りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

角田光代×浅生ハルミン「全部!猫のはなし」

9/21(日)、雑司が谷地域文化創造館で行われた角田光代×浅生ハルミン「全部!猫のはなし」というトークショーに行ってきた。
この日、行きたい落語会もあったのだが、角田さんのトークショーがあると知って迷わずこちらを選んだ。
基本的に作家さんについてはその人の作品が読めればいいやと思っているのだけれど、角田さんはエッセイやブログを読んでいてすっかりその人柄も好きになっているので、間近で見られる機会があるなら逃すまじ!と思ってしまうミーハーちゃん。
今回は猫に詳しいハルミンさんと二人で猫のことを話し尽くすということで、トトちゃん(角田さんの飼っている猫)の大ファンである私は、こここれは絶対に行きたい!と鼻息荒く行ったのであった。

雑司が谷の会議室で司会もなく二人で自由にお話するというスタイル。
トークショー慣れしている(?)角田さんがハルミンさんに質問をして二人で語り合うというような進行だった。

●猫を飼って変わったこと。
・(角田)飼うまで猫というのは「しまわれている動物」だった。誰かの家に行って猫を飼っていたとしても初めて行った客の前に姿を現すことはない。また、道を歩いていて猫がいたとしてもいつもいるわけではない。気配はあってもめったに見ることができない生き物だった。
それが飼い始めたとたん、いつでも家にいる。そして飼うようになったら、他の動物の中で「猫」だけが急に立ち上がったかのように存在感をあらわすようになった。
今まで目に入ってなかった猫が目に入るようになった。

・(角田)人との垣根がなくなった。
猫をケージに入れて出かけたりするとそれだけで見知らぬ人から知り合いか?というぐらいのものすごい近しいテンションで話しかけられることがある。
そういうことが何回もあるうちに自分もそういうことに慣れてきて、猫を連れてない時でも他人に対する垣根が取り払われているのを感じる。

・(角田)ネガティヴな想像力に拍車がかかった。
もともと作家だから想像力は豊かだがとにかくありえないぐらいネガティヴな想像力が働いてしまう。
家に猫を残して仕事場にいると、お風呂の上に置いているジャバラのカバーをうまい具合に外して猫が溺れるかもしれない、キッチンの下のドアを何かの拍子に開けて包丁が飛び出してきてそれが突き刺さるかもしれない、タンスの引き出しに入って開けられなくなって窒息死しているかもしれない、とものすごい絵が浮かんでくる。

・(ハルミン)人に対して寛大になった。前は人ごみでぶつかられたりすると「ちょっと!!」と振り向いて文句を言うぐらいだったけど、猫はしょっちゅうぶつかってくるのでそのことに慣れて、人込みでぶつかられても猫がぶつかったんだなと思って許せるようになった。

・電車に乗っていた時、隣に品のいいおばあさんが座ったのだが、角田さんが持っているケージの中を覗き込んで「あら、猫ちゃんね。お名前はなんていうの?トトちゃん?」と話しかけてきた。
その人が「あなた、この間のNHKでやっていた猫の特集を見た?あら見てないの?」と。
「あのね。猫に”バカ(クチパクで)”って単語は言っちゃいけないのよ」とおっしゃる。
「”バカ”(クチパク)って言われると猫はとっても傷ついてストレスが溜まってしまうの。だからいたずらして腹が立っても絶対に”バカ(クチパク)”って言っちゃダメよ。」
そして電車を降りる時、ケージに向かって「じゃあね、トトちゃん。ありがとうね。あえてうれしかったわ」と言って出て行った。
それを聞いたハルミンさん。「それはもしかすると猫の精なんじゃ?いいなぁーそんな人に会えるなんてー。うらやましー」

・あまり遊びたがらなかったとうちゃんと違って、とっても遊びたがるトトちゃん。
でも遊んで遊んでとじゃれついたりはせず、和室の一番隅に座り上目づかいでじっとり見上げてくる。
遊ぶときは片手間じゃだめ。本を読みながらとかうわの空で「ほれほれ」とじゃらしを振ったりしても全然喜ばない。 全力で遊ばないといけない。
でもこれが角田さんはヘタですぐにあきられてしまったり、じゃらしているのにそれをふぃ〜と目で追うだけでじゃれついてこなかったりする。
それに反して旦那さんは猫と遊ぶのがすごく上手。
旦那さんがやるとトトちゃんがひゃっほい!と興奮して遊びだす。
この4年間、いったいどうしたらあんな風に喜ばせられるんだろうかとあれこれ考え旦那さんにも聞いてみた。すると旦那さんの答えは…。

作家の古井由吉先生はとても偉大な作家で大御所なのだけれどとてもおちゃめな人で、何か面白いことを言う時には、「いまから面白いことを言うよ」という顔をしてちょっとためて「あのね」と言う。
あの古井先生が面白いことを言うような雰囲気で、「さあ今から遊ぶよ」とやると、猫は気持ちが盛り上がって飛びついてくるらしいのだ。

そう言って、目をぱーっと見開いて「さあやるよ」と手を動かす角田さんがもうおかしすぎる。大爆笑。

私は猫は飼ってないけど、結局生き物と暮らすというのは子どもと暮らすことと変わりはないのだな、と思った。
子どもも生まれた途端、他の子どもに目が行くようになるし、赤ちゃんを連れていると「あらーかわいいわねーいくつー?」等と話しかけられることもあって、自分もいつの間にか同じことをやるようになる。
大事だから悪い想像ばかりしてしまう。
遊んであげるのがうまい人と下手な人がいる。
ただ動物は人間より寿命が短いし言葉も喋れないし本当に何を思っているのかやってあげたことが良かったのか悪かったのかわからない、ということはある。
だけど一緒に暮らすことで自分の人生に彩りが加わって豊かになることは間違いない。そんなことを思った。

それにしても本当に角田さんのお話は面白い。そしてトトちゃんはいかにも角田さんの…作家さんの猫ちゃんなんだなぁ、と思う。
「タオルのふりをする」「じっとりしている」「鏡の前で餌を食べてない演技の練習をしている」
そんな作家の目で見て解釈して理解されているからトトちゃんはあんなふうに物言いたげで文学的な雰囲気を醸し出しているのだろうなぁ。
最後に新刊にサインもしていただいてうれしかった〜。