りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

第578回三越落語会

3/26(水)、三越ホールで行われた第578回三越落語会に行ってきた。

・春風亭一力「たらちね」
柳家一琴「三人無筆」
鈴々舎馬桜 「肝つぶし・鳴物入り」
五街道雲助「抜け雀」
・桂南喬「親馬鹿・伊藤清作」
柳家小三治「猫の皿」

一力さん「たらちね」
昔ながらの落語会らしく、開演18時前に開口一番。
噺をしている最中にも続々とお客さんが入ってきて、「お久しぶりです」なんて挨拶したりしているので(年齢層高め&声も大きめ)、噺を聞くような状態ではない。
そういうものなのかもしれないけど、一力さんが少し気の毒であった。(ハハゴコロ)

一琴師匠「三人無筆」
このままざわざわしたままだったらどうしようと思っていたのだが、一琴師匠があがったときは、ちゃんと噺を聞きますよという雰囲気になって、ほっ。浅草演芸ホールみたいになっちゃうのかと思ったよ…。

字が書けないのに帳付(葬式の記帳係)を頼まれてしまった八さん。家に帰って来るなり夜逃げだ!と大騒ぎ。
話を聞いたおかみさん。帳付はお前さん一人じゃないんだろ?と確認したあと、明日の葬式には早起きして行って墨をすったり座布団を敷いたりお茶を入れたり全部の準備は整えておきな。それでもう一人の帳付が来たら「その他のことはこうして全部やっておきましたので、帳面書きの方はお願いします」と言いな、という。
それはいい考えだ!と八さんが早起きして行ってみると、すでにもう一人の帳付が来て準備は整えている。「そのかわり帳面に書くのだけはお願いします」と言われてしまい、聞けばもう一人の方も字が書けない。さてどうするか…。

わかりやすくバカバカしい噺なのだが、テンポが良くてメリハリがあるので、気持ちよ〜く笑えて楽しかった。

馬桜「肝つぶし」
今日は珍しい噺をやりますと言って「肝つぶし」。あれ、これ聞いたことある。
確かに変な噺なんだよー。

最初は恋煩いした友だちの噺を聞いて笑うバカバカしい噺なのかと思わせて、その後妹が訪ねてきたところから人情噺のようになり、最後は「え?」と驚くような軽いオチで終わるという…。
馬桜師匠は鳴り物も入れてにぎにぎしく演じられていて、噺は陰惨だけど聞きごたえがある。でも個人的にはこういう芝居噺はあんまり好きじゃない。

雲助師匠「抜け雀」
待ってましたの雲助師匠。
いつもの小噺を軽くしたあと「抜け雀」。
特別なくすぐりなどは入らない真っ当な抜け雀なのだが、宿屋の主人が何か言うたびについ笑ってしまう。
人が良くておっちょこちょいで陽気な主人が、絵師にやりこめられても怒りもせずまいったまいったと弱りながらも楽しそうで、それを見てるだけで笑ってしまう。
おかみさんも他の人がやるほどきつくなくて「また一文無しを泊めちゃったのかい。もう何もしない方がいいよ、あたしたちは。寝てたほうが金を損しない分いいよ」とあきらめるのもおかしい。

それに対して絵師がいかにも鷹揚なのがまたいい。
長い噺なので聞いていてなんとなくじれてしまうことが多いのだが、終始楽しい雲助師匠の「抜け雀」だった。

南喬師匠「親馬鹿」
これが面白かった!
大工の八五郎のところに親戚のおじさんが若い男を連れてくる。人手が足りないと聞いて気を利かせてくれたようだと言うおかみさん。ちょうど八五郎がいない時に連れてきたらしいのだが、これがとってもいい男だった。だけど鼻にかけてる風もないしまじめそうだしぜひ雇いなよ!と言うおかみさんに、「断ってくれ」と言う八五郎
なんでかと問うとうちにはかわいい娘がいるじゃないか、そんないい男が来て大事な娘と何か間違いがあったら困るという。
そんな心配ないよと言うおかみさんに、お前はわかってない!といきり立つ八五郎
夫婦げんかになり近所の熊さんが仲裁に入るのだが、お前のところの不細工な息子と違ってうちの娘は器量がいいから心配するのだ!と言い募る八五郎

はじめて聞いた噺だったのでオチもわかってなくて大爆笑。
親馬鹿丸出しの父ゴコロが心にしみてとてもよかった。

小三治師匠「猫の皿」
日本刀が好きだというところから、おかみさんの親類の胡散臭いおじさんから「こういう刀があるんだけど買わないか」と持ちかけられたことがある。
このおじさんがいかに胡散臭いかを得々と語る小三治師匠がおかしい。
その刀というのがマッカーサーの副官をやっていたアメリカ人の奥さん。旦那の方は死んで未亡人だという。
家に刀があったりするのはなんか怖いから幾らでもいいから引き取ってほしいと言われ、2本譲り受けた。
刀を所持するためには警察に届け出なければいけないので警察に持って行くと、刀専門の警察官がその刀を一目見て目がキラッと光った。
この警察官が「いかにも」な感じで刀の扱いが様になっていた様子を言うのだが、その光景が目に浮かんでくるようですごい臨場感。
「面白くもない話なんです」と言うけれど、若い頃の小三治師匠やちょっと胡散臭い砥ぎ屋や仲介したおじさんや…まるで一編の小説を読んでいるようで、見事な完成度。

そしてそんなまくらからの「猫の皿」。
今回の旅はさんざんだったなぁとぼやく道具屋。いったん江戸に帰って仕切り直しをしようと決めて周りの景色に目をやる。足を棒に歩いてきたのだろうがもう商売はおしまいだと決めて茶屋に入る。
そこで猫がご飯を食べている茶碗に気付いてこれは是が非でも手に入れなければ!と、商売モードに入る。
田舎のやる気のない茶屋の主人に向かってパーパー喋るようすに、先ほどのまくらでもあった「胡散臭さ」がにおっていてたまらない。
一方茶屋の主人であるお爺さんは欲もやる気もないようで一見楽な相手に見えるのだが、だからこそ最後のセリフが効いてきて面白い。

わりとコンパクトにまとめられていたけれど、まくらも含めてちゃんとひとつのストーリーが出来上がっていて、素晴らしかった。