りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

第139回江戸川落語会

12/8(日)、江戸川区総合文化センターで行われた「第139回江戸川落語会」に行ってきた。

・まめ菊「一目上がり」
・三之助「堀之内」
・志ん輔「二番煎じ」
~仲入り~
小三治「馬の田楽」

小三治師匠「馬の田楽」
今月80歳になること、お誕生日のその日に本が出ることなど。
「買わなくていいですよ」「私もまだ出来上がりを見てない」と言いながら、岩波書店から出ることがなんだか嬉しそうな小三治師匠。

それから戦争になって一家の中で一人だけ疎開させられた話。
焼け野原になった東京に帰ってきて両親が家の敷地じゃないところを畑にしていて…そこはかつてはお隣さんの敷地だったんだけど一家は疎開していてその間誰かが入ってこないように畑にしてくださいと頼まれていたこと…。
何回か聞いているけど、毎回光景が目に浮かんでくる。

そんなまくらから「馬の田楽」。
のんびりゆったり…時間の流れ方が全然違う。
暑い中、馬と一緒に山を登ってきてくたびれ果てた馬方が、涼しい土間に座って一瞬ふわっと意識を失ったらもう時計の針が一回り。
さんざん呼んでも出てこなかった主がようやく顔を出すけど、「今大根の種まいてただ」とさらにのんびり。
馬がいなくなったことがわかっても「はばかりでも行ってるんじゃねぇか?」って、のんきだなぁ。

馬方は馬のことが心配でかわいそうで申し訳なくて一生懸命なんだけど、道で出会う人たちはみんなのんきでのんびりしていて全然かみ合わない。
ただそれだけの話なんだけど、なんかいいんだよなぁ、小三治師匠の「馬の田楽」。
耳の遠いおばあさん、明日釣りに行こうと思ってるおじさん、妙にどもる男、そして昼間っから酔っぱらってる茂重どん。

馬、見つかるといいなぁ…。とこちらものんびり思いながら会場をあとにした。

ブッチャーズ・クロッシング

 

ブッチャーズ・クロッシング

ブッチャーズ・クロッシング

 

 ★★★★★

ストーナー』で世界中に静かな熱狂を巻き起こした著者が描く、十九世紀後半アメリカ西部の大自然バッファロー狩りに挑んだ四人の男は、峻厳な冬山に帰路を閉ざされる。彼らを待つのは生か、死か。
人間への透徹した眼差しと精妙な描写が肺腑を衝く、巻措く能わざる傑作長篇小説。

裕福な司祭の息子として育ちハーバード大学に在学していたアンドリュースは、エマソンの講演を聞いて彼の自然観にあこがれを抱き、自然をもっと知りたいとボストンからブッチャーズ・クロッシングにやってくる。
アンドリュースがミラーという一匹狼の猟師に誘われて、総勢4人でバッファロー狩の旅に出る。

自分のあこがれていた「自然」と実際に体験する「自然」のすさまじさに徐々に正気を失っていく4人の男たち。

普段は冷静なミラーがバッファローの大群に遭遇して、とりつかれたように殺戮を繰り返すところは、金や欲だけではない人間の本能があらわれているようでぞっとした。
一緒に旅をした他の3人とも極限状態をともに過ごしたというのに距離を縮めることもなく分かりあうことなく、それぞれが損なわれていく。
それを淡々とした筆致で丁寧に描いていくジョン・ウィリアムズという人はいったいどんな人だったんだろうか、と思う。

人間の無力さに絶望を感じるがそれでも人生は続いていく。

ストーナー」とは全く違う物語だったが流れる空気は静かで重い。素晴らしかった。

鈴本演芸場12月上席夜の部

12/5(木)、鈴本演芸場12月上席夜の部へ行ってきた。
 
・さん喬「天狗裁き
・文菊「やかんなめ」
~仲入り~
・小猫 動物物まね
・馬石「野ざらし
・アサダ二世 マジック
・雲助「夜鷹そば屋」
 
さん喬師匠「天狗裁き
ショートバージョンだけど、最初から最後まで完璧に面白い。何度も見ているけど毎回笑ってしまう。
リズムがいいから音楽を聴いてるようにノッてきて上がる感じ。すごいなー。
 
文菊師匠「やかんなめ」
めちゃくちゃ面白かった。
女中がほんとに女らしくてかわいいから、それが侍に向かって「おつむりをなめさせてください」と言うおかしさ。
侍が大きな声で「あいわかった。みなまで言うな」とあれこれ勝手に察して言ってただけに、自分の禿げ頭がやかんにそっくりだからなめさせてくれと言われて「無礼な!」と怒り出すとドキッとするんだけど、それを見て伴の者が笑い出すところでほっとする。
頭の差し出し方もなんともいえずおかしかった。
 
小猫先生 動物物まね
物まねはもちろんだけどトークが面白くて最高。すごい工夫されてるなぁ、といつも思う。大好きだ。
 
馬石師匠「野ざらし
とっても独自な「野ざらし」でとっても面白かった。
はっつぁんに問い詰められた先生はあっさり女が来たことを認め、肩を叩いたり脚をさすらせたりはせずに「それよりも一緒に飲みましょう」と酒を飲んだ、「楽しかったから今晩も来てほしいと思って酒を用意して待ってる」「これからわしは釣りはやらん。イロの道に行く」 ときっぱり言うのがおかしい。
先生から借りた釣り竿がとても上等だったから、釣りをしている人たちが注目して見ていると、釣り糸の垂らし方もわからなくてはっつぁんが妙なしぐさをするのもすごくおかしい。
見ている人もとても親切だったり、はっつぁんもわりと礼儀正しいのも、馬石師匠らしくて楽しい。
そして「さいさい節」がすごく上手くて素敵!歌ってるうちにどんどんテンションが上がってくるのも楽しい。
 
いやーさすが馬石師匠だなぁ。「野ざらしって大好きなんだけどほんとに難しい噺だなぁと他の噺家さんで見ると感じるんだけど、とても面白かったし客席もすごいウケてた。
 
雲助師匠 「夜鷹そば屋」
何年かぶりにようやく聴けた。
おしゃべりなおかみさんと人のいい亭主の会話がいい。子どもはいないけどその分夫婦が二人で長年仲良く語らってきたことが伺える。
そばを食べに来た男がすごくいい男なんだろうなぁというのが目に浮かぶ。静かな諦念が漂っている。
そういう男を警戒することなく何か手を貸してやりたいと夫婦の想いが一致するところに、この夫婦の仲の良さが見えて好きだ。
 
