望者とともに重役室を襲撃し、その反応を見て、最終的にリストラ対象者を選ぶというえぐい内容。
妻のニコルは最終面接の内容を聞いて不快感をあらわにしてそんな面接を行うような会社は受けないでくれと言うが、アランはどうしてもこの面接に受かって大企業の人事部長の座を勝ち取りたいと思う。

妻に内緒で探偵を雇い就職先の企業の調査を始めるが、家族に嘘を重ね娘の住宅ローンの前金を使い込みそこまでして挑む最終面接は…。

物語はアランが最終面接に挑むまでの「そのまえ」、最終面接まさにその時を描いた「そのとき」、そして面接後の顛末を描いた「そのあと」の三部構成。「そのとき」だけがアランではなく、面接を仕切る警備会社社長のフォンタナの視点から語られる。

「そのまえ」は、アランがどんどん追い詰められて家族にも見放されて孤立していくので、読んでいてしんどくてもうやめようかと思ったけれど「そのとき」「そのあと」は一気読みだった。

「そのとき」を読んで、もしやアランの一発逆転があるのでは?とワクワクしたけど、うーん…。あそこでやめておけばよかったね。というかやっぱりニコルの予感は当たったんだな…。そして最後は欲をかいたせいで一番大切なものを失うのね…うーん。

サスペンスとして割りきって読めばまあまあ楽しめるかな。
それにしてもフランス人も日本人と同じように「会社第一」で「企業戦士」で「会社の言いなり」なんだね…。そこに一番驚いた。

さん助ドッポ

11/26(月)、お江戸両国亭で行われた「さん助ドッポ」に行ってきた。

・さん助 ご挨拶
・さん助 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」第二十四回「戸田の庵」
~仲入り~
・さん助「白銅の女郎買い」
・さん助「火事息子」

さん助師匠 ご挨拶
私、この間初体験をしました、とさん助師匠。
国立演芸場で行われた弟弟子さん若改め小平太の真打昇進披露口上の司会を仰せつかりました。
最初に協会からの電話でそう言われたとき思わず「え?私でいいんですか?」と言ってしまったんですが。
この話が公になるや、まぁいろんな方に心配していただきまして…「大丈夫なのか」「やれるのか」って…。
お披露目ってこう言ったら言葉が悪いんですけど、だいたい池袋で燃え尽きてしまって国立に来たときには燃え殻になってるっていうことが多々ありまして…。
私、その日は結構早い時間に楽屋入りしたんですが、さん若…小平太もうちの師匠ももうぐったり疲れてるんです。
で、私一人がものすごい緊張していまして。
口上に並ぶのはうちの師匠と兄弟子だけでしたけど、それでも場所が国立ですし、もうこんなに緊張したのは久しぶりっていうぐらいの緊張で。
一番最初に「演芸半ばではありますが」って言うとき、なぜかこの口上の時の「演芸」っていうイントネーションが独特で(高いところから低いところへ言う)…その第一声で声が上ずってすごく高い声になってひっくり返っちゃったんですね。
その後も直そうとするんですけどどうしても高くなってひっくり返ってしまって…それは最後までそうでした。

楽屋に帰ったら…その日は燕弥くんが遊びに来てたんですけど…これが私が口上の司会をやるって聞いて見に来てたんですよ…笑うつもりで来てるんですから…ほんとに悪いヤツなんです。
燕弥くんは一門会の時に結構口上の司会をやるらしくて慣れているんですね。
それで「緊張すると声が裏返るだろ?だから、あの司会をやる時にはコツがあるんだよ。物まねをすればいいんだよ」って言うんです。
「だれの?」って聞いたら「雲助師匠の。それも人情噺をするときの。…演芸半ばではございますが(ひくーい声)」。
そうすると声がひっくり返ることはないって。
…なんでそれをやった後に言うんだよ!!

いやでも私はこの経験をしてから、「黄金の大黒」に出てくる金ちゃんの気持ちがほんとによくわかりました。
あの噺でも金ちゃんが口上をやろうとして「承りますれば」が言えずに「うけうけうけうけ」「うけまたがりますれば」ってやりますけど、あれですよ、私もまさに。
まさにリアル「黄金の大黒」でした。
これから「黄金の大黒」をやるときはリアルさが増すのではないかと思います。

…ぶわはははは!
雲助師匠の真似をしたら口上の司会がうまくいく、って最高だな!いいなーそのアドバイス
笑うために来たっていうけど、わざわざ来てくれるなんて燕弥師匠って優しいなぁ。友情を感じる。
そして金ちゃん!やっぱりさん助師匠は金ちゃんにシンパシーを感じてたんだね!
私は「うけまたがり」のところじゃなくて、金ちゃんが「稽古に稽古を重ねて完ぺきなものにして」と言ったところにさん助師匠の心情を感じたけどね。あーーおかしい。


