りつこの読書と落語メモ

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私自身の見えない徴

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★★★★★

『燃えるスカートの少女』で絶賛されたエイミー・ベンダー最新作!
モナ・グレイにとって数字は世界のすべて。現実は繊細な彼女の宇宙に無理難題と不思議をもたらす。小学校で算数の先生になったモナと生徒たち、そして謎の新任教師。奇妙で不可思議でこのうえなく切ない初の長編。

以前から私は、短編を書くことと長編を書くことというのは根本的に違っているのではないかと思っていて、この作家は長編向き、この作家は短編向きと決め付けていて、そういう意味ではエイミーベンダーは短編だからこそいい作家と思っていた。
この小説も読み始めたときは、長編で読むのはちょっときついんじゃないか?と思っていた。

でもね。最後まで読んで、これはちゃんと長編小説だ、って思った。短編小説の長い版じゃなくて、ちゃんと長編小説。
いやー面白いわ、エイミーベンダー。

主人公は数字にとりつかれた女性モナ。小学校の算数の先生になるが彼女自身まだまだ少女で不安定で危なっかしい。
20歳の誕生日に斧を買ったり、その斧で自分を切ろうとしたり教室に持って行って飾ったり、石けんを食べたり…。

そんな彼女の奇行は父親が原因不明の難病で「灰色」になってしまってから始まったのだということが読みすすめるうちにわかる。そしてそんなモナと、生徒のリサがシンクロしていく。

小学2年生のリサは母親が癌でもう助かる見込みがないということを知っていて、そのことを隠そうともしない。
父の不治の病を「なかったこと」にしてきたモナにはそれはものすごい衝撃だ。そして自分のことさえ律することができないモナが、リサに心を寄り添わせ、リサもモナに心を開くようになるのだが…。

短編だと、多少の奇行も不条理もなんとなく許容できる気がするのだが、長編となると正直言ってちょっとしんどい…。
最初のうち「なんでそんなことをするの?」と、読んでいて苛立ちを覚えた。
でも、多分彼女は幸福になりたくないのだ、自分を罰し続けているのだ、そういう気がついてからは、なんだかたまらない気持ちになってきた。 おとうさんがああいう風になったのはあなたのせいじゃないよ。いいんだよ、もうやめなくても。幸せになってもいいんだよ。
そしてそんなあなたに気付いてくれる人もいる。あなたのおとうさんに気付いてくれる人もいる。

こどもは親の命を食べて大きくなっていくのだ。
昔、誰かにそんなことを言われたことがあって、当時「子ども」だった私は、ずいぶん残酷な言葉だなぁと思ったものだが。
今自分が親になって、それはそうなのかもしれない、と思う。でもそれは残酷というよりは、希望の言葉なのだ、と今は思う。

以下ネタバレ。









この物語は、おとうさんがモナに語った物語で始まり、その物語をモナが今度はリサに語るところで終わる。
同じ物語がモナによって微妙に変えられているのだが、この変わった部分がものすごく重要で、この変わった部分が物語をハッピーエンドにしている。すごくいい。