りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

フリーダム

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★★★★★

パティとウォルターのバーグランド夫妻は、ミネソタ州セントポールの善き住人だった。てきぱきとして愛想がよく、理想的な母親と見えるパティ。柔和で環境保護活動に熱心なウォルター。二人の子供とともに、夫妻は幸せな世界を築き上げようとしているかのようだった。しかし、二十一世紀に入ったころ、バーグランド夫妻にはいぶかしげな眼差しが向けられていた。なぜ夫妻の息子は共和党支持の隣家に移り住んだのか?なぜウォルターは石炭業界関連の仕事に就いたのか?ウォルターの親友リチャード・カッツとは何者か?そして―なぜパティはあんなに怒りに満ちた人間になってしまったのか?現代アメリカを代表する作家ジョナサン・フランゼンが雄弁な筆で描き上げる、よりよく生きようともがく人間たちの苦しみと喜び。皮肉と感動に満ちた世界的ベストセラー。全米批評家協会賞最終候補選出。

素晴らしかった。「コレクションズ」も大好きだったけど、これも好きだ。大好きだ。こういう本に出会いたくて読んでいるのだ。出会えてよかった。本好きでよかった。
とはいえ、「コレクションズ」に比べると陰鬱な話だ。

物語は、ウォルターという近所でも感じがいいと評判だった男がせっかくのキャリアを台無しにしたとニューヨークタイムズに載った、というところから始まる。
あの感じのいいウォルターがどうして?何があったのか?というところから、ウォルターの妻パティの話になっていく。

元バスケットボール選手で今は専業主婦のパティ。
家を磨き上げてご近所の人たちの誕生日には手作りのクッキーを配るような理想の奥さんぶり。
しかしどこかパティには計り知れないところがあって、嫌いようのないような人物と思われそうなものなのだが、胡散臭く感じてしまう人もいるのだという。 ものすごく謙虚に振舞っているのだが実はすごい勝気でまわりに心を許していないんじゃない?親切だけど何か裏があるんじゃないか?

そんなパティが溺愛しているのが長男のジョーイ。
「こんなに生意気が口をきくのよ」とご近所に愚痴りながらも、内心はその生意気さと頭の良さを自慢しているようなのである。
頭が良くてソツのないジョーイのことを崇拝しているのがお隣に住むコニーというジョーイより一つ年上の女の子。コニーの母親は身持ちの悪いシングルマザーでご近所でも悪評高いのだが、パティはなにかれとなくふたりの面倒を見ていた。
コニーがジョーイにめろめろでねらっていることは誰もが知るところだったのだが、パティはそれに気づかない。
しかしある日家に帰ったらジョーイとコニーがベッドに入っていて、ようやく事態に気付いたパティ。
その日からウォルター家の家庭崩壊が始まるのである。

第二章「過ちは起こった」は副題が「パティ・バーグランド自伝」となっている。
パティがどんな家庭で育ち、どんな青春時代を送り、ウォルターと出会って結婚に至ったか。コニーの事件が起きた時実際にはどんなだったのか、パティの精神状態はどうだったのかが語られる。
ウォルターにはリチャードという名の親友がいて、パティの親友(ストーカー?)イライザはリチャードに夢中で彼のライブについて来て!と言われ、そこでパティはウォルターに出会うのである。
まじめで頭が良くて親孝行のウォルター。クールで女たらしでギターをやってるリチャード。そしてパティ。
体育会系で男にまったくもてなかったパティだが、そんなパティに好意をもってなにかれとなく尽くしてくれるウォルター。悪い人ではないし頭もいいし紳士だし…なにより自分のことを好きになってくれることに自尊心をくすぐられるパティなのだが、ウォルターと正反対のタイプであるリチャードにも惹かれてしまう。
ウォルターが見ているのは自分の「善き部分」でそんな自分でいたいと願いながらも、どうしようもなくリチャードにも惹かれる。
この3人の関係が物語の軸になっている。

みんな癖があって欠点だらけなんだけど、読んでいるともう愛しくなってくる。
ああーだめだめーそんなことしちゃー。あちゃー、やっちゃったよ、それもう最悪だよ。
そう思いながらもこの人たちから目が離せなくなる。他人とは思えなくなる。

心に響く文章がいくつも。

人生で新たな何かにぶつかるたびに、絶対に正しいと思える方向に進んできたはずなのに、そこにまた新たな何かが出現して、今度は逆の、こっちもまた正しいと思える方向へ背を押される。一貫した物語というものがないのだ。生きていることそれ自体が唯一の目的と化したゲームの中で、ひたすらあっちこっちと跳ね回るだけのピンボール、それが自分だという気がした。

親として難しい時期を迎えたときに、無理してでももっと自分の両親の顔を見ておくべきだったということ。そうすれば我が子たちの自分への反応もずっとよく理解できたはずなのだ。

ぬぐいさることのできない親への恨み。だからこそ親とは違った人間になろうと、ちゃんとした家庭を築こうとしてきたのだ。
だけど理想の家庭なんか作れなかった。いやそもそも理想の家庭ってなんなんだ?
なりたい自分となれなかった自分。愛してくれる人を愛せない罪悪感。好きになっちゃいけない人に惹かれる気持ち。失ってみて初めて、結局はないものねだりだったのかと気づいた時の空虚。

人間というのはかくも愚かで醜くて間違いを犯すものなのか…。だけど愛おしい。醜悪さも含めて愛おしい。
自由であることの不自由さがこの題名に表現されている気がする。すばらしい!