家まで運んでもらって差し向かいで酒を飲みながら、亭主が「ちゃん、と呼んでほしい」と言い出してからの流れに、じーん…。
小言を言わせてほしいというあたりからもう涙が…。
こんな情のある言葉をかけられたら、それまで誰にも甘えることができなかった男が思わず…となるのも納得がいくし、そう言われて手放しで喜ぶ夫婦の善良さに心洗われる想い。
雲助師匠の優しさとか父性がじんわりとにじみ出ていて、素敵な 「夜鷹そば屋」だった。
よかったー。

池袋演芸場12月上席夜の部

12/4(水)、池袋演芸場12月上席夜の部へ行ってきた。
 
・ストレート松浦 ジャグリング
・はん治「粗忽長屋
小満ん「干物箱」
~仲入り~
・さん助「十徳」
・扇遊「たらちめ」
・正楽 紙切り
・さん喬「抜け雀」
 
さん助師匠「十徳」
隠居が着てた服をかたびらのねんねこって言って恥かいちゃった」と言うはっつぁんに「そりゃ悪いことをしたな」とご隠居。
「あれは十徳っていうんだ」と隠居に言われて「どういうわけで?」とはっつぁん。
「訳は知らない」
「いや、そうじゃなくて。どういうわけで十徳って言うんです?」
「いや、知らない」
「だめですよ、ご隠居がそんなこと言っちゃ。訳を教えてくださいよ。お願いします。訳を教えてください」
「ええ?じゃ、しょうがないな。こじつけだよ…」
説明されても全くピンとこないはっつぁんがしばらく黙った後に「訳を教えてください!」と3回言うのがばかばかしいし、ご隠居も「三回言うのは恥ずかしいんだよ」にも笑ってしまう。
二人の会話がノリノリで、ご隠居さんもはっつぁんもなんともいえず楽しそうで、やってるさん助師匠も楽しそうで、聞いてるこちらもにこにこしてしまう。
 
床屋に戻ってからのオウム返しは案の定…という結果なんだけど、相手をしてやる友だちが妙に物を知っていたり、「十徳がなんでそういうようになったか知りたいだろ?」と聞かれて「いや、知りたくない」ときっぱり言うのもおかしくて、くだらない噺だけどやけに笑えたのがおかしかった。
 
扇遊師匠「たらちめ」
聞き飽きた「たらちめ」なのに笑ってしまう。
扇遊師匠がほんとに楽しそうで弾むようで聞いていてうきうきしてくる。
サゲも最近変えている扇遊師匠。楽しかった。
 
正楽師匠 紙切り
この間浅草で切った時、お題を言ったのと違う人が取ってちゃったんですよ、という話をしていたら、前半部分だけ聞いてそういうことしてもいいのかと勘違いしちゃったのか?注文したんじゃない人が後ろから出てきて取ってしまった。
あら!と思っていたら正楽師匠、注文された方に向かって「トリまで聞いて帰るでしょ?聞いてくよね、もちろん?」と話しかけ、「楽屋で切るから帰る時受付に言って」。
自分が頼んだわけじゃないのに(もしかすると同じお題を注文されていて、自分の注文で切ってくれた、と思ってたのかもしれないけど)思わず取りに来ちゃったのもおかしかったし、ちゃんとフォローする正楽師匠もかっこいいし、寄席!っていう出来事でとても素敵だった。
 
さん喬師匠「抜け雀」
今日は喬太郎との親子会で金沢へ行ってきました、とさん喬師匠。
世話人の人が日にちを聞いてくるときに「〇日、〇日、〇日はいかがでしょう?その日だったら喬太郎師匠が空いてるそうなので」と言われて、逆じゃねぇのかよ!と腹立っちゃう、と言いつつも「売れるということはありがたい」と。
「今日の寄席もうちの弟子…小平太やさん助が出させていただいて、ありがたい」。
…じーん…。そういうの、なんかほんとに素敵。ぐっときちゃう。
 
そんなまくらから「抜け雀」。
宿屋の主がおかみさんから「二階のお客さんが怪しい」と小言を言われる場面から。
主がいかにも人が良くて見ていてほほえましい。
酒代を取りに行って一文無しとわかってもまるで気にしない客。そうか絵を描いて置いていけばいいんだな!となってから、主が文句を言うと大きな声で怒鳴り飛ばし…それを聞いて「あいつ…なんで俺が大きな声に弱いの知ってるんだろう」は聞いたことがあるセリフ。あれ?誰だっけ。とブログ調べたら小んぶさんだった!ということはきっとそれはさん喬師匠から教わったのかもしれないな。
 
戻って来た絵描きが千両の値をつけられても「戻ってくるって約束したから」と言って絵を売らなかった主にたいして「そうか…うれしいなぁ…」と言ったのは素敵なセリフ。
値打ちがあると分かったとたん態度を変えておかねに群がる人を大勢見て来たんだろう、ということが伺える。
 
多分お疲れ気味だったはずなのにみじんもそう見せない。素敵だった。

読んで、訳して、語り合う。都甲幸治対談集​ (立東舎)

 

 ★★★★★

西加奈子絶賛! 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』翻訳者、初の対談集が登場

『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の翻訳で知られる都甲幸治が、作家、翻訳家、研究者たちと村上春樹から世界文学までを縦横無尽に語りまくる!
さらに、語りおろしとして、芥川賞作家・小野正嗣との特別対談を収録。お互いの作品についてのコメントから、二人の学生時代までを本邦初公開!