さん助師匠 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」第二十四回「戸田の庵」
前回、戸田の庵に入って尼にごはんをごちそうになった義松とお糸。
尼が二人を見つめて「義松、お糸」と声をかけたところで終わったのだが、この尼の正体は…。
お糸が「おっかさん」と呼び、尼も「お糸…」と。なんとこの尼はお糸の実の母親のおやま。
お糸に向かって「無事でよかった。お前に生きていてほしいと願わない日はなかった」と言うおやまに義松が「おふくろ」と声をかけるとおやまは「どの面を下げてあたしのことをおふくろなんて呼ぶんだ!」。
「お前は育ての親である辰五郎と私を斬り殺し三十両を奪って逃げたんじゃないか」。
それを聞いてお糸が「え?どういうこと?三十両を盗むことは聞いていたけど、おとっつぁんとおっかさんを殺したなんて聞いてない」と驚くと、「そんなことはしてない」とうそぶく義松。
「しらを切るならこれを見るがいい」とおやまが着物をはだけると肩先から胸にかけてものすごい刀傷。
「私と辰五郎は義松に斬られ、辰五郎は死んだが私はどうにか生きながらえ、それからというものこうして仏門に入ってようやくこの庵を持つことができたのだ」。
そう言うおやまに向かって「もとはといえばお前と辰五郎がおれの親を殺したんじゃないか」と言う義松。
何を言っているの?と驚くお糸に向かって「今までお前には言ったことがなかったが」と身の上を話す義松。
おやまもお糸に向かって「私の懺悔を聞いてくれ」と言い、同じ話をするが、自分と辰五郎は山賊をやっていて、通りがかった旅人から金を奪い命を殺めてきた。その中には子供もいた。
親の因果が報いてお前も義松も相当な悪事を働いてきたのだろう。これも因縁だ、と言うおやま。
おやまが義松に向かって「お前のおっかさんは自分の命をなげうってお前を助けたのだ」と言うと義松は「殺されそうになった自分を助けてくれたのが森田屋才兵衛。そこに引き取られて育てられたが自分のことが邪魔になり10歳の時に売られた。売られた先が辰五郎という自分の親を殺したやつらだとは露知らず。
その後も売られたり邪魔にされたりろくな人生じゃない。いっそあの時死んでた方がどんなにましだったかわからない。最初は三十両を奪って逃げるつもりで殺すつもりはなかったが、起きだして声を出すから二人を殺した」と言う。
そして「お上に訴えるなりなんなりしやがれ」と居直るのだが、おやまは「自分のような者がお上に訴えるわけはない。それよりも心を入れ替えてくれ」と言う。
そう言うおやまに向かって持っていた刀で方から胸にかけて斬りつける義松。
「二度も殺されるなんてお前も因果な女だ」と毒づく義松。
お糸は「あたしの目の前でおっかさんを斬るなんて」と言って逃げようとするのだが足腰がたたない。そんなお糸の首を後ろから締めながら「お前とやり直したい。一緒にいてくれ」と甘い言葉をささやく義松だが、お糸はうんとは言わない。
「どうしてもだめなのか」と言うと義松はそのまま首を絞めてお糸を殺し、出立する…。

…ぐわーーーー。おやまだったのか。尼は。
でもおやまも辰五郎も悪かったもんなぁ…。
以前のストーリー
以前のストーリー2


それでもお糸の前で母親を殺し、さらにお糸も殺すとは…。もうどんな殺人マシンだよ、ふんとに。
そして自分は才兵衛にひきとられたが大事にされなかったみたいなことを恨みがましく言うけど、それはお前の性根が腐ってたからだろうが!ムキー。

実はこの首を絞めるシーンはもっと長くて速記によると音曲が入るらしい。
「双蝶々」にも首を絞めるところがあるし、この時代なにか流行ってたんでしょうか…って…知らんがな。
しかし話がようやく発端に戻って来た感がある「西海屋騒動」。いよいよ花五郎と義松で直接対決か?
と思いきや、また次回から義松任侠編が始まるらしい。
義松の任侠ってなんちゃって任侠だよなぁ。全然意味不明なんだよな。
って悪口ばっかりになっちゃった。ひゃー。

さん助師匠「白銅の女郎買い」
「これは今はほとんどやる人がいない噺なんですがそれはこの噺に出てくる風俗が今ではもうわからなくなってしまったから。でも私、好きなんですね、この噺が」。
そんなまくらから「白銅の女郎買い」。

