りつこの読書と落語メモ

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母の遺産―新聞小説

母の遺産―新聞小説

母の遺産―新聞小説

★★★★★

家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。若い女と同棲している夫がいて、その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?親の介護、姉妹の確執…離婚を迷う女は一人旅へ。『本格小説』『日本語が亡びるとき』の著者が、自身の体験を交えて描く待望の最新長篇。

素晴らしかった!
明晰な文章で描かれているのでものすごい臨場感があって引き込まれる。そして1つ1つの章が短いので(さすが新聞小説!)集中力が途切れることなく読み進めることができる。
苦い物語だけど面白くて夢中になって読んだ。

主人公の美津紀は50代の女性。大学の講師や翻訳をして夫の哲夫と2人暮らし。
美津紀の姉、奈津紀は資産家と結婚し子どももいて、かなり裕福な暮らしを送っている。
その姉妹が母を看取って遺産の話をしているところから物語は始まる。

前半は、老いてきて身体の自由がきかなくなった母が骨折し入院し一人暮らしを諦め施設に入所し徐々にぼけてくる様子がリアルに描かれる。
穏やかに子どもたちに愛を注いでくれた父とは違って、母の娘への愛情は身勝手でむらがあって、姉妹はそれぞれ「自分は母にちゃんと愛されていなかった」という想いがある。
さらに母は中年になってから最後の悪あがきとばかりにシュミの悪い「男」との恋愛にうつつをぬかし、病に倒れた父を遠い病院に入院させてほとんど面倒をみずに見捨てたという経緯があり、姉妹はそのことでも母を恨んでいる。

しかしうらんでいてもやはり母は母なのである。
傷つけられても傷ついても離れることができない。見捨てることができない。
介護しながら噴き出してくる恨みの数々。
「いつ死んでくれるんだろう」というのは老いた親からすればあんまりな言葉ではあるけれど、経済的にも肉体的にも精神的にも疲弊しきった娘たちからすれば、正直な心の叫びである。

それでも文句を言いながらも、仕事も日常もおろそかにしても姉妹は母の介護をするのである。
そうこうしているうちに、美津紀の方は夫が浮気をしていて離婚を考えているということが明らかになる。
介護で心身ともにぼろぼろになっているところにさらに追い討ちをかけるように夫の裏切りが明らかになるとは…。あまりにもあまり…なのだ。

後半は母を看取ったあと、遺産を手にした美津紀が昔母と2人で訪れた箱根のホテルに長期滞在し、これからの自分の人生を考える。
自分の人生を無駄にしてしまった。それはあの母に育てられたからだという想い。その想いは、母はなぜあんな風になってしまったのかと母の生い立ちや祖母の人生へと返って行き、それがタイトルの「新聞小説」へとつながっていくのである。

何もかもが母のせいではないけれど、母が娘に背負わせてしまうものというのは必ずあって、それは自分が欲しくても得られなかったものであったり、自分の生き方や価値観であったり、自分ではどうすることもできなかった時代や生まれに対する劣等感や怒りだったりする。
それが自分にとってはありがたくないものだったとしても、それは「母の遺産」に違いなくて、それを背負って生きていくしかない。

美津紀の決着のつけ方が、残酷にも思えるけれどどこか優しさもあって潔くて、とても気持ちがよかった。
読み終わった時、素晴らしい小説を読んだという満足感でいっぱいになった。