りつこの読書と落語メモ

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服従

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「小説の生命力」
野崎歓(フランス文学者)
終わりの始まりを描く。それがウエルベックの自らに課してきた使命である。だがフランス共和国イスラーム化という大胆きわまる設定のもと、ヨーロッパ文明の終焉──ないしは「安楽死」?──を悲痛に物語るかに見えて、実は小説という、まさしく西欧的な産物の健在ぶりを示すところに作者の凄腕を感じる。なるほど、もはや政治にも宗教にも社会を束ねる力は残っておらず、主人公の文学部教授が示すとおり、学問にも知性にも期待はできないのかもしれない。だがそうした苦境を一見鬱々と、しかしユーモアもにじませて描き出すことで、小説は自らのしぶとく、しなやかな生命力を証しだてる。ウエルベックプルーストでも、サルトルでもなければ、もちろんロブ=グリエでもない。ウエルベックは現代のバルザックなのであり、十九世紀以来の形式に焦眉の社会問題を激突させることでロマンを鍛え直す。ウエルベックとともに、終わったはずの小説は不敵な笑みを浮かべつつ蘇るのだ。

難しいことはよくわからないのだが、やけにリアルで笑い飛ばしたいけどそれができなくて顔がひきつってしまう。
今の日本が戦前に逆行しているようできな臭い嫌な感じがしてならないのだが、ヤバイのは日本だけではないのかもとこれを読むと気づかされる。

もはや政治にも宗教にも何の興味も期待も持てず、それなりに仕事をして収入を得て時々恋愛ができてそこそこ安定した暮らしができればそれでいい。
そんなムードが充満する世界でまさかのイスラム政権の成立。どんな恐ろしいことが待っているのかと思うとそれが案外そうでもない。
そうでもないはずはないのだが、しかしそんなに過激なことがなされるのでなければ、あまり大騒ぎしないであるがままを受け入れる。それがなんとなく今の風潮をあわらしているような気がする。

信仰を持たない平和ボケの頭でっかち。それが私たちなのかもしれない。
結局民主主義も自分で作り上げたものではなく生まれたときにそうだった、それを良しとする教育を受けてきたにすぎない。民衆は現状に服従するのが一番幸せ、ということなのだろうか。

中年の危機を迎えた主人公がイスラム教徒ではないことを理由に大学をクビになり、それでも年金はもらえるしまぁこれはこれでいいのかもと思っているところに、学長から招待を受け彼の邸宅を訪れるとそこにはまだ少女のようなかわいらしい妻がいる。
一夫多妻制ってなんかいいかも…というところからこの政権を受け入れることを決意するというのが、いかにもウエルベックらしいのだけれど、案外現実もそんなものなのかもしれない。