りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

白酒ひとり壺中の天 火焔太鼓に夢見酒

★★★★★

のん気の達人、白酒は甲子園を目指す野球少年だった!何かの運命なのか、早稲田大学ではたまたま落研に入り、学生時代を気ままに過ごしすぎた結果、除籍。しかし師匠雲助と出会い、落語家になった。四十五歳の節目に初めての書籍にその半生を綴る。鹿児島での幼少期、いまの白酒を作る音楽や映画との出会い、さらに今や古今亭の大きな看板となった桃月庵白酒が「古今亭の愉しみ方 この師匠のこの噺」と題してめいっぱいのネタ論を披露!

白酒師匠も大好きな噺家の一人なのだが、とにかく私はこの人の師匠の雲助師匠が大好きなので、師弟のエピソードが読みたくてワクワクと読んだ。

入門してからの話が抜群に面白い。
マイペースで面倒見の良くなさそうな雲助師匠が、初めての弟子に戸惑いながらも、出来るだけのことはしてやろうと教えてきたことがわかるし、また白酒師匠がそれをきちんと受け止めて身に付けてきたこともわかる。

私は雲助師匠が手放しで自分の弟子たちのことを手放しで褒めるところが大好きなのだけれど、そのことについても書いてあって、じーん…と感動した。

口上では、「まだまだダメです」って言う師匠もいるでしょうけど、うちの師匠の場合は「やっとここまで育ってくれました。自慢の弟子です」って力強く言うわけですよ。
弟弟子の馬石に、「うちの師匠があんなこと言うと思わなかったなあ。こっぱずかしいこと言うねえ」って言ったら、「たぶん馬生師匠がそうだったんじゃないですか」と分析してた。
(中略)
師匠雲助は、生粋の江戸っ子で商人のお坊ちゃんですから、心根はシャイな風流人です。人前で弟子を褒めたり、そういうわざとらしいのを一番嫌う師匠です。だから弟子のためにそこまで思い切ってやってくれている、その心遣いが嬉しかった。深謝です。

また雲助師匠の大ファンだったために、二つ目時代は雲助のマネのような芸風で、それを志ん朝師匠や落語協会の事務員の人にたしなめられたというエピソードにも驚いた。
そんなことをずばっと言ってくれる人がいて、またその言葉を素直に受け入れて変えていこうとするというのは、本当に素晴らしいことだ。

そういう状態の中、二ツ目勉強会で、志ん朝師匠に目から鱗の落ちる大きな教えを頂きました。
「本当に面白いと思ってやってる?面白さがお客様に伝わるような努力をしないとカネは稼げないし、カネを稼げないんだったらプロでやる必要はないんじゃないか。」
(中略)
つまり、若い私が、師匠雲助のようにやろうとしていることに警鐘を鳴らしてくださったのです。

ある酒席で、落語協会の事務員の方から「まあよくあるんですけどね、前座時代はよかったけど、二ツ目に上がって普通の人になっちゃったみたいなパターンですわな」って酔っぱらって、面と向かって言われたんです。
(中略)
「いや、いいんです、いいんです、寄席にさえ出られれば」みたいに答えていたんですが、「出られませんよ。雲助が死なないと」とか、ズバっと来るんです。

ふてぶてしくて人を食ってるように見える白酒師匠だけれど、自分の価値観や美学にこだわりながらも、周りの人たちの言葉も聞き入れて考えてやってきたからこそ、今の姿があるのだなあ。
面白いには面白いのわけがある。結果を出している人はそれだけの努力をしている、ということがよくわかった。