りつこの読書と落語メモ

読んだ本と行った落語のメモ

ウィステリアと三人の女たち

 

ウィステリアと三人の女たち

ウィステリアと三人の女たち

 

 ★★★★

どんな夜にも光はあるし、どんな小さな窓からでも、その光は入ってくるのだから――。
真夜中、解体されゆく家に入りこんだわたしに、女たちの失われた時がやってくる。三月の死、愛おしい生のきらめき、ほんとうの名前、めぐりあう記憶……。人生のエピファニーを鮮やかに掬いあげた著者の最高傑作。

女性として生きることの意味を突き詰めて考えた作品という印象を持った。
4作収められているがどの作品にも共通するのは誰とも交じり合えない1人ぼっちの女である自分。
女でありすぎるから?ほんの少しだけでも接点を持つことのできる相手は男性じゃなく女性なのか。
この作品に出てくる男性の存在感のなさといったら、そこに立っているだけの木のよう…。見上げてみるだけ木の方が存在感があるぐらいかもしれない。

美しくて醜い女の世界。見たくないものを見せられたような内容なのに、それでも時間が経って思い出すのは花びらを纏う女の姿というのが心憎い。

末廣亭10月上席夜の部 柳家さん若改め柳家小平太 真打昇進襲名披露興行

10/1(月)末廣亭10月上席夜の部 真打昇進襲名披露興行に行ってきた。


・さん喬「子ほめ」
マギー隆司 マジック
・市馬「花筏
馬風 いつもの
~仲入り~
・真打昇進披露口上(玉の輔、正蔵、小平太、さん喬、市馬、馬風
・にゃん子・金魚 漫才
正蔵「新聞記事」
・歌之介 漫談
仙三郎社中 太神楽
・小平太「寝床」

さん喬師匠「子ほめ」
さん喬師匠の「子ほめ」ってもしかして初めて聞いたかも。とってもやわらかくて自由でふわっと楽しい!
はっつぁんが最初に「たけのところに子どもが生まれて祝儀とられたから子ども褒めて銭を取り返そうと思って。だから子どもの褒め方を教えてくれ」。
おおっ、ってことは短縮バージョン?最初のくだりはなしなのか?と思っていると「子ども褒めるのは難しいよ。子どもじゃなかったら年を若く言えばいいんだがな」。
で、色が黒くなったと年の褒め方、それから子どもの褒め方を教わって、飛び出したはっつぁんが番頭さんを見つけて「色が黒い」の褒めをやって失敗して年はやらずにとっととたけのところに行って子どもを褒める。
はっつぁんがいろいろ失敗するんだけど悪気は全くなくて「あれ?おかしいなぁ。またおかしくなっちゃったな。じゃ次は年だ」とつぶやくのがおかしい。

…もしかして時間配分を間違えていて?なのかどうかはわからないけど、なんともご機嫌で楽しい「子ほめ」だった。


市馬師匠「花筏
呼び出しの声がいつ聞いても気持ちよくて大拍手!「あら…落語より拍手が多い…。ずっとこれやってましょうか?」に笑う。
この位置で「花筏」っていいなぁ。トリでやられると、それほど面白い噺でもない…と思うけど、このくらいの位置でさらっとやられるとなんかお得感があるし、それになんとなくめでたい感じがしていい!
楽しかった。


真打昇進披露口上(玉の輔師匠:司会、正蔵師匠、小平太師匠、さん喬師匠、馬風師匠、市馬師匠)
珍しく司会の玉の輔師匠がカミカミで並んだ師匠方が笑ってるのがおかしい。
さん喬師匠が小平太師匠のことを最初は暗かったけど入ってからだんだん明るくなってきて今は弟子たちの中で上と下の要になってくれている、と言ったのにじーん。
馬風師匠の悪ふざけにも、他の師匠方がみんな目を見合わせたり笑ったりしていて和む。


小平太師匠「寝床」
遊びのまくらからだったので、はっまた「居残り」?と思ったら、「寝床」だった!
旦那の入念な声慣らしがめちゃくちゃおかしい。いろんな声のバリエーションがあってそれがばかばかしくて笑える。
そして旦那が「提灯屋」が来られないと聞いて「仕事のことだからしょうがない。商売繁盛、結構じゃないか」。小間物屋の奥さんが臨月と聞いて「体のことだからしょうがない。赤さんが生まれる…めでたいじゃないか」。優しい人柄が伝わってくる。
おせんべい屋さんが来られないという言い訳に清三が「あたくし、焼き立てのおせんべいが大好きでございます」と説明するのがおかしい。

拗ねて二階に上がってしまった旦那を番頭が説得に行くところで、あっさり引き下がろうとする番頭に「でしょうけれども」を知らないのか!と引き止める旦那。
でもいざ「でしょうけれども」をやっても「行かないよ!」。
しかし「芸惜しみ」の言葉に、なんともうれしそうな笑顔。小平太師匠の笑顔がいいから思わず笑ってしまう。

さん喬師匠のカラーがくっきり、でも小平太師匠らしさも出ていて、とっても楽しい「寝床」だった。よかった!

 

六月の雪

 

六月の雪

六月の雪

 

 ★★★★★

祖母のふるさと、台南への旅が私の人生を変える 7日間のひとり旅が生んだ人々との絆がもたらした奇跡とは。 声優への夢破れ、祖母と二人で生活する杉山未来。入院した祖母を元気づけようと、未来は祖母が生まれた台湾の古都、台南を訪れることを決意する。 祖母の人生をたどる台湾の旅。そのなかで未来は、戦後に台湾の人々を襲った悲劇と植民地だった台湾に別れを告げた日本人の涙を知る。 そしてついにたどり着いた祖母の生家で、未来は人生が変わる奇跡のような体験をするのだった。 「わたしは誰からも愛されない。誰も愛さないなんて生き方はしたくない」 いつもどんなときも夢は突然始まる。台湾の旅情もあふれる最高の感動作。 

日本が台湾を統治していた時代のことや台湾と日本の関係、国民性の違いなどとても興味深かった。
台湾には親日家が多いと聞くけど、それって日本人が自分たちに都合のいい話だけ拾って伝えているのでは?と疑問に感じていたのだが、「そういうことだったのか」と少し納得できた。

どういう教育を受けてきたかで国への印象はがらりと変わる。国と国との関係とは別に、そこにいた人間同士の関係もある。流暢な日本語を使う台湾人に会って未来がなんともいたたまれない気持ちになるのは、共感できる。

