りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

柳家小三治独演会

4/18(木)、調布市グリーンホールで行われた「柳家小三治独演会」に行ってきた。

・小はぜ「人形買い」
小三治「馬の田楽」
~仲入り~
小三治「小言念仏」

小はぜさん「人形買い」
わーい、小はぜさんだ!しかも「人形買い」!!
独演会だから前方は小はぜさんしか出ないわけで、持ち時間もいつもより長め。
とはいえ「人形買い」は長い噺だしどうするのかなーと思っていたら、小僧さんを連れて長屋に向かうところまで。
それでもちゃんとお人形を買う場面もあったし、季節にぴったりで素敵!そして余計なモノは何も入れてないのにちゃんと面白い!
これだけのお客さんを前に「人形買い」をやるなんてすごいわー。

小三治師匠「馬の田楽」
ここはずいぶん立派になりましたね、と小三治師匠。
私にとっては…ここは一面の梨畑です。戦争の前…鉄道で来ると川があって…あとはさつまいも、梨の畑が広がっていた。
戦後、私は新宿に住んでましたけど、食べる物のない時代、くるまを引いてここまで来た記憶があります。両親がここに畑を持っていた。もしかすると借りていたのかもしれません。でも今思うと新宿からここまで…歩いて来られるのかどうなのか。
鉄道も今はずっと先まで伸びてますけど、あの頃はここらへんまでだった。この先は狐と狸ばかりでしたよ。住んでいたのは。

小三治師匠の話を聞いていたら私にも目の前に梨畑が見えるようだった。
私も子どもの頃少しだけ京王多摩川に住んでいたことがあって、そのころは今のように地下鉄ではなく高架で川があってがらーんとしていて…梨畑があったかどうかは覚えてないけど、確かにその光景は見えてきた。

それから戦争中宮城に疎開してその時隣の家に厩があってちょうど窓を開けるとそこに馬がいる気配があって…あの頃は馬とは仲良くはなれなかった。
戦争が終わって東京に帰ってきたら一面焼け野原になっていて、自分の家は父親の学校の父兄がトタンなんかを集めてきてくれて急ごしらえでどうにか住めるようになっていたけど、伊勢丹の焼け跡と富士山のほかは何も見えなかった。
そこにある日、馬を連れた男が通りかかって、その馬が家の前でぐずぐずぐずと倒れてしまい、男が馬にすがってオイオイ泣いていて、そのことは強く覚えてる。

馬のことは置いておいて…あの頃はいろんな物売りがやってきた。夏は金魚売り。金魚鉢や洗面器を天秤棒に乗せて…金魚が赤くてきらきらしてきれいだった。
自分たちも食い物に困っているくらいだからもちろん金魚を飼うようなゆとりはなかった。
でも金魚がキラキラきれいでそれが飛び出すんじゃないかと心配で…近所の子どもと金魚売理の歩いていく後ろをただただ付いて歩いた。
それから納豆売り。あれは子どもがやっていた。まだ小学生ぐらいの子ども。買いに行くと納豆と辛子を入れて渡してくれる。
あとは…おでん。おでんといえば…。
昔、ラジオでいろんな演芸番組をやっていたんだけど、その中に素人落語大賞みたいな番組があって、中学生の頃私はそれに出て連続で勝ち進んで行った。
あの時1週勝ち抜くと2千円賞金でもらえた。当時の2千円と言えば大金。自分の家は厳しくておこづかいなんかくれなかったからこれは嬉しかった。親に預けたりしないで自分で使った。
どうするかっていうと、近所で遊んでいる子供を集めてきて、おでん屋を止めて、「なんでも好きな物を食っていいぞ」って言う。
みんないつもお腹を空かせていたから「え?いいの?卵でもいい?」「ああ、なんでもいいよ。食いたい物を食えばいい」なんて言って。
顔だけ知ってるような子どもで別に義理も何にもない。食うだけ食って彼らはいなくなってそこで自分がその二千円からお金を払う。
そんなことをしてました。
法外なお金をもらって…ああいうことをしたかったんでしょう。大人みたいな顔をして。