【目次】
いしいしんじ「越境する作家たち」
岸本佐知子「翻訳家ができるまで」
堀江敏幸「文芸で越境する」
内田樹沼野充義村上春樹の“決断"」
芳川泰久「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をめぐって」
柴田元幸アメリカ文学の境界線」
藤井光「マイノリティ、メタフィクション、現代小説のリアル」
星野智幸「世界とマイノリティ」
小野正嗣「わたしたちが大学生だったころ」

 面白かった。都甲さんは何度かトークショーを見に行ったこともあってとても深く深く考察をする熱い人という印象があったけど、これを読んでもそれは伝わってくる。

村上春樹の考察がここまでされていることにも驚いた。もっと翻訳寄りの話が多いと思っていたので。そして自分は全然村上作品を読みこめていなかったのだなぁとも…。
1Q84」も「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も読んだけど、え?そういう意味がこめられていたの?とか驚くことばかりだった。
文学畑の人たちから村上春樹という作家がどう見られているのかというのも驚きがあったけど、まぁ私の場合は面白い小説が読めればそれでいいので、文学的な意味とか立ち位置には興味ないな。

個人的には岸本さんや柴田さんの選書に対する話が頷けたし、もっともっと自分で選書して翻訳できる翻訳家が増えるといいなぁと思った。

あと、星野智幸作品に都甲さんがものすごいシンパシーを感じているのが面白かった。
ここまで深く読んでくれて感想を言われたら作家さんもうれしいだろうな。
素敵だった。

柳家さん喬・さん助親子会

12/1(日)、水戸芸術館で行われた「柳家さん喬・さん助親子会」に行ってきた。

・木はち「寿限無
・小んぶ「子ほめ」
・さん喬「掛取り」
・さん助「浜野矩随」
~仲入り~
・さん助「壺算」
・さん喬「芝浜」

 

さん助師匠「浜野矩随」
噺に入る時、声の調子が少し高くなる。聞いてる側もぴん!と緊張する。うわ、びっくり!「浜野矩随」だ!さん助師匠で聞くのはもちろん初めて。

若狭屋さんが人情味があって気のいい人であることが最初の会話で伝わってくる。
それが三本脚の若駒を「こういうのも面白いと売れるかと思って」持ってきたと言う矩随の言葉に「ああ、こいつはもうだめだ」と思い「他の商売をやったらどうか。支度金は用意してやるから」と言う。
そういわれた矩随が「でも私は職人なので他のことはできません」と答えると「お前のどこが職人なんだ!」とついに怒りを爆発させる。

家に帰ると待ちわびていた母親がすぐに矩随に何かあったことを悟る。
話をすると「ひどいことを言うね」と言いながらも「立派に死になさい」という言葉をかける。
矩随は母親思いで優しいけれど甘さが見えて、そこがとてもリアル。
母親が用意した踏み台に上がって首をくくろうとした時に、母親が「ちょっと待っておくれ。私に何か一つ形見を残してほしい」。
それならば三本脚のがありますよ、としれっと答えるのが面白い。
そうではなくて父親が得意にしていた観音像を彫ってくれという母親にそんなもの彫れるわけがないと矩随。
今までとは違う、死ぬ気になって彫るのだと言われて、ようやくその意味を考える矩随。
すぐには彫り始めず21日の間、願掛けをして、その後7日間寝ずに彫り続ける。
ようやくできた観音像を母親に見せると母親はそれを見てやっと矩随が魂のこもった作品を作り上げたと思う。
そしてこれを若狭屋に持って行って五十両で売れ、と言う。言われた矩随が「若狭屋には行きたくない」と言うのもまだ甘さが残る矩随が出ていて面白いと思った。

若狭屋の小僧の定吉が店の前を箒で掃きながら「矩随さんが面白いものを彫って持って来なくなっちゃってつまらないなぁ」と独り言を言っているのもおかしいし、「主にあそこまで言われたのだから矩随さんは死んじゃったんだろうなぁ…化けて出ないといいなぁ、そういえば小僧仲間と話していた時に化けて出るのは夜中だろうと言ったらそうじゃないこれぐらいの時刻に出るんだと言ってた…」とつぶやいて、現れた矩随を見て悲鳴を上げるのがおかしい。
矩随が訪ねてきたことに気づいた主が平謝りをするのも人柄がにじみ出ていていいなぁ。

矩随が差し出した観音像を見て父親の彫ったものが出てきたと思い込んで「名人の彫ったものは見ただけでわかる」と大喜びで五十両で買い、矩随が何か言おうとすると「たまには儲けさせてくれたっていいじゃないか。なにせこっちはみかん箱13箱(矩随の駄作を)引きうけてるんだから」と言うのも茶目っ気があってかわいい。
これを矩随が作ったと聞いて、主が心の底から喜ぶのもいいなぁ、と思った。
水盃に気づいた主がすぐに矩随を帰して、母親が助かったのもよかった…(助からないバージョンより助かるバージョンの方が好き)。

結局は若狭屋の主のきつい言葉と母親の死ぬ覚悟が矩随を目覚めさせたのだなぁ…。
途中ちょっとぐずっとなったところもあったけれど、さん助師匠らしい「浜野矩随」でよかったー。

 

さん助師匠「壺算」
二ツ目の頃はよくかけていたようなんだけど、生で聴くのは初めてで嬉しい。さん助師匠の「壺算」。
兄貴分が語る「買い物のコツ」が説明下手のさん助師匠らしく、なんか分かりにくいのがご愛敬(笑)。
その時にされたたとえ話を意味も分からず馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す弟分がおかしい。
なんかみんながみんなガチャガチャしていて慌てていて、妙におかしい「壺算」だった。わはははは。

 

さん喬師匠「芝浜」
1席目が「掛取り」でトリネタが「芝浜」って、さすがさん喬師匠は技術と体力があるなぁ…。すごいわ。

さん喬師匠の「芝浜」は初めて聴いたけど、すごくよかった。
おかみさんが無駄にめそめそしてないのもいいし、かっつぁんも気持ちのいい人物。
おかみさんに財布を拾ったのは夢だったと言われて、何度か言い返すんだけど、「あ、夢か…」とあっさり受け入れるのが、この人の人の好さを表していて素敵だな。
おかみさんが何度も「河岸へ行っておくれよ」と言うのにも、お金に困るから働いてほしいんじゃなくて、魚屋の仕事をしている亭主のことを尊敬していて大好きなんだなということが伝わってくる。

みそかのシーンで、おかみさんが拾った財布をネコババしたことでお縄になって殺されてしまうのが怖かった、と言うのも、財布なんか拾わなきゃよかったのに…これが夢だったらよかったのに、と語るのも、とても納得感があった。
「あたしのお酌じゃ…」というセリフもさらっとしていていやらしくなくてよかったな。(このセリフ、嫌い)

 

第380回 圓橘の会

11/30(土)、深川東京モダン館で行われた「第380回 圓橘の会」に行ってきた。

 

・萬丸「花筏
・圓橘 圓朝作 怪談「牡丹燈籠」 - 最終章(前半)-
~仲入り~
・圓橘 圓朝作 怪談「牡丹燈籠」 - 最終章(後半)-

 

