りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

ロマン

 

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

 
ロマン〈2〉 (文学の冒険)

ロマン〈2〉 (文学の冒険)

 

★★★★★

歓びと笑いに満ちた19世紀の小村。最もスキャンダラスな作家が描く戦慄のスプラッター・ノヴェル。

 ソローキンの「青い脂」読書会に行った時、出席していた方たちが「一番度肝を抜かれたのは”ロマン”」「ロマンは凄い」と言っていたので、読まなきゃ!と思いながら、なかなか読む気になれず、長い間積んでいた。
最近、読書熱がまた高まってきたので、今なら読めるかも、と読んでみた。

上巻はソローキンを読んでいることを忘れるような抒情的で文学的な内容。
都会の生活に倦んだロマンが弁護士の仕事を辞め画家になるために懐かしい故郷に戻ってくる。
育ての親である叔父叔母の歓待を受け、近しい人々との親交を温め、初恋の女性と再会する。
百姓たちとの交流は、どんなに「彼らは私たちの仲間だ」と言葉を尽くしても階級の差異を見せつけるようでスリリングだがそれ以外は何かが起きるような気配はない。
上巻の後半になって叔父さんのおふざけに狂ったように笑う場面、サウナの場面(氷のハンマーを思い出した…)、そして狼との場面に、少しソロ様風味…狂気の予感は感じさせるが、そこまででもない。

後半はロマンが狼に導かれるようにして出会った娘タチヤーナに一目ぼれし、次の日には求愛、その次の日には婚礼となる。
婚礼の様子が詳細に描かれる。
教会で式が行われるときに、ロマンが急に我に返ったように熱病のような恋愛感情を手放しそうになる場面があるのだが、あれは何かを暗示していたのか。
その後結婚のパーティのシーンでは、その時の感情は全く取り払われて、タチヤーナへの愛情が繰り返し描かれ、育ててくれた叔父叔母、知り合い、招待した村中の百姓との抱擁、キス、歓喜、がうんざりするほど繰り返される。

いったいこれがどういうふうに帰結するのか、なにかとにかく物語がひっくり返るような出来事が起きるとは聞いていたので、読みながら、ここか?ここでそうなるのか?…いや違った、じゃここで?と期待しながら読み進めていると、ついに…。おう。そうきたかーー。
くーーー。もうなんて感想が書きづらい小説なんだ。何を書いてもネタバレになってしまう。
といって、それを聞いてなかったら前半で挫折する恐れがある。
かくいう私も、1巻はなかなか進まなかったもの…。

-------------------------以下ネタバレ---------------------------------

 

 

 

婚礼のパーティが終わり、二人っきりで二階にあがったロマンとタチヤーナ。
そこには婚礼の祝いの品が積み上げられている。
タチヤーナは二階に上がろうとしたときに村の鼻つまみ者のパラモンから渡された木でできた鈴が気に入り、ロマンは厭世的な医者クリューギンからもらった斧が気に入る。
斧には「振り上げたら斬り落とせ!」という銘が入っていて、ロマンはそれを持つと今度は今まで愛情を吐露し続けてきた人たちを次々と殺し始める…。

そして最初はその様子が細かく描写されているのだが、村の百姓を殺す場面になるともう描写も省かれて、その行為が機械的に繰り返し繰り返し書かれる。
同じ文章が何度も何度も繰り返されると、本のページは模様のようになり、文章をきちんと読む必要を感じられなくなる。
それでもどういう結末が待っているのか知りたくてただただページをめくり続けると、ロマンの行為はいよいよ常軌を逸していき、読者はもう何も感じることもできないような状態でそれでもやはり読み進めていくことになる。

これはいったいなんなんだ?
一つだけわかることは、ソローキンはおそらくこの後半を書きたいがために、それまでの細かい情景描写、うんざりするほどの感情や愛情の吐露を描いてきたのだろう、ということ。
壊すことを目的に、緻密に積み上げていったのだろう。
それは文学の限界に挑戦しているのか文学への決別を表しているのか、あるいは徹底的な人間性の否定なのか。
私にはわからないけれど、とにかくなにかもうすごいものを読んだな、という感動は残る。

面白かった。(と言っていいのか?)