りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

幸福の遺伝子

幸福の遺伝子

幸福の遺伝子

★★★★★

スランプに陥った元人気作家の創作講義に、アルジェリア人学生がやってくる。過酷な生い立ちにもかかわらず、彼女はいつも幸福感に満ちあふれ、周囲の人々をも幸せにしてしまう。やがてある事件をきっかけに、彼女が「幸福の遺伝子」を持っていると主張する科学者が現れ、国民的議論を巻き起こす―。鋭敏な洞察の間に温かな知性がにじむ傑作長篇。

素晴らしい。
科学と文学、現実を生きることとフィクションを創ること、人間の弱さと強さ、それら全てが詰まっている。

スランプに陥った元人気作家ラッセル。芸術大学の非常勤講師の職を得て創作のクラスを受け持つことになる。
クラスには個性的な学生が集まるが、中でも異彩を放っているのがアルジェリア人のタッサという女学生。
彼女は内戦状態のアルジェリアで信じられないような地獄を経験してきたはずなのに、好奇心に満ち気楽そうで多幸感に包まれている。 ラッセルをはじめクラスの学生たちはタッサ「ミス・包容力」に魅せられ彼女の影響を受けていく。

一方、遺伝子の研究を行うトマス・カートンは研究だけでなくコマーシャル能力にも優れた科学者。
彼にインタビューを行うのはTVの科学情報番組「限界を超えて」の名物ホスト役トニア・シフ。
ラッセルの章とトマスにインタビューを行うトニアの章が交互に語られ、「幸福の遺伝子」によってこの二つの物語が交錯していく…。

アルジェリアで過酷な経験をしながらも多幸感に包まれるタッサが科学者、マスコミ、ネットによってボロボロにされる過程は読んでいて辛かった…。
一人一人に悪意はなくても、語られた物語は単純化され、伝えたい方向に勝手にねじまげられ、拡散していく。
人々はタッサのことを熱狂的に崇めたかと思えば、悪の使者のように貶め攻撃していく。

遺伝子、科学、マスコミ、民衆、と非常にスケールの大きい物語の側面と、個人的なことを書くことで炎上したり攻撃されたりして臆病になり物語ることができなくなってしまった作家ラッセルの成長という個人的な物語の側面があって、そこがとても面白い。
そしてこれらを見下ろす「私」の視線がある。その視線に励まされる。

どちらかといえば感情を排した無機質にも感じられる小説なのに、ラストシーンの美しいこと…。まるで映画のワンシーンを見ているようで涙が出た。心を揺さぶられた。