人間
★★★★
僕達は人間をやるのが下手だ。38歳の誕生日に届いた、ある騒動の報せ。何者かになろうとあがいた季節の果てで、かつての若者達を待ち受けていたものとは?初の長編小説にして代表作、誕生!!
フィクションではあるけれど、作者本人の肉声を感じる文章やセリフがあってドキドキする。
「創作」を志している人たちが集うシェアハウスに渦巻く嫉妬と羨望と鬱屈した感情。
マイナスな面ばかり目が行ってしまうけれどそこから刺激をもらったり創作の原動力になったりすることももちろんあるわけで、だからこそ永山も影島もここで過ごした数年を完全に断ち切ることはできなかったのだろう。
生々しくて痛々しい箇所もあったけど面白かった。
後半の沖縄の部分はちょっと唐突な印象を受けてしまったのだが、永山のルーツを描きたかった?のだろうか。
「人間をやるのが下手」というワードには少し励まされる。
鴻上尚史のもっとほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋
★★★★★
「人はわかり合えない。その認識に立った回答が
どうしてこんなにもポジティブなのか」「回答が具体的だから、ストンと胸に落ちます」
「語りかけるような言葉が、じんわり心に沁みこむ」
「悩んだら、何度でも鴻上さんの言葉に戻る」…
話題沸騰、作家・鴻上尚史氏の人生相談、第2弾!!
観念的ではなく、理想論でもなく、精神論だけでもなく、
具体的で実行可能なアドバイスを25本+書下ろし原稿2本=計27本収録!「もっとほがらか」の方も引き続き面白い。
ネットで見た時も「いいっ!」と思ったのだが、隠居してこれからは会えていなかった弟と会ったり妻と旅行に行こうと思っていたのに、実はみんなから煙たがられていることを知らされて寂しくてしょうがないという男性への回答が秀逸だ。
穏やかに寄り添いつつ、言うことははっきり言う。
いやしかし…長年「俺が食わせてやってるんだ」「お前が〇〇なのは努力が足りないからだ」と言い続けてきた過去を変えることはできないから、いったん家族との関係修復は諦めて外に目を向けてまずは友達を作れ、というのはすごい回答だなぁ。
自分の今までのキャリアや経歴を知らない人たちの中に入ってそこで新たな関係を築けた時、その姿を見て家族も見方を変えてくれるかもしれない、と。ううむ。
恋愛についての回答はちょっと受け入れがたいものもあったけど(ピンとこなくても付き合ってみろ、とか)、どうしても近視眼的になっていくところを「こんな風に考えてみたら?」と視野を広げさせてくれる回答が素晴らしい。面白かった。
来世の記憶
★★
「あたしの前世は、はっきり言って最悪だった。あたしは、おっさんだった」地球爆発後の近未来。おっさんだったという記憶を持つ「あたし」の親友は、私が前世で殴り殺した妻だった。前世の記憶があるのは私だけ。自分の容姿も、自分が生きてきて得たものすべてが気に入らなかった私は、親友が前世の記憶を思い出すことを恐れている。(「前世の記憶」)「ああもうだめ」私は笑って首を振っている。「うそ、もっとがんばれるでしょ?」「だめ、限界、眠くて」寝ている間に終わった戦争。愛も命も希望も努力も、眠っている間に何もかもが終わっていた。(「眠りの館」)ほか、本書のための書き下ろしを加えた全20篇。その只事でない世界観、圧倒的な美しい文章と表現力により読者を異界へいざない、現実の恐怖へ突き落とす。これぞ世界文学レベルの日本文学。
最初は乾いたユーモアや奇想天外だけど妙にリアルな肌触りを楽しく読んでいたんだけど、後半になるにつれ読んでいてしんどくなった。
この繊細さと研ぎ澄まされ方が今の私にはしんどかった。
