りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

夏の嘘

夏の嘘 (新潮クレスト・ブックス)

夏の嘘 (新潮クレスト・ブックス)

★★★★★

シーズンオフのリゾート地で出会った男女。人里離れた場所に住む人気女性作家とのその夫。連れ立って音楽フェスティバルに出かける父と息子。死を意識し始めた老女と、かつての恋人―。ふとしたはずみに小さな嘘が明らかになるとき、秘められた思いがあふれ出し、人と人との関係ががらりと様相を変える。ベストセラー『朗読者』の著者による10年ぶりの短篇集。

翻訳されている作品はすべて読んできたけれど、正直苦手意識があったベルンハルト。この作品で初めてわかりあえたような気がする。
そんなつもりではなかったのについてしまった嘘は、心の弱さによるものなのだろうか。あるいは付かせた相手が悪いのだろうか。

「シーズンオフ」
旅先で出会った女性との情熱的な恋。彼女とかわした言葉に決して嘘はなかったはずなのだが、自分の家に戻ってきて、この暮らしを全てなげ捨てることができるのか?とふと我に返る。
あの時彼女に語らなかった数々は、無意識のうちにそれを「旅先での恋」として終わらせるつもりだったからなのか。
あるいはあの時抱いた感情の方が何かの間違いだったのだろうか。
こういう経験があるわけではないのに主人公の心の揺らぎが非常にリアルで息苦しい。

「バーデンバーデンの夜」
これは痛い…。痛い物語だ。
恋人であるアンが主人公の嘘に固執して責め立てるのが辛い…。主人公の側の心理がわかるだけに「もうこれ以上追及しても無駄だよ」と言いたくなるのだが、こういう言動をとってしまうアンの気持ちも痛いほどわかるのだ。
嘘はついてくれるな、正直に言ってくれ、そう言いながらもそれは嘘に決まっていると思ってしまっているから、どうしても信じることができない女の気持ち。
どうしても信じてくれないのであればもう彼女が信じている嘘の方を真実だと言ってしまったほうが楽なのではないか、とまで思ってしまう男の気持ち。
そしてそこで男の方がとった行動が…。あうーーー。つらいーー。
そこまで追い詰めた女が悪いのか。いやしかしそもそも男の行動が不実だからこそ猜疑心にさいなまれたのではないか。
嘘をつく側の気持ちと、つかれた側の気持ちが実に見事に描かれている。

「森のなかの家」
田舎暮らしを始めた夫婦。
二人は作家なのだが、夫の方は泣かず飛ばずで妻の方はどんどん本が売れて話題になっていく。
都会にいるとパーティだなんだと妻が執筆に専念できないということもあって半ば強引に田舎に家を買った夫。家族3人の時間をようやく持てるようになってほっとしている。
かわいい娘、美しくて才気あふれる妻との3人の暮らしを守りたい夫は、なによりも家族に執着している。その執着心が徐々に狂気を帯びてきて…。

妻の立場からすれば、この夫のとった行動と嘘は決して許すことはできないしおぞましさを感じるのだが、物語自体が夫によって語られているので、その気持ちがわからないではない。

「真夜中の他人」
これもとても怖い話だ。起きてしまった事件も怖いが、この物語を語る男が本当のことを言っているか嘘を言っているのかがわからなくて怖い。そこはかとなく怖い。

「最後の夏」
これも終始男の立場から語られているので途中までは主人公と一緒になってなぜ妻がそこまで怒ったのか、そんな反応を示したのか?と思ってしまったのだが、「される側」の立場で考えてみれば確かにこれはたまらない…。
あくまでも一方の側の論理で都合のいいように語りながら、しかしその勝手さをうっすらと浮き上がらせるという描き方。実に意地が悪い。

「リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ
結局親子であっても分かり合えることはないのだな、という絶望とあきらめと安堵がある。

理屈ではなく感覚でわかる。そういうことってあるんだな、と。
特に老いによって剥き出しになっていく感情を描いた作品が心に響いた。
人間とはなんて身勝手で頼りなくて過ちをおかしてしまういきものだろうか。苦い物語が多いのに後味は悪くない。絶望させられながらなぜか少しほっとしている。素晴らしい。