りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

柳の家の3人会 なかのZEROホール

4/24(水)、中野ZERO大ホールで行われた柳の家の3人会に行ってきた。
柳家噺家さん3人集まるというこの企画。もともとは喬太郎師匠目当てで買ったチケットだったのだが、今回は花緑師匠と市馬師匠との3人会ということで、以前から市馬師匠は見てみたかったのでうれしい。

・市助「たらちね」
花緑「二階ぞめき」
〜仲入り〜
喬太郎「同棲したい」
・市馬「黄金餅

開口一番は市助さん「たらちね」。
この間も市助さんの「たらちね」だったぞ。
前の時も思ったのだが声がとてもきれいで清々しい落語だ。でも全体的に前座さんの落語ってこういう感じだ。前座時代は素直にやるのが定石なのだろうか。
なめらかで聴き心地が言い分眠くなる傾向が…ぐー…。

そして出てきた花緑師匠。
実は以前テレビで見た時は笑わそう笑わそうと必死な感じがしてまくらの途中で耐えきれずにテレビを消してしまった経験があり、ちょっぴり苦手意識が…。
でもホンモノはそんなことはなく面白かった。あの時はかなり肩に力が入っていたのだろうか。

「私が入門して7年で史上最年少の真打になった花緑です。なぜ私が22歳という若さで真打になったか。本日お越しのお客様にお教えしましょう。それはですね。当時の落語協会会長との間に強力な太いパイプがあったからです。」
ぶわははは。きっと毎回こう言って笑いをとっているんだろうなー。

祖父の小さんは貧乏育ちで戦争にも行って泥水を飲むような日々を過ごしてそういう経験を全てぐっと胸にしまいこんで黙っていながら、落語という芸に打ち込んでいろいろ軋轢が合ったりする中で会長になった人。
そんな祖父が得意としていたのは「長屋の花見」。それはそういうバックボーンがあってのことだった。
それを聞いたとき「俺はだめだ」と思ったと。
おじいちゃんが頑張ってくれたおかげでお金に苦労したことはない。
だけどそんな自分にぴったりな噺がある。それは若旦那物。これこそ俺じゃないか!と言って「二階ぞめき」。

若旦那が「だっておれ〇〇だしぃー」というイマドキっぽい話し方、やりすぎると「もうええわ」になるけれど、ぎりぎりのところでやめておくところが絶妙。
2階に吉原もどきを作ってもらって一人芝居をする若旦那のおバカっぷりと粋な様子が楽しかった。

喬太郎師匠のまくらは得意の鉄道ネタ。
東横線高島町駅代官山駅の話は何度聞いてもおかしい。今回もどっかんどっかんウケていた。
高島町駅になんでこんなに思い入れがあるかというと…という喬太郎師匠の話は衝撃的だったのだが、「頼むからtwitterでつぶやいたりしないでね!」と言っていたので割愛。
そして始まったのが「同棲したい」。

息子の就職を家族で祝っていると父親が「これで安心だな」とひとしきり喜んだあとに「自分も定年まであと5年だけれど、これまでの人生でやり残したことがある」と言い出し、妻に「離婚してくれ」と言う。
「なんでこのおめでたい席で?女ね?女ね?女なのね?」と取り乱す母。
父は「離婚したら俺と同棲してくれ」。

もうとにかくどこからどこまでもバカバカしい話で笑った笑った。
きっとこの日の客席の雰囲気を見てこの新作落語にしたのだろうが、私のまわりのおじいちゃんおばあちゃんも大うけだった。
多分まくらの鉄道ネタがウケたからこれはいける!と思ってこのネタだったんだろうな。弾けっぷりが楽しかった。

トリが市馬師匠。
にこにこと歩いて来て座っておじぎをしただけで、うわーーー好きだーーー!と思った。
私の場合、人と声が好きになれないと落語が好きになれないんだよなぁ。

喬太郎はいつもなかなか共感を得られない鉄道ネタでこんなにウケてうれしそうでしたね。戻ってくる時久しぶりに”仕事してやったぜ”みたいな満足げな顔をしてましたね。ああいう顔はなかなか見せないですから。それにても先ほどの噺は”同棲したい”という喬太郎自作の新作落語でしたけど、客席に師匠がいたら…悲しむでしょうね。」

にこにこと温かくて朗らかで、歩く包容力?落語家だから座る包容力か?
今まで好きになった落語家さんとはまた違うタイプだけれど、まくらだけですっかり好きになってしまった。

黄金餅」は初めて聞いた噺だったけど面白かった。

乞食僧の西念は守銭奴。病気になったのだが医者も薬も勿体ないと言っていかずに寝込んでいる。
隣の金兵衛が心配して訪ねていき何か好きなものを食べたらいいよと言うと、あんころ餅なら食べたいという。じゃ買ってきてやるからお金をくれと言うと「見舞いに来たんだったら買ってこい」。
金兵衛があんころ餅を買って行くと「人前では食べられない」と言って追い出す。気になった金兵衛が壁の穴からのぞいてみると、西念はあんころ餅のあんだけ先に食べて、餅の中に小判をくるんで丸のみしている。
自分が死んだ後に今までため込んだ金が誰かの手に渡るのは嫌だと思った西念が金を腹に入れたまま死のうとしていたのだ。

餅を全てのみ込んで苦しそうにうめく西念のもとに駆け付けた金兵衛は1つでも餅を吐き出させようとするがかなわない。
目の前で西念が死に、金兵衛はどうにかして西念が呑み込んだ金貨を自分のものにできないかと考え、遺体を焼いてそこから金を取り出せばいいと思いつく…。

いかにも落語らしい噺だ。
守銭奴の西念を見舞う金兵衛は情の厚い人間だ。貧乏なのに西念のためにあんころ餅を言われただけ買ってきてやる。
しかし西念が金貨を呑み込んで死んでいくと、その金をどうにかして自分のものにしようと考えて、大家に嘘を言って西念の遺体を壺に入れて自分の寺まで運ぶ。
寺では和尚が酔っぱらっている。金目のものはすべて質に入れてしまったのでお堂も空っぽ。赤の他人の弔いをしようという金兵衛を和尚は褒めるのだが、しかし金はないのでとれるだけ取ろうとする。金兵衛はそんな和尚に呆れながらもまあいいですよとそれを受け入れる。
焼いた遺体から金を探す金兵衛は陽気だ。歌を歌いながらあったあったありがてぇありがてぇと金を懐に入れる。実際に考えてみたら猟奇的な場面なのだが、あっけらかんとしておかしい。

あさましいんだけどそれが決して毒ではなくむしろ生き生きとした人間の生命力をあらわしていて楽しい。
こういう精神って今の時代に実はとても必要なものなんじゃないだろうか、と思う。

喬太郎「夜の慣用句」