国民性の違いとともに浮き彫りになるのが、親子、家族の関係。
親からの暴力で癲癇の発作を起こすようになり自分の人生をぼろぼろにされながらもなお家族や親のためにひたすら稼いでまるで報われない女性。彼女の語る半生は辛すぎて「そんな親から逃げたらいいのに」という想いにかられた。
親や家族の面倒をどこまで見るのかというのは読んでいて痛いテーマであったけど、私は未来の祖母の言葉が良かった。たとえ強がりであったとしても、一度きりの人生、未来は未来の人生を生きてほしいという祖母の言葉は胸に響いた。

 

露の新治落語会

9/29(土)、深川江戸資料館で行われた「露の新治落語会」に行ってきた。


・紋四郎「延陽伯」
・新治「阿弥陀池
・ジキジキ 音曲漫談
・新治「まめだ」
~仲入り~
トーク(新治師匠、ジキジキ、増子さん)
・新治「宿屋仇」


紋四郎さん「延陽伯」
「延陽伯」は上方版「たらちね」。基本的には一緒だけど床入りするところが描かれていてちょっとどきっとした。そういえば昼に見たじゃんけんさんの「たらちね」でもそういうところがあった。
紋四郎さんは前に連雀亭で見たことがあったけど、関西弁がやわらかで好み。


新治師匠「阿弥陀池
新治師匠の「阿弥陀池」は以前鈴本演芸場で見たことがあったけど、笑い成分多めで楽しい。
尼さんのくだりから、新聞記事へ。なんかいくらでも聞いていられる心地よさがあるなぁ。楽しい~。


新治師匠「まめだ」
生で聞いたのは初めてだったかもしれない「まめだ」。これが本当に素晴らしかった。

歌舞伎役者右團次の弟子の右三郎。母は膏薬屋を営んでおり「びっくり膏」というのが評判でよく売れている。
役者の血筋ではないけれど右三郎はとんぼ返りがうまかったため、役が付くようになっていた。

芝居の帰りに右三郎が雨の中傘をさして歩いていると急に傘が重くなった。何かと思って確かめてみると何も変わりはない。はてと思いまた歩き出すとまた重くなる。
さてはまめだ(子狸)がいたずらしているなと思い、重くなった時に傘を差したままとんぼ返りをするとまめだは逃げて行った。

家に帰り、母親が作ってくれたさばの味噌煮を食べて寝る。
次の日の夜に家に帰ると母親がその日の売り上げを確かめながら「おかしなことがあるなぁ」としきりに首をかしげている。何かと聞くと、金が少し足りなくてそのかわりにいちょうの葉っぱが入っていると言う。また今日は一言も口を利かない暗い小僧が膏薬を買いに来て、どうもそれが気になる、と言う。
まぁあんまり気にしないでもう寝ろと右三郎。
しかし次の日もまた次の日も勘定が合わず、暗い小僧が買いに来たと言う。
何日か続いたあと、「今日は勘定が合う」と母親。そういえば今日は小僧が買いに来なかった、と。
次の日の朝、近所が騒がしいので行ってみると、膏薬を入れた貝がらを体中につけたまめだが死んでいる。それを見て右三郎はこれが自分が傘から蹴落としたまめだで、怪我を治したくて膏薬を買いに来たものの、使い方がわからずに貝がらを自分の身体にくっつけて死んだのだ、ということを知る。
右三郎はまめだに謝り、また近所の人たちに請うて、寺でまめだの弔いをしてもらう。
お坊さんがお経を読んでいると、秋風が吹いてきていちょうの葉が舞い散り、まめだの身体を覆って行った。

右三郎の実直さや、母親とのつましい暮らし、けがをしたまめだがどうにかして治りたい一心で毎日膏薬を買いに来ていた様子、など、なんともいえず良くて最後はいちょうの葉が舞い散る様子が目に浮かんできてじーん…。
素敵だった…。泣いた。


新治師匠「宿屋仇」
トークコーナーの後、楽屋に挨拶に来たさん喬師匠を舞台に呼ぶ新治師匠。
私服姿のさん喬師匠が客席を見まわして「ああ、知った顔がいくつも…」と嬉しそうな笑顔を見せて「新治師匠をこれからもよろしく」と頭を下げたのが素敵だった。
そしてそんなさん喬師匠を見送って高座へ上がった新治師匠。「自分の師匠が亡くなってしまって、そんな時にさん喬師匠にかわいがっていただいて、自分の第二の師匠と思ってます」としんみりと。

「宿屋仇」、最初から最後までにぎやかで楽しくて笑いっぱなし。
特に芸者を呼んで大騒ぎをするところで鳴り物が入る楽しさ。そして隣の部屋の侍が手紙を書きながらちょっと身体が音楽に乗って揺れるのがおかしい。

バラエティに富んだ三席でいろんな表情を見せてもらって大満足。
またトークコーナーで東北の現状や自分たちに何ができるかということを語った主催の増子さん、新治師匠の言葉に胸を打たれた。
素晴らしい会だった。

 

新治師匠の「井戸の茶碗


露の新治 井戸の茶碗 in曹洞宗 龍門寺

第367回 圓橘の会

9/29(土)、深川モダン館で行われた「第367回 圓橘の会」に行ってきた。


・じゃんけん「たらちね」
・圓橘「三井の大黒」
~仲入り~
・圓橘「猿の眼」

 

圓橘師匠「三井の大黒」
政五郎は威厳があるけど江戸っ子らしいさっぱりしたざっけかない感じがある。
甚五郎はとても自然体というか思ったことをそのまま口にするようなところはあるけど、わざとらしいへんてこりんな感じはない(私は「ぽんしゅー」の甚五郎が苦手だ)。
政五郎の奥さんのことを甚五郎が「顔がまずい」と言うのには大笑い。しかも「気にすることはない。広く探せばもっとひどいのも見つかるだろう」って。ぶわははは。
お弁当のおかずが鮭と聞いてがっかりするのが、それを見せてみろと言って見て「測らずにこんな風にきれいに切れるのか」と感心するのが面白い。
また初日に板を削れと言われてムッとした甚五郎が「でも政五郎親方には世話になってるから」と気を取り直して鉋を3時間かけて削り板を一気に切るところ、迫力があった。
政五郎はそれを聞いて「そんな仕事を頼むとは」ととても怒り、甚五郎にきちんと謝る。また甚五郎は次の日からも他の大工に付いていろいろな現場に行って仕事をする。次の日からなんだかんだいって仕事に行かなくなりぶらぶらする、という展開もあるけど、私はこちらの方が好きだな。

