りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

マツ☆キヨ

マツ☆キヨ

マツ☆キヨ

★★★★

世間的な価値観から大きくはみ出している“異端”のふたりが、震災で露わになった差別のしくみや、ネット社会の気持悪さを、舌鋒鋭くえぐり出す。

二人の対談の内容は非常に真っ当で、たいていの人は「分かる分かる」「そうだよなぁ」とうなづくのではないかしらと私は思うのだが、そんなことはないのだろうか。これが今の日本では「マイノリティ」なの?と逆に驚いてしまう。

「組織から半分くらいドロップアウトしているという立ち位置を担保しないと日本では生きづらい」という池田先生の言葉に深く頷く。
私もそれをやってるから組織のなかでちょっと楽なんだな…。その代わり絶対偉くなれないけど。

マツコ:いまのテレビというのは、さっき池田先生も言っていたように、ちょっと変わったことをなかなか言えない感じになってきてるでしょ。その状況のなかで積り重なったいろんな思いをいまアタシはぶつけられている感じはするのよね。そうして、みんながすっきりしたら、きっと「もうあんたは要りません」と言われるんだろうし。そういうのが刹那的だということも自分で肌で感じてわかっていて、その上でそれを引き受けてやろうと思ったの。「どうぞ、どうぞ、石でも何でも投げてください」というかまえで。 池田:やけくそだね(笑)。
(中略)
池田:そういうポジションになったときに、その立場を自覚して、そこに立ってやっていこうとするのが人間として正しい生き方だよね。だけど、自分の立ち位置を客観的に把握するというのはなかなか難しい。それができないから、どこかで足をすくわれて、倒れてしまう。
マツコ:そのへんに関しては、アタシって、自分でも自分がわかりやすいから助かっているのよね。アタシはどこからどう見ても「ふつう」じゃないというのは。
(中略)
マツコ:そういう危機感まではいかなくても、なんとなくある閉塞感みたいなものを抱いて、アタシを神輿に担いでくれた人もいれば、石を投げてくれた人もいるけど、とにかくアタシにアクションを起こしてくれる人の思いは、アタシちゃんと受け止めようとしていますし、背負っていますよ。モデルケースかどうかはわからないけど、アタシはちゃんと自覚して生きています。

これを読んでなぜ自分がマツコを好きなのかがわかったような気がする。
自分がテレビの中でどういう振る舞いを期待されているかということは重々承知していてそれを商売にはしているけれど、それを引き受けてやろう、だけど言いたいことは言ってやろうという覚悟ができている。
「こんなに普通じゃないアタシだから言いたいこと言っちゃうけどそれが常識とかっていう風には思ってないからね。」というのが根本的にあるから、自分とはちょっと相いれない考え方であっても不愉快な思いをせずに聞くことができる。

しかしマツコぐらい分かりやすく「普通ではない人」にしか、こういう言動が許されないというのは、やはり今の日本は異常なのかもしれないなぁ…。