りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

双頭のバビロン

双頭のバビロン

双頭のバビロン

★★★★★

爛熟と頽廃の世紀末ウィーン。オーストリア貴族の血を引く双子は、ある秘密のため、引き離されて育てられた。ゲオルクは名家の跡取りとなって陸軍学校へ行くが、決闘騒ぎを起こし放逐されたあげく、新大陸へ渡る。一方、存在を抹消されたその半身ユリアンは、ボヘミアの「芸術家の家」で謎の少年ツヴェンゲルと共に高度な教育を受けて育つ。アメリカで映画制作に足を踏み入れ、成功に向け邁進するゲオルクの前にちらつく半身の影。廃城で静かに暮らすユリアンに庇護者から課される謎の“実験”。交錯しては離れていく二人の運命は、それぞれの戦場へと導かれてゆく—。動乱の1920年代、野心と欲望が狂奔する聖林と、鴉片と悪徳が蔓延する上海。二大魔都を舞台に繰り広げられる、壮麗な運命譚。

素晴らしかった。
想像力の限りを尽くしたというか圧倒的な物語に巻き込まれてよれよれにされる喜びを味わった。
ストーリーだけでなく、あちこちに仕掛けや企みがあって、読んでいるとめまいがしてくる。

結合双生児というのはそれだけで背徳的な興味をそそられる。だからこそ昔から漫画や小説の題材になってきたのだろう。
この物語の主人公ゲオルクとユリアンも結合双生児だ。片方を殺さなければ分離出来ない場合、どちらかを生かすためにどちらかを犠牲にするというのは実際に行われていたことで、この物語ではゲオルクを生かしユリアンは抹殺することを両親は選ぶのである。
しかし分離手術に当たった医師ヴァルターはユリアンを殺さず自分の経営する芸術の家に連れて帰るのである。

3歳まで一緒に過ごす中でゲオルクに比べて我慢強いユリアンに愛情を抱いていたとヴァルター医師は語るのだが、それよりも医学的な興味が大きかったように見える。
芸術の家の中でユリアンは高い教育を受け優秀に育つのだが、しかしある面では非常にいびつでもある。なによりも彼は自分が選ばれなかった方であるということ、存在してはいけない非存在であるということを1日たりとも忘れることはできず、一生を芸術の家の中で送るしかないのである。

そんなユリアンが10歳の時に、教会の牧師に育てられていたツヴェンゲルと出会う。それまでは一人隔離されるようにして育てられていたユリアンにしたら初めて出会う友達で、ライバル意識を抱きながらも二人は深い友情、いや友情以上の結びつきを持つようになる。
ツヴェンゲルが神父に連れてこられたいきさつもどことなく背徳的な香りがしていて、ちょっとぞくぞくする。特にツヴェンゲルがムーランの衣装を着て化粧をして現れるシーンは、神父の黒い欲望が垣間見られるようで、本当はツヴェンゲルは神父の子なのではないか?ツヴェンゲルを玩具にするために連れて帰ってきたのではないか、という疑惑もぬぐいさることはできない。

一方貴族の家で育てられたゲオルクは、軍隊を志したり決闘をして国を追われたりとなかなかの悪辣ぶりを発揮する。
アメリカに渡ったゲオルクは、映画の世界で才能を開花させ、監督へとなっていく。

ユリアンが生きていることを知らないゲオルク、一方ゲオルクに嫉妬の念を抱きながら閉じ込められて生きているユリアン
ある時ゲオルクが脚本を書いていると、自分の内なる声に導かれるかのように物語、あるシーンがあふれ出す。
またある時ユリアンにもゲオルクが書きだしたのとまったく同じシーンがあふれ出す。 これはいったいなんなのか?もともと1つだった肉体の記憶が分離した今も残っているのか。あるいは双子には感応の能力が備わっているのか。

二人の物語を軸に、ヴァルター医師の異父兄弟のブルーノ、エキストラのパウル、映画会社の権力争い、戦争、中国のマフィア、とさまざまな人たちや事件、出来事がぐわーーとうねりを作り出しながら、ゲオルクとユリアンの運命が1つの点に向かって収束していくのである。

とにかくたくらみに満ちた作り、魅力的な登場人物たち、重なり合うシーンに頭がくらくら。
物語を読む楽しさがここにはぎゅーーっと凝縮されている。
詠みながら「皆川博子すげーすげーすげー」とあほのように何度もつぶやきながら夢中になって読んだ。
まるで翻訳本を読んでいるかのようなスケールの大きさと、いかにも日本的な怪しさとが混ざりってもうたまらないたまらない。

先が知りたくて夢中になって読みつつ読み終わりたくないと見悶える。
至福の時間だった。ブラボー。