読書って自分のコンディションによるところが大きいから、コンディションが良くなったらまた読みなおしたい。
池袋演芸場8月上席昼の部
8/1(土)、池袋演芸場8月上席昼の部に行ってきた。
・小太郎「手水廻し」
・さん助「看板の一」
・マギー隆司 マジック
・たけ平「宿題」
・一之輔「かぼちゃ屋」
~仲入り~
・カンジヤマ・マイム パントマイム
・文蔵「馬のす」
・燕路「鹿政談」
・ロケット団 漫才
・小里ん「夏泥」
~仲入り~
・小傳次「寿司屋水滸伝」
・白酒「親子酒」
・二楽 紙切り
・左龍「壺算」
こんな時に来てくださるお客様は真の落語好き。
将棋に夢中になっている人が何を見ても将棋で考えてしまう小噺。
大好き。何度見ても凄いなぁと思うし感動する。
こちらも毒多めの漫才でスッキリするなぁ。
実は私4月上席の昼の部にトリをとらせていただいてたんです、
十字屋落語会 馬治・さん助ふたり会
7/31(金)、「十字屋落語会 馬治・さん助ふたり会」に行ってきた。
・さん助「鼻ほしい」
・馬治「笠碁」
~仲入り~
・馬治「 代書屋」
・さん助「夏の医者」
さん助師匠「鼻ほしい」
エレベータでこちらの会にいらしてくれたお客さんと一緒になったのに、全く気付かれなかったというさん助師匠。
「私自身も同じ階だったのに向かいのスナックにいらしたお客さんなんだろうと思い込んでたんですが」。
そんなまくらから「鼻ほしい」。
やり始めてすぐに「これ…開口一番でやる噺じゃないですけど…。前回は前座さんが上がったから今回もそうだろうと思ってこの噺に決めて来たんですけど今日は前座さんの高座がなくて…。でも…やります。やるんです!」と再び最初から(笑)。
鼻に抜けたしゃべり方がおかしいんだけど、子どもたちが素直にそのままの発音で繰り返すのがおかしい。さん助師匠の子どもって邪気がないから悪気がないのが伝わってくる。
馬子さんもいかにも気のいい田舎の人で悪気はなくちょっと面白いことを言ったつもりで返歌をしたんだろうけど、侍だからプライドは高いんだね、きっと。
ちょっといけない笑いだけどおかしくて大好きだ。
馬治師匠「笠碁」
初めて落語協会の社員総会に出てきました、と馬治師匠。
私、落語協会の社員だったんですね、知らなかったです。
ちゃんと流れがあって進行していくんですけど、これがやっぱり噺家のやることですから大喜利みたいで面白いんです。みなさんもお金払ってでも見に来た方がいいです。
そんなまくらから「笠碁」。
ご隠居二人がまだ若い感じがしつつ…頭を動かさずにぴょこっぴょこっと様子をうかがう姿がなんともチャーミングでかわいい。独自のサゲが好きだった。
さん助師匠「夏の医者」
小噺をやりかけたんだけどわちゃわちゃに。もう一度やろうとして言えずに断念(笑)。
そんなまくらから「夏の医者」。
訪ねてきたおじさんとその家の息子に呼びかける。返事をしたところで「…まだ鼻ほしいが残ってる…?」に笑う。
隣村の医者の先生を訪ねていくと先生は畑仕事の真っ最中。
先生の種をまく仕草が明らかにおかしい。年を取ってるから?あるいは変人?(笑)。
それじゃお前の家に行こうと二人で歩きだしてから病気の父親が先生と幼馴染であることが分かると、「おらたち若いころはよく二人で悪さをしただ」と言って、夜這いに行った話。それを聞いて「そんな話、聞きたくなかった」と言うセリフがおかしい。
山の頂上で一休み。
ここで先生が一服しながら畑のことばかり話すんだけど、ここ、のんびりしていて大好きな場面。でもここでも先生がちょっと異常な感じすらするのがさん助師匠らしくておかしい。
うわばみに飲まれてからの先生の落ち着きぶりと、下剤を花咲じじいのように撒くのがたのしい。
やつれはてたうわばみもさん助師匠らしくて面白かった!
