りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

三越落語会

3/18(月)、三越劇場で行われた「三越落語会」に行ってきた。

・茶光「手水廻し」
・小八「道灌」
・〆治「お菊の皿
・馬生「抜け雀」
~仲入り~
・今松「穴泥」
小三治「小言念仏」


今松師匠「穴泥」
「お後お目当てをお楽しみに」のお決まりのセリフに客席から笑い声が起こる。
人間国宝、もう楽屋入りしてますから。私はさらっと終わらせてあとは国宝がたっぷり。ま、あの方の場合、落語よりその前のほうが…」。
いやしかし素敵な並び。ドキドキする。

「穴泥」、誰かで聞いたことがあったっけとブログを検索したら百栄師匠で聞いていた!
借金をしようと方々歩き回っていた亭主が家に帰ってくる。
「それで三両は借りられたのかい?」と女房が聞くと「いいや、借りられなかった」と亭主。
女房は「お前は甲斐性がない」「豆腐の角に頭をぶつけて死ね!」と罵り、三両借りてくるまでは家に入れないよ!と亭主を追い出す。
追い出された亭主、貸してもらえるあてなんかないし、どうしたもんかとふらふら歩いているうちに浅草の商家の前へ。二階の窓ががらりと相手誰かが降りて来たので、「泥棒だったら捕まえて礼金をもらってやろう」と隠れて見ていると、どうやら店の若い者。
「ああ、店を抜け出して吉原にでも行こうっていうのか」とがっかりするのだが、逆のことをすれば中に忍び込めるじゃないかと気が付く。
これだけの大店だから三両なんてはした金だろう。とりあえず三両盗んで借金を返して後で金ができたらせんべいでもつけて返しにくればいいだろう。
そう思って中に入ると、どうやら店で祝い事でもあったらしく、座敷にはごちそうや酒がまだたくさん残っている。
そういえば朝から何も食ってなかったんだと言って、そこらにあるものをうめぇうめぇと食べてお酒を飲むとすっかりいい気分に。
しばらくするとこの家の子どもがヨチヨチ歩きで入ってくる。
子どもに気が付くとこの男「おお、かわいい坊だな。こっちにおいで。ほら、あんよは上手、あんよは上手」。
やってきた子どもが食べ物を欲しそうにすると「お?これが食いたいのか?じゃ、はい、あーん。ああ、おいしいおいしい!」「ん?もう一つ?」「酒も飲むか?」。
子どもをあやしているうちに足を滑らせて土間の穴蔵へ落ちてしまう。
大きな音に店の主人も気が付いて出てきて、穴の中に泥棒がいるのだな、と気づく。
すぐに役人を呼んで捕まえさせましょうと番頭が言うと「今日は坊の内祝い。こういうめでたい日に縄付きは出したくない」と主人。
だったら鳶の頭「向こう見ずのかっつぁん」を呼んできて捕まえてもらおう、ということに。
やってきたかっつぁん、自慢の彫り物を見せてたいそう威勢がいいのだが、穴の中の泥棒を捕まえてくれと言われると急に腰が引ける。
そこで主人が捕まえてくれたら「一両やろう」と言うと少しだけやる気になったかっつぁん。「じゃ二両」と値が上がっていき…。

淡々と始まったので最初はテンションがよくわからなかったんだけど、泥棒に入ってからのお気楽ぶりがとても楽しくて大笑い。
坊をあやすところなんか、今松師匠がほんとに孫をあやしているみたいでなんともいえずチャーミングで微笑んでしまった。
また彫り物して威勢のいい「向こう見ずのかっつぁん」の腰が引けてるのも楽しい~。
落語らしい世界でほんとにこういう落語を聞くと幸せだ~と思う。
よかったーーー。ほんとに今松師匠はいいなぁ。

小三治師匠「小言念仏」
この会はネタ出しされているんだけど、小三治師匠のネタ出しが「小言念仏」だったので、これはきっとたっぷりまくらをやってください、という意なんだろうと思う小三治ファン。
「私の前に出たやつ…今松ですね?今松でしたよね?とても久しぶりに会ったんですが、あいつとは野球仲間でね。
前座の頃、噺家が集まってやってる野球部に入ってて、私はチーム柳家。あいつは違います。違うチーム。チーム古今亭だったか。対戦したんですよ。
私は結構打つ方でね、一試合に2ホームランなんて日もあった。
あいつはピッチャーだったんだけど、あいつのドロップがまぁ打てねぇんだ。すごい角度を付けて落ちるとかじゃないんだけどね。なんかこうふわっとね…ドロップするんですよ。これが打てなくて。
今あいつと階段のところですれ違ってね。思わず指さして”お!ドロップ!”って」。

…わーー。小三治師匠の口から今松師匠の名前が出るとは!しかも野球部の思い出って!
噺家の付き合いなんか全くやっていなさそうな今松師匠も若い頃は野球部に入って野球やったりしてたのかと思うと嬉しくなっちゃう。
なんかものすごく興奮してしまった。うれしいまくら。

あと「最近男らしくとか女らしくっていうことは言わなくなりましたね」と。自分が若かった頃はまだそういうことをうるさく言われる時代でそう言われることになんの疑問も抱かなかった。
私は五人兄弟で私以外は全員女。姉が3人に妹が1人。
そういう構成ですから家に帰るとみーんな女なんですよ。私と親父以外は。
こういう中で育ったら自分が女らしくなっちゃうんじゃないかと思ってね…女らしくっていうのはオカマっぽくっていうことじゃないですよ。そうじゃなくて女性的な男になるんじゃねぇかと思って、ずいぶん気を付けました。気を付けたっていってもことさらバンカラにふるまったってわけじゃないんですけどね。
でも私はいろんなことをああでもないこうでもない考える方で。そもそも男らしい男だったら女らしくならねぇようになんてこと気にすることもねぇんでしょうから、女性的なんでしょう、私は。

…面白いなぁ。小三治師匠のこういう話。
確かに今の時代は「男らしく」とか「女らしく」っていう言葉自体が問題になるようなところがあるけど、でもやっぱり男性的な男もいれば女性的な男もいるし、その逆もあるわけで。そういうのを男性、女性ともに強いられるのは苦痛以外の何物でもないけど、でもそういう時代に育ってそういう価値観を持っているけれど自分を「女性的」と評するところが好き。だから年を取ってる人をひとくくりに「老害」なんて言わないでほしいな、と思う。

そんなまくらから「小言念仏」。
何度聞いても大好き。小言のたねを探してあちこち目をやったり、小言がいちいち細かかったり。
そしてなんといっても這って来た赤ん坊への「ばぁ」のかわいらしさ。
でも師匠も嘆いてたけど「ネタ出し」されるのは師匠向かないよね(笑)。あと時間制限も。