りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

屋根裏の仏さま

 

屋根裏の仏さま (新潮クレスト・ブックス)

屋根裏の仏さま (新潮クレスト・ブックス)

 

 ★★★★

100年程前、夫となる人の写真だけを頼りにアメリカに嫁いでいった日本の娘たち。失望とともに結婚生活をはじめ、厳しい労働を強いられながら、子を産み育て、あるいは喪い、懸命に働いて、ようやく築いた平穏な暮らしも、日米開戦とともにすべてが潰え、砂漠のなかの日系人収容所へ―。「わたしたち」という主語を用いて、女たち一人ひとりの小さなエピソードがつぎつぎと語られるうち、その小さなささやきが圧倒的な声となってたちあがる、痛ましくも美しい中篇小説。  

 「写真花嫁」として日本からアメリカに渡った少女たち。
相手の写真と手紙だけを頼りに今より少しでもいい暮らしができると信じて不安と希望に胸をふくらませて。
しかし彼女たちを待っていたのは写真とは似ても似つかぬ男たちだった。
過酷な労働、差別、暴力、出産。逃げ出したくてももう日本には戻れない。夫に逆らってはいけない、不平不満を言ってはいけない、あるもので満足しなければいけない。
心の中にある故郷だけを心の支えに生きる日々。
それでもどうにか「家族」になり、そんな日本人家族が集まった日本人町で、ささやかな幸せをつかみかけたかと思った矢先に戦争が起きる。
「スパイ」の疑いをかけられて彼らは一斉に収容所へ連行される。


ひたすら耐え続けた彼女たちの声が幾つも幾つも重なりうねりになって襲いかかる。
彼らのいなくなったあとの、不在がなにより恐ろしかった。彼らがしたこともしなかったことも、その存在さえも忘れられてなかったことにされる悲しさ。


特定の主人公はなく「わたしたちは〇〇だった。」という文章が輪唱のように次々繰り返されていくことによって一枚の絵のようになって心に迫ってくる。
読んでいる間、とてもしんどかった。

鈴本演芸場2月下席昼の部

2/22(水)、鈴本演芸場2月下席昼の部に行ってきた。


・あおもり「狸鯉」
・時松「子ほめ」
ロケット団 漫才
・一之輔「桃太郎」
・一九「親子酒」
・ストレート松浦 ジャグリング
・文蔵「目薬」
・しん平「時そば
・のだゆき 音楽パフォーマンス
・白酒「茗荷宿」
~仲入り~
・にゃん子・金魚 漫才
・圓太郎「強情灸」
・小満ん「粗忽長屋
・二楽 紙切り
・さん助「按摩の炬燵

時松さん「子ほめ」
八五郎が聞き違えて「ブラジル人?」と言ったのがすごいツボで笑いが止まらなかった。最高。

文蔵師匠「目薬」
もう何度も見てるのにすごくおかしい。
尻を出せと言われたおかみさんが「もう…変な薬買ってきちゃったなぁ」とつぶやくのがすごく色っぽくてかわいらしい。


しん平師匠「時そば
時そばがこんなに面白いって!二番目の男のとほほが爆発的にとほほでおかしい。


白酒師匠「茗荷宿」
よく聞く「寄席」に来るのが一番というまくらで、歌舞伎やなんかをディスるのに「よぉーーーっ」と一瞬やった真似がおかしくておかしくて。
「茗荷宿」の茗荷づくしも何度見ても笑ってしまう。


小満ん師匠「粗忽長屋
粗忽長屋」もなんか違うんだなぁ、小満ん師匠がやると。なんかさらっと素敵なの。ああ…なんというボキャ貧…。


さん助師匠「按摩の炬燵
すごくよかった。さん助師匠のハイテンションエキセントリックも嫌いじゃないけど私はやっぱりこう…ちょっと抑えた時の感じが好きだなぁ。
小僧たちが番頭さんのところに布団を少しだけでいいから増やしてほしいと言いに来るところ。すごく子どもらしくてかわいらしい。(なのに金坊はなんであんなにかわいくな…もごもご…)
それに対する番頭さんが最初は厳しいことを言うんだけど、小僧さんたちがみんなしょんぼりして謝るのを見てかわいそうに思うところも…なんともいえず魅力的。

療治を終えた按摩さんが泊まって行けと言われて二つ返事をするところも、きっと番頭さんのことを信頼しているんだろうな、というのが伝わってくる。

お酒を飲みながら按摩さんがいろんな話をするところ。
見合いをしたら相手が美人じゃなかったというのを言うところが、私はすごく好きだな。目が見えなくたって、美人の方がいいんだ!っていうの。この按摩さんの人間が出ていて面白いなぁって思う。

炬燵になってからの按摩さんの一人語りも、番頭さんの足が一番冷たいって言って、大店の番頭だけど店の者の手前炬燵も使わない番頭さんへの尊敬の気持ちや、按摩だけど自分は好きにやれることの誇りのようなものも匂わせて、好き。
小僧さんたちの寝言も子どもらしくてかわいいし。

すごくよかったー。またこの日のお客さんにも合っていたように感じた。

さん助ドッポ

2/21(火)、お江戸両国亭で行われた「さん助ドッポ」に行って来た。
この日は有休をとって、昼間はさん助師匠トリの鈴本演芸場へ行き、夜はこちらの会とまさにさん助漬け。間の時間はさん助ファンのお友達とお茶をしたりして、幸せな一日だった~。
 
・さん助「雛鍔
・さん助「疝気の虫」
~仲入り~
・さん助「明烏
 
さん助師匠「雛鍔
まずはいつものように立ち話。(座って「まくら」だとビミョーな間が気になるけど、立ち話だとあまりそれが気にならない?)
鈴本トリの初日を終えて「ワタクシは今抜け殻です」とさん助師匠。
…そうでしょうね。ふふふ。
 
今席は小満ん師匠とご一緒させていただいて、楽屋で気さくにいろんな話を聞かせていただいて、夢のよう…。
そこへ、金魚先生が「初日なので写真撮らせてくださいー」とやってきた。金魚先生、twitterによく楽屋の写真をアップしているのだ。
小満ん師匠を撮ろうとする金魚先生に向かって小満ん師匠「せっかくですからさん助さん一緒に写りましょう」と。
こ、こんな2ショットが…とドキドキしながら並んで撮ってもらうと、小満ん師匠が「さん助さん、写真も撮られちゃったから、二人で逃げましょうか」とぽつり。
 
きゃーーーーー。小満ん師匠、素敵すぎるーーー。
私が一緒に逃げたいっ!!ばたり!
 