萬丸さん「花筏
まん坊改め萬丸さん。二ツ目昇進おめでとう!
羽織が着られるのが嬉しくてしょうがないです、とニコニコ顔。
愛嬌があるし噺はたくさん持ってるし見るたびに好きになるなぁ。
これからも圓橘師匠の会の開口一番は引き続き萬丸さんがやられるということなのでよかったー。

花筏」、提灯屋さんがケロッとしていておっちょこちょいでとてもかわいい。
呼び出しの声がとてもよかったのでびっくりした。
最初から最後までとても面白かった。これから先が楽しみな噺家さんだ。


圓橘師匠 圓朝作 怪談「牡丹燈籠」 - 最終章(前半)-
私の最初の師匠3代目小圓朝から教わった噺です。と、父息子の両方が耳が遠い、という小噺。ごく短くてバカバカしいんだけど、これが一門に伝わる大事な噺ということで、師匠の前で10回ほどやらされまして…あんまり熱心に稽古されるとやりたくなくなるもんですね、と。

そんなまくらから「牡丹灯籠」の最終章。

誤って主人である平左衛門を殺してしまった孝助は相川新五兵衞を訪ねて、お徳との縁談はなかったことにしてくれと頼む。
それを聞いた新五兵衞は「みなまで申すな」と言って、平左衛門をしくじったのだろう、だったら私が一緒に謝ってやるから心配するな、や、さては女がいるのだな、それなら妾にしろ、金は私が持つから心配するな、など早とちりであれこれ申し立てる。
そうではありません、と孝助が事情を話し、平左衛門から渡された手紙を渡す。
そこには、自分が孝助の親を殺した仇であることを知り、孝助が源次郎と見誤るようにわざと仕組んで刺させたこと、自分が死んだ後は孝助に仇討をさせて飯島家を再建してほしい、などの旨が書かれていた。
新五兵衞は孝助を説得し、仇討に出る前にお徳と内々に祝言をあげるようにと頼む。
最初は仇討が済むまでは…と固辞していた孝助も、最後は新五兵衞の思いやりのある言葉に「承知しました」と頭を下げる。
祝言をあげた翌日仇討の旅に出かける孝助。
別れを惜しんで引き留めようとするお徳をたしなめる新五兵衞だったが、その目にも涙があふれていた…。

相川新五兵衞が早とちりだけど芯はしっかりとした人物で孝助の話を親身になって聞いて思いやりのある言葉をかけるところにじーん…。
また初夜のシーンは仇討のことで頭がいっぱいでなかなか布団に入ろうとしない孝助に待ちかねたお徳がばあやに泣きつくシーンが可愛らしく、緊迫した場面の中にこういう笑いがあって少しほっとした。

「この続きは、仲入りの後、圓橘が圓朝に教わりながら申し上げます」と言って圓橘師匠が下がると、高座の上に見台、向かって右側に圓朝の本、左側には圓朝の絵が飾られた。
うわー、どんな高座になるんだろう、とわくわく。

 

圓橘師匠 圓朝作 怪談「牡丹燈籠」 - 最終章(後半)-
孝助が仇討に行ったが源次郎とお国を見つけられずいったん江戸に戻り、良石和尚に会い予言を受ける。
また家に戻るとお徳は赤ん坊を抱いており、自分に息子ができたことを知る。
孝助が予言に従い白翁堂勇齋を訪ねると、そこで4歳の時に別れた実母おりえがいて、お国がおりえの再婚相手の連れ子であることを知る。
お国と源次郎がいる場所におりえが手引きをしてくれるというので行ってみると、すでに二人はそこになく、おりえが夫に義理立てして二人を逃がしていたのだった。

おりえは孝助にそのことを告げて自害。孝助は二人を追い、ついに本懐を遂げる。

…ストーリーを追いながら、圓橘師匠が「(圓朝)師匠、ここなんですが…師匠に対して大変申し上げにくいのですが…ちょっと偶然が過ぎませんかね?」と言うと、圓朝師匠が「そういうところは…噺家の腕の見せ所です」と答えたり、「後半の展開があっけなさすぎませんか?」と言うと「本来は15話だったものを速記では13話に縮めているから駆け足のように感じるのです」と答えたり…。

圓橘師匠らしい趣向で面白い~。
もっとこの噺をきちんとわかっていたらもっと理解できたのになぁと思うと、ちょっと悔しいぐらい。

楽しかった~。圓橘師匠の会は本当にバラエティ豊かで楽しいなぁ。

青が破れる

 

青が破れる (河出文庫)

青が破れる (河出文庫)

 

 ★★★★★

ボクサー志望のおれは、友達のハルオから「もう長くない」という彼女・とう子の見舞いへひとりで行ってくれと頼まれる。ジムでは才能あるボクサー・梅生とのスパーを重ねる日々。とう子との距離が縮まる一方で、夫子のいる恋人・夏澄とは徐々にすれ違ってゆくが…。第53回文藝賞受賞の表題作に加え二編の短篇、マキヒロチ氏によるマンガ「青が破れる」、そして尾崎世界観氏との対談を収録。 

河出文庫の斎藤壮馬表紙に惹かれて購入。
「愛が嫌い」がものすごく好きだったので期待を持って読んだのだが、これもよかった。これがデビュー作とはあなおそろし。

自分では頑なに傷つきやすい何かを守っているつもりでいても実は全然守れていなくてむき出しになっていてとても傷つきやすい。
そうやって脱皮を繰り返して少しずつ面の皮が厚くなっていくのか。
いやでも多分厚くはなれない。ただ経験が重なっていくだけで。(実感)

瑞々しい感情が、独特の息継ぎをするような文章で表現されていて素晴らしい。
これからも読んでいきたい作家さんだ。

第23回 左龍・甚語楼の会

11/29(金)、お江戸日本橋亭で行われた「第23回 左龍・甚語楼の会」に行ってきた。

・左龍&甚語楼 トーク
・左ん坊「子ほめ」
・甚語楼「二番煎じ」
~仲入り~
・左龍「文七元結


左龍師匠&甚語楼師匠 トーク
左龍師匠が、長雨続きだった今週、今日になってようやく晴れたので洗濯を4回してきた、という話をし始めたんだけど、反応がおかしい甚語楼師匠。
何かと思ったら「それ、さっき楽屋でしてた話でしょ?あたし…同じ話を2回できないんですよ」。
同じ話を繰り返すのがどうにも恥ずかしくて苦手だという甚語楼師匠。だからテレビの収録も苦手で…リハーサルを何回もやって「本番も同じにしてください」と言われてもどうしても同じにできなかった、と。
ああっでもその話、聞きたかった(笑)。残念。