若い連中がわいわい話をしている。その中で「とめちゃんはすごい」という話になる。何がすごいって吉原に通いつめている、と。
言ってるところにとめちゃんが通りかかったので呼び入れて「中に送り込みっぱなしっていうじゃない?」と聞くと「行くも行くも行きっぱなしよ」と誇る。
「どういうわけで?」と聞くと、俺が行かないと女が許してくれないんだと言う。
そんなに惚れられてるのか?と聞くとバカな惚れられようで、行くと約束していたのに行かなかったりすると中で暴れるので店のおばさんからは「約束しておいて来ないのはやめてくれ」と頼まれている、と。
さらにこの間なんか女から「これ電車賃だよ」と帰りに金を持たされた。
それはすごい。中の女といったらこちらから金を取ることしか考えてないのにくれるというのはすごい。しかもあれだろ、電車賃といって白い袋に包んでいるけど、そうは言いながらそれ相応の額が包んであるってやつだ。すごい。いったい幾らだ?
みんなに聞かれてやにさがったとめちゃんの答えを聞いてみんな「そりゃほんとに電車賃だ…」。

次に自慢話をしたのが半ちゃん。
自分は5銭で女郎買いをしたと言う。
5銭でできるわけないという連中に、してなかったらしたなんて言わない。ほんとに5銭で女郎買いをしたからそう言ってるんだと自慢する半ちゃん。
で、その顛末を話すのだが…。

ところどころにさん助師匠が好きそうな言い回し(明治っぽい?)が出てきて大笑い。
5銭5厘しか持ってない半ちゃんがお腹が空いてしょうがなくおでん屋でこんにゃくを食べるところや、店に上がって女に「おまんまを持ってきてくれ」と頼むと「もう遅いしお金もないんだろうから我慢して」と女。
でもどうしてもおまんまを食べないとお腹が空いてどうしようもないというはんちゃんが「おまんま!!」と駄々をこね、それを聞いた若い連中が「いやな女郎買いだな」とつぶやくのがおかしい。
そしてしょうがなく女が隣の部屋からお鉢を持ってやってくる様子の勇ましいのにまた笑う。

「西海屋」とは打って変わってさん助師匠が楽しそうで、見ていてこちらもゲラゲラ笑ってしまう。
それがいきなり終わり、あまりの唐突さに愕然とする客席。
「す、すみません。この後、馬に乗るシーンが出てくるんですが、これがまた聞いてもよくわからない内容なので」と言うけれど、あーた…無理やりでもいいから何かサゲてくれよ!
その後の部分を一生懸命説明するさん助師匠なんだけど、なにせさん助師匠はリアル怪談話下手だから、何言ってるか全然わからないよ~。サゲ作れ~。そうしたら寄席でもかけられるどー。


さん助師匠「火事息子」
ネタ出ししていた「火事息子」。
高いところではからきしダメな番頭の様子が面白い。
一方旦那にちょっと威厳がないかな。
そしておかみさんが旦那と比べるとおばあさんっぽい。年の差夫婦か?(笑)
なんとなくわちゃわちゃした印象だったけど、子どもを思う親の気持ちは伝わってきた。大旦那もほんとは若旦那のことがかわいくて心配でしょうがないんだよね…。

楽しかった。

第369回圓橘の会

11/24(土)、深川東京モダン館で行われた第369回圓橘の会に行ってきた。

・まん坊「雪てん」
・圓橘「盃の殿様」
~仲入り~
・圓橘「磯部のやどり」(岡本綺堂作)


圓橘師匠「盃の殿様」
前方のまん坊さんの「雪てん」を、「あれは私が教えました」と園橘師匠。
私も前座の頃やりましたがその時には次が出てこないことがよくあって、今日もそれを楽しみに聴いていたんですが、無事につとめたようですね。

お殿様も二代目三代目となるとずいぶん気が抜けてくるというまくらから「盃の殿様」。
お殿様になんともいえない品があってそこが園橘師匠らしい。そんなお殿様が「剣術の御稽古を」と言われてあからさまに嫌な顔をして「つむりが痛い」と仮病を使うおかしさ。
そしてそうやっているうちに気鬱になっていくのも、我がままと生真面目さが出ていて面白い。