そんな立ち話から、自分で幕を開けて高座にあがって「雛鍔」。
わーーーー。聞きたかったからすっごくうれしい。さん助師匠の「雛鍔」は真打披露目興行の時以来じゃないかな。
「落ちてるものはむさいのか?この間植木屋が木から落ちておったが、植木屋もむさいのか?」って。ほんと独自のセリフが面白い。
お店から旦那が訪ねてきてから植木屋が女房にあれこれ指示するのもおかしい。寛政時代のふるーい羊羹を二つ切りにする女房が好きだ。
 
帰って来てからの亀ちゃんのセリフのわざとらしさと、それに気が付いた植木屋のこれ見よがしの受け答え。
「なんだこの猿芝居は」という旦那のセリフに大爆笑。
「公家の出の植木屋」のばかばかしさよ。
エキセントリックでハイテンションな「雛鍔」、見られてうれしかった。
 
さん助師匠「疝気の虫」
今やられている「疝気の虫」はほぼ全員が志ん生師匠のやってたかたち。
他の型はないのかなと探していたら古本で見つけたので、それでやってみます、とさん助師匠。
噺自体そんなに聞くことがないのに、さらに他の型で聞けるなんてうれしすぎる。
 
疝気の専門家安藤先生が弟子たちを集めて治療法を発表する。これ、ああだこうだと結局はたんなるダジャレの連発。
それから安藤先生が学会へ行くのだが、そこで英国より疝気の虫の雌を捕まえるようにとのお達し。雌どころか疝気の虫自体お目にかかったことはないからそんな無理難題を押し付けられても…とぶつくさ言いながら帰り道いつものように蕎麦屋へ立ち寄る。安藤先生、お蕎麦が大好物なのだ。
店に入ると男がぐうぐう寝ているのだが目の前にはざるが25枚。こんなに食べたのか?と思いながらちらちら見ていると、男は寝ているのに蕎麦が減っていっている。何事かと見ると、男の口から虫が這い出して蕎麦を食べているのである。
安藤先生はこの虫を研究してみようと思い、虫を助けて家に持ち帰る。
その晩虫が出てきて安藤先生にお礼を言って「実は自分は疝気の虫なのだが、命を助けてもらったお礼に自分の妻を先生にお貸ししますから学会へ連れて行ってください」と言う。
先生は願ったりかなったりと疝気の虫の女房を捕まえる作戦を…。
 
ほんとにまぁばかばかしいというかシュールというかくっだらない!こういう噺、大好き。
またこの疝気の虫が蕎麦のにおいに誘われて体を上がっていくしぐさをしながらさん助師匠が「ほんとにこういうふうにやるかはわかりませんよ(本で読んだだけだから)!」と言ったり「明日も鈴本のトリやらせてもらえるかな」と言ったのがおかしかった~。
 
さん助師匠「明烏
「さん助さんが明烏って…ねぇ?(やだわー)」と語り合うさん助ファン。
もともと「明烏」って何が面白いのかわからない上に、さん助師匠の「明烏」ってなんかこう生々しいっていうか…あんまりこう…(←ひどい言いよう)。
 
さすがのさん助師匠でも「明烏の別の形っていうのは見つけられなかったのか(!)、源兵衛と太助の名前が違っていたのと、「明烏というタイトルの謂れになるエピソードがあった以外は、そんなに違ってはいなかった。
そして恐れていたような生々しさはなくてほっとした。
ってひどい感想だな、おい。

鈴本演芸場2月下席昼の部

2/21(火)、鈴本演芸場2月下席昼の部に行ってきた。


・小多け「子ほめ」
・時松「強情灸」
・ストレート松浦 ジャグリング
・文蔵「手紙無筆」
・一九「時そば
ロケット団 漫才
・菊之丞「長短」
・しん平「初天神
・のだゆき 音楽パフォーマンス
・一之輔「天災」
~仲入り~
・にゃん子・金魚 漫才
・圓太郎「親子酒」
・小満ん「宮戸川(上)」
・二楽 紙切り
・さん助「妾馬」


時松さん「強情灸」
学校寄席に行った時。子どもは素直に笑ってくれてるのに先生(ギャル風味)はまったく笑わない。意地でも笑わない。じーっとにらみつけている。でも最後の方になってようやく口の端がきゅっと上がった。よっしゃー笑わせたー。という小さな達成感。
「みなさんこれからもまた落語を聞きたいですか」と聞くと子どもたちは元気に「はーい」「ききたいでーす」。
調子に乗って「先生はどうですか」とふってみると「…まじ意味わかんねぇ」。

…ぶわははは。時松さんのまくら楽しいわー。

そんなまくらから「強情灸」。
ほんとに顔が真っ赤になって、見ていて熱い!


文蔵師匠「手紙無筆」
まくらでお客さんに向かって「俺、先に帰るかんね」とぼそっと言ったのがすごいツボで大笑い。前は苦手だった文蔵師匠、今はすごく好きになってきた。不思議。
文蔵師匠の「手紙無筆」は前にも聞いたことがあったけど、表情が豊かで遊びがいっぱいあって、いままでにないくらいの楽しさ。なんだったんだろ、あれは。
偉そうにしてる兄貴と文蔵師匠が重なり合ってなんともいえないおかしさだった。笑った笑った。


一九師匠「時そば
最初の客がいちいち「そばやー」と呼びかけるのがなんか変で妙におかしい。
リズムがよくて気持ちいい。


菊之丞師匠「長短」
長さんが上方の人版の「長短」。
短さんの威勢のいいのがすごくいいアクセントになっていて、聞いていて楽しい。
菊之丞師匠、「町内の若い衆」「親子酒」「強情灸」以外も寄席でかけるようになったんだね。嬉しい!


しん平師匠「初天神
大好きなんだよな、この師匠。なかなか当たることがなくてたいてい浅草で漫談なんだけど、この漫談がひっくり返るぐらい面白い。
この日もお客さんがほぼ満員でベタな雰囲気だったから漫談だろうなと思っていたらなんと「初天神」。これがまたハイテンションですっごく楽しい。
親父が子どもみたいでおかしいし、息子が「〇〇ですよ」とちょっと説明調で言うのがなんともいえずおかしくて笑ってしまう。楽しかった!