くちなし
★★★★
別れた愛人の左腕と暮らす。運命の相手の身体には、自分にだけ見える花が咲く。獣になった女は、愛する者を頭から食らう。繊細に紡がれる、七編の傑作短編集。
表題作を読んで「え?前からこんな風な作風だったっけ?まぁ最近はこういうのが流行ってるからねぇ…」とちょっと失礼な感想を抱いてしまったのだが、「愛のスカート」でヒリヒリして「あ、すごく好き」と思い、「薄布」で「ぬおおおお」とひれ伏した。
ものすごくデリケートなんだけど凄みを感じる作品群。
「山の同窓会」も好き。
愛することのみっともなさ、揺るがさな、うつろいやすさ、わかりあえなさ。
自分の中のデリケートで弱い部分を時々ちくっと刺すような表現や描写があってドキドキした。
よそ者たちの愛
★★★★★
孤独や言い知れぬ閉塞感を抱えながら、都市の片隅で不器用に生きる人々。どこにでも、誰のなかにも存在する“よそ者”たちの様々な思いを描く。ハンガリー系ドイツ語作家によるほろ苦くも胸に沁みる十の物語。ブレーメン文学賞受賞作品。ドイツ語文学の最高賞、ビューヒナー賞受賞作家による短篇集。
「普通」から外れてしまった人たちが、非力な自分の力でどうにかしようともがいたり、ひと時誰かと番ってみたり、前に進もうとしたり、道に迷ったりしている。
短編集なんだけれど、人物や景色がシンクロして、それがまた自分も物語の中で迷子になってしまっているような感覚で楽しい。
不安になったり自分の足元がぐらつくような物語が多いのに不思議と少し慰められる。
どれも好きだけど「エイリアンたちの愛」「チーターの問題」「賜物 または慈愛の女神は移住する」が特に好き。
久しぶりにガツンときた短編集だった。とてもよかった。
餃子のおんがえし
★★★★★
食エッセイ界の遅咲きの新星、じろまるいずみの初エッセイ集。
チャーハンにステキなサムシングを入れてしまう母親
グラタンが好きな吸血鬼……
ごはんにまつわるウソみたいなホントの話の数々。
笑えるのになぜかレシピまでついている異色の料理エッセイ!自ら居酒屋を切り盛りし、飲ん兵衛の舌を肥やしてきた著者が書く、思い出と紐付いた濃厚な食の記憶を軽妙に描いたエッセイは、これまでの「食エッセイスト」とは一味違う、骨太の読み応え。笑える料理エッセイになぜかすべてレシピがついているという形式が特徴的。noteで書かれたものに大幅に書き下ろしを加え、これまで書いてこなかった生い立ちに触れたエッセイも。一方、そのレシピは実用的でありながら、読み物としての強さもあるテキストが魅力。なぜか読むと「できる」気がしてくる、読むだけで自信を持たせてくれるレシピエッセイ。
面白かった~。
食に関するエッセイなんだけど著者の食べることや美味しいものに対する熱と、いろんなことを面白がる人間性が相まって、面白いし読んでいてとっても楽しい。
エッセイの間に盛り込まれているレシピも分かりやすくて美味しそうですぐにやってみたくなるものばかり。
そしてなんといってもタイトルがいいし、きっとこの本が出たのも「餃子のおんがえし」だったんだろうなと思うし、私が出会えたのもそうなんだと思う。
一度目の結婚で実際にされた「嫁いびり」もなんだか笑える。ご本人の危険察知能力と逃げ足が速そうなところも好きだな。
デッドライン
★★★★
修士論文のデッドラインが迫るなか、「動物になること」と「女性になること」の線上で煩悶する大学院生の「僕」。高校以来の親友との夜のドライブ、家族への愛情とわだかまり、東西思想の淵を渡る恩師と若き学徒たる友人たち、そして、闇の中を回遊する魚のような男たちとの行きずりの出会い―。21世紀初めの東京を舞台にかけがえのない日々を描く話題沸騰のデビュー作。第41回野間文芸新人賞受賞、気鋭の哲学者の初小説。
主人公は大学院で哲学を学び修士論文に苦しみ、友人と映画を撮り音楽を作り、夜毎性交をする相手を求めてハッテン場をさまよう。
自分と他者との境界や差異を考え自分は何を「言祝ぐ」のだろうかと思考する「僕」と、友人たちと映画を撮ったり音楽を聞いたり家でリラックスする「僕」と、男を漁る「僕」。
慣れ親しんでいる「小説」とは違う回路で進んでいくような…不思議な感覚。
哲学的なのか敢えて物語らしさをそぎ落としたのか正直私にはよく分からない部分もあったけれど、面白かった。
これはゲイの人たちにとったらリアルな小説なんだろうか?