気晴らしにと歌を聴かされて「うるさい」、噺家を呼ぼうかと言われても「噺家は嫌いじゃ」、それが医者から花魁の錦絵を見せられると思わず目を奪われ、「美しい女子ばかりじゃが、老女がおる」「この子どもは?」と食いついてくるのがおかしい。
でもこれは絵空事だから実物は違うのだろう?と聞くと、実物はもっと美しいと言われ、「まことであるか?」と何度も確認するのもおかしく、それならばと家老の弥十郎を呼びつけて「吉原に行って花魁を買いたい」と単刀直入に言うのがおかしい。
それを撥ねつけられると「だったら冷やかしをしたい」。これもだめだと言われて「お前の顔は見たくない」と拗ねるのも、無理に脅したりしない品の良さが出ている。

300人の家来を引き連れて吉原を目指し、部屋から花魁道中を興味津々で見て、中でも一番美しかった花扇を部屋に呼び入れる。
花扇は殿様を客にすれば小遣いに困らないと思うのだが、厳めしい家来が大勢いていつもの手練手管を出すわけにもいかず…殿様を目で物にする、というのが面白い。
また吉原に行きたい殿様が「裏を返さないわけにはいかない。武士たる者、背中を見せてはいけない」と屁理屈を言うのも楽しい。

参勤交代で国へ帰った殿様が花扇のことが忘れられず盃を交わしたいというので、10日で三百里を走る足軽が江戸と殿様の間をえっほえっほ!と走るというのが、なんともばかばかしくておかしい。
行列を横切ったために捕えられた足軽がその大名に訳を話すと「それは粋だ」と目を輝かすのも楽しい。

楽しかった~。


園橘師匠「磯部のやどり」(岡本綺堂作)
初めて聴く噺。
赤穂浪士の討ち入りから30年ほど経って、若い旗本が集まって話をしている。その中の一人が、中間と二人で磯部へ行った時のことを語る。

妙義神社へ参ろうと歩いていると中間が疝気を起こしてしまう。これ以上歩くのは無理だと思っていると小さなお堂があった。そこで一時休ませてもらおうと訪ねると、そこには子どもが二人留守番をしていて、話をすると湯を持ってきてくれた。品のいい言葉遣いの丁寧な子どもなので、師匠の教えがいいのだろうと思いこの師匠に一目会ってみたいと思う。
そうこうするうちに帰ってきた師匠は年の頃は60代の白髪の老人だが、肩幅や出で立ちを見るとおそらく元は侍なのではないかと見受けられる。
中間の具合も悪く雨も降ってきたので一晩泊めてもらうことにして老人と話をしていると、どうやらもとは江戸にいたらしい。
泉岳寺の様子を尋ねるので、今も栄えていること、赤穂浪士の人気が高く芝居になったりお詣りする人が絶えないことを話す。
そこまで語って、聞いている旗本たちに「この男誰だと思う?」。
男は帰ってきてから叔父を訪ねてこの話をすると「それは大野九郎兵衛だろう。自分がその場にいたら斬り捨てたものを」と悔しがった、と言う。討ち入りに加わらなかった九郎兵衛の不忠義を叔父はいまだに許せないのだ。
しかし自分はそこで九郎兵衛と分かっても斬り捨てたりはしなかっただろう、と言う。
仲間が「なぜだ」と問うと、九郎兵衛は親切な男だったから、と答える。

その後10年ほど経って再び磯部を訪ねると九郎兵衛はすでに亡くなっており若い僧が墓まで案内してくれた。
墓の前で「この和尚は素晴らしい人でした」と僧。
洪水の時は自費で堤防を作り、悪い病が流行った時はよく効く薬を求めてきて村人に配り、子どもに手習いをしてくれた。
決して豪華な墓ではなかったが掃除をしている者がおり、またその僧の「師匠」と言う言い方に覚えがあり、はっとした。

…この若い僧はあの時の子どもの一人なのかな。
細かい説明はなかったけれど、不忠義者とされていた九郎兵衛にもおそらく事情があり、磯部に身をひそめてからもそこで尽くし、今も慕う者が多いことからも彼の人生も間違っていたわけではないのだ、ということが伝わってきた。

絶望図書館: 立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語

 

 ★★★★

気持ちが落ち込んで、どうしようもない。はげましの言葉も心に届かない。そんなときは、絶望図書館を訪れてみよう。そこには世界中からさまざまなジャンルの物語が集めてある。せつない話、とんでもない話、どきりとする話などなど。すべて、絶望した気持ちに寄り添ってくれるものばかり。今の気持ちにぴったりな物語がきっと見つかる。こんな図書館も世の中にひとつくらいはあっていいだろう。 

絶望しているときにこれらの作品を読みたいかどうかは人それぞれだろうと思うが私の場合は絶望している時に本は読めないから、このアンソロジーを楽しく読めたということは今の自分は比較的元気なのだろうと思う。
そして冒頭に書いてある「本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である」という太宰治の言葉に激しくうなづく。