小満ん師匠「宮戸川(上)」
もしかして今ほとんどの人がやってる「宮戸川」のこれが原型?
変わったところはないのに他の人のやられているのとは全然違う。なにが違うって…なんだろう。すごくさらっとしていて、ちょっとかっこよくて、でもくだらなくて。
おじさんがおばあさんの寝姿を見ながら「ばばあ」呼ばわりするのもなんともいえずかっこいいんだよー。なんでだー。
素敵だった。


さん助師匠「妾馬」
まくらなしで噺に入って、いいぞいいぞと思うワタクシ。苦手なまくらを無理にふることはないのよ!(←勝手に「苦手」と言い捨てる)いやべつにまくらが面白くないというわけじゃないんだけど、言った後に変な間を作るから微妙な空気になるし、その微妙な空気を受けてなんかテンション下がってる感じがあるし、だったらやらないでもいいのではないか、と。そう思うわけであります。

この間「さん助ドッポ」で聞いた「妾馬」とはずいぶん変化していた。
あの時はとにかくアンチ人情。人情味ゼロの「妾馬」だったんだけど、この時の「妾馬」には人情味も何割かプラスされていて、それがすごくよかった。
八五郎が大家さんのところに行って支度金をいくら欲しいか言えと言われて「女郎にしたらいくらで売れるか」と計算したりするところは変わらないのだが、屋敷に行っておと会うシーン。お殿様におと話をさせてくれと頼んで、お鶴が「兄さん」と声をかけると、「もうそれで十分だ」と八五郎。なんかぐっときてしまった。

そうだよなー。やっぱりこの噺は兄が妹を想う気持ちが伝わってこないとこの噺の良さが失なわれてしまうんだよな。

昼席のトリの初日。いったいどうなるんだと心配していたけれど、さん助師匠らしい「妾馬」、とてもよかった。

大江戸悪人物語2017-18 episode1

2/20(月)、日本橋社会教育会館で行われた「大江戸悪人物語2017-18 episode1」に行ってきた。

・茶光「時うどん」
・松之丞「慶安太平記ー生い立ち〜紀州公出会い」
〜仲入り〜
・龍玉「真景累ヶ淵ー宗悦殺し」

茶光さん「時うどん」
この会が悪人をテーマにしてますから、私も前座ですが数えるほどのレパートリーの中から悪人の噺を。
そう言って「時うどん」。
兄貴分から一文かすめたやり方を聞いた弟分が「お前…悪人やなぁ!」と溜めて言ったのには笑った。たいした前座さん。

松之丞さん「慶安太平記ー生い立ち~紀州公出会い」
寄席以外で松之丞さんを見るの久し振り。私が見てない間に売れっ子になっちゃって!
久し振りに見て、あれ?太った?(私も人のことは言えないけど)
「私…みなさんお気づきだと思いますけど、太りまして…今91キロあります」。
会場がざわつくと「やめてください。そのさざ波のような反応」。
家にある体重計が体重だけでなく体脂肪や筋肉量やいろんなものを計れるらしいのだが、それで体年齢を見たら53歳だった。もういいおっさんやん。
講談師として考えたら円熟味が増す頃。でもそれが芸はまだそんなでもなく体が円熟しきっちゃったって…。
しかもそんなところにananの取材が。
ホームページのシャープな頃の写真を見てオファーしてきたに違いない。
でも日にちもないし取り繕うすべもなく取材場所に出掛けていくと、いかにも業界人ぽい人たちがあれ?で、デブが来たぞと。明らかにデブだぞと。そんな反応。
で、これはもう私服もダサいし洋服は無理!と思われたらしく、さっさと着物に着替えさせられ、黒紋付きとか光当てたり角度変えたりして、どうにかこうにか。あとは多分修正入るでしょう。顔の辺りはこうしゅっと削ったり、腰回りもこう余分な肉をしゅっと削って。
本人そのものじゃない写真を楽しみに見てください。

…ぶわははは。相変わらずまくらがキレキレだなぁ。ほんとに面白いんだよなぁ。それでハードルをがっと下げておいて、講談に入るんだよなぁ。すごいわ。

そんなまくらから「慶安太平記ー生い立ち~紀州公出会い」。
まずは発端ということで由井正雪の誕生秘話から幼少期の話。
正雪は武芸だけにとどまらず、学問、書、絵画と習い事全てにおいても完璧で見聞を広げようと西方へ旅に出る。旅の途中でたまたまでくわした紀州公の目に留まり城へ置いてもらうようになるのだが、徳川のお目付け役である安藤に、本性(悪性)を見抜かれ城を出される…。

ここぞというところは息もつかせぬ勢いでたたーん!と語りこんできてとても迫力がある。でもずっとそれではなくて、時々ギャグを入れてふっと力を抜かせるなど、自由自在。
成金とかはなんかもう大変そうだから行く気になれないけど、こういう会で定期的に松之丞さんを見られるのはいいかもしれない。

龍玉師匠「真景累ヶ淵ー宗悦殺し」
真景累ヶ淵ー宗悦殺し」は馬治師匠で一度見たことがあって、続きが聞きたい!と思っていたので、この会に通えば最後まで聞くことができるというのはありがたい。
龍玉師匠の方は声を張ったりせず、淡々とした語り口なんだけど、その分凄みがあって恐い。
宗悦も一癖ありそうだし、深見新左衛門も身勝手な奴がなまじ中途半端な権力を持つとこうなってしまうんだな、という嫌な感じがありありと。
前に聞いたときは殺された宗悦の死骸を樽にいれて運ぶところまで?だったが、今回はその続きも。
夫が宗悦を殺したことを知っている妻は床に臥せてしまい、息子も呆れ果てて家を出てしまう。お手伝いとして家に入ってきたお熊が新左衛門に言い寄りいい仲になる。
ある日新左衛門が妻の療治にと按摩を呼ぶのだが、この療治を受けた妻はますます具合が悪くなる。
次の日に通りかかったのが別の按摩で、新左衛門が肩を揉ませてみると刺されるように痛い。何事かと振り返ってみるとこの按摩が1年前に殺した宗悦。化けて出たかと斬りかかるとそれは宗悦ではなく妻。
乱心した新左衛門は隣の屋敷に暴れ込み、そのまま殺されてしまう。
 
…あーひどいひどい(笑)。こういう噺をことさら落語で聴きたいとは思わないんだけど、まあそれはそれ。一度乗りかかった船だから(ら?)頑張って通って最後まで聞きたいもの。

カンランシャ

 

カンランシャ

カンランシャ

 

★★★

 夫婦でいるとか、恋人でいるとかって、本当はどういうことなんだろうな。不動産会社に勤める瀬尾隆一は、大学時代からの先輩・蛭間直樹の妻・いずみのことが気になっている。いずみから直樹が浮気をしているのではないか、と相談を受けたのがきっかけだった。自身の妻・信子とは2年前から別居中で、すでに愛情は枯れてしまっている。次第に距離を縮めてゆく二人だが、失うには大きいものが多く、なかなか踏み込めない。そんな関係が煮詰まってきたある日、直樹が病院に運ばれた―。