それから前座時代の話になり、甚語楼師匠が実はだめだめ前座だったという話。
「え?そうだったの?」と左龍師匠が驚くと「ちゃんとしてるように見えたでしょ?そうじゃなかったんですよ」と。
確かになんでもソツなくこなしそうに見える甚語楼師匠が不器用で日常のことがきちんとできなくて師匠にまで「もうお前は何もするな」と言われた、と言うのがすごくおかしい。
この二人会では二人ともすごくリラックスしていてぶっちゃけ話をたくさん聞けるので嬉しい。


甚語楼師匠「二番煎じ」
この季節恐ろしいのがインフルエンザ、と甚語楼師匠。
昔はインフルエンザになっても今ほど神経質じゃなかったですよね?今は楽屋で「実は先週インフルエンザに罹って大変だったんだよ」なんて言おうものなら、まわりから人がさーーーっといなくなる。完治していても、ですよ。
自分は大人になってからインフルエンザに罹ったことがなかったんだけど、今年の2月罹ってしまって寄席を1週間休むことになってしまった。
注射もしていたんですけどね、うったのが早すぎたのかもしれない。

わかるー。菌が強くなったのか世の中がそういうことに厳しくなったのかわからないけど、ほんとにこの季節インフルエンザ怖い。とにかく、なりたくない。誰からもうつされたくないしうつしたくない。なんだろう、これ。

そんなまくらから「二番煎じ」。
月番さんが固くて真面目でとてもよく気が付く人だなぁ、というのが印象に残る。
黒川先生がいかにも侍らしい固くてちょっと世間ずれした人で、伊勢屋の主はちょっと遊び心がある人で、たっつぁんはいかにも元遊び人、宗助さんは…よくわからない(笑)と、人物像がくっきり。
その人たちが夜回りに出て寒がりながら月番さんに言われて「火の用心」の声掛けをやる楽しさ。
黒川先生の地の底から湧き出るような無駄に迫力のある声、伊勢屋の主の三味線から始まる妙に色っぽい声…とめちゃくちゃおかしい。

番屋に戻ってきてから黒川先生が差し出した酒をたしなめる月番さんがかなりの迫力で怖い。それだけに「(この酒を)土瓶に移して」と月番さんが言って、戸惑う黒川先生がおかしい。
お酒を飲み始めてからも月番さんがみんなに気を使って酒を注いで…いやもうこの酒がおいしそうなこと。
「薬は飲んでもすぐには効かないけど酒は飲んだ瞬間腹があったまる」は心に残るセリフ。
そしてしし鍋が本当に美味しそう。お箸が1膳しかなくてもついつい箸が止まらなくなるのがよくわかる。

番屋にやって来た侍はいかにも侍らしく威厳があるので、どちらに転ぶかわからない恐ろしさがあって、それだけに「ああよかった」感が強い。

たっぷりの「二番煎じ」。楽しかった!

 

左龍師匠「文七元結
トークの時に、自分は噺を詰めるのは得意というようなことをおっしゃっていたんだけど、この高座でもそれを遺憾なく発揮。
結構時間が押していたから刈り込んでやられたみたいなんだけど、刈り込まれた感が全然なかった。すごい。

長兵衛親方の見栄と正直さが半々に出てくるのがとても自然で、ああ、だからこの人はこんなに博打にはまって借金を作ってしまったんだな、とか、本当に大事なお金だったのに文七にやったんだな、とか、喉から手が出るほど欲しい金なのに「お返しします」と言われて断ったんだな、というところに納得感があった。

そして文七の若者らしい身勝手さも許せる気がした。

冬の噺をたっぷり聞けて満足~。

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

 

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間
 

 ★★★★★

『ふざけんな、ふざけんな、みんないい思いしやがって』空前の藤井フィーバーに沸く将棋界、突然の休場を余儀なくされた羽生世代の棋士うつ病回復末期の“患者”がリハビリを兼ねて綴った世にも珍しい手記。 

鬱状態鬱病とは全く別物であることがよく分かった。気持ちの問題なんかではない脳の病気。

なったばかりの頃や入院していた時、退院したばかりの頃、徐々に回復してきた頃、と自分の状態や気持ちの動きを分かりやすい言葉で書いてあって、読んでいて何度も泣いてしまった。
回復するにしたがってもともとの性格が顔を出してくるのもリアルだった。
きっとこの方はもともと自信と意欲に満ちた人なんだろうと思う。好き嫌いが激しくて激情家。
そんな人だって鬱病になったらホームに吸い込まれそうになる、朝起き上がることすらできなくなる。

誰でもなる可能性がある病気だけれど誰もが治すための治癒力を持っている、という言葉が胸を打つ。

とても面白かった。

なにかが首のまわりに

 

なにかが首のまわりに (河出文庫)

なにかが首のまわりに (河出文庫)

 

 ★★★★★

ラゴスからアメリカに移民した若い主人公がエクストラ・ヴァージン・オイル色の目をした白人の男の子と親しくなる表題作(「アメリカにいる、きみ」改題)のほか、「ひそかな経験」「明日は遠すぎて」など、人種、ジェンダー、家族にまつわるステレオタイプな思考を解きほぐす、天性のストーリーテラーの切なく繊細な12の短篇。

国が違うことで常識や生活や「当たり前」が違うのだけれど、好きになったり違和感を覚えたり恐怖を感じたり近しさを感じたり…そういう感情には違いがない。
近さと遠さを感じること、それが海外文学を読む楽しさなのかもしれない。

どの作品が好きだったかなぁと見直すとどの作品も好きだった、と思う。
でもあえて一番好きだった作品を選ぶなら「なにかが首のまわりに」。
フラットでありたいと願っていてもどうしても越えられない壁。言葉を尽くしてもどうしても理解しあえない悲しさ。みずみずしさに救われる想い。素晴らしかった。

夏丸谷中慕情

11/25(月)、chi_zu2号店で行われた「夏丸谷中慕情」に行ってきた。

夏丸「江島屋怪談」
夏丸「お笑い音楽会」
~仲入り~
夏丸「甲府い」

 

夏丸師匠「江島屋怪談」
店内の照明を全部落として高座の上の照明のみで。
殊更おどろおどろしくやっているわけではないのに、季節がちょうど合致するのと一日中冷たい雨が降っているこの日の天気も相まって、ひんやりと怖い。