ザリガニの鳴くところ
★★★★★
ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。
6歳で家族に見捨てられたときから、カイアはたったひとりで生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女を置いて去ってゆく。
以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。
しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく……
みずみずしい自然に抱かれた少女の人生が不審死事件と交錯するとき、物語は予想を超える結末へ──。
置き去りにされたカイアがあまりにも可哀そうで前半は読むのが辛かった。
湿地の自然、鳥たちを唯一の友だちとして知恵を絞ってどうにかして生き延びようとする少女カイア。
彼女に手を差し伸べてくれたジャンピン夫婦、そして彼女に文字を…学ぶことを教えてくれたテイト。
彼女がどれだけ助けを必要としていたか、友だちを、自分に寄り添ってくれる人を求めていたかと思うと胸がつぶれる想い。
それでも圧倒的に不利な裁判の時に駆けつけてくれた人たち。それは彼女が何も求めず崇高に生きたことの証だったのかもしれない。
「ミステリー」の範疇には収まりきらない感情や知識が詰め込まれた作品。
とても面白かった。
たおやかに輪をえがいて
★★★
風俗に通う夫、不実を隠した父、危険な恋愛に耽る娘…夫の心も、娘の顔も、今は見たくない。結婚20年、主婦・絵里子の人生は穏やかに収束するはずだった。次々つきつけられる思いがけない家族の“真実”。大きな虚無を抱えた絵里子に、再び命を吹き込むのは整形した親友、乳癌を患った老婦、美しい風俗嬢…?人生の中盤、妻でも母でもない新たな道が輝き出す傑作長編。
夫と娘のために献身的に専業主婦をやっていた絵里子が、夫と娘の秘密を知り自分がなによりも大事にしてきた「家族」というのはなんだったんだろう、自分は何か間違ってしまったのだろうかと、自分の人生を見つめなおす。
前半はヒリヒリするくらいリアル。
後半、一人旅のエピソードや自分の母親と語り合うシーンはグッときたけど、絵里子が変わっていくストーリー展開はちょっと安直に感じてしまったなぁ…。安いテレビドラマじゃないんだから。ちょっと残念。
十字屋落語会 馬治・さん助ふたり会
7/17(金)、「十字屋落語会 馬治・さん助ふたり会」に行ってきた。
・まめ菊「狸札」
・馬治「鮑のし」
・さん助「二十四孝」
~仲入り~
・さん助「胴斬り」
・馬治「猫の災難」
馬治師匠「鮑のし」
数か月に及んで全く仕事がなくなって家にこもりっきりの生活。
師匠からは「とにかく今は歯を食いしばって耐えて落語の稽古をしろ」と言われたのでやってみたけど落語っていうのは本来歯を食いしばってやるものじゃないっすね、と言う言葉に笑う。噺家なんていうのは皆様方と違っていろんなことを考えたりしないもんですから。私なんか頭の中は競馬と落語のことだけ。それが競馬も落語もなくなっちゃうとほんとに何もなくなっちゃって退化する一方。
この間久しぶりに人前で落語をやる機会があって「紙入れ」をやることになっていたんです。
前日やってみたら大丈夫そうだったので、いけるだろうと思っていたんですが。
まくらの「町内で知らぬは亭主ばかりなり」の「町内」が出てこない。あれ、なんだったっけ、なんか他の言葉で同じ意味になるように…と考えた挙句「世界中で知らぬは亭主ばかりなり」。…なんだよ世界中でって。
…ぶわはははは。
噺家さんってみんなこのコロナ禍で同じような反応なのが面白いなぁと思う。
もちろん困ってないわけじゃないんだけど、まぁもとから仕事ない時は家にいたし…こういう時こそ稽古しろって言われるけど披露する場もないのに稽古って言われてもなかなかねぇ…。
寄席も人数を制限しなくちゃいけなくて大変っていうけど、俺らが前座の頃は10人入ってないなんてざらだったし…いまさら何を言う?
