りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

文・堺雅人

文・堺雅人 (文春文庫)

文・堺雅人 (文春文庫)

文・堺雅人

文・堺雅人

★★★★

堺雅人は鞄に原稿を書くための道具を入れて、持ち歩いている。撮影の合間に楽屋で、休みの日に喫茶店で、「演じる」ことについて考え、文章にするのだ。そうして生まれた54作の本格エッセイに加え、作家の宮尾登美子氏、長嶋有氏との対談やインタビュー、写真を掘り起こして収録。役者の思考や日常が垣間見える一冊。出演作品リスト付き。

出演作を追いかけるほどではないのだが、なんか好きなんだな、堺雅人
小説を読んでいて、こんな男やだなぁと思いつつ、でもこれを堺雅人がやったら萌えかも、とおもったりすることもある。

個性的だけど自己顕示欲が前面に出ていないところやそこはかとなくクレバーなところが好きなのだが、エッセイも控えめで思慮深くてでも結構行き当たりばったりなところもあって、イメージ通り。
俳優という職業に真摯に向き合う姿勢は職人さんのようでもある。

けれどもわれわれの仕事は、ココロを少し「鈍」くしているくらいが本当にちょうどいいのかもしれない。
俳優は、基本的には「受け身」の職業だ。約束した時間に、指定された場所にいき、あらかじめやれといわれたことをやる。せんじつめれば俳優とはそうした職業だと、僕はおもっている。
もしだれかに「なきわめけ」といわれれば、こちらはワーワー泣きわめく。なきわめくタイミングは僕以外のだれかがきめたものだし、なきわめくときのコトバすら、たいていの場合きまっている。
「なぜ、なきわめくんですか?」
という質問は、基本的にはヒトリゴトだ。どんなことでも「ああ、そうですか」とうけいれなければ、ハナシはまえにすすまない。

われわれの仕事は「わかる」と「わからない」のあいだをいつもユラユラゆれうごく。正直にいえばどんな作品にだって、わかる台詞とわからない台詞があるのだ。こわいのは、
「わかる部分だけをみて全部わかったつもりになること」
あるいは、
「わからない部分だけをみて全部あきらめてしまうこと」
なのだろう。

うーん…。こうやって抜き出してみても素敵な文章だ…。
俳優なんて自分とはまるで別の世界だと思っていたけれど、こうして彼の俳優論を読んでいると、全ての仕事に通じるものがある。
読んでますます好きになった。