りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

さん助ドッポ

11/20(水)、お江戸両国亭で行われた「さん助ドッポ」に行ってきた。

・さん助 ご挨拶
・さん助 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「お関の侠気(おとこぎ)」
~仲入り~
・さん助 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「忠僕嘉助」


さん助師匠 ご挨拶
5月に行われる「さん助ドッポ 深川資料館」のチラシを手に持ちながら。「こちらのチラシ…お店なんかに置かせていただいているんですが、オシャレなんですけど目立たないという欠点が…。あとチラシと思われないというのもありまして…」。「で、このキャパですから一生懸命宣伝して配ってチケットを売らないといけないんですけど、私どうしてもそういうことが苦手でして…。日曜日も20名ぐらい集まる会があってチラシ配ってチケット売らなきゃ!と持って行ってはいたんですけど…懇親会もあったんですけど、どうしても出すことが出来ず…だめでした。いやでも明日からは!心を入れ替えてバンバン売ります!」
…いやほんとに頑張ってくださいよ…。ファンはマジで心配してるんだから。あんな大きなキャパでどうするんだ?と。
コースターのようなチラシ、ほんとに素敵なんだけど、この形状だと例えば池袋演芸場のラックとかにも入れられないよね…。私もこれいただいてたけどチラシと把握してなくて「チラシ作らないのかなぁ」と思ってたもんね…。
さすがにあの大きな会場で両国亭に通ってきているぐらいの人数しか集まらなかったら…寂しいよー。
そういうことが苦手っていうことは重々承知しているけど、頑張ってほしい。大きな会場を取ったんだから。取っただけじゃだめ!!

 

さん助師匠 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「お関の侠気」
阿部四郎治のところに召し捕り方が入ってきた時、妻のお関は胴巻きに有り金と着替えを入れて裏口から出て行った。
そこへやって来たのは義松。お関の無事を喜び、自分ももう少し早く来ていたら捕まるところだったと胸をなでおろす。
二人でどこへ逃げるかと話をするとお関が、自分には弥兵衛という兄が1人いて京都で会津小鉄の子分になっている、という。
兄は江戸っ子なので義松のことを「亭主」と紹介すれば悪いようにはしないはず、と言う。
義松は、自分は三蔵の口利きで清水の次郎長の子分にしてもらった手前、黙ってここを去るのは心苦しいが、三蔵が地方へ出かけて行ったきり帰って来ないので、ちょうどいい。お関と一緒に京都へ行き小鉄親分の元で最後の花を咲かそうじゃないか、と言って二人は手に手を取って京都へ。

京都ではお関の言った通り兄の歓待を受け小鉄の元へ入った義松。すぐに馴染み自分にも子分が付くようになる。
義松が出かけて留守の間に子分たちが宴会をしているが、子分たちの間でも会津藩主の最近の動向については意見が分かれるところで子分同士の喧嘩が勃発しそうになった時に義松が帰って来て「お前たち、それどころじゃないぞ。新政府軍が京都に入ってきて幕府軍と一触即発になっている」と言う。
血気にはやる男たちは「戦だ!」と出張って行くのだが、幕府軍は劣勢で京の町は火の海と化す。
義松とお関は命からがら京を出ようとするのだが鉄砲を持った新政府軍に囲まれてしまう。
新政府軍はお関に目を止め、義松にはそのまま行っていいが女は残していけという。
すでに足が痛くてもうこれ以上走れないから義松一人で逃げてくれと訴えていたお関は「お前さんだけでも逃げておくれ」と言う。
義松が去りかけると、とたんにお関に襲い掛かる男たち。しかし「なんだこの女は!舌を切って死んでやがる!」という声が聞こえ、慌てて戻る義松。

お関に駆け寄ろうとした義松に新政府軍の男たちが襲い掛かろうとするが、義松は懐に入れていた刀(?)で男たちを次々斬り殺す。
そして全員倒した後でお関を抱き上げると、息も絶え絶えのお関が義松に語りかける。(舌を切ったのに話せるのかよ?という疑問は残るが、速記にそうあったということなので文句があったら談洲楼燕枝に言ってくれ、とのこと)

