りつこの読書と落語メモ

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奥泉光×いとうせいこう文芸漫談 シーズン4 第14回 ナボコフ『ロリータ』

1/30(金)、北沢タウンホールで行われた「奥泉光×いとうせいこう文芸漫談 シーズン4 第14回 ナボコフ『ロリータ』」に行ってきた。

登場するなり「お正月はどうでした?」と奥泉さん。
「お正月…ですか?もう明けてからずいぶん経ってますけどね」といとうさん。
「僕は飲んだくれてました。いつものことですけど」

そんな奥泉さん。
今回は新幹線で行ったらしいのだが、それがファミリーで満員で子どもが多かったので結構騒がしかったらしい。
そこかしこで騒がしくなりかけては親が「しーーっ」「静かに!」「しっ」と注意する声。
子どもがうるさいのはまあしょうがないよと思っていた奥泉さんだったのだが、どこかで子どもの一人で「おならぷー」と言うと子どもが大ウケ。それを真似て違う席の子どもが「おならぷー」。またそれを真似て他の子が「おならぷー」。
おならぷーが車内に溢れかえった、というのに笑ってしまう。

また、年をとって自分は酒が強くなったと言う奥泉さん。
「それはないでしょ」と懐疑的ないとうさんに向かって「いや、多分長年酒を飲み続けて行って肝臓が強くなったんだと思う」と。
「なぜなら若い頃はちょっと飲み過ぎると気持ち悪くなったりもどしたりしていたけど、最近は全然なくなった」。
「それは気持ち悪いと反応する中枢が加齢で衰えたんですよ」といとうさん。
「もどすのだってすごい体力がいるでしょう。なんかあの瞬間って動物になったって感じがしません?」
「あーあるね。その感じは。確かにあれはすごい力だよね」
「そういう力がなくなってきたってことですよ。動物としての能力が衰えたんです。」

…調子に乗る奥泉さんをたしなめるいとうさんといういつもの図がめちゃくちゃおかしい。
今回は「ロリータ」なのでもう雑談はこれぐらいにしてととっと始めましょう、とふたり。
「私は正直言って苦手です、これ。だからナボコフスキーのいとうさんにお任せします」と奥泉さん。

ナボコフとこの作品の紹介はしなくてもいいですよねという奥泉さんにいやそうはいかないですといとうさん。
まずはこの作品がアメリカに亡命したナボコフが英語で書いた作品であるということ。
また当時非常にスキャンダラスな話題をかっさらい、賛否両論あるものの、世界中で読まれている作品であるということ。
仕掛けずきのナボコフがこれでもかと仕掛けをいれまくった作品であること。
そんな説明をして、早速中身へ。以下、全然まとめられなかったので覚書。

一部
(1)前ロリータ期
主人公ハンバートとアナベルとの幼い恋。
この時はまだハンバートも幼いので、いわゆるロリコンではない。
ハンバートが英文学の学者ということもあって、非常にブッキッシュ。
ハンバートが惹かれる幼い少女のことを彼は「ニンフェット」と呼んでいる。
ハンバート自身による「ニンフェット」の定義。

九歳から一四歳までの範囲で、その二倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ、人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女が発生する。そしてこの選ばれた生物を、「ニンフェット」と呼ぶことを私は提案したいのである。

この物語が、裁判にかけられる男(ハンバート)が陪審員に向かって書いた作品である、ということに注目。
一人称で書かれた小説の場合、それは「信頼できない書き手」である、ということ。

ハンバートは二重生活を送っている。
隠れ蓑としてヴァレリアという女性と結婚をしながら、公園でニンフェットを見ながら妄想。
ハンバートがアメリカへ渡ろうとするとヴァレリアが思わぬ抵抗をする。理由は実は愛人がいたから、と。
その愛人が誰かわかるシーンが抱腹絶倒。
さらに、ふたりがそののちどうなったかという顛末がアメリカの民俗学者が行う実験の被験者になり、バナナとナツメヤシだけ食べてつねに四つん這いの状態でいる、という実験。

非常にリアルな小説の中で時々挟み込まれるバカバカしいエピソード(非リアリズム)。
ハンバートハンバートという名前が「H.H」で書いてみると「目」をイメージさせる。
物語の中に繰り返し「目」「サングラス」が出てくる。

(2)アメリカへ
移り住むはずの家がちょうど火事になってしまったといって、運転手がびしょ濡れで登場。(バカバカしさ。フィクション性の強調) 仕方なく案内されたのがヘイズ夫人の家。いかにもアメリカの中流家庭という家にぞっとするハンバート。 ヨーロッパからアメリカを見る上から目線。
ロリータとの出会い。そのときロリータは「サングラス」をかけている。サングラスごしの出会い。 はすっぱで下品な娘。一目惚れしてヘイズ夫人の家に住むことに。
同居と同時に日記を書き始めるハンバート。ロリータの一挙一動に性的な興奮。嘆かわしいがまだ犯罪は犯していない。

(3)ロリータがキャンプへ。
ヘイズ夫人からの求婚を受けるハンバート。結婚すればロリータを好きにできるという欲望。
ヘイズ夫人はアメリカ中流の女性の代表のような描かれ方。それに対してハンバートの意地悪な視線。
キャンプから帰ってきたロリータを今度は寄宿学校へ入れてしまおうとヘイズ夫人が考えていることがわかり、ヘイズ夫人を殺すことを決意。しかしできない。
ヘイズ夫人に赤裸々な日記を読まれ絶体絶命のピンチに。
しかし隣の人にひき殺される。都合のいい展開。(フィクション性の強調)

(4)ロリータを迎えにキャンプへ
母親が死んだことは伏せてキャンプから連れ出しホテルで眠らせていたずらをしようと考えるハンバート。
しかし薬が効かない。
効いたかどうか一晩中様子を伺い、そのシーンが詳細に語られていくのだが、朝のシーンであっさりとふたりは結ばれてしまう。
しかもロリータの方から。キャンプで性体験をしてきたロリータが子どもしか知らない遊びだと思って仕掛けてくる。

二部
(1)モーテルからモーテルへ。
風俗小説としての輝き。取材力。物語の厚み。
ロリータとハンバートは一種の共犯関係がある。
しかしロリータが時々泣いているシーンが。そうせざるをえなかったロリータと、ロリータのことを愛するようになっていくハンバート。
楽園でもあるが地獄でもある。
不浄なものと美しいものの落差。

(2)ビアズレーへ。
ロリータは演劇に目覚め、どんどん悪くなっていく。
二人の関係が煮詰まり、ロリータの提案で再び旅へ。
ここにはロリータの策略があった。
それを予感するハンバートはどんどん妄想にとりつかれてきて、狂気の世界へ足を踏み入れる。

(3)ロリータの逃亡。
その後、ロリータのあとを追いかけてモーテルを探して歩く。宿帳の名前を見て犯人の意図を読み取ろうとする。(ブッキッシュ)
リタとの出会いで少し救いがあるものの、ついにロリータからの手紙が来て再会へ。
非常に美しいシーン。
かつての面影はなくニンフェットでもないロリータを前に、自分は「この」ロリータを愛しているのだ、と気付く。
彼女の逃亡を助けた人物の名前を聞き出し、復讐へ。その結果、裁判にかけられている。

最後まで読んで序文を読むと作者の企みに気付く。
そこかしかに仕掛けがあり、スキャンダラスで醜悪ではあるけれど非常に美しい小説。
フランス語の言い回しがたくさん出てきたりして、文学とは言語の収集であるということをあらわしている作品。