読み終わった直後は「なんじゃこりゃー」と激昂して、読書メーターの方にも「登場人物四人とも好きになれないけど、特に直樹と愛がもうなんの魅力もないというか不快感しか感じさせない人物で、まぁとにかく勝手にやってという感想しか持てない。」なんて書いていたんだけど。(実はもっとひどいことを書いていたんだけど次の日見直して直した)

でもちょっとしてから、これはこれでありかもしれない、と思い直した。
登場人物に魅力がなくても彼らの「不倫」が安っぽく感じられたとしても、ある種の真実は描かれていると思う。
恋愛に引っ張られる時の勢いとか愚かさとか、そういうものがとてもリアルに描かれていると思った。

「私たちは汚くて綺麗だ」は名言だな。

気がついたらいつも本ばかり読んでいた

 

気がついたらいつも本ばかり読んでいた

気がついたらいつも本ばかり読んでいた

 

 著者の20冊以上にのぼるスクラップブックから精選した、各紙誌掲載の書評原稿やエッセイに加え、映画、音楽、演芸、旅、食、書店についてのコラム、イラスト、写真によるお愉しみ満載のヴァラエティブック。

★★★
 
本について書かれた本が大好きなので読んでみたんだけど、微妙に好きの方向が違っていて心にひっかかるものがあまりなかった。…すんません。

笑福亭たま 深川独演会

2/17(金)、深川江戸資料館で行われた「笑福亭たま 深川独演会」に行ってきた。
アンケートに答えるとたまさんから定期的にメールや封書でお知らせが届く。メールに返信すれば予約できるので「お、そうか。この日なら行ける」と気軽に予約。こういうことって結構大事だよなぁ、と思ったり。


・あまぐ鯉「新聞記事」
・市楽「持参金」
・たま「人形買い」
・たま「鰍沢
~仲入り~
・兼好「粗忽の使者」
・たま ショート落語
・たま「警備員」

市楽さん「持参金」
ちょっと反感を買いやすい噺を明るくからっと。
女に会った時に男が「なんだ。聞いてたほど悪くないじゃないか。いや、おれ好きだよ、お前みたいな女。」と言ったのが好印象。これがあるとないとで後味がね。でも酷いなら酷いでそれも落語らしくていいけどね。

たまさん「人形買い」
四代目春団治襲名についてあれこれ。
おかしかったのは、こぶ平正蔵になった時、たまさんは「え?なんで?こぶ平で有名なんだからそのままでええやん。正蔵って…地味!」と思ったと。
なんかいかにもたまさんらしいなぁ。たまさんって、ほんとに風流とかそういうの「おもろないやん」って思っていて、「粋な落語」っていうのもほんまはおもろないけどそう言ったらかっこええと思って言ってるだけやろ?っていう。
いやいやいやそれだけじゃないんだよ。ゲラゲラ笑う爆笑じゃない、面白くないけど面白いとか、そういうの、べつに通ぶりたいとかそういうんじゃなくあるんだよーと反論したくなるけど、でもそういうけろっとしたところ嫌いじゃないんだよな。

あと面白かったのは、東京はおじいさんの落語家がたくさんおるから代演も困らないけど、大阪は春団治師匠が休むことになると同じぐらいのおじいさんがおらんから困る、っていう話も面白かった。
いろいろはっきり言うからちょっとドキドキするけど、けろっとしているから聞いていてひたすら楽しい。たまさん、いいなー。

そんなまくらから「人形買い」。
上方では3人ぐらいしかやってないと言ってたけど、私は何回か聴いてる。東京の方がやる人が多いのかも。
なんかたまさんの落語って上下もあんまり振らないし、声色もあんまり変えないから、二人の男がわちゃわちゃ言ってるとどっちがどっちなのかわからなくなるんだけど、それがまたなんかうるさくておかしい。
人形買って戻ってくるとき、小僧の定吉がおしゃべりで店の若旦那の女好きをべらべらしゃべるのがおかしい。それに喜んで金を払う男も。
長屋に帰ってきてからは、占い師、講釈師、祓いたまえ屋の三人の独特の口上があって、それも聞かせどころ、なのかな。
面白かった。

たまさん「鰍沢
ここまでですでに1時間を経過していたので、ここから「鰍沢」?と驚いたのだけれど、たまさんによれば「私の鰍沢は短いです。12分ぐらい。今の噺と同じようなテンションで聴いてもらえれば。」
そんな前置きがあっての「鰍沢」。

いやもうこれが。わはははは。
お熊がどう見ても、大阪のおばちゃん。旅人も大阪のおじちゃん。
ストーリーは確かに「鰍沢」なんだけど、毒消しを飲んだ旅人がお金を取り戻しに家に戻りお熊に追いかけられ、毒消しを飲もうと手を伸ばす亭主の薬をばーんと蹴っちゃったり、ただただばかばかしい。
なのにお熊が火縄銃を撃とうと構えるところは結構きれいだったりして。
こんな「鰍沢」もあるんですね…という「鰍沢」だった。「鰍沢」に思い入れの強い人だったら怒るかも?でも別物だからこれはこれでよいよね。

兼好師匠「粗忽の使者」
出てくるなり「もういいでしょ。お腹いっぱいでしょ。揚げ物たっぷり食べた後にまたステーキかよ!って感じでしょ」と兼好師匠。
たまさんの「鰍沢」について、「圓朝に祟られますよ」と一言言ったのもおかしかった。
たまさんのCDジャケットを「顔が白すぎて菊人形みたい」だの、たまさんのまわりにはいつも人が大勢いるけど友達じゃなくてみんな面白がって遠巻きに見てる人たちだの、言いたい放題。
そんなまくらから「粗忽の使者」。これが軽くて楽しい!たまさんと二人会とかゲストに出たりとかされてるらしいけど、確かにこの組み合わせはいいかも!たまさんがこてこてだから兼好師匠の軽さがちょうどいい感じで。
粗忽者の家来が粗忽だけど侍らしくてそこも楽しかった。笑ったー。

たまさん「警備員」
前に出た兼好師匠がたまさんの着物について「派手な着物の時はウケたいとき、黒紋付きの時はモテたいとき」と言ったのを「全然ハズレてます」。
誰かの会のゲストで出る時はたいてい派手な着物を着ていくんだけどそれは黒紋付きなんか着て行って「三三師匠みたいな落語をやるのかしら」とあらぬ期待をされないため。ド派手な着物を着て「あ、この人は白鳥師匠よりの人や」と最初から覚悟してもらうため、と。
確かにたまさんハンサムだからその危険性はあるよね。わははは。

