りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

末廣亭9月下席 三代目桂小南襲名披露興行

9/21(木)末廣亭9月下席 三代目桂小南襲名披露興行に行ってきた。
 
・歌春 漫談
・うめ吉 俗曲
・南なん「置き泥」
小遊三「替り目」
~仲入り~
・襲名披露口上(遊喜、金太郎、南なん、小南、歌春、小遊三
ボンボンブラザーズ 曲芸
・遊吉「粗忽の釘
・金太郎「大安売り」
・まねき猫 物まね
・小南「菜刀息子」
 
南なん師匠「置き泥」
南なん師匠の「置き泥」久しぶり!
昨年の夏はかなりの回数聞いたけど今年はほとんど聞いてない。師匠の中でマイフェバリット落語って入れ替わっていくんだなー。
久しぶりだったせいか、時間を短縮しようとして最初の部分を省いたせいか、序盤ちょっとごにょっとしたけど、徐々にエンジンがかかってきて、楽しくなってきた。
なんとなく陰気に始まるから初めてこの噺を聞く人は少し戸惑うのかもしれないな。
なんといっても南なん師匠の「置き泥」は、家にいる大工が他の人の噺ではないぐらいの絶望をたたえている。もうほんとにどうしようもなくなって「動かない」感じ。
でもその分、泥棒がお金を出してきたときの心のほぐれ方が、いいんだよなぁ。
こいつから金を巻き上げてやれっていうよりは、自分の話を聞いてくれる泥棒にほっとしてどんどん開いていく感じ
 
煙草借りて吸い始めて軽口をたたくところが大好き。
「お前にもきっといいことがあると思う…よ?」でいつもほわっとなる。
よかった~。

 

小遊三師匠「替り目」
今日もこの後の打ち上げが楽しみで来ています、と小遊三師匠。
なんでもご馳走してくれるそうですから。
それで飲み食いしていい気持ちで家に帰ってもそのまま寝たりはしない。
ビール一本ぐらい飲んで、でもまぁビールはお腹膨れるからその後日本酒に切り替えて5合ばかり。そこらへんでかみさんはあきれて寝ちまうから、ここからがあたしの時間!ってなもんで。
ま、日本酒は口が甘くなっていけねぇやっていうんで、いただきもののウィスキーを出してきて飲んで、ようやく気が済んで寝るんだけど、もう布団になんかちゃんと入れない。そのままばたっと倒れ込んで、気が付くと昼近く。
そんなに腹もへってねぇなっていうんで、おじやかなんか食って、テレビでワードショーの残りを見て、薄暗くなってきた頃に這うようにして家を出て、で今こうして高座に上がってみなさんの前にいるわけで。
噺家の生活なんてそんなもん。
 
そんなまくらから「替り目」。
正直寄席で聞きすぎてうれしくもなんともない噺なんだけど、それでももうとっても楽しいんだ、小遊三師匠だと。
底抜けに明るくてパーパー楽しい。
おかみさんが酔っぱらった亭主にあきれてるんだけど、でもなんか面白がってもいて。
亭主の方もおかみさんとの会話を楽しんでる感じ。
好きだなぁ、小遊三師匠の落語。楽しい。
 
襲名披露口上(司会:遊喜、金太郎、南なん、小南、歌春、小遊三
司会が遊喜師匠。いつもの早口でかる~い語りなのでそれだけで笑ってしまう。この師匠、大好き。
 
金太郎師匠。小南師匠が入門してきたときは高校を卒業したばかり。でもそのわりに酒も遊びも女も自分たちより知っていて、特に女に関しては…南なんなんかは教えてもらったほう。
師匠の名前を継いでくれてこんなにうれしいことはない。なによりこれからは「おい、小南」って呼び捨てにできるのがうれしい。
でも真打になっても師匠の名前を襲名してもいきなりたいしたものになれるわけじゃない。それは私たちも同様。でも一人だとたいしたことなくても、一門なら…南なん、私、小南のこの3人が集まれば強くなれますから。3本の矢ですね、つまりは。
 
…おお、金太郎師匠、なんてちゃんとした口上!
そしてこうやって3人並ぶと、そうかー一門なのかー一緒に前座修行をした仲間なのかーとなんか感動。
 
南なん師匠。襲名の披露目ってお金がかかるんです。(小南師匠は)春日部の出身で実家では畑を持ってるんですけど、この披露目のために裏の畑を1つ売ってます。
畑があるっていったって、大変なんです。耕して種をまいて水や肥料をやって。それでせっかく作物が育ったなと思ってもカラスにやられたり畑荒らしに持って行かれたり。
だからこれからもよろしくおねがいします。以上です。
 
…ぶわははは!なんて南なん師匠らしい口上なんだ。ちょっと不思議で素敵。
なにより、南なん師匠がこうやって口上の席に並んでいるっていうのがもう珍しすぎてときめく~。
 
小遊三師匠。
小南師匠のことを気が利いて楽屋での信頼も厚いと持ち上げたり、ちょっとふざけたり…。楽しかった。
 
小南師匠「菜刀息子」
大きな拍手に迎えられ深々とおじぎをして頭をあげるなり「ちょっと緊張してます」。
菜包丁のまくらから「菜刀息子」。初めて聞く噺。
 
父親(店の大旦那)が「菜刀ではなく紙切り刀を誂えさせろと言ったのに、お前は何をやってるのだ」と息子をしかりつけている。
母親は息子をかばって「この子が間違えたんじゃなくて刀屋が間違えたのだ」と言うと、「だとしたらなお悪い。間違ったものを差し出されたら、どうしてこれは違う!と突き返さなかったんだ」とますます父親は怒る。
「この子は気が弱いからそんなこと言えるわけがない」と母親が言うと「お前がそうやって甘やかすからいけないのだ。お前はいったいいくつになった?」
問われた息子は「ぴえー」と泣くばかり。
母親が「そうは言ってもこの子ぐらいの年だと世間ではやれ吉原だ品川だと遊んで親を困らせている。この子は煙草さえ吸わないしやった小遣いを残すぐらいなんだから」と言うと、父は「小遣いも使い切らないというのは甲斐性がないからだ。世間へ出て苦労したほうがいい。出てけ!」と言う。
父親の怒りがおさまるまで二階に上がってなさいと母が息子を二階へ追いやる。
 
夕飯の時間になっても息子が降りてこないので母が二階へ行ってみると部屋はもぬけの殻。
遅くになっても帰ってこないので懇意にしている鳶の頭を呼び、行きそうな所を探してきてもらうがどこにもいない。
何日何か月経っても戻ってこないので、死んでしまったに違いないと夫婦はあきらめて葬式を出す。
 
1年経ったある日、夫婦で天王寺へお参りに行ったとき、母親が乞食に施しをしようと言って席を立とうとすると父親は「ただ金をやったらいかん。何か大きな声を出させて、それへの祝儀という形でやってこい」と言う。
大勢いる乞食一人一人に金を渡す母は、そこに死んだと思っていた息子の姿を見つけ…。
 
…笑いどころはあまりない噺なのだが、1年が過ぎたことを外を通る物売りの声で表現したり、冬の寒さや夏の暑さなどしぐさで表したり、なかなか渋い噺。
あとで調べたら先代の小南師匠がされていた噺らしい。
 
声も話し方も独特な小南師匠。正直、あんまり好きなタイプの噺家さんではないのだけれど、味わい深くてよかった。