仕事が丁寧で腕も確かな甚五郎だが他の大工に比べて遅いので文句が出ているというのを政五郎が甚五郎に伝え、江戸というのは火事の多いところだから丁寧さよりも速さを求められるのだ、だからお前には江戸は合わないと言うのも、政五郎の正直な人柄が出ていていいなぁ。

小遣い稼ぎに彫り物をやらないかと言われた甚五郎がそこで三井から大黒様を頼まれていたことを思い出して「ああ、そういえば…」と彫り始めるのも納得感がある。
出来上がった大黒様を見に行った政五郎が、見ているうちに不気味になってきて後ずさりするというのも初めて聞いたけれど好きだ。政五郎が甚五郎とは全く違うタイプの大工だけれど、ちゃんと見る目はあって…だけど専門外(!)だからちゃんとは分からない、というのが伝わってくる。

そこへ三井から使いの者が来て、政五郎はそれでもまだ甚五郎だと気付かず…そこへ甚五郎が帰ってきて二人の会話を聞いていてようやくわかる。それで今までの無礼を詫びるんだけど、その程もちょうどいい感じ。

今まで聞いた「三井の大黒」の中で一番好きだったなぁ。圓橘師匠の落語ってわざとらしい作ったようなところがなくてストレートできれいで好きだなぁ。


圓橘師匠「猿の眼」
初めて聴く噺。

岡本綺堂「青蛙堂鬼談」より。
青蛙堂という古道具屋に老若男女が集まって自分が経験した、あるいは人伝に聞いた怪談話をする。
物語は「第一の男(女)は語る」という書き出しで始まり、この「猿の眼」は第四話とのこと。

吉原で引手茶屋を営む市兵衛が、ある日広小路で汚い筵に道具を並べて売っている男に目を止めた。男は40代後半ぐらい、傍らに9歳ぐらいの男の子を連れていて、あきらかに氏族の成れの果て。
何か買ってやりたいがと思い置いてある道具を見てみると、猿の面がありそれに目を止めた。
「箱はないのか」と聞くと、家にあった長持ちの底から見つけ出したもので箱はない。ただ不思議なことにこの猿の眼のところに白い布で目隠しがしてあった、と言う。
男が二歩でいいと言うところを三歩で求めて持ち帰る。

明治5年に市兵衛は茶屋を売り払い、家族3人で今戸に移り住み、それからは俳諧宗匠として生きていくことにする。
その時に代々伝わってきた古道具の類はほとんど売り払い、気に行ったいくつかの品だけを今戸へ持って行った。
ある日、井田という知り合いの若者が訪ねてきて、二人で俳諧について語り合い、その晩は井田を離れに泊めてやった。
すると夜も更けた頃、離れからうなり声が聞こえてきて、市兵衛が様子を見に行くと井田は「化け物が出た」と言っている。あらかた寝ぼけたのだろう、と言っていると、またしばらくして悲鳴が聞こえてくる。
再び離れに行った市兵衛はびしょ濡れになった井田を連れて戻ってきた。
井田は、寝ていると胸が苦しくなり髪の毛が掻き毟られて、恐る恐る見上げると柱にかけてある猿の面の眼が青く光っていて、あまりの恐ろしさに庭先に転がり出たのだ、と言う。
市兵衛も離れに行って、確かに猿の面の眼が青く光っているのを目にする。

次の日の朝、市兵衛と井田の二人は明るいところで猿の面を見てみようと離れに行ってみると、不思議なことに猿の面は消えてなくなっていた。
それから数か月すると、井田はぶらぶら病にかかり22歳という若さで亡くなってしまう。

それから何年かした時に吉原時代の知り合いの幇間が道具屋になって骨董品を買っていただきたいと訪ねてくる。
市兵衛は断ったのだが一目だけでも見てほしいと言って風呂敷から取り出したのが、例の猿の面。
これをどこで手に入れたのかと詰問すると実は四谷の夜店で買ったという。しかも自分が買った時と同じ、落ちぶれた氏族風の男から買い求めたらしい。
四谷と聞いて嫌な気分になった市兵衛。というのは亡くなった井田が住んでいたのが四谷だったのだ。
それでも猿の眼が本当に光るかどうか確かめたいと市兵衛は猿の面を買い求めて離れに飾る。
市兵衛の妻は、なぜこんな不吉なものを引き取ったのだと怒るが、市兵衛はどうしても確かめたい、と言う。

その晩遅くに今度は母が、何者かに髪の毛を掴まれて寝床から引っ張り出されたと言って叫び声をあげる。市兵衛が確かめるとまた猿の眼が青く光っていた。
不思議なことがあるものだと言っていたが、母はその後3年後に亡くなってしまった。

その問題の猿の面を市兵衛と幇間で焼こうとしたが、不思議なことにまた猿の面はなくなっていた…。

…この間聞いた「木曽の旅人 ~山の怪~」と似た、もやもやとした怖さが残る物語。これが圓橘師匠の淡々とした喋りととても合ってる。
サゲでこのお面がこの近所で今度開かれる道具市に出るかもしれない、と言ったのが、お茶目で微笑ましかった。

来月も谷崎潤一郎の話をやるらしいし、楽しみだ!

 

圓橘師匠の「鰍沢」があった。


[落語] 鰍沢

第三回 柳家はん治一門会

9/28(金)、多目的サロンレタスで行われた「第三回 柳家はん治一門会」に行ってきた。


・小はだ「まんじゅうこわい
・はん治「金明竹
~仲入り~
・小はぜ「狸鯉」
・はん治「らくだ」


はん治師匠「金明竹
あとで小はぜからも話があると思いますけど、NHKドラマ「昭和元禄 落語心中」にちょこっとだけ出ます、とはん治師匠。
協会からの仕事で、小はぜが前座役、私が真打の役で…ほんのちょっとだけ…。

それから、今年ほど災害の多かった年はありませんね、とはん治師匠。
北海道の地震の時、うちの師匠は北海道に仕事で行っていた。幸い、会は中止にならずできたようですが…私心配で電話したんですが、師匠が電話に出て「大丈夫だ。心配するな。それより携帯の電池がもったいないから切るぞ」って。…私、電話しない方がよかったですね。

