タイガーと呼ばれた子―愛に飢えたある少女の物語
- 作者: トリイヘイデン
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1996/09
- メディア: 単行本
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「シーラという子」の続編。この作品の方が、「シーラという子」よりも、よりリアルで感動した。
本を読み終わって「それでこの後どうなったんだろう」とよく思う。とくに、「シーラという子」を読んだとき、シーラは著者トリィと別れて学校に入学することになって希望を感じさせるラストになっているのですが、本当にその後彼女は幸せになったのだろうか、トリィと出会っていろいろな人生があると知ったことが、はたして彼女にとってよかったんだろうか、そう考えずにはいられなかった。
「タイガーと呼ばれた子」は、作者トリィが長いこと音信不通になってしまっていたシーラを探すところからはじまる。
ほうぼう探してようやくシーラとの再会をはたすのですが、、、シーラは学校を中退してパンク少女になっていてトリィとすごした時のことをほとんど忘れてしまったというのだ。
そして何回か会って話しているうちにシーラは、「トリィに会って私が幸せになったと思ったら大間違いだからね。トリィは私に希望とかそんなものを見せるだけ見せて、結局私を捨てていなくなってしまった。」というようなことを口走るのだ。
これには頭をがーーんと叩かれたような気持ちになった。やっぱりそうなのか。教師というのは、結局のところ、何年かを一緒に過ごすだけの存在であって、結局すべてを救いきれるわけではない。シーラの家庭環境(父親が刑務所を出たり入ったりしていたり、叔父に性的虐待をうけたり)はなんら改善されず、かといってそこを飛び出すにはまだ幼い‥。
自分がやればできること、知能が高いということ、それがわかったといって、彼女になにができたんだろう。逆に知らない方があきらめがついてよかった、というのだろうか。
著者自身、それについてはっきりとした結論は出していない。ただすばらしい先生と出会えたということは、決して無駄なことではなかった、その後またどん底に落ちるようなことがあったとしても、トリィと過ごした日々はシーラにとっては宝石のような日々だったことに変わりはなく、それが結局は彼女を救って行くのだと、、、私は感じた。
トリィ・ヘイデンは、非常に正直にそのときの自分の気持ちを書いているように思える。(それが読んでいる側にも苦しい気持ちにさせるのだが、彼女と一緒になって苦い気持ちになったりうれしい気持ちになったりして、また彼女の本があるとつい読みたくなってしまうのだ。