りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

ジュリー・オオツカ「 スイマーズ」

 

★★★★★

わたしたちはどんな痛みからも解き放たれる。泳いでいる、そのときだけは――。

1章では地下のプールに通うことの中毒性や満足感が延々と語られる。常連が集う地下プールでの暗黙のルール、1レーンはどういう人たち、2レーンはどういう人たち…、監視員との関係性、淡々と語られるので正直少し退屈で「私なんでこの本を読もうと思ったんだっけ?(確か翻訳家が勧める本みたいなやつで挙げられていた?でも泳ぐことについて書いた本だったらそもそも読みたいと思うわけないし…)」という気持ちでいっぱいに。

2章ではそのみんなが通っている愛すべきプールにある日突然ひびが現れ、それに対する人々の反応や、そのひびに対してやったことやらなかったこと…専門家の見立て、管理会社の調査結果、それらに対する人々の反応が延々と綴られる。
そしてある日突然プールの閉鎖が伝えられる。え?ちゃんと修理すればいいんじゃないの?どうしていきなりそれらをすっ飛ばして閉鎖?

3章に入るとアリスという女性の記憶について語られる。実はアリスはここでいきなり登場したわけではなく、1章の毎日泳ぎに来る人として登場していて、どうやら認知症になりかけているみたいなのだ。このプールに通う人たちの暗黙のルールの中には「アリスに親切にすること」という項目もあるぐらい。

アリスは夫と二人で暮らしていて遠方に住む娘がいるようなのだが、認知症が徐々に進んでいき、覚えていることと覚えていられないことが3章でまた延々と綴られていくのだが、覚えていられないことが確実に最初より増えていっている。

ここまで読んで、もしかして2章に突然現れた「ひび」は、アリスの認知に突然現れた「ひび」だったのかも…と思う。
最初認知に異常が現れた時は本人も家族もなんだかよくわからないまま、病院に行ったり専門家の見解を調べたり薬を飲んだりするけれど、認知の衰えは止めることができない。
そしてアリスは日常生活もままならなくなり認知症の人たちが暮らすホームに送り込まれる。まるで「ひび」が現れたプールが肝心なところを直したり修復したりすることはできず、ある時いきなり「終わり」を告げられたのと同じように。

次の章ではホームの職員による絶望的な語りが綴られる。

ですが、あなたはお考えかもしれませんね、わたしはそこまでにはなってない(なってます)。または、わたしはテストでは上出来だったとか(最低でした)。または、明日夫が迎えに来てくれるとか(嘘をついたのです)。
(中略)
または、いやはや、もうたくさんとか(すみませんが、まだほんの始まりです)。

「どうしてわたしはまたここにいるのかしら?」あなたは折に触れてわたしたちにそう訊ねることになるかもしれませんね。そんなときには優しく穏やかにあなたに思い出させてあげましょう。なぜなら、「どうもいつものあなたじゃない」とあなたの夫が最近気づきはじめたからなのです。ならばいったいわたしは誰よ?とあなたは夫に訊ねましたよね。(中略)なぜなら、さきほどお話ししたように、あなたがテストで失敗したからです。なぜなら。

うわぁぁぁぁぁ。
認知症になっても自宅で過ごしたい、最後は家で死にたいと誰もが思う。しかし認知症が進むとそれはかなり難しい。一人暮らしだったとしても一緒に住む家族がいたとしても…。

このホームが特別悪い施設というわけではない。でもそれほど高級施設ではないので、職員の数もぎりぎりで彼らも最低賃金で働いている。手厚い対応はできないからホーム側の都合で入居者たちの自由は奪われ、ひたすら大人しく世話をかけずじっとしていることを求められる。

最初はどうにかしてこの場所から出て行こうと試みる入居者…アリスも徐々に飼いならされ大人しくなる。表情はなくなり言葉を発しなくなる。

そんな母を見舞う作家の娘。自分の無関心を悔い、どうにかして母との会話の糸口を探そうとするが見つからない。
アリスに睡眠を奪われ日常を奪われていた夫はアリスが施設に入りようやく日常を取り戻すがぽっかり空いた穴は埋まらない。


クセのある文体で決して読みやすくはないし、「これ良かったよ」と気楽に勧められる本ではない。でも地下のプールで淡々と歩いたり泳いだりする人たちの姿が目に焼き付くし、アリスの後退も、それを見つめる娘の視線もリアルで忘れられない。
すごい小説に出会えたなぁという満足感があった。