りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

小三治独演会 習志野文化ホール

6/2(火)、習志野文化ホールで行われた小三治独演会に行ってきた。

・〆治「お菊の皿
小三治「千早振る」
〜仲入り〜
小三治茶の湯

小三治師匠「千早振る」
知ったかぶりのまくらから「千早振る」。
小三治師匠の「千早振る」は何回も見ているけど、今まで見た中で一番丁寧な「千早振る」。
大げさじゃないのに先生と八との会話がやたらとおかしい。
「あーなるほどね」「ええ、ええ」と話に引き込まれる八がかわいいし、自分も一緒になってころっと引き込まれてみたりする楽しさ。
ああ、落語って楽しいなぁ!
これだから小三治師匠はやめられないんだよなぁ…。

小三治師匠「茶の湯
最近の私の落語を見に来てる人は御存じでしょうけど、時々ほんとに自分で何話してるかわからなくちゃう。「千早振る」も自分で何度もやっててやるたびに面白い噺だなぁと思うんですけど、さっきのもわからなくなった瞬間があって…。
でももう驚かないんです。なぜなら私は昔からそうだったんで。噺をきちんと筋道立てて覚えてないから…。

…最近そんなことも言うようになった小三治師匠。
それをとやかく言う人もいることは知ってるけど、私はもうそれはそれで受け止めてる。
だって時々ほんとに小三治師匠自体が落語そのものみたいになる時があって、そういう高座に当たるともう幸せとしか言いようがなくて、噺のあそこが飛んだとかあの名前が出てこなかったとか、そういうことがどうでもよくなる。
そういうのが許せないという人の気持ちもわかるけど、私はいいんだ、そういうのはもうどうでも。

1週間ほど前にNHKで「そうかもしれない」という映画をやっていたんだけど、この映画に花屋の役で出ていると言う小三治師匠。
認知症になった妻、それを見守る夫の物語で、やっていた時はどちらにも共感しなかったんだけど、今見ると身につまされました、と。
でもそれよりもなによりも自分が若い。私はずっと「その年に見えない」と言われていて自分でもそのつもりでいましたけど、今10年前の自分を見ると、やけに髪の毛が黒々してるんです。そういえばあのころはよくそう言われました。でも考えてみると最近言われなくなった。年齢に追いついたんですね。それにしても大衆っていうのは正直だ。最近言われなくなったもの。

そんなまくらから「茶の湯」。
小三治師匠の「茶の湯」を生で見るのは初めてでうれしい〜!
いやもうこのご隠居と定吉のかわいいことったら…。
定吉が買ってきた青ぎなこを難しい顔をしてじーーっと見ていたご隠居が、にこっと笑って「そうだ。青ぎなこだ。」と言うと、もうそれだけで笑ってしまう。

茶の湯に誘われた長屋の人たちが引っ越しを考えるくだりもなんかじわじわおかしい。
すごく楽しい「茶の湯」だった。
会社休んだ甲斐があったなぁ。楽しかった。