そんなまくらから「金明竹」。
小言を言うおじさんが結構厳しくて小三治師匠っぽい(笑)。与太郎はあんまり動じない感じで、おかみさんがすごくきちんとしているのに全然聞き取れなくて困っているのがチャーミングでかわいらしい。こういうかわいらしさって本当に自然で出てくるものだから得難いものだよなぁ。

すごく楽しかったから、もっと寄席でもかけたらいいのに!と思う。はん治師匠の古典ってすごくいいんだよ。寄席でしか見てない人はほんとにいつも決まった噺…って思ってると思う。もったいない。

 

小はぜさん「狸鯉」
一門会ができるのがとっても嬉しいと小はぜさん。高座にかけている毛氈は協会から借りたんですけどその時に「何に使うんですか」と聞かれて「一門会です」と答えたら「ああ、小三治一門会?」と言われ「いいえ、はん治一門会です!」と答えた時の誇らしさ。なんかとっても嬉しかったです。

それから「落語心中」…先ほど師匠がおっしゃってましたけど前座役で…私の方は何回か出番があったので何日か通いました。ああいうドラマってチームみたいになっていて初日は誰とも喋らずにいたんですけど、何日かいるうちに話もするようになりまして、主演の岡田さんとも話をしたりして。結構噺を覚えられてるんですよね。ネタバレになるから言わないですけど、聞いたら私が覚えてない噺ばかりだったりして…すごいな、と思ったり。
で、岡田さんからは「小はぜにいさん」と呼ばれたりして…いやそれ「にいさん」じゃなく「あにさん」だよ…と思いながら、面白いから教えないでいたり…。
あと落語のこととか落語家のこととかいろいろ聞かれました。「落語家っていうのはどこがちがうんですか?どうしたら落語家になれるんですか?」と聞かれて「了見ですね」と答えました。えへへ。

…うわーーー、小はぜさんがドラマに!すごい。

そんなまくらから「狸鯉」。
まくらが長めだったから十八番の噺でぴしっときめた感じかな。師匠の「らくだ」が控えてたっていうのもあるだろうけど、もう少したっぷり見たかったな。


はん治師匠「らくだ」
たっぷり丁寧な「らくだ」。
兄貴分にやくざ者っぽい怖さがある。「俺がやさしく言ってるうちに」という台詞はよく聞くけど「俺が言ってるんだぞ」というのは初めて聞いたかな。

肩をすくめて怖がるくず屋さんがとてもチャーミング。「あーなんでこういうことになっちゃったのかなぁ」と嘆くくず屋さんがはん治師匠と重なってかわいい。
やけくそで歌う「かんかんのう」がすごくおかしくて大笑い。
お酒をすすめられて「あたし、昼間に飲んだことないんですよ」っていう台詞、3杯目を飲んでくず屋さんの態度が一変すると兄貴分が「あんまり癖が良くねぇなぁ…」「昼間は飲まないんだろ?」と腰が引けるおかしさ。
今までさんざん怖がっていたくず屋さんが立場が逆転して「おれは今日は帰らねぇ!!」とすごむのが楽しくて、「やったー!!」って感じ。
この噺、あんまり好きじゃないんだけど、はん治師匠のはすごくおかしくて笑いが多くてとっても楽しい。
すごくよかった!

 

春琴抄

 

春琴抄 (角川文庫)

春琴抄 (角川文庫)

 

 ★★★★★

九つの時に失明し、やがて琴曲の名手となった春琴。美しく、音楽に秀で、しかし高慢で我が侭な春琴に、世話係として丁稚奉公の佐助があてがわれた。どんなに折檻を受けても不気味なほど献身的に尽くす佐助は、やがて春琴と切っても切れない深い仲になっていく。そんなある日、春琴が顔に熱湯を浴びせられるという事件が起こる。火傷を負った女を前にして佐助は―。異常なまでの献身によって表現される、愛の倒錯の物語。マゾヒズムを究極まで美麗に描いた著者の代表作。

句読点を省いた文章がとにかく美しく、この美しい文章を原文で味わうことができる幸せを感じた。

佐助の春琴への想いは至高の愛なのか無私なのかマゾヒズムなのか。私にはわからないけれど、佐助の人生には春琴さえいればよくて、春琴の近くにいて彼女を感じることが彼の人生そのものだったのだろう。

美しさに執着し続けた春琴が火傷を負わされ初めて心の平安を得たのは皮肉だが、春琴の素晴らしい琴の音に聞き入る佐助の姿が見えるよう。

谷崎の文章を読むことが自分にとってご褒美のようになっていることに驚く。この年になって谷崎潤一郎を好きになるとは思わなかった。読まず嫌いはもったいない。

みちづれはいても、ひとり

 

みちづれはいても、ひとり

みちづれはいても、ひとり

 

 ★★★★

子供はいなくて、しかも夫と別居中で、ちょっと前まで契約社員で、今は職を探している弓子39歳。男とすぐに付き合ってしまうけれど、二股はかけない、不倫はしない、独身で休職中の楓41歳。ひょんなことから弓子の逃げた夫を探す、不惑女二人の旅路。

失踪した夫を見つけてやっつけに行こうと一緒に旅に出た女二人。性格も違うし価値観も違うしそれほど親しいわけでもない。
お互いに鬱陶しく思ったり「これじゃ一緒に旅してる意味がない」と寂しく感じたりしながらも、一緒に時間を過ごす中で少しだけ自分自身のことと相手のことが分かる。

心が離れていく途中の男というのは、皆わかりやすく同じ表情をしている。それに、匂いも変わる

「女がね、化粧したりきれいな服を着たりするのは、男の人のためじゃないのよ。自分のためよ。すくなくともあたしはそうよ。もちろん男の人に見せるためにする時もある。でもね」
(中略)
「でもね、少なくともその『男の人』はあんたじゃないのよ!」

ねえ、母親があんなふうだからだとか、周りの大人が言うかもしれないけど、そんなの無視していいんだよ。大人が言うことがぜんぶ正しいと思ったら大間違いなんだから。

(中略)

