りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

第四回ミニヨン寄席

10/28(金)、喫茶ミニヨンで行われた「第四回ミニヨン寄席」に行ってきた。


・昇一「桃太郎」
・南なん「居残り佐平次
~仲入り~
・南なん「長短」
・南なん「厩火事


昇一さん「桃太郎」
昇太師匠の七番目のお弟子さんらしい。

自分の父親が警視で自分も警察に入ろうかと思ったことがある。筆記、体力検査と進んで最後は面接。
面接の席では父親の名前も出て「お、これはもしかして強力なコネなのでは?あら。楽に入れちゃう感じ?」と手ごたえを感じていると「普通は面接の結果は後からお知らせするのですが今回はこの場でお伝えします」
おお、やっぱりコネってすごいなーと思っていると「不採用です」。
ええええ?
というまくらから「桃太郎」。
新作派らしいくすぐりも入れながら楽しい「桃太郎」だった。


南なん師匠「居残り佐平次
喫茶店の中は御常連らしきお客さんでぎゅうぎゅう。私みたいのが来てしまっていいんだろうかという居心地の悪さを感じつつも、大好きな師匠をこんな間近で3席聴けるという喜びの方が大きい。南なん師匠が高座に上がるとほんとにうれしくて震える。

「お足元の悪い中大勢お集まりいただいてありがとうございます」と南なん師匠。
「キャンセルが一つもなかったんですよ。…実は前回はキャンセルがあったんです。私気が弱いもんですからそういうの気にしちゃうほうでして。高座に影響が出ちゃうんです」。
とはいうもののからわ版にも出ていないこの会。大々的には宣伝をしてないわけで、来てほしいようなほしくないような…って感じなんだろうか。師匠が望むような形で続けていってほしいけどできればかわら版に載せてほしいな。かわら版に載ってると常連じゃなくても来ていいんだなって自信が持てる。

自分は落語芸術協会に所属していますが創始者は6代目の柳橋。見習いのころに一度だけ会ったことがある。会ったことがあったといってもまだ前座でもなかったので挨拶にも行けないから遠巻きに恐る恐る見ていただけ。でもね、こう苦虫をかみつぶしたような顔ですごい威圧感があって。
出番の2時間前には楽屋入りする。入ればもうみんながぴーんと緊張してお茶を出したりおみやげのお菓子を出したり。そういうときも「ありがとう」なんて言わない。多分楽屋の方が居心地が良くて家に居づらかったんでしょうね。

昔は遊ぶっていうと吉原と相場は決まっていた。
私はもちろん行ったことはないけど年配の師匠の中にはいったことがある方もいて「あれは結構な場所だったよ。気の毒だね、あなたたちは」なんてことを言う。
また勉強になるからああいうところは行った方がいい、なんて言われる。
私だって行ってみっちり勉強したかったですよ。

そんなまくらから「居残り佐平次」。
佐平次のところに仲間が集まって遊びに行く相談の場面から。金のない若い連中が集まってわいわいがやがややってるところがすごく楽しい。佐平次は「兄貴」と呼ばれていて頼りにされている感じ。
みんなでうきうき品川に行きせっかくだから大店に入ろうじゃねぇかと若い衆に声をかけると、彼らを「客」と思わない若い衆が気のない返事。
店に上がってわーっとやって、お金のことで佐平次に集められた若い連中が「お金」と聞いてとたんに酔いがさめるのがおかしい。

どうにかして勘定をとろうとする若い衆を煙に巻く佐平次がやたらとハイテンションで「お金の話はよしましょう!お金はだめ!」と妙なポーズをとるのがもうおかしくておかしくて。見ているこちらも一緒になって陽気になって笑っていると南なん師匠がどんどんのっていくのがわかる。こういうのがほんとにたまらない!

居残りを始めてからも陽気でそれがとても楽しい。
店の旦那に呼ばれてお金や着物をせしめる時も、本物のワルというよりは芝居をやっているみたいで後味の悪さよりおかしさが勝る。だけどかすかに暗いものもあって、結局どういう人かわからないんだけど、そこがまた面白くて独特の余韻が残る。

とても魅力的な佐平次だった。ちょっと気が狂っててそこが好き。楽しかった。


南なん師匠「長短」
仲入り後は「もう長いのはやりませんから安心してください」といって「長短」。
短さんが「子供の時分からの友だちで喧嘩一つしたことがないっていうんだから、これで案外気が合う」と言うと長さんが「気なんか合いやしないよ。おれがおめぇに合わせてやってるんじゃねぇか」という台詞。
なんかやけに心に残った。長い付き合いの友だちってそういうものなのかもしれないな。そうでなきゃ長く友だちでいられないもの。


南なん師匠「厩火事
「お互い面白くないこともあるけどお前みたいに喧嘩のたびに外に飛び出して行ったらしゃぁねぇじゃねえか」。
結局この旦那がほんとに不実なのかそうでないのかは分からない。でも人間、いい人悪い人ときっぱり分けられないし、ほんとのところはどうなのかなんてそう簡単にわかるものじゃないのかもしれない。