私のいた場所
- 作者: リュドミラ・ペトルシェフスカヤ,沼野恭子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/08/26
- メディア: 単行本
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空を飛ぶ病身の女、キャベツの赤ん坊を育てる母親、身体を入れ替えられた妻、生の心臓を食べたがる娘、マッチを擦る黒いコートの少女―。世界幻想文学大賞受賞の現代ロシアを代表する作家、待望の傑作短編集!
作者リュドミラ・ペトルシェフスカヤはペレストロイカが始まるまでの間長いこと作品を発表できない「禁じられた作家」だったらしい。
一見したところ、政治的な主張がこめられた作品ではないように見えるのだが、描かれている深い絶望が反政府的と見られたのだろうか。
「私のいた場所」
ある日、日常生活の何もかもが嫌になったユーリャは家を飛び出し、長いこと会っていなかったアーニャおばさんの家を訪ねる。
夫と一緒になったばかりの頃よく訪れたアーニャおばさんの家。いつでも歓迎してくれて支えになってくれた。長いこと無沙汰をしてしまったけど、おばさんなら今でも暖かく迎えてくれるはず。
手土産を持ってなつかしい家を訪れてみると、家は荒れ果て、家にいるはずのおばさんは「帰ってくれ」と扉を開けてくれない。
おばさんに一体何があったのか、どうにかしておばさんの家に入ろうと試みるユーリャだったのだが…。
ユーリャが家を飛び出すのはほんの些細な出来事がきっかけだ。
酔っ払ってだらしなく眠る夫、散らかったままの部屋の描写だけで、老い始めた自分への絶望、孤独、いたたまれなさが伝わってくる。
そんな彼女がたった一つの逃げ場所として思い出したアーニャおばさんの家。自分を守ってくれたあの安全な場所。
そこが荒れ果てていているはずのおばあさんがユーリャを拒絶する意味はなんだったのか。
最後まで読むとなんともいえない薄ら寒い気持ちになる。
息詰まる狭いアパートでの暮らしから彼岸へ渡ってしまう人たち。
それは苦しみに満ちた日常からの離脱なのか。
彼岸から戻ってくるも者もいれば、行ったきりの者もいる。
その境目は曖昧だが決定的で、作者はその境目に魅せられているように感じた。
「私のいた場所」を見つめる私はいまどこに立っているのか。幻想小説という括りに入るのだろうが、なにか今までに読んだことのない不思議な淀みのようなものがあった。