りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

★★★★

読んだ直後に簡単な感想を読書メーターにアップしている。
私がよく読むような翻訳小説を読む人はそれほど多くはないので、その本を読んだことがある人自体が少なくて、それゆえ「ナイス」もたくさんは付かない。(別に「ナイス」がそんなにうれしいというわけでも逆に不愉快だというわけでもないのだが…)
しかしこれはまだ出版されて数か月しかたっていないのに、読んでいる人の数はものすごく多く、また私が感想をアップした後に読み終わった人もどんどん増えていき、毎日知らない人が「ナイス」を付けてくれる。 本当に圧倒的に読まれている小説家なのだなぁ、と実感した。

新刊が出てニュースになるなんて村上春樹ぐらいだよなぁ…。
私は大ファンというわけでもアンチでもないのだが、前作の「1Q84」を私にしたら珍しく出版されてわりとすぐに読み始めた時に、電車に乗っていて同じ本を読んでいる人に会うという経験をして、そういうのって楽しいなぁ!と単純に思った。
もちろんもっと面白い作家はたくさんいると思っているし、村上春樹は決して読みやすい作家ではないと思うので「チミたちほんとにそんなに春樹が好き?」と一言言いたい気持ちにもなる。
それでもこんな風に出版されてニュースになるという現象はうれしい。
そして売れてる本で読みたい本というのがそんなにたくさんあるわけでないので、それもうれしい。
というわけで、早速買って読んだのであった。(前置きが長い)

良いニュースと悪いニュースがある。多崎つくるにとって駅をつくることは、心を世界につなぎとめておくための営みだった。あるポイントまでは…。

高校時代を名古屋で過ごし、その中でまさに完璧な5人組の一員であったつくる。
つくる以外のメンバーはみな名前に「色」が付いていて、そのことから彼は自分が一人だけ色彩のないこれといった個性を持たない目立たない人間だと感じていた。
高校を卒業した後、つくる以外のメンバーは全員名古屋に残り、つくる一人が上京する。彼には駅を作りたいという夢がありその夢をかなえるためにどうしても行きたい大学があったのである。
上京してからも休みには名古屋に戻り5人で会う時間を大切にしてきたつくるだったのだが、大学2年生の夏休みに帰省した時、突然ほかの4人から絶交を言い渡される。
ちゃんとした理由も告げられぬままいきなりもっとも大事にしていた居場所を奪われ、抜け殻のようになってしまうつくる。
食事ものどを通らなくなり死ぬことばかり考え…。しかしつくるはどうにかそれを乗り越える。そのかわり顔もげっそりやつれ中身も変わり、以前とは違う「つくる」になっていた。

つくるが再生していった中には、灰田という下級生の存在があった。
プールで出会って徐々に距離を縮め親しくなった灰田は、哲学的な思考の持ち主で音楽と料理が好きなおとなしい男。
つくるの家にもちょくちょく泊まりに来て親しくしていたのだが、彼もある日を境に音信不通になる。
自分には何かしら異常があるのか、だから最後には誰もかれもが自分から去っていくのか…。
何人かの女性と付き合い、職場でも適当に付き合いをしながら、そんな気持ちを抱いていたつくるだったのだが、沙羅という女性と付き合うのようになって彼女とはもっと一緒にいたい、深くかかわりたいという気持ちを抱くようになる。
つくるから高校時代の話を聞いた沙羅はつくるにその4人に会いに行って絶交された理由を明らかにするべきだと言われ、ついに重い腰をあげる…。

自分が最も大切にしている人たちからいきなり切り捨てられることほど辛いことはない。
自分の何がいけなかったのか?自分が何をしたと言うのか?
問いただしたい気持ちはもちろんあるが、しかしその一方で大切だからこそ決定的な言葉を聞きたくない、知りたくないと思う。
しかしその傷と恨みはいつまでも残り完全に乗り越えることはできない。
それがあった後と前とでは明らかに「違う自分」になっている。それは死と再生と言えるかもしれない。

しかし考えてみれば自分も誰かを選んだり切り捨てたりして生きてきているのだ。
誰かを守るためであったり自分を守るためであったり前に進むために、誰かを選んで誰かを捨てて生きている。
そうやって死んだり再生しながら人は生きているのかもしれない。

こんなことで傷ついたり、しかしそれを乗り越えたり、人間は弱いけど強いものだと思った。
大きな声で励ましてるわけではないし、謎は謎のまま残されているし、全体的には相変わらずの春樹節でもやもやした読後感なのだが、しかしなぜか読み終わると少し救われている。
大きな物語ではないが好きだ。