ショート落語のあと「警備員」。
事故ゼロをうたっている警備会社だけど実態はそうではなく、かなりダーク。
新米警備員が先輩に「これは警察に言った方がええんちゃいますか」と言うのだが、「今の社長にはよくしてもらってるんだからそんなこと言わんでええ」「警察が来て会社がつぶれたらどうするんや」と先輩。
基本的にはダジャレの連発でくだらないんだけど、なんかばかばかしい繰り返しに笑ってしまう。

2時間半、たっぷり笑って楽しかったー。

キャッツ・アイ

 

キャッツ・アイ

キャッツ・アイ

  • 作者: マーガレットアトウッド,Margaret Atwood,松田雅子,松田寿一,柴田千秋
  • 出版社/メーカー: 開文社出版
  • 発売日: 2016/12
  • メディア: 単行本
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 ★★★★★

主人公の女画家イレインが回顧展を開催するためにふるさとトロントに戻るところから、回顧展が終了しヴァンクーバーへ帰るまでの期間が作品の設定である。アトウッドは幼少時代をケベック州北部で過ごしたが、その時の体験は彼女のどの作品にも色濃く反映されており本作も同様である。少女時代に恐怖のいじめを受け、自分が無価値で無意味な存在と思い込まされたトラウマを絵画に表現することでサバイバルをはかり、憎しみの呪縛から自分自身を救い出していく画家半生の物語。完成までに四半世紀を要したという本作はアトウッドの自伝的要素が強いと考えられている。追憶によって現在と過去が共存するようになり、読後に読者の胸に深い余韻を残す。

画家として成功したイレインの半生が語られる。
少女時代をトロントで過ごしたイレインはそこでいじめに遭い、その傷が大人になった今も疼く。
いじめの首謀者であったコーデリアとは高校生になってからも関係は続き、ある時から立場が逆転する。

子ども時代の閉塞感や、自分が有利に立った時に沸き上がる残酷さなどがリアルでぞくっとくるが、イレインの少女時代は決して陰鬱なだけではない。
幼少期の想い出は風景や遊びなどを軸に色鮮やかに描かれてとても美しい。

また彼女はそのトラウマを絵画に表現することで昇華させていく。
一方コーデリアの方は学校をドロップアウトし一時は女優として花開くように見えたが、精神病院に入り落ちぶれていく。

思い出すことすら禁じていた場所を訪れたイレインが達する境地が胸を打つが、この後も人生は続いていくことが暗示され、ここが終着点ではないということを示唆している。

自伝的要素もきっとあるのではないかと思える、静かだけど凄みのある物語だった。

マーガレット・アトウッドはやっぱりすごい。

柳家はん治独演会 ひとりはん治

2/15(水)、道楽亭で行われた「柳家はん治独演会 ひとりはん治」に行ってきた。

・小はだ「転失気」
・はん治「子ほめ」
・はん治「妻の旅行」
~仲入り~
・はん治「粗忽長屋

道楽亭で行われるはん治師匠の初めての会。大好きなはん治師匠を道楽亭で見られる幸せったら!
せっかくの小さい会だからいつもと違う噺を聞いてみたいと願っていたけれど、お客さんが大勢だったせいか、「子ほめ」以外は結局「いつもの」だった。
はん治師匠の「子ほめ」は小三治師匠の会で一回だけ聞いたことがあるんだけど、実はニツ目の頃はしょっちゅうやっていたらしく「子ほめの小はぜ」と呼ばれていたとご本人がまくらで。
「弟子の小はぜは私と違ってとても勉強熱心でいろんな噺を覚えているようです」とおっしゃっていたけど、ほんと小はぜさん頑張ってますよ~。

あと「妻の旅行」のまくらで話してらしたおかみさんとのエピソードが最高におかしかった。
昨年亡くなったおかみさんはほんとにいいおかみさんでした。すごく尽くしてくれた。でもすごく強かった。
妻はずっと働いていたんですが、ある時「あたしたち、妻と夫をやめて親分と子分にならない?」と言い出した。
何かと思ったらその月の収入が多かった方が「親分」で少ない方が「子分」。
そんな親分子分のエピソードがおかしくておかしくて。
もっとそういうまくらを普段の寄席でもやればいいのになぁー。

打ち上げも25名参加という大人数。
師匠とちょこっとだけど話せて幸せ。
でも寄席でいつもやっている噺を「聞いたことがないから聞きたいんですー」と師匠に向かって言ってる女子がいて思わず握りこぶし。
それはもう寄席でいやというほどやってるんじゃごらぁ。少なくとも寄席ではん治師匠の高座を10回以上見てからリクエストしろや、ごらぁ。(←何様)
悪いけど私は「妻の旅行」14回、「鯛」7回、「粗忽長屋」9回、「唐獅子牡丹」6回聞いてるんだよ!(←数えた)
せっかくの小さい会なんだからめったにやらない古典を聞きたいじゃないか。
そういう気持ちで来たファンがほとんどだったと思うんだけどな。

そういう意味で、池袋演芸場で吉窓師匠、菊丸師匠とやってた三人会は毎回ネタ卸しで貴重だった。
師匠に「もうやらないんですか」と聞いたけど、やらないみたいだった…しくしく。

とぶうぶう言いつつも、帰りに酔っぱらって師匠と写真まで撮ってもらって楽しかった。
きっと次回も行く。
…と思う。
 

赤坂倶楽部 小はぜの一本釣り

2/14(火)、赤坂会館で行われた「赤坂倶楽部 小はぜの一本釣り」に行ってきた。

市若「道灌」
小はぜ「日和違い」
小はぜ「真田小僧
~仲入り~
小はぜ「たらちね」


市若さん「道灌」
ちょっと不思議な「道灌」。
隠居もはっつぁんもにこにこしていてお互いにすごく優しい。
そして時々半テンポぐらい遅れて返事をする。それが妙におかしい。
なんか自分なりの色を出してきたのかな。
それはそれで面白いけど、自分でもその半テンポ遅れて返事をすると明らかにリズムを崩していて、大丈夫か?とちょっと心配に。


小はぜさん「日和違い」
こんなお寒い中わざわざお運びいただいてありがとうございます、と小はぜさん。
今日はバレンタインですけど、みなさんバレンタインはお済でしょうか、僕はまだ終わってません、に大笑い。