王子さまが現れなくても、自分の足で歩いていけるよ。

胸に刻みたい言葉がいっぱい。面白かった。他の作品も読んでみたい。

鈴本演芸場9月下席 柳家さん若改め柳家小平太 真打昇進襲名披露興行

9/25(火)、鈴本演芸場9月下席「柳家さん若改め柳家小平太 真打昇進襲名披露興行」に行ってきた。

・さん喬「長短」
・ホームラン 漫才
文楽「権兵衛狸」
馬風 いつもの
翁家社中 太神楽
正蔵「鼓が滝」
~仲入り~
・真打昇進披露口上(歌る多、正蔵文楽、小平太、さん喬、馬風、市馬)
・橘之助 浮世節
・市馬「一目上がり」
・歌之介「お父さんのハンディ」
・正楽 紙切り
・小平太「居残り佐平次


さん喬師匠「長短」
丁寧な「長短」。
長さんが気が長いだけじゃなくてニコニコ機嫌がいいところが好きだな。
「物を教わるのは嫌いか」と聞かれた短さんが「いてぇところ突かれたな」ってちょっと嬉しそうなところもかわいかった。


真打昇進披露口上(歌る多師匠:司会、正蔵師匠、文楽師匠、小平太師匠、さん喬師匠、馬風師匠、市馬師匠)
正蔵師匠が小平太師匠のことをさんざん褒めてお客さんに贔屓をお願いしたあとに「小平太でよかったんだよね?」とさん喬師匠に自信なさそうに確認して、さん喬師匠が「うん、だいじょうぶ」と言ってから鼻をくしゃっとして笑ったのがなんかよかった。
馬風師匠の昭和なかほりの面白くないけど誰も止められない口上の後の、市馬師匠の安心感。ああ…この人が会長でよかった、としみじみ思う。カリカリもせず同調もせず、きちんときれいごとな口上。ほっ…。
・さん喬師匠が小平太師匠のことを、家族のぬくもりを知らず…と言ったのがちょっと気になる。え?そうなの?って。最初に楽屋に来たときはヒッピーみたいな汚い恰好だったし年も取ってるしどうかなと思ったけど、これも縁だと思って弟子にとったっていう話、いいな。


橘之助師匠 浮世節
三味線も歌も小菊師匠に比べたら×××なんだろうけど、でも前はほんとにかるーい三味線漫談だったのが、結構難解な曲に挑戦してそれを定番にしつつあるところにぐっとくる。
小平太師匠のことも「なんかいいでしょ、あたし大好きなの。あの顔見るとほっとするのよね。ね?」と言った後に「初めてのトリって緊張するのよ。ほんとに緊張するの。今も後ろですごい緊張してるわよー」と言った後に楽屋の方を向いて「ざまーみろ!」と笑ったのがよかったな。
ホームラン先生もそうだけど、色物の先生方も新真打へのお祝いの気持ちが溢れていてじーんとくる。


市馬師匠「一目上がり」
時間が押してたのかコンパクトだったけど、こういう時もおめでたい噺をすっきりするところが好き。

 

小平太師匠「居残り佐平次
たくさんの拍手に迎えられ、頭を深々と下げて「ようやく私の番になりました」と小平太師匠。かわいい後ろ幕を背に「居残り佐平次」。
意外!と思ったんだけど、これがものすごくよかった。

佐平次がとにかく明るくて軽くてパーパーしていて…それに小平太師匠のくりっとした人懐っこい顔、しっかりした声、てきぱきした動きとが相まって、とっても生き生きしてる。とってつけたような悪ぶった感じが全くないんだけど、でもちゃんとどこか信用できない感じが漂ってる。
さんざん飲み食いしていよいよ誤魔化しきれないと思った時に佐平次が若い衆に「お前、体の具合どこも悪くない?心臓が弱いとかない?」と聞いて、「金はない!」と大きな声できっぱり言うおかしさ。
「行燈部屋に籠城いたしましょう」と慣れた感じで言うのも、いけしゃーしゃーとしているけどおっちょこちょいな感じで憎めない。
最後、旦那を相手にあれこれふんだくって若い衆に悪ぶるところも、小悪党という感じでそんなに嫌な気持ちにならなかった。
私、この噺でこんなに楽しかったの初めてだなぁ。面白かった~。

そして、小平太師匠が出てくるときに楽屋から拍手で送りだしている音、幕が下りてからの手締めの音、何度聞いても特別な場に居合わせたという幸せに包まれる。よかった!

13・67

 

13・67

13・67

 

★★★

華文(中国語)ミステリーの到達点を示す記念碑的傑作が、ついに日本上陸!
現在(2013年)から1967年へ、1人の名刑事の警察人生を遡りながら、香港社会の変化(アイデンティティ、生活・風景、警察=権力)をたどる逆年代記(リバース・クロノロジー)形式の本格ミステリー。どの作品も結末に意外性があり、犯人との論戦やアクションもスピーディで迫力満点。
本格ミステリーとしても傑作だが、雨傘革命(14年)を経た今、67年の左派勢力(中国側)による反英暴動から中国返還など、香港社会の節目ごとに物語を配する構成により、市民と権力のあいだで揺れ動く香港警察のアイデェンティティを問う社会派ミステリーとしても読み応え十分。
2015年の台北国際ブックフェア賞など複数の文学賞を受賞。世界12カ国から翻訳オファーを受け、各国で刊行中。映画化件はウォン・カーウァイが取得した。著者は第2回島田荘司推理小説賞を受賞。本書は島田荘司賞受賞第1作でもある。

分厚さに怯みながら、評判いいし、twitter文学賞上位だし、と読む。
とても読みやすいし、なんといってもクワンが魅力的。どんな事件も100%解決する正義感の強い主人公という芯があるから、わりと安心して読める。
時を遡るという展開も面白い。最悪から始まって徐々に若返って行って、最後まで読むとそれが最初につながっていて、なるほどクワンはこういうふうにして出来上がっていったのか、と思う。

でもでもそこまで?んん?そんなにか?というのが正直な感想。
一話目で感じた違和感(こういう書き方だと誰でも犯人にできちゃうんじゃ?クワン以外の人間はいてもいなくてもいいんでは?など)が最後まで続いた感じだなぁ。私はそれほどはまらなかったな。

 

 

第472回 花形演芸会

9/22(土)、国立演芸場で行われた「第472回 花形演芸会」に行ってきた。

・桜子「八百屋お七
・遊京「弥次郎」
・笑好「ラーメンマスター」
・のだゆき 音楽パフォーマンス
・さん助「景清」
~仲入り~
・扇遊「厩火事
宮田陽・昇 漫才
・馬るこ「大工調べ」

遊京さん「弥次郎」
久しぶりに見た遊京さん。
前座の頃はわざとゆーっくり淡々と抑揚なくつまらなくやってるイメージがあったけど、そういう感じはなくなってフツウに面白かった。フツウに面白かったっていうのもなんかなげやりな言い方だけど。フツウに。自然に。そんな感じ。

 

のだゆきさん 音楽パフォーマンス
技術があるんだから、あのまーーったりした喋りとしょうもないパフォーマンスはやめて、もっと演奏を見せてくれればいいのに、といつも思う。

今日もいつもとおんなじだなぁと思っていたら、持ち時間が長かったせいか、普段やらないすごーく大きなリコーダーを出してきて「竿竹屋」をやったのが、すごい意外だったのとツボにはまったので、めちゃくちゃ笑った!