アンソロジーは読んだことのない作者や掘り出し物に出会えるのが嬉しいが、選者の思い入れや感性が垣間見られるのも楽しい。
三田村信行「おとうさんがいっぱい」で始まって、手塚治虫「ハッスルピノコ」で終わるなんて、絶妙の選!嬉しくなる。

筒井康隆「最悪の接触」、アイリッシュ「瞳の奥の殺人」、安部公房「鞄」、李清俊「虫の話」、川端康成「心中」、マンスフィールド「何ごとも前触れなしには起こらない」が面白かった。特に「虫の話」「心中」は衝撃的。2作とも好きな物語ではないけれど、読めてよかった。

つかのまのこと

 

つかのまのこと

つかのまのこと

 

 ★★★

かつての住み家であったのであろう、“この家”を彷徨い続ける“わたし”。その理由がわからないままに時は移り、家には次々と新しい住人たちがやってくる。彼らを見守り続ける“わたし”は、ここで、いったい何を、誰を待っているのか―。俳優・東出昌大をイメージして作品を執筆、さらに写真家・市橋織江がその文学世界を撮影した、“新しい純文学”。

 

 東出くん好きだけど、小説は文章だけで読みたいかな。写真があることで想像を遮断されるような気がする。普段小説を読まない人が東出くん目当てで読むこともあるかもしれないから、試みとしては悪くないとは思うけど。
あくまでも私の場合。

西欧の東

 

西欧の東 (エクス・リブリス)

西欧の東 (エクス・リブリス)

 

 ★★★★

過去と現在、故郷と異国の距離を埋める

過去と現在、故郷と異国の距離、土地と血の持つ意味……〈BBC国際短篇小説賞〉および〈O・ヘンリー賞〉受賞作を含む、ブルガリア出身の新鋭による鮮烈なデビュー短篇集。
マケドニア脳梗塞で倒れた妻を介護する70代の主人公は、結婚前に10代の妻が受け取った恋文を偶然発見する。そこには1905年にオスマン・トルコ打倒を目指して義勇軍に加わった恋人の体験が綴られていた。
「西欧の東」 共産主義体制下のブルガリア、川によってセルビアと隔てられた国境の村に生まれた「ぼく」。対岸の村に住むヴェラへの恋心と、「西側」への憧れを募らせつつ成長する。ある日、姉が結婚を目前に国境警備隊に射殺され、家族の運命は大きく変わる……。
「ユキとの写真」 シカゴの空港で出会った日本人留学生ユキと結婚した語り手は、子供に恵まれず、祖国ブルガリア不妊治療を受けることを決意する。祖父母の家がある北部の村に滞在中、ユキは「本物のジプシー」を見てみたいと口にする。
いずれもブルガリアの歴史や社会情勢を背景とする、長篇小説のようなスケールのある読後感を残す8つの物語。その1篇「ユキとの写真」は、現在映画化が進行中。なお、著者自身が翻訳したブルガリア語版は母国でベストセラーとなった。

 

そういえばブルガリアの作家を読んだことがなかったかもしれない。

政権が不安定で社会体制が変わったり領土が奪われたり国が分断されたり。そんな中で希望を持って生き抜いていくことの難しさを感じる。

読んでいる間ずっと心がざわざわして気持ちが不安定になったのはなぜなんだろう。静かに見えて時々垣間見られる荒々しさや虚無感が正直あまり好みではなく、読むのに時間がかかったが、しばらくたってみると1つ1つの物語に印象的なシーンがあってそれが妙にあとをひく。

 

 

11/19(月)、ミュージックテイトで行われた「林家きく麿独演会」に行ってきた。

・きく麿「お餅」
・きく麿「ベタ刑事」
~仲入り~
・きく麿「殴ったあと」

きく麿師匠「お餅」
地方の仕事に行ってきた時の話。
もう何度もそこで会をやらせてもらっているのでお客さんもすっかり馴染んで、中には楽屋に訪ねてきて「今日は何席やるの?3席?だったらそのうち新作は1席にしてくれよー。おれ、古典が好きなんだよ」などと言ってくるおじさんもいるらしい。
そして落語の後は打ち上げ。住職が気を使ってビールの小さい缶をお客さんに配り、それを持ってみんながきく麿師匠にお酌をする列ができる…。そ、そんなにビール飲めないから、みなさん自分で飲んで…。
打ち上げも2時間ほどで終了し数名だけが残り今度はカラオケ大会。住職が勝手に小林旭を3曲入れてしまい、歌わざるをえない…。
解散になったあとは一人、お世話になっているスナックへ。
そこには常連のおじいさんたちやちょっと気だるいお姉さんがいたんだけど、しばらくするとそのうち一人のおいじいさんが帰るところ。
お姉さんが「おごってくれてありがとね」と言って見送りに出たのだが、いつまでもドアが開いたままでなんだろう?と見てみると、そのおじいさんがお姉さんにキスをねだって唇を突き出してる!
お姉さんは「あのね…ビール二杯でチューはしないから!」ときっぱり。
ようやく諦めておじいさんが帰って行ったのだが、それを見てマスターが「あの人にはすごい特技があるんだよ。凄腕なんだよ」。
「いったいどういう特技?」と聞くと「嫌がらずにおっぱいを触らせてくれるお姉さんを見抜けるんだよ!」。
…いやいやいや、それは触らせてくれたとしても嫌がってないわけじゃないですから!と思ったのだが、しきりに感心しているマスター…。

