りつこの読書と落語メモ

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雲助、悪名一代 芸人流、成り下がりの粋

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水が低きへ流れるように、自然と芸人に「成り下がった」。昭和の名人・古今亭志ん生の長男・金原亭馬生に入門して四十五年。「落語家が最も尊敬する落語家」の呼び声高く、老若男女、あらゆる人物を繊細に演じ分ける狂気にも似た感性と圧倒的なテクニックは当代随一。若き日には、野坂昭如色川武大など「本物」の贅沢と遊びを知る粋な大人たちに愛された、五街道雲助。雲のように、風の吹くまま気の向くまま、自由に姿を変えながら悠然と大空をただよう孤高の芸人が、「悪名」と生きた半生を綴る「成り下がり」一代記。

雲助師匠の魅力がたっぷり。
普段あまり自分自身のことを語らない師匠なだけに、そうだったのか!だからそうなのか!とファンにはたまらない一冊だ。

落語への向きあい方や師匠への想い、弟子への相対し方、高座を見ていてぼんやりと「いいなぁ」と感じていたところが、少しだけ明らかになったようで、嬉しい。

馬生の口癖は「なんでもいいんだよ」でした。
馬生にアドバイスを求めると、必ずこの言葉が返ってきました。
志ん生から受け継がれた、一門の教えのようなものですが、それが「なんでもいい」。
でも、「どうでもよくは、ないんだよ」と続きます。
自分で見つけるものだ。自分がいいと思えば、人にどう思われてもいい。
でも、ひねくれたり投げやりになったりしてはいけない。

圓朝作品を、悪戦苦闘しながら高座で演り続けたことで、速記に強くなったといいますか、圓朝が読めたのだから他はなんでも読めるだろうと思えるようになりました。
(中略)
いま生きている落語家に教えてもらうことはできなくても、速記から、過去の名人たちから、落語を教えてもらうことができる。
馬生があまりにも早く亡くなってしまったのでそうせざるをえなかったとはいえ、速記に落語を教わるという、「わたし流」の芸の光明を見出しました。

志ん朝師匠との距離感も読んでみればなるほど納得で、そういう生々しい関係も含めて、落語って面白いと思う。
なんかよくわからないけど素敵!好き!と感じていたけど、これを読んで自分が雲助師匠のどこに惹かれるのかとてもよくわかった。やはり落語=人、なのだ。