昔、楽屋入りするとき、師匠のおかみさんから「お前なんか入ったら大変だよ、バレンタインは。チョコの山で」と言われて、自分でも「そうなのかなー。もらえるのかなー」なんて思っていたけど、前座時代もらったことなんかないです。

…わははは。
確かに楽屋にわざわざチョコを持っていく人というのはそんなにはいないのかも?ましてや前座さんには渡しづらいよなー。
バレンタインの日にあった落語会が小さな会でお見送りしてもらったり打ち上げがあったりしたら用意して行って渡したりすることもあると思うんだけど、寄席や大きなホールの会だと難しいよなぁ。
私も前座時代から小はぜさんのことは大好きだったけど、チョコを渡そうと考えたことはなかったもんな。なんかむしろ迷惑になりそうで。
でもなんかそんなことを言う小はぜさんがかわいい。

今日は雨は降ってないですけど、私は自分でもわかってるんですけどすごい雨男です。
人生の節目とか何か大切な出来事があるときは決まって雨です。小さい頃からそうなんです。
師匠のお宅に親と伺った時も、小三治師匠のところに師匠と一緒に入門をお願いしに行った時も、ニツ目の披露目の初日は全部の寄席で雨でした。
初日は着物やお席亭やスタッフの方に配る菓子折りなど大荷物でそれに傘をさして持っていくのはすごく大変でした。

…ネガティヴなことを言っているのになんか全然嫌な感じがなくて思わず吹き出してしまう。
そう言いながらもなんかふわっと肩の力が抜けてるっていうか恨みがましい感じが一切ないからかな。

それから今度は易者の小噺。聞いたことがない小噺で思わず「なになに?」と引き込まれる。そしてこの小噺からどんな噺にいくのかまるで分らなくてわくわく!
難易度の高い小噺をしたあとに「これは…やらないほうがよかったですね」にも笑った。

そんなまくらからお天気を気にする男が友だちの家に「今日はこれから雨が降るかな」と聞きに行くところから。
あーこれなんだっけ。なんか夢丸師匠で聴いたことがあったような…。おお「日和違い」。小はぜさんたらまた渋い!そして最初の雨男の話も「日和違い」につながっていたんだ!

荷物を持って行かないといけないんだけど怪しい空模様。折り畳み傘を持ってないから降らないなら持っていきたくないけど、どう思う?
聞かれた男がわからないと答えると、だったらどういう人がわかるかな。
漁師なら天気次第で海に出たり出なかったりするから詳しいんじゃないかとか、いろいろ出るんだけど、だったら町内の易者のところで聞いてみれば、と。

易者のところに聞きに行くと「雨は降らない。天気じゃない。」という見立て。
それを信用して傘を持たずに出かけていくと大雨に降られて、米屋の前で雨宿りをしていると米屋の主が出てきて…。

後で小はぜさんが、今ではこれは寄席ではめったにかからない噺で、なんでかっていうと面白くないからだ、と。
でも二ツ目のお披露目の時からやっていて、そうすると師匠方がネタ帳を見て「お!珍しいのやってるね、あんちゃん。」と話しかけてくる。
「昔は寄席でもよくかかってたんだけどね。」とか「俺もニツ目の頃はやってたけどいつの間にかやらなくなっちゃった」とか「なんでこんなつまらない噺やるの?」とか話しかけてもらえて、こういうちょっと変わった噺をやって「ゲテモノ小はぜ」なんて言われるようになったらいいなと思って、と。

…すてき!
小満ん師匠とか蝠丸師匠とか小助六師匠とかさん助師匠とか夢丸師匠とか、人がやらない珍しい噺を持ってる噺家さんが大好き。
やられなくなったのにはやられなくなった理由があるんですって珍品の会の時に蝠丸師匠がおっしゃってたけど、でも楽しいよねぇ。寄席に行ってそういう噺に当たると「今日は来てよかった」って思えるし、しかもそれが珍しいだけじゃなく独自の味わいが出てきたらそれこそほんとに宝物。
ああ、やっぱり小はぜさんってそういう志があるんだなぁ。
前座時代はそんなことはまったく見ていてわからないので、こうして二ツ目になってそういうことが分かってすごく嬉しくなったのだった。


小はぜさん「真田小僧
小児は白き糸のごとしのまくらで始まった「真田小僧」。
おおお、小はぜさんが「真田小僧」ってちょっと意外。
でも一席目とがらりと雰囲気が変わるし、みんなが知ってる噺というのもナイスチョイス。

小はぜさんの金坊は憎らしいことを言うけどなんかけろっとしていてかわいい。いやらしさがなくて、頭がくるくる回転してるって感じ。
うまいこと話をつないでお金をもって逃げちゃっても、憎々しさがない。
「あいつは悪知恵が働くから末はろくなもんにならねぇ」っていう父親と「あの子は頭がいいから将来が楽しみだよ」っていう母親。

きっと小はぜさんは通しでやるんじゃないかなと思っていたらやっぱりそうだった。
もうーそういうところがたまらなくいいわー。やっぱり通しでやるよね「真田小僧」!
と勝手に喜ぶ私であった。


小はぜさん「たらちね」
着物を着換えて登場の小はぜさん。「持ってるぞというところをみていただこうと思って」というのに笑う。
黒門付きなどは仕立てたのだけれど、今着ている着物は古着を買いました。
近所に古道具屋があることがわかって行ってみたんだけど、女性物は需要があるけど男性物は需要がないということで数が少ない。
でもその店には男物が置いてあって着てみるとこれが自分の体型にぴったり。
小はぜさん、細身だけど腕が長くて普段は合う着物がなかなかない。仕立てるときも「こういう体型だと難しい」と言われたほど。
それがぴったりだったので気に入って購入。

その次に行ってみるとまた自分の体型にあった着物が。
そのうち「いいのが入ってますよ」と電話が来るように。
こうなるとどういう人が売ってるんだろう時になって聞いてみるとどうやら着物会社?の人が売ってるらしい。

それを聞いてちょっと黒い考えがむくむくと。
この道具屋を介さずに直接その売ってる人のところに行けばもっと安く手に入ったり?
いやもしかするとただでくれるかも?
あるいはそこに娘がいて縁談になったり?

いろんな妄想を語る小はぜさんがおかしい。
そしてそんなまくらから「たらちね」。

おお、前座時代からやっていた「たらちね」だね!
前半がたっぷりだったから多分時間が厳しくなったね。
なんて思いながら聞いていたんだけど、前座時代の「たらちね」とは違うんだな。前座の時はあえて色はつけずにやっていた感があったけど、なんか色があるっていうかおかしさがじわじわとあって。
そして最近は次の朝おつけの実にネギを買うところまでやる人が多くなってきてるけど、小はぜさんはさらにそのおつけを夫婦で食べるところまで。
「たらちね」の通しだ!

