りつこの読書と落語メモ

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カーソン・マッカラーズ短編集―少年少女たちの心の世界

カーソン・マッカラーズ短編集―少年少女たちの心の世界

カーソン・マッカラーズ短編集―少年少女たちの心の世界

★★★★★

アメリカの作家、カーソン・マッカラーズの短編の中から、少年少女を主人公とした作品を選び、訳出。「お人好し」「西八十丁目の中庭」など9編を収めている。

長いこと探している物語があってもしやここにあるのでは?と読んでみたが違っていた。
ちなみに読書メーターでこう書いてからネットで調べていたら、長いこと探していた物語がなんという作品かが明らかになったのだ!しかも読書メーターのコメントでもほぼ同時に作品名をコメントしていただいて…!大感激。それについてはまた後日書こうと思う。

なんでか勝手にその本はアメリカの南部の作家が書いたものだと思い込んでいて、カーソンマッカラーズあたりなんだじゃないか?と思って読んだのだが、違っていたけど読んで良かった。大好きだー!

「お人好し」
サッカー(お人好しという意味のあだ名)は従兄弟なのだが赤ちゃんの頃に家族が船の事故にあって亡くなり、「僕」の家に引き取られて兄弟同然に育っている。
「僕」はサッカーより4つ上で共同で部屋を使っているのだが、サッカーは「僕」のことを崇拝していて何でも言うことを聞くし、いつも自分の話を聞いて欲しい自分のことを見て欲しいという熱いまなざしを送ってきている。

僕には一つ思い知らされたことがある。でもそれを思うとうしろめたい気持ちがするし、ちゃんと理解するのはけっこう難しいことなんだ。つまり、もしある人が君にうんとあこがれてしまったとしよう。そうすると君はその人のことを軽蔑するようになって気にも留めてやらないんだ。−−−それだじぇなくて君があこがれている人というのは君の存在などには全く気付いてさえいない人物なのだ。

これはわかる。すごくよくわかる。子どもじゃなくて大人だってそういうことはある。だけど子どもはむき出しだからより顕著だ。自分にあこがれているということがわかればわかるほど相手のことを下に見るようになり、ないがしろにしたり馬鹿にしたりするものなのだ。
僕とサッカーの関係はまさにそういうものだったのだ。

メイベルという少女に恋をしていた僕はメイベルとなんとなく付き合えるようになったとき、喜びで胸がいっぱいになり、ふだんないがしろにしていたサッカーに優しい言葉をかける。
そうしてサッカーが僕により夢中になってきたところで、僕はメイベルに振られ奈落の底に落とされる。
それなのに以前優しくされたことを忘れられないサッカーは、打ち明け話を聞きたがり、自分の悩みを話したがる。
それにイラついた僕は酷い言葉をサッカーに投げつけてしまい、それ以降2人の関係ががらっと変わってしまう…。

そのことを悔やみ、どうしたらいいかと悩む僕もまだまだ子どもなのだ。
崇拝を取り戻したい。そこまではいかなくてもこんなふうに憎悪の目を向けられるのは耐えられない。だけど4つも年下のサッカーと殴り合いのケンカで決着をつけることもできない。
そんな少年の葛藤がとても生々しく描かれている。

その他にも、言葉を交わしたことのない真向かいに住んでいる男の人に憧れ過剰な期待を抱き「彼なら全てを解決してくれる」「なにもかもわかっているはず」と思い込み常に想像をめぐらせていたものの、何の交わりもないまま引っ越していってしまうのをただ見送るだけの「西八十丁目の中庭」。
子どものころに近所の子に連れて行かれた孤児院の部屋がいつまでもトラウマになる「孤児院」。
友情を夢見て南アメリカの見知らぬ少女に手紙を書くも、一方通行で終わる「文通」。


どれも子どもの心の激しさやよるべなさをここまで丹念にリアルに描いている。
変わっていくことの恐怖、一人で抱えきれないほどの気持ち。
子ども時代が美しいものだったわけではないことは確かだけれど、しかし大人が見ているのとは違う景色、感じ方をしていたのだということを思い出させられる。 ああ、たしかにそうだった。子どもは大人のミニチュア版ではないのだとしみじみ思い知らされる。

素晴らしい。他の作品もどんどん読んでいこう、と思った。
そしてあとがきを読んでカーソン・マッカラーズという人のことが大好きになった。