やせ我慢も入っているのかもしれないけど、でもぎゃあぎゃあ言ったりじたばたしないでぼんやりしているっていうところに、噺家の矜持を感じるのだった。
そんなまくらから「鮑のし」。
甚兵衛さんがぼんやりしていて呑気なんだけど真剣なのが独特ですごくおかしい。口上の稽古をして「これが言えねぇと持続性給付金がもらえねえんだな?」なんてセリフが出てくるのも馬治師匠らしくておかしい。
大家さんのところに行ってからのやりとりも、甚兵衛さんが大真面目なのがおかしくて笑った笑った。
楽しかった!
さん助師匠「二十四孝」
暇なもんですから映画を見に行きました、とさん助師匠。ハッピーエンドで見終わった後「明日もがんばるぞ」と前向きになるような映画は好きじゃない。
かといって人が死んで涙を流すような感動ものも嫌い。
私が好きなのは、黒板を爪でひっかくような…見終わっていや~な気持ちになるような…そんな映画です。今お客さんが引いて行くのをひしひしと感じましたけど。いいんです。
で、私が見ようと思ったのが「アングスト」です。これはもうあまりにも過激なので長年上映禁止になっていた…DVD化することもできない問題作ということで。いったいどんな残虐なシーンがあるのかと期待に胸をふくらませて見に行ったんですが…。おそらく劇場は映画マニアみたいのが来てるのかと思いきや、若いカップルが多い。
で、見てみた感想なんですが…。あの…。ええと…。予告編、うまく作りやがったな、です。今も見られると思うので見てみてください。そんなでもなかったです…。
…相変わらず説明下手なさん助師匠。いったいどういう映画なのか、どういう映画を期待して見に行ったのかイマイチ伝わってこない(笑)。
そもそもホラー映画好きとも思えないし…。
想像するに人間の残酷性とか人間性の破壊とかそういうものを描いた作品とかそういう後味の悪い…見終わってモヤモヤするような映画が好き、と言いたかったんだと思うんだけど…。
それから東京の感染者が毎日増えていることについて。ある人数を超えると母親から電話がかかってくる。「お前、大丈夫なのかい?」と。で、必ずその後に言う言葉が…いったい私を…芸人をどう思ってるんですかね。「お前も芸人だからしょうがないのかもしれないけど…でも今はホストクラブには行っちゃいけないよ」。…ホストクラブなんかに行くわけないのに。まぁ幾つになっても親にとっては子どもってことなんでしょうか。
そんなまくらから「二十四孝」。
大家さんを訪ねてきたくまさんが存外へらへらしていて大家さんにもペコペコしているのが独自。
でも二人の会話からくまが乱暴者で母親を「どこかのばばぁ」呼ばわりして蹴とばしていることがわかる。大家さんはそんなくまを諫める気持ちで「お前にいい話を聞かせてやろう」と二十四孝の話をするんだけど、これをまぜっかえすくまがおかしい。「またばばぁが何か食いたがるんだろう?!唐のばばぁは食いたがるねぇ!」
「わかった!孝行の徳で感ずったんだろ!またよく感ずりやがったな!」さんざんバカにしていたくまだけれど、親孝行したら小遣いをやると言われて「じゃ孝行するわ!」と家へ。
聞いてきたとおりに鯉が食いたいか?タケノコが食いたいか?と母親に聞くも「川魚は泥臭いから嫌い」「歯が悪いからタケノコは食べられない」。
訪ねてきた友だちに聞いてきた「二十四孝」の話をするけどこれもめちゃくちゃ。
最後は酒を自分の体に吹き付けて蚊を自分におびき寄せて母親に蚊が行かないようにしてやろうと思うんだけど、酒を注ぐとぐびぐび飲んでしまう。
この飲みっぷりが本当に美味しそう~。
どたばたしてるくまさんとさん助師匠が重なって面白かった!
