りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

アウステルリッツ

アウステルリッツ

アウステルリッツ

★★★★★

ガラスの檻に囲われ、薄暗い灯りのしたで倦むことなく一切れの林檎を洗いつづける洗い熊…。冒頭まもなく描かれる神経症的なその動物のように、憑かれたようにみずからの過去を探しつづける男がいる。全米批評家協会賞受賞作品。

書店で平積みにされているのを見てずっと気になっていた本。最近改訳版が出たようだが私が読んだのは改訳されない方の版。
初めてゼーバルトを読んだのだが、素晴らしかった。フィクションでもなければノンフィクションでもない。淡々と綴られる文章はいわゆる「散文」の体をとってはいるが、しかしただとりとめもなく綴られているわけではない。
こういう本を今まで読んだことがないので最初は「え?これは本当にあったことなの?それとも?」「でも写真があるんだから全部ほんとのこと?」「いやでも…?」と戸惑ったのだが、読んでいるうちにそんなことはもうどうでも良くなってきた。

聞き手である「私」(作者ともとれるがそうではないようにも思える)が、アントワープ中央駅で「アウステルリッツ」という男と出会い、彼が語った話を伝えるという形式で物語は進められる。
「私」の主観はあまり挟まれず、アウステルリッツが語った内容を淡々と伝えていく。「とアウステルリッツは語った」という文章が時に読み手を突き放すようにも思えるほど、静かで淡々としている。

記憶や歴史の断片を淡々と集めながら、奪われたものや損なわれたもの、踏みにじられたものを浮かび上がらせる。
表紙の挑むようにこちらを見つめる少年と、静かに語りながらもどうしようもなく損なわれている現在のアウステルリッツを隔てるものを考えると胸が苦しくなる。
聞き手である「私」は一切の主観を述べないけれど淡々と正確に語ることでその残酷さを伝えているように思う。

今までに何冊もホロコーストの本を読んできたけれど読むたびになんて恐ろしいことがなされたのかとぞっとする。
アウステルリッツ」では、教訓的なことは何も語られないのだが、つけられた傷は何年経っても癒されることはないし、なかったことにしようとして蓋をしても不吉な気配は消せないし、歴史に残らなくても記憶を消すことはできないということを、静かに伝えてきているように思う。