りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

裏ヴァージョン

裏ヴァージョン

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★★★★

次々に書かれていく短篇小説と、それに対する歯に衣着せぬ批評コメント。やがて感想は厳しい質問状となり、しだいに青春をともにした二人の中年女性の愛憎交錯する苛烈な闘いが見えてくる――。家族でも恋人でもなく、友達に寄せる濃密な気持ちの切なさ、そしておかしさを、奇抜な手法で描いた現代文学の傑作。

巡回先のブログで感想を見て、読んでみたい!と思った小説。

アメリカを舞台にした短編小説で始まる。そして短編の終わりにその短編に対する批評が書かれている。なんだろうこれは?と思って次を読むと、その批評に対する返答のようにまた次の短編が始まり、また批評が書かれる。その応酬は徐々に激しさを増してきて最後は「果たし状」になっていく…。
物語が進むにつれて、この短編を書いている人間と批評している人間の関係が明らかになってくる。書いているのはマサコで、読んで批評をしているのは磯子。どうやら磯子の家に居候しているマサコは、これらの短編小説を家賃代わりにおさめているらしい。

小説には同性愛やSMについての記述も多く、二人の関係はそれに近いものなのか?今はそうではないがそういう関係に発展していくのか?と示唆しているようにも思えるが、それを打ち消すように「二人の間に性的なものはない!」と繰り返し書かれてもおり、「じゃあ違うのか。それならなんでここまでお互いに求め合うのだ?」と苛立ちを覚えながらも、読んでる側は彼女たちに巻き込まれていく。

これは、性愛を超えた友情なのか、究極のラブストーリーなのか。いやしかしそんなことはもうどうでもいいのだ。人が人を求めるのに性は関係ないのだ。
しかしここまで求めあうのはさぞやしんどかろうなぁとも思う。求めれば求めただけ寂しくなる。物足りなくなる。憎くなってくる。だけど居てほしい。近くに居てほしいのだ。

そういえばすっかり忘れていたけれど、自分も若い時に友達とこれ以上ないぐらい「結びついた」「分かり合えた」と感じる瞬間があったけれど、あれはいったいなんだったんだろう。あんなにも求めあったり結びついたり傷つけあったりしたことって、確かに大人になってからはもうないよなぁ…。
それを中年を過ぎても求めてしまうことの寂しさやしんどさが読んでいる側にひしひしと伝わってきて、なんともしんどくて痛い。
軽い語り口でとても読みやすいけれど、なんかちょっとすごいものを読んじゃったなぁという感じがしている。

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