さん助師匠「胴斬り」
胴斬りにあっても平然としているのもおかしいけど、そう聞いて「だからお前はいつも酒ばっか飲んでるから」と説教を始める兄貴分もおかみさんもおかしい。
こんな姿になっちゃって一人で帰れないから家まで連れて帰ってくれよと頼んだくまが「抱っこ」と腕を差し出すのも笑ってしまう。
下半分の働きぶりを見に蒟蒻屋に行って、話し出すときの指の動きが…(笑)。これほんとバカバカしくて好き。
サゲを2パターンやるっていうのもなんか面白かった。
馬治師匠「猫の災難」
お隣のおかみさんにもらった鯛のおあまり。3枚におろした後で頭と尻尾の間に骨がつながってる(?)って初めて聴いた!なるほど!!
あと兄貴が訪ねてきて「鯛があるじゃねぇか!」と喜んだ時に、くまが「いやこれは違うんだよ」「いやこれはさ」と言いかけるのも面白い。くまはだますつもりはなかったけど兄貴が早合点して言えなくなっちゃった、っていうのがわかりやすく伝わってくる。
兄貴が酒を置いていなくなちゃってから、酒の方をじーっと見るのが…酒飲みの卑しさが出ていておかしい!
それも一杯飲むとますます飲みたくなっちゃうの、わかるなぁー。飲んでいくうちにどんどん気が大きくなっていくのも、どうでもよくなってぐうぐう寝ちゃうのも、なんか憎めない。
めちゃくちゃお酒が飲みたくなる「猫の災難」だった。よかったー。
むらさきのスカートの女
★★★★
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない“わたし”は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。『あひる』、『星の子』が芥川賞候補となった話題の著者による待望の新作中篇。
本人にそんなつもりはないのだろうが世間からはみ出して人目を引いてしまうむらさきのスカートの女。
彼女から目が離せなくて執拗に観察して距離を縮めようとする黄色いカーディガンの女である「わたし」。
同じ職場で働きだしたむらさきの女が意外にも職場で信頼を得るようになり、上の人たちともうまくやり、果てには上司と不倫…?
むらさきの方がどんどん世間に寄せていくほどに黄色の方は疎外感を感じて裏切られたような気持になっていったのだろうか。
直接描かれているわけではないのに、黄色い方の生活の苦しさや孤独感、居場所のなさが伝わってきて身につまされる。
安全な場所から冷静に見ていたはずの自分がいつか、むらさきのスカートの女になっているかもしれない。
あるいはむらさきの女など最初からいなくてそこにいたのは孤独で誰からも顧みられない黄色いカーディガンの女だけだったのか?