…ぶわはははは!
きく麿師匠の旅のまくらって最高だな!!
そのお姉さんのことを「紅をさしてるいい女」みたいに言ったのもなんかツボだった。

そして末廣亭12月上席夜の部の初トリについて。
師匠にそのことを報告に行ったら「やったーーー!」と言って師匠が飛び上がって喜んでくれて、ああ、こんなに喜んでくれるんだ…とうれしかったというのが微笑ましい。
10日間休みなしで出るので毎日違う噺をかけたいと話しながら、やはり年末だし、自分も年末やお正月を感じさせるような噺もしたいな、と言いながら…口をくちゃくちゃするしぐさ。
うおおおー「お餅」だー。そうか、これがきく麿師匠における「芝浜」なんだ(笑)!

新作ってウケる時とウケない時の差が激しいから、寄席でかけるのって勇気がいると思うんだけど、特にこの噺は勇気いるだろうなぁ…。なんたって始まりがとても静か…。でもこれがもうたまらなく好き。この静かな始まりが。
きく麿師匠の落語の導入部分、すごく好きなんだ。「珍宝軒」「スナックヒヤシンス」「歯ンデレラ」。
え?なになに?どういうシチュエーションなの?どういうこと?ってわからずに、意味があるようなないような会話に引き込まれる楽しさ。そこがすごく落語らしい。
かみ合ってるようなかみ合ってないような二人の会話で、時々片方のおじいさんのテンションが少し上がって大袈裟な表現をすると、もう片方が冷静に「それ、違いますね」と即座に否定するおかしさ。
そして時折出てくる「ゴローさん」の名前。
なんかよくわからないけどその繰り返しが妙におかしい。
そして名前だけ出てきたゴローさんが登場してから、一気に上がるテンション。
ああっ、いいっ。面白いっ。これ、初トリの末廣亭でかけるのとっても勇気が必要そうだけど、お客さんにドンピシャ!ではまったら気持ちいいだろうなぁ。

きく麿師匠「ベタ刑事」
おおお、久しぶりに聞く「ベタ刑事」。
ベタとは、シュールとは、そしてナンセンスとは、という意味を問う新作。きく麿師匠にしたら珍しく理詰めの噺(笑)。
コワモテだけどお笑いについて褒められるとうれしくて顔がにやけてしまうベタ刑事がかわいい。
ベタだと激怒するベタ刑事が新米刑事に言う脅し文句が大仰だけどばかばかしくて大笑い。楽しかった!

きく麿師匠「殴ったあと」
同期の彩大師匠と旅の仕事に行ったときにできた新作という紹介から「殴ったあと」。
訳あり気な仲居さんが自分の訳あり人生を浪曲でうたうばかばかしさ。またこの浪曲が妙にうまくて、でも決してうますぎず…というこのバランスがたまらなくいい。
それを聞く上司と部下の関係性も絶妙。
わかっていても笑ってしまう。
これを末廣亭のトリで聞くことになるのかしら。楽しみ!

朝の九時落語

11/18(日)、UNA galleryで行われた「朝の九時落語」に行ってきた。


・さん助 立ち話
・さん助「馬のす」
・さん助「黄金の大黒」


さん助師匠 立ち話
とても眠そうなさん助師匠。私も眠い…。なにせ会社に行く時間より早く家を出てますから…ぐぅー。

この間、10人も入ったらいっぱいになりそうな小さなごはん屋さんに入りました、とさん助師匠。
自分が食べてる間に、その前にいたお客さんたちが帰ってしまい、客は自分一人。
おかみさんが「おいしかったですか」と話しかけてきて、「おいしかったです」と答えると「うちは前は〇〇に店があってそこで結構人気店だったんですよ」。
するとカウンターの中にいたご主人が「こいつの話はあてにならねぇから。なんたって100のうち90は嘘っていうやつですから」。
そこから夫婦のかけあい漫才のような昔話が始まって、二人の生い立ちからなれそめ、修業時代…。
もともと私、話の切り上げ時っていうのがわからない方で…切り上げ時がわからずさんざん聞いた挙句、どうも相手の話をぶつっと切ってしまうみたいで…。

