りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

3時のUNA gallery

5/18(土)、「3時のUNA gallery」に行ってきた。

・さん助 ご挨拶
・さん助「本膳」
・さん助「らくだ」
~仲入り~
・さん助「ちしゃ医者」

さん助師匠 ご挨拶
UNA galleryさんでの会、二ツ目のころからずいぶん長くやってます、とさん助師匠。
最初は夜の9時にやっていて、始めたころはほんとにお客様がいらっしゃらなくて…それが何年もやってるうちに最後は20名ほど来ていただけるようになり…。一応そこまで頑張ったからいいだろうと辞めました。
それから今度は朝の9時に始めて…これもまぁ朝の9時なんていう変な時間ですからお客様がいらっしゃらなくて…二名ということもありました。その時お客様からは「稽古してるみたい…」と言われました。
で、今回は3時で始めてみましたが…定期的にやるかどうかもまだわかりません。

…そうなんだ。できれば定期的にやってほしいなぁ。時間も曜日もいろいろでいいから。
こちらの会では珍しくさん助師匠がリラックスしていてまくらも面白いし、蔵出しが見られるイメージがあって大好きなんだ。
どうか定期的に長期的に続きますように…。なむー。

さん助師匠「本膳」
これはごくお古いお話で…山奥のそのまた奥の奥の…海沿いの村の話でございます、と「本膳」。
山の奥に海があるんだ…?山を登って下って…っていうことなのかな。
村の人たちが「先生」のところへ大勢で訪ねてやってきて「地主様のところの婚礼に呼ばれたが本膳がわからないから引っ越さなきゃなんねぇ」「でも引っ越す前に先生ならもしかして知ってるんじゃねぇか、先生に聞いてからでも遅くあんめぇってことになってやってきた」。
先生の真似をしようとぞろぞろ付いて行って、先生が首をかしげれば全員かしげる、お椀に口をつければ口をつける、里芋を転がせば転がす…。
先生の一挙手一投足、「ほら見ろ。本膳なんちゅうは難しいもんやのう…」と感心する村人がおかしい。

終わりかたがなんか唐突だったのはなんだったんだ??むむ?

さん助師匠「らくだ」
まくらに入って、え?え?となる。まさかの「らくだ」!!
兄貴分がちゃんと怖い。大きな声を出す怖さじゃなく、むしろ声が小さい怖さ。意外にも本当に怖い。
それに対する屑やさんが最初は抵抗するんだけど、「おれがおとなしく言ってるうちに…」のセリフを聞くと、しゅわっと「はいっ!やります!」となるのがおかしい。
かんかんのうは、さん助師匠の素っ頓狂な歌が屑やさんがやけになって歌ってる感じがしていい!
かんかんのうをやってから屑屋さんに少し開き直りが出てくるのもいいな。
お酒を勧められていやいや飲むけど、一杯目からすでに「うまい酒ですね」とにやり。
一杯目、二杯目はものすごい勢いで一気飲みするのに、三杯目からは味わって飲みだして、兄貴分のことを「あんたえらいよ」と褒める。
何もないところからこれだけのことをしたんだから、とか、自分も困ってる人を見ると黙ってられないとか…。
その中で、らくださんにはひどい目にあわされた、という話。その時に一度食って掛かったら、長屋の路地に連れていかれて殴られたり蹴られたり…口の中に砂が入って本当に痛くて懐に匕首を入れていたから刺してやろうかと思った。でも子供の顔が浮かんでぐっと堪えた。
あの時は本当に悔しかった。でも何に一番腹が立ったかって、長屋の人たちがだれ一人出てきてくれなかった。隙間から覗いている気配はするのに大家も住んでる人も誰も助けに出てきてくれなかった。
だから、親方とあたしの二人っきりでらくだの弔いはちゃんとやってやろう。
ああ、なるほど…屑屋さんはそういう気持ちから最後まで面倒見ることにしたのか。
さん助師匠らしい解釈で、これだからさん助師匠の落語が好きなんだよなぁ、と思った。

お酒飲んでもう怖いものがなくなった屑屋さんに、兄貴分の方が「はい。頼むよ、兄貴」とどんどん表情から毒気が抜けていく面白さ。
剃刀を借りに行ってこい!のところまで。
いつか通しで聞いてみたいな。

