りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

第119回江戸川落語会 〜柳家小三治一門会〜

12/10(水)、江戸川区総合文化センターで行われた「第119回江戸川落語会 〜柳家小三治一門会〜」に行ってきた。
昨年も行ったはずのこの会。場所が遠くて開演時間が18時半と早いので有休をとって行ったのだが、新小岩の駅に降り立ってみてもまったく見覚えがなくて自分の記憶力のさらなる衰えにぞぞぞ…。
それでもバス停を探して歩いているとなんとなくそういえばバスに乗って行ったような気がしないでもない。でもない。(どっちや)
本に夢中になっていて危うく乗り過ごしそうになったのだが「江戸川区総合文化センターはこちら」というアナウンスにはっとなり降りると、ああ、たしかにこの風景には見覚えがある。そうそう、神社に向かって行ってその角を右に曲がると…あったあった。そうだ、思い出した。昨年も小三治一門会でマックくん(小袁治師匠)が出て、小三治師匠は「死神」をやったんだ。思い出したどー。(ほっ)

柳家小はぜ「子ほめ」
柳家禽太夫「佐野山」
柳家はん治「背なで老いてる唐獅子牡丹」
〜仲入〜
柳家小三治「野ざらし」

小はぜさん「子ほめ」
大好きな小はぜさん。かわいいしわかりやすいしリズムがいいし、人物が生き生きしているんだよなぁ。
八五郎が口は悪いけどかわいらしくて大笑い。
この日私は最前列のど真ん中だったので表情もつぶさに見えて楽しさも倍増だった。

禽太夫師匠「佐野山」
お相撲が大好きだという禽太夫師匠。家にいるときは3時からテレビをつけてゆっくり楽しむのだけれど、仕事があって見れない日は夜中にやってるダイジェストをチェック。ダイジェストはたったの15分。ってことはムダを省けば相撲は15分でやれるってこと。なのになんであんなに時間がかかるかといえば無駄が多い。
呼び出しだって最初に放送で名前を呼んでそのあとも行司がたっぷりと名前を呼んでそのあとにも…もう名前はわかってるって!
それでようやく相撲が始まるかと思えば今度は塩をまき始める。これも一度ではすまずまた取りに戻ったりしてムダが多い。
好きだというだけのことはあって、呼び出しやしぐさの真似がとても上手で、そういう気分になってくる。
そんなまくらからの「佐野山」。

明るくて楽しい落語で禽太夫師匠にぴったり。
まくらもきいていてお相撲さんの姿や雰囲気が浮かんできて楽しい。相撲に興味がない私でも十分楽しめた。

はん治師匠「背なで老いてる唐獅子牡丹」
いつものように新幹線に怖い人が乗っていた時の話。いつも同じなのにいつも笑ってしまう。
そしてそんなまくらからの「背なで老いてる唐獅子牡丹」。テッパン。
任侠の世界にも高齢化の波が押し寄せて、若いモンを呼べといってもいちばん若いやつで60代。そういう親分は90過ぎて、昔はいい女だった奥さんもすっかり耳が遠くなってる。
親分が、義〜理と人情〜♪と歌いだして(これがうまい!!)「なんだっけ?…♪ふふふ〜ふふ〜かけて〜。なにかけるんだっけ」
「かけると言ったら保険でしょう」
「義〜理と人情〜保険〜にかけて〜。ちがうだろう〜」
これがもう最高におかしい。
世界が出来上がっているから一言言っても全てがおかしいんだなぁ。はん治師匠、大好きだ。

小三治師匠「野ざらし」
12月にお誕生日を迎える小三治師匠。何日とは申しませんよ。なぜかというとこういう席で日にちまで言うと催促されたのかと思って時々プレゼントやご祝儀を送ってくれる方がいらっしゃるから、と言って笑う。何日とはもうしませんけどどうもね調べてみるとね私の誕生日はベートーヴェンといっしょです。でもかなり昔の人だからほんとにこの日が誕生日なのかわかったもんじゃありません。

3日ほど前に宮城で落語会がありました。
新宿の生まれだけど両親が宮城の出身で自分は疎開していたこともあるので宮城は故郷のようなもの。
この間の落語会では両方の親戚が楽屋に集まって大変な騒ぎだった。
疎開したときにはおばさんのことを「お母ちゃん」と呼び、近所のお兄ちゃんにいろんな遊びを教えてもらって…なんていう話をつらつらしたあとで、「それで、そのおばさんが作った梅干がとにかくうまかった」と。それはもう本当においしくて、自分はあちこちのおいしい梅干を取り寄せたり研究したりしたけれど後にも先にもあんなにおいしい梅干を食べたことはなかった。
それで楽屋に親戚が集まったときに、おばさん直伝の梅干を持ってきてくれて本当に久しぶりに食べたけど、これがもうほんとにうまかった。梅干を一つまるごとガリガリ食べたりする人がいるけど、そんなふうには食べられない梅干。楊枝にちょいっとつけて舐めて「うまーーーい」。

それから、羽生選手が「花は咲く」で滑る姿をテレビで見た、という話。
歌についてあれこれ語り、少し歌ってみては歌詞が思い出せずにやめてみたり…しながら、そのうたと滑りを見て泣いてしまった、と。
震災があったとき朝刊に自分の見覚えのある場所、確かにあそこに大きな木が立っていた、その場所が津波に流されめちゃくちゃにされた写真が載っていて、それを見たときにもトイレにこもって泣いた。
こんなふうにいい加減な自分でもあの光景は堪えた。悲しかった。
「花は咲く」は最初いろんな歌手が出てきて取っ替え引っ替えで歌って…そういう趣旨で作られていたけれど、それを聞いたときは特になにも感じなかった。
でも羽生選手のスケートで使われたのは一人の歌手が歌ったものでそれは本当に素晴らしくて心に響いた。それにあわせて滑る羽生選手の姿も…。

そんな話から釣りのまくらに入り「野ざらし」。
「野ざらし」は何回も見ているけれど、この日はとにかく席が良かったので、表情の一つ一つが見えてその世界に巻き込まれる楽しさを味わえた。
女の骨を釣り上げて供養してうちにも来てもらおう!とはしゃぐくまさんが本当にかわいい。にかーっと笑うとこちらも思わず笑顔になってしまう。
またそれを見て呆れながらも面白がる人との対比が見事で、それだけの噺なのに楽しくてあったかくて、じーん…。
人間は自然の前では無力で大切な故郷も津波で流されてしまったけれど、それでも人間はこうやってバカバカしく楽しいんだよ、といわれているようで、笑いながらもちょっと泣けた。