りつこの読書と落語メモ

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テヘランでロリータを読む

テヘランでロリータを読む

テヘランでロリータを読む

★★★★

イスラーム革命後のイラン、大学を追われた著者は、禁じられた小説を読む、女性だけの読書会を開く。監視社会の恐怖のなか、精神の自由を求めた衝撃の回想録。

体制の揚げるイデオロギーにそぐわない文学や芸術を一切否定するイスラム革命前後のイスラム共和国において、著者は「ロリータ」「デイジーミラー」「グレートギャッビー」などの小説をむさぼるように読み、学生たちと議論を重ねる。
ベールをつけないことを理由に大学を追われた後は、自宅で自分が選んだ女生徒を招いてこれらの禁じられた小説を読む会を催す。そこに書かれていることをみんなで解き明かすうちに、お互いの生活や宗教観、価値観、絶望を語り合うようになる…。

非常事態に小説なんか読みたいと思うものなのだろうか。自分からありとあらゆる自由が奪われていると感じている時に、「ロリータ」を「グレートギャッビー」を読みたいと思うものなのだろうか。この本を読む前はそんな疑問があったのだが、そんな時だからこそ自分たちにはフィクションが必要なのだ、と著者は言う。

自分の人生と小説の間を行き来することによって、過酷な現実を見つめること。現実の矛盾にきづくこと。想像力を働かせること。理解すること。共感すること。著者はそのことを何度も何度も強調する。そして考えること、夢を見ること、大切な個人的な生活を踏みにじる体制に彼女は疑問を投げかけるのだ。

そうか。文学というのは、フィクションというのは、こういうふうにして読むこともできるものだったのか。フィクションにはこういう力があったのか。改めてフィクションを読むことの意味を考えさせられたなぁ。
自分が想像していたよりその宗教観はゆるぎないものでもなければ(もちろん人にもよるのだろうが)、矛盾を含んでいないわけでもないのだな、ということも知ることができた。イスラムで自由な女性として生きるというのはものすごく大変なことなんだなぁと思った。イスラムの人についてこんなにも身近に感じさせてくれる本に今まで出会ったことはなかった。

とても良かった。読んで良かった。これを読んだら、フィクションの海におぼれたくなった。物語に圧倒されたくなった。理屈も真意もいらん。物語をプリーズ…。