地主様の家にお嫁に行く一番幸せな日のはずが恥ずかしい思い出すのも嫌な日になってしまった悲しみと恨み。
髪を振り乱して着物の袖を裂いて火にくべる老婆の姿が目に浮かぶ。
こういう噺、ほんとに合ってるなぁ。ご本人は本意じゃなさそうだけど。

 

夏丸師匠「お笑い音楽会」
一席目の雰囲気を一掃するようなバカバカしさで溢れた高座。
仙台の花座へ小すみさん、伸ん乃さんと行ってきました、という話。
小すみさんはもともとはお囃子さんでしたけど、ウィーンの音楽学校へ留学してフルートやピアノなどを勉強してきた人なので、仙台の素人なんて屁でもないんですね、の言葉に笑う。
夏丸師匠の落語、小すみさんの音曲のあとは、小すみさんがピアノを弾いて夏丸さんが歌ったり、タカラジェンヌになりそびれた伸ん乃さんがオペラ風に歌ったり…。

そんな話から、オペラでは喉をたてに開いて歌う歌い方、演歌は横に開く歌い方…と言って、オペラ風の声(驚くほど大きな声!)で歌ったり、五木ひろしで歌ったり…。
まさに水を得た魚のようだった。

 

夏丸師匠「甲府い」
「私は二席目みたいのが大好きなんですけど、お客様は一席目みたいのが好きなんですよね」と夏丸師匠。
落語ファンになればなるほどああいう噺をやらせたがる、とちょっと不満げ?いやいやいや、そこは好みの問題から一概にそうとは言えないのでは。
でも普段の二席目のイメージが強い夏丸師匠が圓朝物の怪談をさらっとすると、そのギャップに「すごい!」となることは否定できないな。

そんなまくらから「甲府い」。これもふざけたりギャグを入れたりしない「甲府い」で意外に(失礼!)とてもよかった。こってりしてないところも好みだったな。

イヴリン嬢は七回殺される

 

イヴリン嬢は七回殺される

イヴリン嬢は七回殺される

 

 ★★★★

森の中に建つ屋敷“ブラックヒース館”。そこにはハードカースル家に招かれた多くの客が滞在し、夜に行われる仮面舞踏会まで社交に興じていた。そんな館に、わたしはすべての記憶を失ってたどりついた。自分が誰なのか、なぜここにいるのかもわからなかった。だが、何者かによる脅しにショックを受け、意識を失ったわたしは、めざめると時間が同じ日の朝に巻き戻っており、自分の意識が別の人間に宿っていることに気づいた。とまどうわたしに、禍々しい仮面をかぶった人物がささやく―今夜、令嬢イヴリンが殺される。その謎を解かないかぎり、おまえはこの日を延々とくりかえすことになる。タイムループから逃れるには真犯人を見つけるしかないと…。悪評ふんぷんの銀行家、麻薬密売人、一族と縁の深い医師、卑劣な女たらしとその母親、怪しい動きをするメイド、そして十六年前に起きた殺人事件…不穏な空気の漂う屋敷を泳ぎまわり、客や使用人の人格を転々としながら、わたしは謎を追う。だが、人格転移をくりかえしながら真犯人を追う人物が、わたしのほかにもいるという―英国調の正統派ミステリの舞台に、タイムループと人格転移というSF要素を組み込んで、強烈な謎とサスペンスで読者を離さぬ超絶SFミステリ。イギリスの本読みたちを唸らせて、フィナンシャルタイムズ選ベスト・ミステリ、コスタ賞最優秀新人賞受賞。多数のミステリ賞、文学賞の最終候補となった衝撃のデビュー作! 

うわー、これは怪書と言っていいのでは。
何を書いてもネタバレになりそうだけど、設定といい展開といい「ええええ?」の連続で途中「なるほど」と納得しかけたもののラストにはまた「ええええ?」。

古典ミステリの雰囲気を醸し出しつつ舞台劇のようでもあるしトンデモドラマのようでもあるし…読むのに時間かかったよー。

これ国書刊行会だったっけ?と見たら文藝春秋だった。
でもこういうとんでもない本にぶち当たれるのはほんとに嬉しい。柔軟な頭と心でぜひ。

さん助ドッポ

11/20(水)、お江戸両国亭で行われた「さん助ドッポ」に行ってきた。

・さん助 ご挨拶
・さん助 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「お関の侠気(おとこぎ)」
~仲入り~
・さん助 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「忠僕嘉助」


さん助師匠 ご挨拶
5月に行われる「さん助ドッポ 深川資料館」のチラシを手に持ちながら。「こちらのチラシ…お店なんかに置かせていただいているんですが、オシャレなんですけど目立たないという欠点が…。あとチラシと思われないというのもありまして…」。「で、このキャパですから一生懸命宣伝して配ってチケットを売らないといけないんですけど、私どうしてもそういうことが苦手でして…。日曜日も20名ぐらい集まる会があってチラシ配ってチケット売らなきゃ!と持って行ってはいたんですけど…懇親会もあったんですけど、どうしても出すことが出来ず…だめでした。いやでも明日からは!心を入れ替えてバンバン売ります!」
…いやほんとに頑張ってくださいよ…。ファンはマジで心配してるんだから。あんな大きなキャパでどうするんだ?と。
コースターのようなチラシ、ほんとに素敵なんだけど、この形状だと例えば池袋演芸場のラックとかにも入れられないよね…。私もこれいただいてたけどチラシと把握してなくて「チラシ作らないのかなぁ」と思ってたもんね…。
さすがにあの大きな会場で両国亭に通ってきているぐらいの人数しか集まらなかったら…寂しいよー。
そういうことが苦手っていうことは重々承知しているけど、頑張ってほしい。大きな会場を取ったんだから。取っただけじゃだめ!!

