りつこの読書と落語メモ

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タタール人の砂漠

タタール人の砂漠 (イタリア叢書)

タタール人の砂漠 (イタリア叢書)

★★★★★

砂塵にけむる幻の戦士たち。幻影のなかに"時"が沈む…。北の砂漠から伝説的なタタール人が襲来してくるのに備えて三十年余も辺境の砦で過ごす将兵たち。二十世紀の幻想文学の世界的古典を翻訳。

将校になったばかりのドローゴが任地であるバスティアーニ砦に赴くところから物語は始まる。
期待と不安を胸に砦を目指すドローゴだったが、たどり着いた砦は無人の砂漠に面していて襲撃される気配もない。
しかしその砦の中で兵士たちは規則正しく生活を送り、見張りを続ける。
ドローニは、最初それら全てに違和感を覚えすぐにでも逃げ出そうと考えたのだが、「いつかタタール人が襲撃してくるかもしれない」という強迫観念に捕らえられ、身動きがとれなくなる…。

1940年に書かれた本だけど、まるで古さを感じさせない。訳もすばらしくいいんだろう。
物語がすんなり頭に入ってくるし、自分がそこに立ったことがあるようにその風景が浮かんでくる。

誰でも自分の人生は他の誰かのものよりも特別なものになるに違いないと思っている。
それは生きる希望でもあり、畏れでもある。
自分は何か特別なことを成し遂げるかもしれない。あるいはものすごい悲劇が自分を襲うかもしれない。
兵士という職業についていたらその想いはなおのこと強いだろうとおもう。
戦いで悲惨な死を迎えるかもしれない。あるいは部下を率いて死闘を繰り広げ、勲章を授かるかもしれない。

砦に向かうドローゴは野心に溢れ、希望に胸を膨らませていた。
しかし、砦の異様な雰囲気に違和感を覚え、「自分は間違ってここに配属されてしまったのだ」と言い、すぐにも逃げ出そうとするドローゴ。その気持ちは痛いほどわかる。
「ここにいたらまずい」そう思って逃げ出そうとするのだが、4ヶ月ここにいる間に、「何か起こるかもしれない」「それを見届けなければ」という気持ちになってくる。
そして規則正しい生活や仲間との日常が彼にとって心地よいものになってしまっていたことも手伝い、いつしか砦を離れられなくなるのだ。

日常に埋没していくことに我々は危機感を抱くけれど、しかしそれは自分にとっては最も落ち着く良い状態である、とも言える。
何度か逃げ出すチャンスはあったのにそれをふいにしてしまったドローゴは、私自身そのものでもある。
そういうふうに仕向けられた、陥れられたと思う一方、自らそれを望んだのではなかったのか、そんなふうにも思えてくる。

ドロードの人生は悲惨としか言いようがなく、この物語はもうどうしようもなく悲劇的ではあるのだが、でも人生って結局はそういうものなんじゃないの?という声も聞こえてくる。
すごい小説だ。ものすごく異様な光景を描きながら、ものすごく普遍的でもある。
多分この小説は100年たっても決して色あせることはないだろう。