さん助師匠「ちしゃ医者」
噺家仲間としゃべっていると、教わったけど1度だけやってやめてしまった噺とか、教わって一度もやってない噺、っていうのを誰しも持っているようです、とさん助師匠。
私は先代の燕弥師匠に「三十石」を教わったんですが。あれは船頭が船を漕ぎながら歌を歌うというところが一つの見せ場でして…あれを教わろうなんて考えたのはほんとに無謀…なぜなら私はとんでもない音痴。しかも不器用なので漕ぐしぐさをしながら歌を歌うとか…無謀にもほどがあったんですね。
噺っていうのは教えてもらったら今度はその師匠の前でやって見せて「これならやってもいいよ」と承諾を得ないと高座にかけることができない。
私が師匠の前で「三十石」をやると、最初のうちは事細かく「ここはこうした方がいいよ」とか「ここは違うよ」と教えてくれていた師匠がそのうち黙って固まってしまいまして…。
最後までやったとき、燕弥師匠がおっしゃいました。
「君…これは…君が70歳ぐらいになったときにやったらいいよ…」。
つまり70ぐらいになれば相当ヘンテコでももう誰にも何も言われなくなるから…ということのようでした。

あと「七段目」とかああいう芝居が入る噺は、教わりに行く師匠によってはなかなかOKを出してくれないってことがあります。ですから誰に教わりに行くかっていうのはとても大事なことでして。
私は「七段目」もってるんですけど、ずるいですから、相当ゆるい師匠に教わりに行きました。

…ぶわはははは!!!おかしい~!!そのエピソード。上げの稽古ですっかり黙ってしまう師匠。70歳になったらやればいいよって…優しいなぁ。最高だわ。

あと、教わった噺を初めてかける時よりも、一度かけて10年ぐらい塩漬けしちゃった噺をかける時の方が緊張します。これはなぜなんでしょうかね。ほんとにそうなんですよね。怖いんですね。
今から申し上げる噺は二ツ目の時に一度かけたんですけど…そのころ自分の会に若くてきれいな女性が通ってきてくださっていたんですけど、この噺をかけた時に帰り際に「私今日の噺嫌いです」と言ってほんとにそれっきり来なくなってしまって…。
今ならもう平気ですけど当時はまだ純情だったものでショックが大きくてそれ以来かけてなかったんですね。
今日のお客様の中にももしかすると嫌いとおっしゃる方がいるかもしれませんけど…まぁ若い方はいないから大丈夫かな。(←うっせー)

そんなまくらから「ちしゃ医者」。
夜中に医者の扉を激しく叩く音。下男が「そうどんどん叩くな」「うちの先生は藪医者だから行ってもいいけど見せたら命の保証はない」「だから行くか行かないかは患者の容体と家族の希望を聞いてから私が判断している」。
それでも激しく叩くので仕方なく開けるとその物音に藪の医者も目を覚まして出てきてしまう。
うちの主が重病でほぼ死にかけているのだけれどだからって医者を呼ばないのも外聞が悪いのでとりあえず来てほしいと言われ、じゃあ早速行こうと藪先生。
医者が歩いて行くわけにはいかないと、壊れかけた籠に乗り込み、前を呼びに来た男、後ろを下男が担いで夜道をえっちらおっちら。
途中で呼びに来た男の家の人たちと出くわし、主がもう亡くなってしまったことを聞かされる。
男は行ってしまい、残されたのは壊れた籠と藪医者と下男。下男が一人では籠を担げないからと、二人で空の籠を担いで歩いていると、村の百姓とばったり。
百姓は自分はこれから肥をもらいに行くところだからと言って、籠の中に肥が半分入った桶を入れる。
くさい桶と籠に入った藪先生。揺れるたびに肥の中身が飛び出るので臭い臭い。
百姓が肥をもらいに酔ったおばあさんの家でおばあさんから肥の代わりに何をくれるのかと問われた百姓が「今日は何も持ってきてない。籠の中には医者がいるだけ」と言うと、医者をちしゃ(レタス)と聞き間違えたおばあさんが…。

実にばかばかしくて楽しい。さん助師匠もきっとこういう噺好きなんだろうな、生き生きしてた(笑)。

こういう噺が嫌いと申告したお嬢さん。こういうのが嫌いというなら、小泉なんとかみたいに一生「中村仲蔵」だけ聞いてろ!けっ。
って自分たちは若くてもきれいでもないと言われた僻みか?わっはっは。