さん助師匠「景清」
プログラムを見た時に、こここの位置は…おそらくかなりひんやりした雰囲気になっている可能性が高いからさん助師匠ピーンチ!と思ったんだけど、まくらなしで「景清」。
杖をつくしぐさで何度もすべる!(ウケない意味のすべるじゃなくて、扇子がかくっとなる!)国立の高座はピカピカに磨き上げてあるからすべりやすいんだろうね。でも杖が滑ったら盲人は転ぶでしょう…。気を付けて~。
前半部分、定次郎のひねくれててやけっぱちなところが少し伝わりづらい。定次郎のチャーミングなところが伝わればもっと客席を味方にできる気がするなぁ。
でも満願の日に目が開かなくて観音様に毒づく定次郎。それをなだめる旦那とのやりとりはよかったな。
あと旦那が雷に打たれた定次郎を置いて逃げ帰ってしまうところ。他の人の「景清」ではそこにいつも疑問が残っていたんだけど、旦那が定次郎の悪心に観音様がお怒りになったと思って逃げたというのがわかって、納得。

そしてさん助師匠の「景清」で一番好きなのが、観音様が「善哉」と言いながら飛び出してくるところ。
観音様が出てきたと分かった定次郎が「ありがてぇ!直談判だ!」とお願いすると「お前は悪心がすぎるからだめだ」と観音様。
「ええ?だめ?どうしても?片目だけでも開かない?あーーー観音様にお前の目はだめだと請け合われちゃったよ」と定次郎ががっかりすると「お前は駄目だが、おふくろさんの信心に免じて、お前が生きてる間、目を貸してやろう」と観音様。
それが景清の目だと聞いて「そりゃ古いんじゃないの?見えるの?」と聞くと、観音様が「だから3日前から塩水につけておいた」って…わはははは。

言うだけ言って自分で扉をしめて去っていく観音様のばかばかしさ。そしてこのサゲ。すごく落語らしくて好き。
ほとんどの噺家さんが月が見えて喜ぶところで終わるのに、このサゲまでちゃんとやるところが好きだなー。

定次郎がやけになって歌う歌もちょっと調子ははずれてるけど楽しくていいな。
よかったー。


扇遊師匠「厩火事
この会にゲストで呼ばれたのが嬉しいと扇遊師匠。
弾むような高座でめちゃくちゃ楽しい「厩火事」。
三言ぐらい多いお光さんのうるさいけどチャーミングなところが伝わってくるし、亭主も何を考えてるかわからないけど魅力があるし、相談に乗ってあげる旦那の優しさも伝わってくる。

楽しかった~。


宮田陽・昇先生 漫才
寄席で見ていて一番好きな漫才師。とってもウケてたのが自分の手柄のように嬉しい(笑)。

第19回 百栄の赤いシリーズ「赤いネコじゃらし」

9/21(金)、らくごカフェで行われた第19回 百栄の赤いシリーズ「赤いネコじゃらし」に行ってきた。


・百栄「天狗裁き
・貞寿「夫婦餅」
~仲入り~
・百栄、貞寿 トーク
・百栄「猫男」


百栄師匠「天狗裁き
今、国立演芸場の寄席に出ているという百栄師匠。
もともと国立の寄席は回数も多くないし、出るのは1年に一芝居ぐらい。
でも自分が前座の頃は国立に呼ばれることがとても多かった。資料館で確認したら一年のうち5芝居ぐらい出ていて、そのころは「国立に好かれてるのかな」と思っていたけど、今思えば落語協会の先輩前座から嫌われていたのだろう。
自分は真面目な人間だからさぼったりする方じゃなかったけど、年はとってるし気は利かないし先輩前座からすれば使いづらい前座。だから疎んじられて国立に追いやられていたのだな、ということにずいぶん経ってから気が付いた。

それから国立では資料館を無料で使えるという話。
前は芸人風に入って行けば顔パスで入れたんだけど、今は「あなたダレデスカ」から始まって書類を書かせられたり、荷物は全部ロッカーに預けさせられて、筆記用具しか持って入れなかったり…めんどくさいことになっちゃってた。

そんなまくらから「天狗裁き」。
おお、百栄師匠が「天狗裁き」ってなんか意外!
百栄師匠のおかみさんがほんとにおかみさんっぽくて好きだなー。
それから隣の男、大家さん、お奉行様、と次々出てくるキャラクターがくっきり違っていて、でもみんな夢の話を聞きたがる面白さ。

そしてやっぱりサゲはすっきり最初に戻る形。これですよ。
面白かった。


貞寿先生「夫婦餅」
百栄師匠とは共通点がいっぱい。猫好き、相撲好き、それに加えて私も国立の資料館にはよく行くんです!と貞寿先生。
それから資料館の使い方講座。事前予約…めめめんどくさい…。きっと行くことはないな…(遠い目)。
それから稀勢の里への愛を熱く語る。みなさんもぜひ応援して!と言いながら、期待されるとダメなタイプの子だから正面切って応援しちゃダメ。テレビをつけても前に座って応援するとかじゃなく、台所でねぎを切りながらちらり…そういう応援の仕方で、って。わははははは。わかる!わかるけどなんなのその応援の要請は(笑)。

それから貞心先生が白鵬のパーティの司会を仰せつかった時の話。そういう仕事を受けたと聞いてすかさず「カバン重いですよね?お持ちします!!!」と貞寿先生。付いて行ったんだけど、相撲の世界はすごい!最初から金一封…それも祝儀袋が立つぐらいの厚み。その後にもご祝儀を本人に渡すコーナーというのがあって、みんながそれに嬉々として並ぶ。お金を渡すために行列を作る世界があるとは!!