淡々としているけれどどこか歪んでいて寂しくて怖い。
芥川賞受賞、おめでとうございます。
フライデー・ブラック
★★★★
新人作家としては破格の注目を集め、一躍アメリカ文学界の最前線に立つ一人となったナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー。その視線は、ローカルな日常から近未来的なディストピアを照射し、全人類に根源的な問いかけを挑む。
音楽の世界ならケンドリック・ラマー(ラッパー初のピュリッツアー賞受賞者)やチャイルディッシュ・ガンビーノ(2019年度のグラミー賞受賞者)、映画・テレビの世界ならばジョーダン・ピール(『ゲットアウト』『アス』)やドナルド・グローヴァー(テレビドラマ『アトランタ』。チャイルディッシュ・ガンビーノと同一人物)など、新世代のアフリカ系アメリカ人クリエイターたちの感覚と呼応する、アメリカ文学界からのパワフルでシニカルでスリリングな一撃。
「ブラック・ライヴズ・マター」の過酷な現実に生きながら、日常SFともいえるようなシュールでストレンジな展開を生み出す想像力の豊かさやその筆力は、一度足を踏み入れた読者を引きずり込むような圧倒的な引力をもつ。
映像や音が浮かんでくるような臨場感のある物語体験と、根底に流れる強く深いメッセージ性を、身体で感じてください。
いまもまだこんなに差別があるの?と一昔前なら思ったかもしれないがBLM運動も記憶に新しくまぎれもなくこれが「今のアメリカ」なのだろう。
正義とは?人権とは?と憤りを覚えるが、コロナ禍で差別やヘイトがさらに激しくなってきていることは日本も同じ。
差別される側は悪目立ちしないように常に丸腰であることを周囲にアピールしつつ生きていかなければいけない。しかしそれが我慢の限界に達した時…。
表現がロックというかポップなので、残虐なシーンも過激な音楽とともに流れる映像のよう…。表現の仕方が見事だと思う。
「フライデー・ブラック」は消費社会に渦巻く暴力性をリアルに描き出していてぞくぞくした。「ジマー・ランド」のおぞましい光景をじっと見つめる子どもの視線が怖い。
辛い物語が多いけれどポップでブラックユーモアいっぱいなのでそれで浄化されてる部分もあるように感じた。
面白かった。
アコーディオン弾きの息子
★★★★★
1999年、カリフォルニアで死んだ男が書き残した「アコーディオン弾きの息子」という回想録。親友である作家は、バスク語で書かれたこの手記を元に、彼ら二人の物語を紡ぎはじめる。死んだ幼なじみが、家族にも読めない言葉で綴り、向きあおうとした過去とは何だったのか。故郷の美しい自然、朴訥で生気あふれる人びと、名士として知られた幼なじみの父のもう一つの顔…。スペイン内戦とフランコ独裁、そしてテロの時代へ。暴力の歴史にさらされた若者たちの震える魂、痛ましい記憶を力強く繊細に描きだす。多彩な人物が躍動する、バスク語現代文学の頂点。
バスクに生まれ育ったダビがカルフォルニアで亡くなる。幼馴染で作家のヨシェバが彼の妻からダビが生前バスク語で書いていたという回想録を受け取り、それを元に二人の共著として物語を書く、それが本書(という設定)。
前半はダビの幼少時代、少年時代が丁寧に描かれる。
自分の属している階級の子どもたちと遊ばせようとする父親に反発しながらも、学校の友だち(裕福な家庭の子どもたち)とも遊び、叔父の農園でそこに住む農民の子に馬の乗り方を教わったり森を探検したり秘密の鍾乳洞を教えてもらったり。
しかしそんな無邪気な日々の中で、遠くはない過去に内戦があり父と地元の名士になっている友だちの父親が非道な行動をとったことを知る。そのことを彼は「彼の第二の目」と表現している。今まで見えなかったもの、見ようとしてこなかったものが見えるようになっていく…。
父への反発と友だちの農民ルビスが父にされたことを知り、独立闘争に係わっていく。
ダビの物語とヨシェバの物語という多重構造が物語に深みを与えている。
ダビの物語で語られなかった部分、ぼかして描かれていた部分が、ヨシェバの言葉で補完され真実が見えてくる。
過激化していく政治活動で人間性が奪われていく過程、二人が最後に行きつく境地に胸を打たれる。
政治を変えることも大事なことだけれど、自分の人生を生きなければいけない、というメッセージが伝わってきた。
素晴らしかった。