りつこの読書と落語メモ

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カラマーゾフの兄弟

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カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

私が初めて「カラマーゾフの兄弟」を読んだのは中学生の時だった。「白痴」「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」と読み、なんて面白いんだ!!ドストエフスキーってすごい!!「名作」って言われてるけど全然善人の話じゃないんだ?!それでも「名作」なんだ?!と驚愕し感動したことを覚えている。

今回新訳が出たということで何年かぶりに読み直してみて、中学生の自分がこの小説を面白いと思ったことに驚いた。いったい私はどこが面白いと思ったのだろう?少なくとも私は今回読み直してみて2巻までは読み進めるのが少し厳しいなぁという感じを持った。丁寧に読んでも何を言ってるのかわからないと思う部分も多かった。
おそらく中学生の頃私は「中学生には理解できない」と言われるような本をたくさん読んでいて、わからない部分がたくさんある状態で本を読むことに慣れていたのかもしれない。わからないけれどわからないなりに感じを掴めれば良いというような読書をしていたのかもしれない。そんなことも思った。

世界最高の小説は何か。候補の筆頭につねに上げられるのが、この作品だ。だが、日本では同時に、翻訳が難解とも言われてきた。ドストエフスキー研究者・亀山郁夫は、この訳業を自分の課題として引き受けた。作者の壮絶な「二枚舌」を摘出する新訳は、流れ、勢いを損なわない。人物たちが[立っている]。主人公アリョーシャが、初めてリアルな人間として描かれ、物語を導いていく。

翻訳を意識して読むことはめったにないのだが、今回は「新訳」ということで、最初の部分を旧訳(家に新潮文庫の原久一郎訳版があった。昭和47年16刷。180円!!!)と読み比べてみたりもしたのだが、確かに訳によってこうも印象が違うものなのか!と驚いた。村上春樹の「翻訳には鮮度がある」という言葉を思い出した。
いやしかし新訳は確かにとても読みやすいのだが、正直違和感も感じた。物語自体が1880年頃の作品である種の古めかしさがあるにも関わらず翻訳自体が新しいので、なんというか日本人がかつらをつけて西洋人を演じているような、わざとらしいミュージカルを見ているような、そんな感じが読み始めにはしてしまったのだ。
でも旧訳に比べて読みやすいことはこの上ない。特にこの新しい訳になれてきたら、もうぐいぐい読み進めることができて、新訳を出してくれてよかった!!という気持ちにもなった。でも古いものには古いものにしかない味があることも確かなわけで、前のものも残しつつ「新訳」を出していってほしいなぁと思う。

父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色きわまりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟が家に戻り、その父親とともに妖艶な美人をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは、慈愛あふれるゾシマ長老に救いを求めるが…。

いやとにかく一言で言えば感想が述べづらい小説だ。もうものすごいとしか言いようがない。幾重にも重なりあったエピソードと登場人物。古めかしさがあるにはあるけれど、しかしそれを超越した普遍性があり、ものすごい魅力とものすごい力がある。「正しいこと」を描いていないのにもかかわらず、胸を打つような「正しさ」がある。
私には宗教はわからないから、それだけでもうこの小説について語る資格はないのかもしれない。2巻で語られる「大審問官」は、私にはよく理解できなかったし、おそらくこの先も理解することはできないのだろう。しかし「宗教」「神」の部分を全て差し引いてもまだ残るものが、理解できる本質があると思うのだ。だからこそこうして読みつがれてきたのだと思うのだ。
人間の持つ欲望、醜さ、滑稽さ、残酷さ。それらをこれでもかと描きながらも、しかしそれだけではない美しさ、深遠さ、優しさも描き出している。絶望、破滅に向かっているようで、希望もどこかに滲んでいる。悲劇なのに喜劇でもある。深刻なのに滑稽なのだ。

中学生で読んだ時はフョードルに対して嫌悪感しか抱けなかった。こんな「父親」は殺されてしかるべきだと思ったからこそ、私は当時、次男イワンが好きだったのだ。イワンが好きだったとは!!今こうして読み返してみて、中学生の自分がイワンに共感したことに驚いてしまう。私が今一番共感できないのがイワンだからだ。なんというか最近の犯罪を犯す頭でっかちな若者を見ているようでどうにも…。
私が今回読み直してもっとも心を動かされたのは長男ミーチャだ。金にルーズで激情家で酔っ払いで破滅型。しかしその奥底にある高潔さと純真さ…。この人のだめだめさには読んでいてイライラしながらも抱きしめたくなるようなところがあるのだなぁ。なんと魅力的なんだろう、ミーチャという男は…。
そして三男アリョーシャ。私は中学生で読んだ時は彼には物語の中で「救い」しか感じることはなかったのだが、今こうして読み返してみると彼の未熟さと弱弱しさが痛かった…。

実は「カラマーゾフの兄弟」は未完なのである。私はそのことをこの本を読んで初めて知った。ドストエフスキーは序文に、来るべき「第二の小説」を含む大長編としてこの物語を紹介している。そしてそこには「第二の小説」こそが重要と書いているのだ。しかし彼は「第二の小説」を書くことなく亡くなってしまう。この物語が実は伏線に過ぎなかったとは…。ドストエフスキーとはいったいどれぐらいスケールの大きな作家だったのだろうか。ほんとに驚いてしまう。

私はまだこの小説を理解しきれていないということは十分わかっている。また10年後に読み返さなければならない小説なのだと思う。10年後に読んだらきっとまた印象が全く違うのだろう。その時自分は誰に共感するのだろうか。それもまた楽しみだ。
しかし理解しきれていなくてもなんでも、とにかくこれが面白い小説なのだ。おそれず読むべきだと思う。わからなくてもわからないなりにわかるところがある。多分この小説は200年後にも読まれているのだろう。それが文学なのだ。だからこそ名作と呼ばれるのだ。多分。