 

さん助師匠 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「お関の侠気」
阿部四郎治のところに召し捕り方が入ってきた時、妻のお関は胴巻きに有り金と着替えを入れて裏口から出て行った。
そこへやって来たのは義松。お関の無事を喜び、自分ももう少し早く来ていたら捕まるところだったと胸をなでおろす。
二人でどこへ逃げるかと話をするとお関が、自分には弥兵衛という兄が1人いて京都で会津小鉄の子分になっている、という。
兄は江戸っ子なので義松のことを「亭主」と紹介すれば悪いようにはしないはず、と言う。
義松は、自分は三蔵の口利きで清水の次郎長の子分にしてもらった手前、黙ってここを去るのは心苦しいが、三蔵が地方へ出かけて行ったきり帰って来ないので、ちょうどいい。お関と一緒に京都へ行き小鉄親分の元で最後の花を咲かそうじゃないか、と言って二人は手に手を取って京都へ。

京都ではお関の言った通り兄の歓待を受け小鉄の元へ入った義松。すぐに馴染み自分にも子分が付くようになる。
義松が出かけて留守の間に子分たちが宴会をしているが、子分たちの間でも会津藩主の最近の動向については意見が分かれるところで子分同士の喧嘩が勃発しそうになった時に義松が帰って来て「お前たち、それどころじゃないぞ。新政府軍が京都に入ってきて幕府軍と一触即発になっている」と言う。
血気にはやる男たちは「戦だ!」と出張って行くのだが、幕府軍は劣勢で京の町は火の海と化す。
義松とお関は命からがら京を出ようとするのだが鉄砲を持った新政府軍に囲まれてしまう。
新政府軍はお関に目を止め、義松にはそのまま行っていいが女は残していけという。
すでに足が痛くてもうこれ以上走れないから義松一人で逃げてくれと訴えていたお関は「お前さんだけでも逃げておくれ」と言う。
義松が去りかけると、とたんにお関に襲い掛かる男たち。しかし「なんだこの女は!舌を切って死んでやがる!」という声が聞こえ、慌てて戻る義松。

お関に駆け寄ろうとした義松に新政府軍の男たちが襲い掛かろうとするが、義松は懐に入れていた刀(?)で男たちを次々斬り殺す。
そして全員倒した後でお関を抱き上げると、息も絶え絶えのお関が義松に語りかける。(舌を切ったのに話せるのかよ?という疑問は残るが、速記にそうあったということなので文句があったら談洲楼燕枝に言ってくれ、とのこと)

「お前さんは前にあたしに向かって、自分は女も男も一人も殺したことはないって言ってたけどそれは嘘だって私はわかってたよ。お前さん眠るとよくうなされてるんだ。お糸…お静…お京…俺が悪かった赦してくれ…って。いつも苦しそうにうなされてたよ…。だけどお前さん、約束しておくれ…もう誰も殺さないって…。」そう言ってお関は息を引き取る。

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ここまでが「お関の侠気(おとこぎ)」。
仲入りの後にさん助師匠が、「実はさっきの場面、セリフが飛んじゃってそれで短く終わっちゃいまして。そこからやり直します」と言ってやったのが、お関に駆け寄ってからの場面。

そもそも義松は次郎長の子分になっていったい何をやったんだ?心を入れ替えて幕府のために一肌脱ぎたいなんてことを三蔵は言ってたけど、義松がやってたのは結局は追いはぎまがいの行為。さらに親分のおかみさんであるお関といい仲になって逃げだすけど、そんなに二人の間に絆ってあったんですかね?そもそも義松に情があるとは思えないし。

お関が義松が毎夜うなされてると言って女の名前を挙げた時は、笑う場面じゃないんだけど笑いが止まらなくてやばかった。なんやねん!な気持ちでいっぱいやねん!

 

さん助師匠 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「忠僕嘉助」
もう次回で西海屋も終わるので、私がどのようにしてこの「西海屋騒動」をまとめてきたかというお話をしようと思います、とさん助師匠。
西海屋騒動の速記本、古本屋なんかを探したんですが見つからないんですね。
それで国立演芸場にある図書館に通ってコピーを取りました。
あそこでは本を持ち出すことはできませんし、コピーも一度にできる量が決められているんです。
我が家から国立演芸場は決して近くはない…そこに雨の日も風の日も雪の日も…いや雪の日は行かなかったですけど、そうやって通ってはこつこつコピーしました。上下巻に分かれていてそれぞれが400ページ(だったかな?)あるんです。俺はいったい何をしているんだ?と思う日もありました。
で、あそこでは会員証を作らないといけないんですが、芸人だと芸名で作る人もいるらしいんですが私は本名で。でもある時国立演芸場に出番があって…演芸場の図書館の人に面が割れちゃいまして…「あの…さん助さんですよね?」って言われちゃいました。あれは恥ずかしかった。

そして私この何年か図書館に行っては「西海屋騒動」を借りてコピーして…とやってるもんですから…3人ほどの職員の方には完全に覚えられちゃいまして。
借りるときには図書館のコンピュータで「西海屋騒動」って入力して印刷ボタンを押して…その紙をカウンターに持って行くんですけど…もうある時からその様子をカウンターからにやにやしながら見られて…コンピューターのキーを押すとニヤリと笑われるようになりました…。

これ、速記本によくあることなんですけど誤植とか間違いがあるんですね。74席目の次が75席じゃなくて54席って書いてあったり…。で、私も管理がよくないもんですからきちんと整理できてなくて、この間54席まで取ったからじゃ55席目からってコピーして家に帰って見たらダブってた、なんてこともありました。


…ああーーそんな苦労して作り上げていたのか。くうーーー。なんか聞いていて話がどうしても破綻しているように思えて、ちゃんと全部読んでからやればよかったのに…なんて勝手なことを思ったりもしていたけど、そんな簡単な話じゃなかったんだね…。それを見切り発車で(失礼!)始めてしまうところがいかにもさん助師匠らしいな…(ほめてます)。

そして、初代談洲楼燕枝という人はとても学識豊かな人で当時圓朝とライバルと言われていたようなんですが、談洲楼は難しいからお客さんが高座の間に眠っちゃったり…談洲楼の方が圓朝より好きだと言うと当時でも「通」と呼ばれた、なんてこともあったようです。そんなまくらより、本編へ。

所変わって江戸の王子当たり。
侍風の男が二人ほろ酔い加減で歩いている。するといかにも旅の者と見られる老人が坂道をよろよろ歩いてきた。それを見て「いいカモが来た」と二人。
老人の前を立ちふさがり、困った老人が右へ避ければ右へ、左へ避ければ左…そうしているうちに老人がつんのめって侍の裾へ泥を付けてしまう。
侍の一人が「無礼打ちにしてやる」と言うともう一人が「まぁ待て」と宥め、老人に向かって「その懐に入れている胴巻きを渡せば赦してやる」と言う。
老人は「これだけは勘弁してくだせぇ」と懇願するが二人はもともとそのつもりだったので引くはずもない。

