りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

愛と癒しと殺人に欠けた小説集

愛と癒しと殺人に欠けた小説集

愛と癒しと殺人に欠けた小説集

★★★★★

「何か面白い日本の作家はいない?」という私の無謀な問いかけに「りつこさん、多分好きなんじゃないかな」と薦めていただいたのが、これ。伊井直行。聞いたことがない。この覚えにくいタイトル。どんな小説なんだろう?
薦めてくださった方と好みのツボが似ているところが多いので「間違いないだろう」と全幅の信頼を持って読み始めたのだけれど、いやこれがもうどこまでも好みの作品だった。読んでいる間中、好き好き好きー!と心の中で快哉をあげつづけた。日本人の作家でここまで「好きー!」と思ったのは実は初めてかもしれない!っていや私ものすごい鳥頭だから忘れているだけかもしれない…(と急に自信なく)。

話題短編を集めた、伊井氏の第二小説集。
「ヌード・マン・ウォーキング」のロングバージョンをいれた珠玉の作品集。読売賞作家の魅力が満載された、特異の前書き付きの話題作。

ページをひらくと、いきなり作者による前書き。前書きってなんとなく無粋な感じがする。おいしいお料理を食べる前に「この肉は何産で、魚はどこどこの海でとれた魚で」と説明されると、なんとなく食欲が失せるみたいな感じ。でも作者は「作者がしゃしゃり出て、自作について口上やら能書きやらを述べ立てるのは格好いいものではない」と書いている。なんだ、わかってるんじゃん?なのになんでわざわざそれをするの?と思ったが、なんとなくこの小説を読み進めていくうちに、前書きをつけた理由がわかった(ような気がした)。迷いやすい旅に出る前に心得を教えてくれているのだ。それも「それ」とはすぐには気付かない形で。

6つの短編が入っているのだが、最初の「ヌードマン」に心を鷲づかみされる。ごくフツウのサラリーマンのお父さんが、一糸まとわない裸で外を歩くことにとりつかれている。それは性癖でもなければ社会への反発でもない。しかし抑えがたい欲求なのだ。やりたい。やらなければならない。そう。「やりたい」だけではなく「やらなければならない」なのだ。彼にとって裸で歩くことは一種の浄化であり挑戦なのだ。
なんかここらへんがすごくよく理解できる。社会的に見れば間違ったことで、このことによって身を滅ぼすことになるかもしれないとわかっていながら、それでもやらなければならない、やらないと自分は汚れてしまう、という変な強迫観念にかられることが、確かに私にもある。

そしてこの結末…。いやもうこれには驚いた。「え、ええ?」と読み返し、そして「そうきたか!!」とげらげら笑ってしまった。
物語が一人称になったり三人称になったりすること、やたらと「こんな自分」に娘だけがなついてくること(息子は妻にべったりで、妻との間にはすでに愛がなくなっている)と「こんな自分」はいつか娘にも見放されるだろうということが何度も何度も繰り返されること、それがこういう結末を導いているわけだ。わはははは。いやもうこれはたまらん!!

2作目の「掌」もいい。父親が死んで何年かがたち父親が開いていたのと同じ名前の病院が開業されたと知った高校生の長男が、その病院を訪ねていくという物語。もちろん彼はその病院が同じ名前なのは単なる偶然なのだと思ってはいるのだが、「行かねばならぬ」という気持ちに突き動かされ、学校をさぼって訪ねるのである。
このわけのわからない「せねばならぬ」と、それをする前と後で明らかに何かが変わる感じ。その感じがすごくよくわかる。読んでいて思わずにやりとしてしまう。そしてこの2作目を読んだあたりで、このタイトルと前置きの意味がなんかわかってくるのだ。この小説には愛も癒しも殺人もない。でも「小説は世界を映す鏡」なのだ。その鏡がゆがんでいても、世界を映していることにかわりはないはずなのだ。

ローマに旅行に行ったお父さんが犬に噛まれて入院する「ローマの犬」。これもとらえどころのない、人をくったような話なのだが、なんだかこれがすごく好きだ。一言で「これは愛と癒しを描いているんだな」と理解することができるような話ではないのだが、何かわからないけれど間違った方向に進んでいくことへの苛立ちというのはすごく良くわかる。

同じように「感じ」がすごく伝わってくるのが「えりの恋人」だ。いやこれすごくわかるなぁ…。はっきりとした結論や向かっていく方向があるわけではないけれど、こんな風に嫌な感じに転がっていくことって現実にもよくある。本質的なことではないようなことが何かのきっかけになってしまうこと。自分でもどうしたいのかわかっているわけではないけれど、「ああ、決定的だな」と思うことってある。

作者は愛も癒しもなく感動もなく説明もないという独自の書き方を、ストイックなまでに守ってこれらの短編を描いているのだが、おそらくこれも「やらねばならない」ことだったのだろうなと思うと、なんだかおかしいような笑えるようなちょっと泣けるような気持ちになる。
いやーこれは本当にいい小説を教えていただいた!他の作品も全部読んでみたいと思った。