りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

雲助浅草ボロ市

12/9(土)、浅草見番で行われた「雲助浅草ボロ市」に行ってきた。
今年はもっと雲助師匠を見たいと思っている。それにはやっぱりこの会でしょう~。
雪の予報だったからお客さん少ないかなと思っていたけどなんのなんの。開場前に入れてくれたけどどんどんどんどんお客さんが入ってくる。雲さま人気すごい。


・市坊「道灌」
・雲助「時そば
・龍玉「もぐら泥」
~仲入り~
・雲助「菊江の仏壇」


雲助師匠「時そば
名前を変えてずっとやってきたこの会、さすがにネタも尽きてきた。
主催者も気を使ってくれて「ボロ市」からはスケを一人頼み仲入り前にたっぷりやってもらうことに。たっぷりやってほしいから、この際うまい下手は別にして、とにかく長講好きな…長くやらないと気が済まない…リトルさん喬みたいな若手を探して来てもらってる。

…ぶわはははは!!!雲助師匠の口から「リトルさん喬」という単語が飛び出したのがもうおかしくておかしくて大爆笑。

と言いながら今日は龍玉なので、あいつちゃんとやってくれるかな、とそっちの方が心配、と。
お蕎麦は音を立てて食べるからおいしい。これを周りに気を使って音をたてないようにして食べたらうまくもなんともない、と言って、おそばをすくって周りをきょろきょろ見渡して音をたてずにちくちくちくっと食べるしぐさ。もうこの一連の動きがおかしくておかしくて。豊かな表情とデフォルメされた動作がたまらない。

そんなまくらから「時そば」。
最初の蕎麦屋さんのお蕎麦のおいしそうなこと。出汁のいい香りがこちらにも漂ってくるようで、思わずごくり。
二番目の蕎麦屋さんの蕎麦がなかなか出てこなくて客が所在なく着物の袖をパタンパタンとするところ。何度見てもほんとにおかしい。規則的なようで不規則な動きもあって目が釘付け。
思わず吐き出すほど苦い出汁にべちょべちょの蕎麦。しかも「世間では景気がいいなんてことを申しますが私どもはもう毎日家族が命をつないでいけるかどうか」。
張り切って家を飛び出してきた男がどんどん気落ちしていくのがおかしかった~。


龍玉師匠「もぐら泥」
スケがたっぷりやりますとハードルを上げられたけれど、いつものように淡々といつもの噺。
龍玉師匠って自分の会では凄い長講をやるけど寄席や二人会だとほんとに決まった噺ばかりでそこが不満。もっとそういう噺を増やせばいいのになぁ。なんか勿体ない。

とはいえ、泥棒の鯉のまくらだけですごい完成度の高さで、最初に泥棒が脅すところの迫力に場内しーんとなって、泥棒の親分の最後のセリフで会場がどっかん!!と大笑い。すごい。

龍玉師匠の「もぐら泥」は何度も見ているけど、今回はたっぷりバージョン。
泥棒に入られる家の旦那、帳面があわなくて何度も計算しなおしておかみさんに「お前なんか俺に内緒で買わなかったか?」。
女房は「ええ?そんなこと…あらいやだ。そういえばおみつさんとお揃いで反物を買ったんだよ」。
そんな会話をしている家の外では泥棒が土を掘って中から腕を入れて鍵を開けようとしている。
この旦那、もうちょいイラっとくるとおかみさんを殴りそうだし、おかみさんはどこかの男と浮気していそうな悪の雰囲気。
泥棒に気づいた旦那が細引きで縛り上げてそれをおかみさんがあれこれ言うのを聞いて泥棒が二人を説得しようと泣き落としにかかったり脅しにかかったり…。この泥棒も隙があれば家に火をつけそうだし人殺しもしそう。

みんながみんな本気で悪そうな雰囲気を醸し出してるの、すごい。
泥棒に声をかけられて助けようとしたもののがま口を見つけて逃げ出す男もこれからますます転落していくんだろうな、と思わせる。
内容のばかばかしさと登場人物の悪の気配のギャップが面白い「もぐら泥」だった。

 

雲助師匠「菊江の仏壇」
若旦那の道楽…と始まったので「木乃伊取り」かなと思っていると、若旦那のお嫁さんのお花が病に伏せている…うわっ「菊江の仏壇」!私が落語の中で一二を争うほど嫌いな噺!