「お前さんは前にあたしに向かって、自分は女も男も一人も殺したことはないって言ってたけどそれは嘘だって私はわかってたよ。お前さん眠るとよくうなされてるんだ。お糸…お静…お京…俺が悪かった赦してくれ…って。いつも苦しそうにうなされてたよ…。だけどお前さん、約束しておくれ…もう誰も殺さないって…。」そう言ってお関は息を引き取る。

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ここまでが「お関の侠気(おとこぎ)」。
仲入りの後にさん助師匠が、「実はさっきの場面、セリフが飛んじゃってそれで短く終わっちゃいまして。そこからやり直します」と言ってやったのが、お関に駆け寄ってからの場面。

そもそも義松は次郎長の子分になっていったい何をやったんだ?心を入れ替えて幕府のために一肌脱ぎたいなんてことを三蔵は言ってたけど、義松がやってたのは結局は追いはぎまがいの行為。さらに親分のおかみさんであるお関といい仲になって逃げだすけど、そんなに二人の間に絆ってあったんですかね?そもそも義松に情があるとは思えないし。

お関が義松が毎夜うなされてると言って女の名前を挙げた時は、笑う場面じゃないんだけど笑いが止まらなくてやばかった。なんやねん!な気持ちでいっぱいやねん!

 

さん助師匠 初代談洲楼燕枝の述「西海屋騒動」より「忠僕嘉助」
もう次回で西海屋も終わるので、私がどのようにしてこの「西海屋騒動」をまとめてきたかというお話をしようと思います、とさん助師匠。
西海屋騒動の速記本、古本屋なんかを探したんですが見つからないんですね。
それで国立演芸場にある図書館に通ってコピーを取りました。
あそこでは本を持ち出すことはできませんし、コピーも一度にできる量が決められているんです。
我が家から国立演芸場は決して近くはない…そこに雨の日も風の日も雪の日も…いや雪の日は行かなかったですけど、そうやって通ってはこつこつコピーしました。上下巻に分かれていてそれぞれが400ページ(だったかな?)あるんです。俺はいったい何をしているんだ?と思う日もありました。
で、あそこでは会員証を作らないといけないんですが、芸人だと芸名で作る人もいるらしいんですが私は本名で。でもある時国立演芸場に出番があって…演芸場の図書館の人に面が割れちゃいまして…「あの…さん助さんですよね?」って言われちゃいました。あれは恥ずかしかった。

そして私この何年か図書館に行っては「西海屋騒動」を借りてコピーして…とやってるもんですから…3人ほどの職員の方には完全に覚えられちゃいまして。
借りるときには図書館のコンピュータで「西海屋騒動」って入力して印刷ボタンを押して…その紙をカウンターに持って行くんですけど…もうある時からその様子をカウンターからにやにやしながら見られて…コンピューターのキーを押すとニヤリと笑われるようになりました…。

これ、速記本によくあることなんですけど誤植とか間違いがあるんですね。74席目の次が75席じゃなくて54席って書いてあったり…。で、私も管理がよくないもんですからきちんと整理できてなくて、この間54席まで取ったからじゃ55席目からってコピーして家に帰って見たらダブってた、なんてこともありました。


…ああーーそんな苦労して作り上げていたのか。くうーーー。なんか聞いていて話がどうしても破綻しているように思えて、ちゃんと全部読んでからやればよかったのに…なんて勝手なことを思ったりもしていたけど、そんな簡単な話じゃなかったんだね…。それを見切り発車で(失礼!)始めてしまうところがいかにもさん助師匠らしいな…(ほめてます)。

そして、初代談洲楼燕枝という人はとても学識豊かな人で当時圓朝とライバルと言われていたようなんですが、談洲楼は難しいからお客さんが高座の間に眠っちゃったり…談洲楼の方が圓朝より好きだと言うと当時でも「通」と呼ばれた、なんてこともあったようです。そんなまくらより、本編へ。

所変わって江戸の王子当たり。
侍風の男が二人ほろ酔い加減で歩いている。するといかにも旅の者と見られる老人が坂道をよろよろ歩いてきた。それを見て「いいカモが来た」と二人。
老人の前を立ちふさがり、困った老人が右へ避ければ右へ、左へ避ければ左…そうしているうちに老人がつんのめって侍の裾へ泥を付けてしまう。
侍の一人が「無礼打ちにしてやる」と言うともう一人が「まぁ待て」と宥め、老人に向かって「その懐に入れている胴巻きを渡せば赦してやる」と言う。
老人は「これだけは勘弁してくだせぇ」と懇願するが二人はもともとそのつもりだったので引くはずもない。