そんな話のあとに、日本のドラマは終わる時に3分前ぐらいから「終わりだな」と匂わせて、そこからキャストの紹介みたいのが出てちゃんと終わりのシーンがあって終わりますけど、アメリカのドラマはそうじゃない。突然ばっと終わる。
私が昔見たドラマで主人公がホットコーヒーを頼むシーン「ワンカップオブコーヒー」って言う「ワン」で画面がぱっと真っ暗になっていきなり終わったのがありました。あれには驚きました。
でも慣れてくるとこれもまたいいもんだな…と…。

…ぶわはははは。これは要するにあれか?自分は話の切り上げ方がへたくそだから、いっそアメリカドラマ方式に話の途中でぶつっと切れるように終わらせるようにしようって、そういう話?
結論は謎だったけど、言いたいことはなんとなく伝わってきたよ。わはは。


さん助師匠「馬のす」
釣りのまくらから「馬のす」。
ずいぶん前にさん助師匠の「馬のす」を聞いたことがあって、その時はなんかイマイチだった記憶があるんだけど(失礼!)、今日はよかった。なんか、この噺をさん助師匠が楽しんでいることが伝わってきて。

友だちが馬の尻尾を抜く話をだしに枝豆を食べるしぐさがなんか異様(笑)でおかしい。なんだろ。顔を左から右に動かすんだけど、とうもろこしに食らいついてんのか?!っていう勢い。要するに上手じゃないんだけど、でもそれがもうなんかばかばかしくて笑ってしまう。
また友だちが話を引き延ばすのに「どうでもいいけど隣のばーさんは長生きだね~」と言ったのが絶妙で笑った笑った。あと「広島のまるはどうするんだろうね。巨人が50億で5年契約?」にも笑った。
やっぱりこの噺は、聞いてる方のジリジリに焦点が合うんじゃなく、引き延ばしている方に焦点が合うべきなんだな。(←えらそう。すみません!)
楽しかった。


さん助師匠「黄金の大黒」
おおお、この間の国立で聞いた「黄金の大黒」!今日はフルバージョンで。

家賃をどれぐらい溜めてるか言いあっている時の、後ろの方から「ほいっ」って口をすぼめて手を挙げるの、おかしい~。
あと金ちゃん…。やっぱりおかしいわ、この金ちゃんの必死さ。おまんまがかかってると思って「羽織をおねがいしまーーす」と大声を出すばかばかしさ。二番目に口上を申しつけられて「稽古に稽古を重ねて完璧なものにして」のセリフに「無理だよ」にこの間の口上司会を思い出して笑った笑った。

大家さんの家にあがるとき、今回もポチが登場。ってことはこの間は意趣返しじゃなくてもともとなのか。
ご馳走を前に鯛の競りを始めるところもおかしい。言われた方の男がそのおかしさに気づかずに本気で「じゃぁ35銭!」「36銭!」と刻んでいくのおかしい~。
大好きなサゲも聞けてうれしい~。かわいいなぁ、恵比寿様を迎えに行く大黒様。

希望荘

 

希望荘 (文春文庫 み 17-14)

希望荘 (文春文庫 み 17-14)

 

 ★★★★

今多コンツェルン会長の娘である妻と離婚した杉村三郎は、愛娘とも別れ、仕事も失い、東京都北区に私立探偵事務所を開設する。ある日、亡き父が生前に残した「昔、人を殺した」という告白の真偽を調べてほしいという依頼が舞い込む。依頼人によれば、父親は妻の不倫による離婚後、息子との再会までに30年の空白があったという。はたして本当に人殺しはあったのか――。
表題作の「希望荘」をはじめ計4篇を収録。新たなスタートを切った2011年の3.11前後の杉村三郎を描くシリーズ最新作。
『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』に続く人気シリーズ第4弾。 


シリーズということを知らず第三作目の「ペテロの葬列」だけ読んでいる。

今回は離婚して一人になった杉村が東京に居を構え私立探偵として事務所を立ち上げている。大家さん始めご近所の人たちが優しくてほっとする。

彼の周辺はほのぼのしているけど持ち込まれる事件は陰惨なものもあって、特に「砂男」には胸がしめつけられた。関わってしまったがために自分の一生が台無しになる…それは震災で否応なく命や家族、家を奪われることと同様の不条理。
親でさえ「あれはサイコパス」と言って縁を切るほどの人間。親がそんなだからこんな風になってしまったのだと言う人もいるだろうが、私はそうは思わない。こういう人間は確かにいるのだ。
しかしそんな人間とかかわってしまったために一生十字架を背負って生きて行かなければならなくなるとは…。救いは訪れるのだろうか。