何が嫌いってこの若旦那。お嫁さんに来たお花さんが病気になったのに見舞いにも行かず吉原通い。花魁の菊江に入れ込んでいるんだけど、この菊江がお花に瓜二つ。お花は良くできた女でそこに息が詰まる、それに引き替え、菊江は自由奔放で一緒にいて楽しい、と。
なんて勝手な男なんだーと思うのだ、いつも。それが…。

大旦那が酔って帰ってきた若旦那を部屋に呼びつけて小言を言うところ。
お花を見初めて嫁にしたいと言ったのはお前じゃないか。一人娘で嫁にやるのを渋るのを何度も説得してようやく嫁に来てもらえたというのに、お前ときたら最初のうちは遊ぶのをやめたが3か月もするとまた吉原に通うようになり…と大旦那に言われた若旦那が、自分のそういうところは親父譲りなのだ、と言う。
大旦那が「堅い自分と遊び人のお前、どこが似てると言うのだ」と怒ると、若旦那が親父は神信心であちこちの寺や神社に通っていたが、ある時大きな仏壇を買ってこれで満足したあと思っていたら3か月もするとまた寺に通いだした、と。
これにはちょっと笑ってしまった。

あと、大旦那がお花の見舞いに出かけたあと、若旦那と番頭の会話。
店の金を10両ほど都合してくれと言う若旦那に「そんなことはできない」と番頭。
そこで、若旦那が番頭が新内の師匠を隣町に囲ってることを知っていると脅すんだけど、このシーンも「恐喝かよ!」といつもは腹が立つんだけど、番頭が慌てるけどそれほど深刻に受け止めてないようで…大旦那といる時は堅い大旦那に合わせているけれど、実は遊び人のところもある番頭で、だから若旦那の脅しにも全く動じてないのかな、と思わせる。だからいつもは嫌いな場面だけどそんな嫌悪感は感じなかった。

そんな番頭に「なんであんなにできたお嫁さんを大事にしないのだ」と言われた若旦那が「できてるからいっしょにいると見透かされているようで…」と言う。
さらっと一言だけそう言って、それを聞いた番頭も「まぁわからないじゃないですが」。
うおおお、この部分が若旦那が感情的に訴えれば訴えるほどイラっとくるところなんだけど、この一言だけでなんかこう伝わってくるものがあって、この噺の印象が全く変わった。

確かに勝手な話ではあるけれど、大旦那がお花のことを庇えば庇うほど若旦那は孤立してしんどくなったのだろうな、と。
お花が病気になって、それは自分のせいだからそばにいてやらなければならないと思えば思うほど重荷になって、そこから逃げ出したくなっていたのか。

今日ばかりは吉原に行ってはいけない。そのかわり菊江をここに呼びましょう、と言う番頭。
店は早じまいにして奉公人には自分の小遣いから酒やご馳走を買って懐柔。
大はしゃぎをしていると、お花が亡くなって若旦那への怒りに燃えた大旦那が定吉を連れて帰ってくる。
この間の悪さといたたまれなさが酷いんだけどなんかばかばかしくもあってちょっと笑ってしまう。

うおおおお。なんでこんな噺を落語に??と思い続けてきたけれど、こんなことまで最後ちょっと笑ってしまうからこその落語なのかも。

なんかほんとに目から鱗で、感動してしまった。雲助師匠ってすごい…。
しかもそれを噺を大きく変えたり説明を加えたりしないのに、ふわっと伝えてくるって。

私の好き嫌いなんてほんとは自分の偏狭さとか理解力のなさから来ているのかもしれないなぁ。決めつけはいかんなぁ。
大満足な会だった。