そこへ通りかかった浪人風の侍。汚い身なりで脇に刺しているのは木刀。「自分に免じて許してやってくれ」と間に入るのだが、「お前は何者だ?そんな汚い身なりで」と二人は相手にしない。
押し問答を続けていたが「ならば勝負しよう」と浪人が言い、木刀で相手になるかと二人は笑うのだが、この男がものすごい剣術の腕前。あっという間に二人は倒されてしまう。
そこへ新政府軍の役人が通りかかり「この二人はならず者で先ほども食い逃げをして、後を追っていた」と言って連れて行く。

後に残された浪人と老人。「旅の疲れもあるでしょうから我が家へいらっしゃい」と言い屋敷に連れ帰る。
この浪人風の男、もともと花五郎の師匠で、当時10歳だった松太郎を預かり剣術を指南した原田新十郎。
道場には弟子もたくさんいて人望も厚い。

新十郎は松太郎を呼び「お前はいくつになった?」と聞くと「15になりました」と松太郎。今まで事情も聞かずに剣術の指南をしてきたが、お前は剣術をこれほどまでに稽古をしたからには理由があるのだろう、それを聞きたいと新十郎。
聞かれた松太郎は「自分の親を殺した清蔵と義松に仇討ちをするつもりで、稽古に励んできた」と言う。「やはりそうであったか。しかし仇討ちをするためには証文が必要だ。」と新十郎。
そう言われた松太郎は、証文は嘉助が持っているのだ、という。しかし嘉助とはこの3年連絡が取れなくなってしまった。まずは嘉助を探さないと…。

二人がそう話していると、扉の外で老人が泣いているのが聞こえる。
立ち聞きとは無礼だぞと新十郎がふすまを開けるとそこにはこの間助けた老人が。「松太郎おぼっちゃま…こんなところでお会いできるとは…」
号泣する老人こそ、嘉助本人。(出た!イッツアスモールワールド!)
嘉助はこの3年の間に父親が死に母親が病気にかかり身動きが取れなくなりそうこうするうちに花五郎が行方知らずになり松太郎の行方もわからなくなってしまったこと、江戸に出たという噂を頼りに江戸へ出てならず者に大事な金を奪われそうになったことを話す。
自分も一緒に仇討ちに行くと言う嘉助に、仇討ちには自分が同行するからお前は私の兄一之進のところへ手紙(兄は幕府の残党として徒党を組み決起しようと新十郎に言ってきている)を届けてもらいたい、と頼む。
最初は固辞していた嘉助だったが、最後は折れて大事な手紙を一之進の元へ届け、その後故郷に戻り母親の看病をしながら吉報を待つことを約束する。
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おおおお、いよいよ西海屋で数少ない「いい者」の登場だー。もういろいろ記憶の彼方なのだが、そういうときにだらだら覚えてることを書き散らかしたこのブログが役に立つのだー。
【西海屋の奉公人嘉助が番頭から主に成り上がった清蔵から松太郎を殺すように言われ清蔵に証文を書かせる。また松太郎を殺したと清蔵には報告するが、花五郎に預け15になるまで剣術を仕込んでくれと頼む。】

結局最後は仇討ちになるのだったら、松太郎目線の話にすればスカっと気持ちよかっただろうに…という気がしないでもない。
なんというか、結局何をメインに語りたかったのか、ここまで聞いてもいまひとつ納得がいかないのだよな…。
でもとにかく悪悪悪、悪を描ききったとも言える。
例えば豊志賀だと彼女の怨念がそうさせた、という理由付けがあったけど、西海屋の場合はそれがない。生まれた時から悪。義松の場合は花五郎に殺されかかった母が命を賭けて守ったのだが幼子だった義松。それを「誰も助けてくれなんて頼んでない」「生きていて何もいいことなどなかった」と語る。

でもまぁよくぞここまでやり切った。そして聞き切ったよ、私たちも。いよいよ次回が大団円!