そこへ通りかかった浪人風の侍。汚い身なりで脇に刺しているのは木刀。「自分に免じて許してやってくれ」と間に入るのだが、「お前は何者だ?そんな汚い身なりで」と二人は相手にしない。
押し問答を続けていたが「ならば勝負しよう」と浪人が言い、木刀で相手になるかと二人は笑うのだが、この男がものすごい剣術の腕前。あっという間に二人は倒されてしまう。
そこへ新政府軍の役人が通りかかり「この二人はならず者で先ほども食い逃げをして、後を追っていた」と言って連れて行く。

後に残された浪人と老人。「旅の疲れもあるでしょうから我が家へいらっしゃい」と言い屋敷に連れ帰る。
この浪人風の男、もともと花五郎の師匠で、当時10歳だった松太郎を預かり剣術を指南した原田新十郎。
道場には弟子もたくさんいて人望も厚い。

新十郎は松太郎を呼び「お前はいくつになった?」と聞くと「15になりました」と松太郎。今まで事情も聞かずに剣術の指南をしてきたが、お前は剣術をこれほどまでに稽古をしたからには理由があるのだろう、それを聞きたいと新十郎。
聞かれた松太郎は「自分の親を殺した清蔵と義松に仇討ちをするつもりで、稽古に励んできた」と言う。「やはりそうであったか。しかし仇討ちをするためには証文が必要だ。」と新十郎。
そう言われた松太郎は、証文は嘉助が持っているのだ、という。しかし嘉助とはこの3年連絡が取れなくなってしまった。まずは嘉助を探さないと…。

二人がそう話していると、扉の外で老人が泣いているのが聞こえる。
立ち聞きとは無礼だぞと新十郎がふすまを開けるとそこにはこの間助けた老人が。「松太郎おぼっちゃま…こんなところでお会いできるとは…」
号泣する老人こそ、嘉助本人。(出た!イッツアスモールワールド!)
嘉助はこの3年の間に父親が死に母親が病気にかかり身動きが取れなくなりそうこうするうちに花五郎が行方知らずになり松太郎の行方もわからなくなってしまったこと、江戸に出たという噂を頼りに江戸へ出てならず者に大事な金を奪われそうになったことを話す。
自分も一緒に仇討ちに行くと言う嘉助に、仇討ちには自分が同行するからお前は私の兄一之進のところへ手紙(兄は幕府の残党として徒党を組み決起しようと新十郎に言ってきている)を届けてもらいたい、と頼む。
最初は固辞していた嘉助だったが、最後は折れて大事な手紙を一之進の元へ届け、その後故郷に戻り母親の看病をしながら吉報を待つことを約束する。
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おおおお、いよいよ西海屋で数少ない「いい者」の登場だー。もういろいろ記憶の彼方なのだが、そういうときにだらだら覚えてることを書き散らかしたこのブログが役に立つのだー。
【西海屋の奉公人嘉助が番頭から主に成り上がった清蔵から松太郎を殺すように言われ清蔵に証文を書かせる。また松太郎を殺したと清蔵には報告するが、花五郎に預け15になるまで剣術を仕込んでくれと頼む。】

結局最後は仇討ちになるのだったら、松太郎目線の話にすればスカっと気持ちよかっただろうに…という気がしないでもない。
なんというか、結局何をメインに語りたかったのか、ここまで聞いてもいまひとつ納得がいかないのだよな…。
でもとにかく悪悪悪、悪を描ききったとも言える。
例えば豊志賀だと彼女の怨念がそうさせた、という理由付けがあったけど、西海屋の場合はそれがない。生まれた時から悪。義松の場合は花五郎に殺されかかった母が命を賭けて守ったのだが幼子だった義松。それを「誰も助けてくれなんて頼んでない」「生きていて何もいいことなどなかった」と語る。

でもまぁよくぞここまでやり切った。そして聞き切ったよ、私たちも。いよいよ次回が大団円!

末廣亭11月中席夜の部

11/19(火)、末廣亭11月中席夜の部に行ってきた。

 

・半蔵「反対俥」
・アサダ二世 マジック
・小ゑん「ぐつぐつ」
・南喬「短命」
~仲入り~
・菊生「シンデレラ伝説」
笑組 漫才
・はん治「妻の旅行」
・鉄平「ざるや」
・楽一 紙切り
・菊之丞「富久」

 

小ゑん師匠「ぐつぐつ」
テッパン!ファンとしては違う噺も見たかったーという気持ちもあるけど何回聴いても楽しい。

南喬師匠「短命」
南喬師匠の「短命」は初めて!うれしい!!
察しの悪いくまさんが「ええ?なんでですかー?」「わからねぇから教えてくれって言ってるのに」と訴えるのがなんともいえずおかしい。
それに対するご隠居の「ほら…わかるだろ?ほら…」の表情がたまらない。
家に帰っておかみさんにお給仕を頼むと「ほんとに人を使わないと損だと思ってやがるんだから。それでいて多いの少ないの文句ばっかり」とよそわれたご飯を「尖山みてぇによそいやがって」と嘆くくまさん。
南喬師匠らしいおおらかで楽しい「短命」だった。

 

鉄平師匠「ざるや」
縁起を担いだお菓子の命名のまくら。ちょっと昭和チックだったけど(笑)楽しかった。
「ざるや」ってたいして面白い噺じゃないと思うんだけどとても楽しかった。この師匠、好きだなー。


菊之丞師匠「富久」
幇間のまくらだったので「うなぎの幇間」かな?と思っていたらなんと「富久」!嬉しい~。
いだてんでキーになってる噺を古今亭の菊之丞師匠で聴ける喜び!
菊之丞師匠はなんといってもリズム感が抜群で押しと引きのバランスが絶妙なので、気持ちよ~く聴ける。
なんといっても久さんがチャーミング。調子が良くていい加減で…でも憎めない。火事場で受付をやりながらお酒が飲みたくて催促したり飲みながら食べながら訪れた人の応対をするシーンが音楽を見ているみたいで楽しい!
富くじが当たって大喜びした後に、札がないと変えられないと聞いてがっかりして何度も何度も言いつのるところは、そうだよねぇ…悔しいよねぇ、納得できないよねぇと思いつつ、最後のシーンにすかっ!
いやぁ楽しい。すごい満足感。

「富久」は動きも多いし噺の展開も早いから難しくて…そういえばなかなか生で見ることってないんだよな。と思って自分のブログを検索したら生で見たのは茶楽師匠だけだった!なんと!