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りつこの読書と落語メモ

はてなダイアリーからブログに移行しました。

末廣亭12月下席夜の部(1日目)

12/21(水)、末廣亭12月下席夜の部に行って来た。
トリプルヘッダーの疲れも癒えないまま末廣亭昼の部に通い続け、その芝居も終わり心身ともにがっくりなワタクシ。
いやしかし待てよ。
まだ私が一生懸命働いていたころ(←今も働いているが今は一生懸命じゃな…もごもご)、毎晩終電で家に帰り「コンピュータの疲れはコンピュータでしか癒せない」と言ってPCを立ち上げてブログを書いたりゲームをしてたりしていたではないか。
ということは、落語の疲れは落語でしか癒せないのだ!末廣亭の疲れは末廣亭でしか癒せない!
とおかしなテンションで末廣亭へ向かう。


・扇辰「雪とん」
・歌之介 漫談
~仲入り~
・菊千代「雑排」
・ペペ桜井 ギター漫談
・朝馬「蜘蛛駕籠
・南喬「粗忽の釘
・勝丸 太神楽
・今松「三井の大黒」

扇辰師匠「雪とん」
仲入り後からでいいかなと思っていたのだが、いやもう少し前に入ろうと思ったのは代演が扇辰師匠だったから…。
長いこと苦手だったのに不思議なもんだなぁ。

鈴本で見て「いいっ!」と思った「雪とん」。
浅めの出番だからショートバージョンだったんだけど物足りなさは感じず、テンポがよくむしろ面白く感じた。
船宿のおかみさん、田舎者の若旦那、糸屋の娘、食わせ物の女中、そしてお祭り佐七。
それぞれの人物がくっきり。
佐七がお糸の袖をつっと引っ張って、明かりをふっと吹き消すだけで、なんともいえずかっこいい。
 
菊千代師匠「雑排」
一回も…くすりとも笑えなかった。
さん助師匠の「雑排」があんなにも狂気じみて面白いのって逆にすごいことだな、と改めて思ったのだった。

ペペ桜井先生 ギター漫談
好き好き。毎回同じでも全然いい。ペペ先生が出てきてくれたらそれでもう幸せ。


朝馬師匠「蜘蛛駕籠
浅草で見た時はいつも漫談だけだったので今日もきっと同じでしょと思っていたので、おお、落語もちゃんとするんだ!(←とんでもなく失礼)と。
やりながら「この噺疲れるな…そのわりにウケないし。噺を間違えたな…」。

…ぶわははは。
でもあの浅草でウケる漫談より私はこっちの方がうれしい。


南喬師匠「粗忽の釘
南喬師匠は小三治師匠のトリの時に通って見ていて毎回面白くて大好きになっていたので、うれしい!

八っつぁんの粗忽ぶりがわざとらしくなくて、なんかこういう人ほんとにいそうですごくおかしい。
「落ち着かせていただきます」と上がり込んでからの「ええ。特に用事ってぇんじゃないんですよ」っていう変な落ち着き方が確かにほんとに落ち着いていてたまらなくおかしい。
そしてサゲも違ってるんだよな。これって小南師匠風味なんだろうか。
もっと見たいな、南喬師匠。


勝丸さん 太神楽
なんだろう、このインチキ感(笑)。


今松師匠「三井の大黒」
職人の地位が低くなっている。もっと職人を大事にしなくちゃいけないというまくらから「三井の大黒」。

京にいる甚五郎のもとに「大黒様を彫ってください」と使いがくるところから。
引き受けたもののその気になれないのか毎日酒を飲んでぶらぶらしている甚五郎。
京にも飽きたから江戸へでも行くかと金を手に江戸へ向かう。
そこで江戸の大工が仕事をしているところを見ながら「仕事がぞんざいだ」「まずい」とぶつくさ言って大工たちからポカポカ殴られているところへ、棟梁の政五郎がやってくる。

江戸へ来る前の場面が扇辰師匠や扇遊師匠にはなかったんだけど、これがあることで、甚五郎がもともと酒を飲んでごろごろしていることが多かったことや、江戸へぶらっとやってきたことがわかる。

また甚五郎もそんなに天然って感じではない。ぽんしゅーというあだ名もつかない。
甚五郎が名前を聞かれてごまかしたとき、政五郎は「自分の名前を忘れる奴があるかよ。」と言いながらも「まぁまぁいいや」とそれ以上深追いしなかったりと、大物っていうか大雑把っていうかそういう印象。

初日に現場に行って「木を切れ」と言われて、ぴったりくっつくほどの腕前を披露したものの、帰って来てそのまま二階へ上がり、政五郎から「若いもんが失礼なことをしてすまない。」と謝るとそのままなんの仕事もせずに寝たり起きたり。
おかみさんが文句を言い始めたので政五郎は甚五郎を呼んで「お前さんもいつまでもぶらぶらしてないで仕事しろ」と言って自分が行ってる現場に連れて行くと、確かにとても腕がいいことがわかる。
この腕前なら大丈夫だろうと他の現場に行かせてしばらくすると、客から苦情が来る。

政五郎が甚五郎を呼んで言う。
京都と江戸では仕事の仕方が違うのだ、と。
京都では丁寧な仕事をするが江戸は火事が多いこともあって丁寧よりも早いことの方が重要視される。
お前の仕事は丁寧で見事だが江戸では歓迎されない。
腕を磨こうと思って江戸に来たのだったらそれは無理だ。江戸にいてもお前の仕事の足しにはならないから帰った方がいい。
でも今すぐ帰ることはない。何か小さいものでもこしらえて小金を貯めてから帰れ。

なるほどーーー。
なんか今までこの噺に感じていた疑問というか違和感がすべて払拭された感じですっきり!
初日に見事に木を切って帰って来てそれ以降二階でぶらぶらするようになったのは、気を悪くしたわけじゃなく、もともとそういう人だったんだ!
あといきなり大黒を作り始めるのではなく、政五郎に連れられて大工仕事もしていて、腕が見事ではあるけれど江戸で求められる大工の仕事とは違う、ということでそこから大黒を彫る流れになったのか。
猫の手も借りたいぐらいだったのにいきなり彫り物をするっていう流れが「ん?」だったんだけど、なるほどー。

甚五郎が風呂へ出かけていき政五郎が仕事を見てみようと二階へ上がって大黒を目にして「これは生半可な大工じゃない」と分かるのだけれど、そこもごくあっさり。
客が訪ねてきてあいつが甚五郎と分かっても、そんなに恐縮したり扱いが変わったりもしないけれど、自然に「先生」と呼ぶ。

ああっ、いいなぁ今松師匠の落語って。
ごくあっさりしているんだけど何も不足がないし、説明してるわけじゃないけどストンと腑に落ちる。
やっぱり私はこういう落語が好きだなー。
その語りの中にすべてが入っていてその世界がしっかりしているから、安心して身をゆだねられる。
素敵だ。今松師匠。