それから家族で秩父に旅行に行ったとき、その宿屋に馬がいた。
親父が私を抱いて乗せてくれました。でも私は怖かった。馬が。全然楽しめなかった。
噺家になってから飛騨高山ファーム(だったかな)というところに何度か行ってそこで馬に乗れるようになりました。
最初は怖かったけど徐々に馬のことがかわいくなってきた。こちらがかわいいと思うと向こうもかわいいと思ってくれるんでしょうか。徐々に心を通わせられるようになった。
はらりとまたがってぱっぱかぱっぱか走る…とまではいかないけど、でも一人で乗って走れるようになった。
娘とベルギーに行った時、観光客を乗せるための馬がたくさんいて…その馬に近づいて行って、鼻先をなでてやったら馬が喜んで顔を摺り寄せて来た。よしよしなんて言って撫でていたら。
宿に帰って娘に言われました。「おとうさんがあんなに馬と仲良しになれるなんて思ってなかった」って。あれは嬉しかったなぁ。

…この日の小三治師匠、次から次へと頭の中にいろんなことが湧き上がってくるみたいで、話が止まらない。
話がどんどん脱線していくのは何度も見ているけど、この日の小三治師匠はなんかどんどん蘇ってくる光景に心を奪われているようで、そのあふれ出してくる光景が聞いてる側にも見えてくる。すごく不思議な体験。
何度も「落語やりましょう」「やりますよ、落語のようなものを」と言いながらも、その光景に心を奪われたまま…。


そんな長いまくらから「馬の田楽」。
まくらで馬のことが再三出て来たからきっと「馬の田楽」だなと思っていたけど、ちょっと不思議な「馬の田楽」だった。
まくらでちりばめられた光景にふわっと浮かび上がるような…風景の一部のような…そんな感じ。
落語としてみたら焦点がぴたっと合うというよりは少しぼんやりしてたかもしれないけど、でもそれがこの噺ととてもマッチしていて、不思議な感覚。
小三治師匠がいつも「自分が何を話し出すかわからない」「どんな落語になるか自分でやってみるまでわからない」とおっしゃっているけど、この日の落語はまさにそうだったんじゃないかなぁと思った。
すごく不思議な体験ができてほんとに来てよかったーと思った。

まくらも長かったけど噺も長かったから、終わったときにはすでに終演時間5分前。
師匠が立ち上がるのも大変そうで、ちょっとドキドキしてしまった。
もしかしてブロッサムの時のようにこれで終わりになるかなと思ったけど、ここのホールはもう少し寛大らしく仲入りに。

小三治師匠「小言念仏」
一席目がものすごく長くなってしまったことを謝る小三治師匠。
謝ってはみたものの「でもああなっちゃったんだからしょうがない」「次はもうお客さん来ないだろうな」「半分に減るかな」「でもこれだって面白い体験」と開き直ったりもしておかしい。
私はすっごく楽しかったなぁ。こんな体験、小三治師匠の落語でしか味わえないもの。
落語のうまい下手とか名人芸とか人間国宝とか私にはよくわからないけど、たくまずに面白い、想像もしてなかったものを見せてもらえる楽しさがあるから小三治師匠の落語の世界が大好きなんだ。

それでもう時間がないからこういうばやいあれしかないです。
でも見たら昨年もここでは時間オーバーして小言念仏やってるんですね。しかもあの日の小言念仏はとってもいい小言念仏だった。
それをまた今日もやろうっていうんですから…。

そう言いながら、陰陽のまくらに入りながら、また少しずつ話が脱線していく…。
昨日は俳句会があってお題の一つに「山桜」が出ました。
今、桜と言えばソメイヨシノだけど、江戸時代に桜と言えばそれは山桜のことだった。
山桜といえば…
ああ、この話はよしましょう、また長くなる、そう言いながら、またはらはらと桜の花びらが落ちてくるように、小三治師匠の中に話したいことがふわふわと落ちてくるみたいで…。
でもそこからようやく「小言念仏」。
おかしかったのは「どじょうやを入れるんじゃないよどじょうを入れるんだよ」のところで「どじょうを入れるんじゃないよどじょうやを…」と言いかけて「あ、逆だった。もうわからなくなっちゃうよ」。
ぶわはははは。また小三治師匠が落語そのものになっちゃう状態だ。楽しい~!

終わってみれば30分オーバー。楽しかったー。