そんなまくらから「夫婦餅」。
私は初めて聴いたんだけど、貞寿先生によれば相撲愛を熱く語った後はこの話らしい。

相撲のタニマチになると昔は1年で千両使う、と言われていた。さすがにそれは大げさかもしれないけれど、その十分の一ぐらいは少なくとも使っていただろう。

菓子屋の主人で大の相撲好きの男が贔屓の横綱に金をつぎ込みすぎて店をつぶしてしまう。女房は元芸者なのだが、そこの店の主人が彼らを心配して家を訪れて五十両の金を利子なしで貸してくれる。この金をもとに店を立て直せ、というのである。
とにかくこの金を相撲に使ったらいけないよと言われ主人もそのつもりでいるのだが、帰り道で贔屓の横綱に会い、ご飯だけならと付き合うと、そこの部屋の若い力士が出世するという話を聞く。それはめでたい嬉しいとついその金を渡してしまう主人。

あとからそれを聞いて女房は怒り、貸してくれた主人もあきれる。
いくらかだけでも横綱に返してもらおうと訪ねるのだが、「いったんいただいたものはお返しできません」と横綱
仕方なく菓子屋の主人が奮起して夫婦餅というのをこしらえて広小路に店を構えると、そこを訪れたのが力士連中で…。


正直話自体は、まぁまぁまぁ…ふーん…という内容だったけど、貞寿先生の相撲愛は伝わってきた、かな。わはは。


百栄師匠、貞寿先生 トーク
猫の話をし始めたんだけど、貞寿先生のところの愛猫が3月9日に亡くなっていまだにロスが続いていると聞いて、絶句…の百栄師匠。
こればっかりはね…どうしようもないんだよね…と。勧めるわけじゃないけど、自分はそういうのもあって1匹だけじゃなく複数飼うことにしている、と。
貞寿先生も実はそうしようと思っている矢先だったとか。
夏はまだよかったんだけどこうやって少し涼しくなってくるとあのぬくもりが懐かしくて…という貞寿先生に慈愛の目を向ける百栄師匠。

師匠はいつぐらいから猫を飼い始めたんですか?という話から、引っ越す以前は千早に住んでいた…え?じゃうちの師匠の家の近くですね、というローカルトーク。それから貞心先生が犬の散歩をするのに、芸人名鑑を見て芸人の家を探し当てるストーカー?散歩をする、などという話も飛び出したり…。
熱く語る貞寿先生に、ちょっと引き気味にふわふわ受け止める百栄師匠。
仲入りの時も相撲の話を熱く語る貞寿先生の声が聞こえてきておかしかったー。


百栄師匠「猫男」
一席目に「天狗裁き」をやったのは、この間伊集院光さんのラジオでこの噺のことを言っていたから。
伊集院さん、散歩の時にネックスピーカーで「天狗裁き」を聞いていた。歩き疲れたので公園のベンチに座って水を飲んだりして休んでいると、となりにサラリーマン風の男性が座ってランチを食べ始めた。ネックスピーカーで音が漏れるので、その人もどうやら落語に聞き入っていて時折くすっと笑ったり。
身体も休まったので伊集院さんがまた歩き出そうと噺の途中だったけど立ち上がって歩き始めてふと振り向くと、その男性が「ちょっと待って…」と言わんばかりに身を乗り出して手を伸ばしていた…。
どこで歩き出したかというと、天狗が現れた場面だった。

…ぶわははは。確かにそこでいなくなるのはあまりにむごい!あと5分もあれば終わるんだからいてあげて~。

ラジオでその話を聞いて、ああ、考えてみたら「天狗裁き」ってイカした噺だよなぁと思って、久しぶりにやってみた、と。

それから猫は掃除機を怖がる、という話。
何匹も飼ってきたけど、掃除機をかけると、本当に怖がって押し入れに隠れるような猫が多い。中には気にしない猫もいるけどそれでも好みはしない。
今家で飼ってる猫も掃除機が大嫌い。
弟子のだいなもが家に来る朝は、あんまり散らかってるのは嫌だから自分で片付けて掃除機をかけるんだけど、だいなもは身体が大きくて威圧感があるらしくて猫に嫌われている。もう1年以上通ってきてるのにいまだにだいなもが来ると「シャーーー」とやる。
しかもだいなもが来る朝に決まって自分が掃除機をかけるものだから、掃除機→だいなも→シャーー!という悪循環。
なので最近は掃除機をやめて拭き掃除をするようになった。それでもまだだいなもには慣れてくれてない。

そんなまくらから「猫男」。
社内で誰かと誰かをくっつけることに命をかけているおばさん社員。そこへ女性社員が訪ねてきて、前に紹介してくれた男性なんだけど付き合ってみたらなんか変な人だったのでお断りしたい、と。
あら、紹介したばかりの頃は、イケメンだし素敵な人だしお付き合いしてみますって言ってたじゃない、とおばさん。
いえそれはそうだったんですけど、実は…。

この二人の会話だけですすむ噺なんだけど、もうこの男の様子と女性社員の気持ち悪がり方とかめちゃくちゃおかしくて、しかもそれを聞いて「あら、でもあの子は高貴な出だから」「あらいいじゃない?」とかばうおばさん社員の受け答えが絶妙で、ツボにはまって最初から最後まで笑い通し。
すごい落語らしい世界で楽しかった。また聞きたい!

萬橘を満喫できる会 第15回

9/20(木)、ミュージックテイトで行われた「萬橘を満喫できる会 第15回」に行ってきた。

・まん坊「狸札」
・萬橘「洒落番頭」
・萬橘「粗忽長屋
~仲入り~
・萬橘「船徳


萬橘師匠「洒落番頭」
噺家という職業は世のため人のためにはならないと言われるし確かにそうだと思うけど、洒落がきいてるのがいいですね、と萬橘師匠。
この間、大阪の仕事に行った。一緒に行ったのが笑遊師匠で、楽屋には上方落語協会の福團治師匠がいらした。
福團治師匠が笑遊師匠に向かって「今日はお泊りですか?」と聞くと、笑遊師匠が「いえ、日帰りで帰ります」と言った後にシャレだったんでしょうが「女房がうるさいもんで」と言ったんですね。
そうしたら福團治師匠が「うるさい女房でもいるのはよろしいな」とぽつり。福團治師匠の奥様、今年亡くなってしまったらしい。
うわっそれはっとなって、笑遊師匠が「それは気が付かなくて…申し訳ない」と謝ると「いやいや、そんなことないですよ」と福團治師匠。でもなんか場がしーん…となってしまった。
そうしたら福團治師匠が「うちの女房は今年の春に亡くなりましてん」。
言ったとたんにマネージャーの人が「春じゃなくて冬!」
そんなことを間違えるわけはないから、多分そういうツッコミが入ることがわかっていて場を和ませようと思ってわざと「春」って言ったんだろうな、と思ったら、あーーーいいなぁこの世界はシャレがきいてて!と嬉しくなった。そうじゃなかったらよっぽどの×××か…ですね!
この世界に入ってよかったなと思う瞬間でしたね。