表題作が好きだった。宮部みゆきさんは魅力的なおじいさんを書くのがうまい。

夏丸谷中慕情

11/16(金)、Chi_zu 2号店で行われた「夏丸谷中慕情」に行ってきた。


・夏丸「鰍沢
~仲入り~
・夏丸「置手紙」


夏丸師匠「鰍沢
稀の里の休場について語る夏丸師匠。
こと細かな説明が続くので、なぜここまでこと細かく?と思ったら、要するに稀勢の里は非常に神経が細やかでまじめでプレッシャーを感じやすい、一方白鵬はどんな時でも相手をなめてかかるので力を発揮できる。今日はここの主催者から長いこと「やれ」と言われていた噺「鰍沢」をネタ卸ししないといけない。それに当たっては稀勢の里ではなく白鵬の心情で…客なんかどうせ素人なんだからわかりゃしないさ!の心持でやります、ということを伝えたかったらしい(笑)。

そんなまくらから「鰍沢」。
まくらで、やりたくなかったのに主催者に言われて仕方なく、というのを聞かされていたせいもあるかもしれないけど、なんとなくまだやりづらそうな印象。
でも確かに夏丸師匠の雰囲気、淡々とした語り口に、この噺は合ってるかもしれない。
お熊が苦しがる亭主に「仕方ないよ」と冷たく言い放つところは、なんかこの女の強かさというか諦念のようなものが出ていて、ぞくっとした。


夏丸師匠「置手紙」
初めて聴く噺。いかにも芸協噺っぽい、昭和風味漂う軽くてばかばかしい噺。
新婚家庭の男が新妻「ももちゃん」の写真にキスして、置手紙を読んでのろける姿がばかばかしくておかしい。
途中、歌も入り、「鰍沢」の鬱憤をはらすかのような弾けた高座(笑)。
楽しかった。

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第58回 濱っ子寄席

11/15(木)、関内ホールで行われた「第58回 濱っ子寄席」に行ってきた。
小三治師匠がこの間の銀座ブロッサムの時間切れのことでよっぽど懲りてしまったのか、あるいは持ち時間を勘違いしたのか、「公園の魔術師」を歌いかけたものの時間を気にしてやめて「小言念仏」でおしまい。全部で20分ぐらいかなぁ。残念…。
そして、高座の最中にお客さんが平気でどしどし入ってくるし(体を屈めたりということもほとんどなく)、何度も何度も携帯は鳴るし、大きな声で喋ってる人もいるし、係の人は高座の最中にフラッシュたいて写真撮るし、トイレが我慢できないのか高座の最中に平気で出て行く人もいるしで、なんだかなぁ…。
こういうこともあるさとは思うものの、有休取って行ったのにと思うと、私的には残念な会だった。

・ほたる「真田小僧
・白酒「茗荷宿」
小三治「小言念仏」
~仲入り~
・歌之介「坂本龍馬伝」
・権太楼「文七元結

インヴィジブル

 

インヴィジブル

インヴィジブル

 

 ★★★★

 はじまりは一九六七年のニューヨーク。文学を志す二十歳の青年の人生は、突然の暴力と禁断の愛に翻弄され、思わぬ道のりを辿る。フランスへ、再びアメリカへ、そしてカリブ海の小島へ。章ごとに異なる声で語られる物語は、彼の人生の新たな側面を掘り起こしながら、不可視の領域の存在を読む者に突きつける―。新境地を拓く長篇小説。

面白かった。物語がどういう方向に進んでいくのか、どれが真実でどれが虚構なのか危ぶみながら、またそれを楽しみながら読んだ。

ボルンの人物像がなんともいえず不穏で、彼の背後に匂わされる悪と暴力が不気味だ。

ボルンは本当にアダムが思う通りの人間だったのか。アダムが書いたことは全て本当のことなのか、あるいはフィクションなのか。アダムにこの物語を託された人物はこの物語をどう扱ったのか。そして「インヴィジブル」というタイトルの意味は…。

1つの物語として読んで「面白かったー」と閉じた後に、いろんな「?」が残り、不安な気持ちになってくる。

結局人間は自分が見たものと自分が信じたいものしか信じないし、自分が理解できる範疇でしか物事をとらえることはできないのかもしれない。