3席たっぷりでまくらも新鮮で楽しかったー。
次回は4/11(火)とのこと。また絶対行こう。

ちとしゃん亭 柳家甚語楼独演会

2/13(月)、高円寺ちんとんしゃんで行われた「ちとしゃん亭 柳家甚語楼独演会」に行ってきた。
寄席で見て、もっと見てみたいなぁと思っていた甚語楼師匠の会にようやく来られた!


・ほたる「鈴が森」
・甚語楼「うどん屋」
~仲入り~
・甚語楼「幾代餅」


甚語楼師匠「うどん屋」
屋形船で落語をやった時の話。
「屋形船でもんじゃを食べながら落語を聞く」という趣向だったんだけど、狭い船内にテーブルと鉄板焼きが並びお客さんも60名ほど入ってぎゅうぎゅう。
どう見ても高座なんか作れそうにない。
どうするのかと思ったらクーラーボックスを高座にするからそこでやれと。
クーラーボックス、幅はまあ足りてるんだけど、奥行きがない。座布団置いたら手をつく場所さえないんだけどそれはそれ。柳家にはそういう場合のやり方というのがある。
でも、マイクを置く場所がない。普段なら60名ぐらいの箱であればマイクなしでいけちゃうんだけど、なにせ鉄板でもんじゃを焼いててうるさいので、マイクなしでは厳しい。
結局世話人の人がマイクを持って差し出す、という形で落語をやった。
あれはほんとに窮屈でしたが、今日も…どっこいどっこいですね。

そんなまくらから「うどん屋」。
酔っ払いがほんとに酔っ払いらしくて笑ってしまう。
なんだかんだと突っかかるくせに、謝られると困惑したり、「謝られると俺が酔って絡んでるみたいじゃない」というのがおかしい。そうだよなぁ、酔っぱらいってそうなんだよなぁ。
またこの酔っ払いが何か言われて「…えっ?!」って驚く間が絶妙ですごく面白い。

寒い中一生懸命商売をしているうどん屋との対比がいいなぁ。
そして風邪をひいてるひとが食べるうどんのおいしそうなこと。
お腹もすいていたので、何度かごくんと唾を飲みこんだ。


甚語楼師匠「幾代餅」
甚語楼師匠の「幾代餅」は鈴本でトリをとられたときに一度見たことがある。
この噺、そんなに好きじゃないんだけど、これを現代っぽくやられるともう鳥肌ぞわぞわ~なんだけど、甚語楼師匠のはどこまでも「落語」なので全然そんなことない。
あの〇〇師匠の「すいません!!嘘つきました!!でも…でも…好きだから…どうしても会いたくて…」とかいうやつはもうほんとに「ぎゃーーーー」と叫んで出ていきたいくらい無理。落語は芝居じゃないんだから、って思う。

この「落語」と「落語じゃない」の違いってどこなんだろうと時々考えていて私はずぶの素人だから全然わからないんだけど、一つはリズムかなと思っている。リズムを無視して「でも…でも…どうしても会いたくて…」とかやられると、なんかもうすごく恥ずかしいものを見ている感じになってしまう。あくまでも私の場合は、なんだけど。
甚語楼師匠の落語ってこのリズムが抜群によくて、それが私にはすごくかっこよく感じられるのかもしれない。

絶対笑わないでと言われてげらげら笑ったおかみさんが、絶対言わないでくださいよと言われたのになんのためらいもなく親方に話して、それを聞いて親方が笑いながら入ってくるところ、好きだなー。

小さい店で憧れの師匠の落語を間近で見られる幸せを堪能。楽しかった!

末廣亭2月中席昼の部~夜の部

2/11(土)、末廣亭2月中席昼の部~夜の部(途中まで)に行ってきた。


昼の部
・桜子「秋色桜」
・鯉八「ぼくの兄さん」
・八重子プラスワン マジック
・小夢「看板の一」
・可龍「桃太郎」
D51 コント
・遊之介「粗忽の釘
・陽子「椿姫」
・章司 江戸売り声
・右左喜「猫と金魚」
・圓丸「悋気の独楽
チャーリーカンパニー コント
・蝠丸「町内の若い衆」
~仲入り~
・小助六「八問答」
・扇鶴 粋曲
・歌春 漫談
助六「相撲場風景」
・今丸 紙切り
・可楽「景清」

夜の部
・こう若「子ほめ」
・伸三「寿限無
・真理 いつもの
・世楽「尿瓶」
・柳太郎 「?」(息子が万引きで捕まる噺)
・京丸・京太 漫才
・夢花「そば清」
・歌助「替り目」
・うめ吉 俗曲
・談幸「茶の湯


鯉八さん「ぼくの兄さん」
わーい、鯉八さん。
「ぼくの兄さん」って古典の「浮世根」みたいな噺で、お客さんに合せていかようにでも変えられるっていうか、新作でこういう世界を繰り広げられる鯉八さんってすごいと思う。
この日のお客さんは初めて寄席に来たという感じの人が多かったんだけど、まくらでざわざわしていた客席がぐっとひきつけられていったのがわかってぞくぞく。
さらに前の方にいた、口を出さずにいられないおじいさんを面白くいじったのにもびっくり。寄席に出てるからこういう力も身に付くんだなぁ。すごい。

可龍師匠「桃太郎」
ちょっと微妙な雰囲気になった客席をぐっと引き寄せてほっとさせたのはさすが。
「桃太郎」がこんなに面白いってすごい。
金坊が「ありえなくねぇ?」とか言うのもこの日の客席にはぴったりはまって、面白かった。


陽子先生「椿姫」
陽子先生は初めてだったんだけど面白かった~。
すごく表情が豊かで生き生きしていて素敵。「椿姫」も講談になるなんてという驚き。楽しかった!

右左喜師匠「猫と金魚」
小噺がくどい。そしてなんでそういう人にかぎって「おわかりでないお客さんがいらっしゃる」を連発するんだろう。

 

蝠丸師匠「町内の若い衆」
この日南なん師匠が出ている池袋ではなく末廣亭に来たのは今年になってまだ見られてない蝠丸師匠がどうしても見たかったから。
ゆったりしたまくらにあざとさがまったくないのにめちゃくちゃ面白い「町内の若い衆」。好きだー。


助六師匠「八問答」
楽しい!寄席で見る小助六師匠ってほんとに余裕で楽しそうでたまらない。
珍しい噺をしてくれるのも素敵。


可楽師匠「景清」
本当に目が見えなくなってしまった可楽師匠が「景清」をやるという凄さ…。可楽師匠の「景清」は何回か見ているけど軽くやっても鬼気迫るものがある。ひねくれ者で口の悪い定次郎と可楽師匠が重なって見えた。

伸三さん「寿限無
わーい、伸三さん。
言い立てだけでほんとに面白い「寿限無」だったんだけど、時間が短いのでは?と思っていたらなんと「寿限無」の続編入り。
寿限無が結婚した相手が外人なんだけどまたすごく名前が複雑で、さらに二人の間に子どもが生まれてお互いに思い入れのある長い名前をつけようとするという…。
見たいと思いながらなかなか見られてない伸三さんを見られて満足。


世楽師匠「尿瓶」
とても面白かった。侍が威厳があって、それだけにだまされて尿瓶を買って帰って悦に入るところのおかしさ。
尿瓶と聞いてわからなくて「尿瓶と申す者の作品か」と言う侍に、道具屋の主人が「あっ」と思って悪だくみをする瞬間の表情が絶妙だった。

柳太郎師匠「?」(息子が万引きで捕まる噺)
面白かった!
息子が万引きしたと聞いて呼び出された母親。
警察だけは呼ばないでくれと頼むのだがすでに呼んでいると店長に言われる。
ところがやってきた警察官が息子の父親
ばかばかしくて楽しい新作だった。


夢花師匠「そば清」
楽しい。最初の仕込みが丁寧だったので、最後のシーンの説得力があってそれもよかったなぁ。


談幸師匠「茶の湯
ご隠居が実に楽しそうにふざけていて見ている方も笑いが止まらない。
ご隠居と定吉が口々に「風流だなぁ」というのがかわいい。
ところで「茶の湯」って私は好きな噺でわかりやすいと思うんだけど、初めて聴く人にはちょっとわかりづらいのかな。

連雀亭 日替わり夜席

2/10(金)、連雀亭 日替わり夜席に行ってきた。
この日行ったのは、twitterで代演に小はぜさんの名前があったから。毎日演者をtweetしてくださってる「たまごの会」こーほー支援ついったーさんには感謝しかないなぁ。


・けい木「天狗裁き
・貞寿「出世の春駒」
・小はぜ「牛ほめ」
・鯉丸「長屋の花見


けい木さん「天狗裁き
おお、けい木さん初めて見たかも。まだ見たことがない噺家さんがいるんだわー。
師匠宅で師匠のVHSの整理をしているというけい木さん。
できるだけ捨てさせたいおかみさんとできるだけ捨てずにとっておきたい師匠の間に入って大変そうだけど、面白いなー。
最近師匠の仕事のおともで地方の会に出ることが多くて、地方の時はテッパンのまくらとテッパンの噺をやるので、こういう会は久しぶりで調子がつかめない、などと言いながら「天狗裁き」。

勢いがあって面白い。「天狗裁き」といえばさん喬師匠のイメージが強いんだけど、けい木さん独自のカラーが出ていてよかった。
途中、お奉行様とかに物まねが入ってたけど誰の真似をしてるのかよくわからなかった(笑)。

貞寿さん「出世の春駒」
前から見てみたいと思っていた貞寿さんを見られてうれしい。
ああやっぱり思っていた通りさばさばっとしたチャーミングな女性。
真打披露目の準備中ということで師匠とあいさつ回りに行ったりチラシを作ったりいろいろ準備が大変そう。
そのお披露目用のチラシが「盛りすぎ」と仲間からは言われてるらしく、そのいきさつなど。
いやでも全然詐欺じゃないよ。変わらないよ実物と全然。

まくらが長くなりすぎて時間がほとんど残ってないと言いながら「出世の春駒」。
普段はかわいらしい声だけど講談に入るとしっかりするんだ。お披露目も行ってみたくなったぞ。


小はぜさん「牛ほめ」
前座時代は毎日寄席に入っていたし、終わりの方はたて前座になって自分である程度は采配もできたからやりたい噺をやったりもできていたけれど、二ツ目になったらそういう場がなくなってしまった。
自分で会をやったりしないといけないけどそうなると日にちを決めないといけなくてそれも結構大変。
そういう点でもこの連雀亭というのはほんとにありがたい。
自分で会をやろうとなると前座さんを頼まなきゃいけないわけでそうなると仲良くしてる人とか頼みやすい人とか自分よりは落語が下手な人とか(笑)そういう人に頼むことが多くなる。
今月連雀亭の代演に何回か入っているんだけど、そんな風に先輩から頼まれると、自分も先輩にそう思われているのかなと思ってうれしい。

そんなまくらから「牛ほめ」。
おお、小はぜさんの「牛ほめ」は初めてだ。「子ほめ」は何回か聴いてるんだな。
よたろうがワンテンポ遅れててそこがなんか独自で面白い。
家に行って「わーー立派な家だなぁ。こんな家に住みてぇなぁ」ってつぶやくのも、よたろうの善意が感じられていいなぁ。

明らかに節穴を探しているんだけど、そらぞらしく「あれ?この節穴はなんだ?」と言うと「おめぇこれを探してただろ」というおじさん。
おねえちゃんと会えると聞いて牛の褒め言葉を言うの、誰のかたちなんだろう。あんまり聞かない形だけど、面白い。

二人のウィリング

 

二人のウィリング (ちくま文庫)

二人のウィリング (ちくま文庫)

 

 ★★★★

ある夜、自宅近くのたばこ屋でウィリングが見かけた男は、「私はベイジル・ウィリング博士だ」と名乗ると、タクシーで走り去った。驚いたウィリングは男の後を追ってパーティー開催中の家に乗り込むが、その目の前で殺人事件が…。被害者は死に際に「鳴く鳥がいなかった」という謎の言葉を残していた。発端の意外性と謎解きの興味、サスペンス横溢の本格ミステリ。  

 古典ミステリー独特のシンプルで静かな雰囲気を堪能。

自分の名前を名乗る男を見かけて気になって追跡したところから事件に巻き込まれるウィリング博士。潜入したパーティーで知人の女性とばったり会ったり、その男に事情を聞こうとしたところで…という導入部分でなんだなんだ?と物語に引き込まれる。

犯人はなんとなく予想がついたが真相には驚いた。1951年に書かれたというのにまったく古びてないというのはすごい。そして陰惨なのにどこか牧歌的なのも魅力。