…ああ、いいなぁ、萬橘師匠のこういうところがすごく好きよ。
ポッドキャストとか仲のいい人との二人会とかだとなんとなく何を考えてるかわからないような…めんどくさい人だなぁという印象を受けるんだけど、こういう一人の会で見るととても真面目でいろんなことをきちんと受け止める人なんだな、と感じる。

あと、子どもを連れて縁日に行って金魚すくいをやったんだけど、結構お客が大勢集まってきてる中に、店のおばちゃんに向かって「カード使える?」って聞いた人がいて、こんなところでカード使えるわけないだろう!!と思ってそれだけでも笑ったのに、店のおばちゃんも「あー、今機械が壊れちゃってるの」と返していて、こういうシャレが楽しいなぁと思った。

そんなまくらから「洒落番頭」。
番頭さんと小僧の会話から。最初これが旦那と小僧の会話と勘違いして、え?旦那もシャレがわかるの?と驚いちゃった。
番頭さんの質問にシャレで返す定吉。それを「いいぞいいぞ」と褒める番頭。「洒落は生きる喜び」とまで(笑)。
そんな番頭の噂を聞きつけて「私の前でシャレをやっておくれ」と旦那。
この番頭さんはすごくちゃんとシャレの説明をするんだけど、それが全然わからない旦那がおかしい。
杖でシャレとくれと言われて「旦那がこれを使うと、みんながステッキと言って付い(杖)てくるでしょう」と言うと「ステッキじゃないでしょ、すてきでしょ。それにみんなじゃないですよ」と旦那。そこじゃない!という細かいところに反応する面白さ。
楽しかった!


萬橘師匠「粗忽長屋
基本的には変えているところはないんだけど、人物がくっきりしていてわかりやすい。
あと、くまが死んだと思って、本当に悲しんでる。それはもう胸を打つほどに。本人と話しながらも「因縁と思ってあきらめねぇ」と言いながら「だから俺は言ってただろ、お前ってやつはほんとに…」と半泣きしてる。それにちょっとじーん…。そういえばこの噺やる時、みんなそこまで悲しんる風にやらないよなぁ、なんてことに初めて気づいた。
おかしかったのは、くまのことを「足みてぇな顔のやつ」と言ったのを聞いていた人がいて、面倒をみてるおじさんが「この調子じゃほんとに行き倒れの本人を連れてくるかもしれない」と言うとその人が「足みたいな顔ってどんな顔ですかね?」。
こういう外し方がたまらない。
でもなんとなくもっと爆発してもよかったような気がしてしまうのは、期待値が大きいせいなんだろうな。白酒師匠を見るときに通じるものがあるな。


萬橘師匠「船徳
世の中にはやらないほうがいいことっていうのがあるんですよね。
私の師匠がある時新作をやると言い出したことがありました、と萬橘師匠。
それでやってみるから忌憚のない意見を聞かせてもらいたいと弟子が集められた。
師匠が真剣に新作に取り組んでいるのだからと忌憚のない意見を言ったら、それが全て自分への小言として返って来た…。という苦い思い出があります。

…ぶわはははは。なんかわかるような気がする。
というか、萬橘師匠の口から圓橘師匠の話を聞くのめちゃくちゃ嬉しいな!ほんとーーに素敵だからなぁ、圓橘師匠って。人柄もすごく真面目で清廉潔白なんだろうな。
萬橘師匠の言葉からも師匠へのリスペクトがうかがえて素敵だった~。
そんなまくらから「船徳」。

船頭になると宣言する徳さんの上から目線がおかしい。
「それほど難しい仕事じゃない」「たいした仕事じゃない」果ては「弟子になってやるよ」。
そういわれた親方が「弟子になってやるっていうことはないからね!そういうことは現実的にありえないの!」と答えるおかしさ。
若い衆を急いで呼んできてくれと言われた女中のお竹さんが「はーい」ってかわいいのがとっても新鮮。小三治師匠のもさん喬師匠のもお竹さんはいかにもやる気がない感じだから。
そして若い衆の懺悔の中に、親方のへそくりの隠し場所…というのがあるのにも笑った。

船に乗り込む二人連れ。
1人がさんざん「あたしゃ玄人」「行きつけの船宿がある」と言っているのに、船宿に行くとあきらかにおかみさんが覚えてない。しかも思い出したと思ったら「一回だけいらしたお客様」。ぶわははは!
出て行く船におかみさんが手を合わせて祈りを捧げているのもおかしいし、そういわれて「ちがうよ、あれはヨガのポーズ」っていうのもおかしい。
船を漕ぎだしてからは本当に力一杯の熱演で、汗だくの徳さんと萬橘師匠が重なる。
「ああ、きょうはいい着物なのに」というつぶやきも徳さんなのか萬橘師匠なのかわからなくてめちゃくちゃおかしい。
船が同じところをぐるぐる回るのも石垣にくっついて行っちゃうのも途中から流されちゃうのも全て「河童のしわざ」。
「そんなに?そんなにか?河童?」という叫びもおかしい。
竹屋のおじさん、船を漕いでいるのが徳さん一人とわかった瞬間「やめろーーーー」と全力の叫び(笑)。
そして徳さん、いっぱいいっぱいになってくると「でぶの旦那!」。「…さっきまで太った旦那だったのに!!」。

三席とも楽しくてたっぷり笑って満足~。

ヌヌ 完璧なベビーシッター

 

ヌヌ 完璧なベビーシッター (集英社文庫)

ヌヌ 完璧なベビーシッター (集英社文庫)

 

 ★★★★

パリ十区のこぢんまりしたアパルトマンで悲劇が起きた。子守りと家事を任された“ヌヌ”であるルイーズが、若き夫婦、ミリアムとポールの幼い長女と長男を殺したのだ。そしてルイーズも後を追うように自殺を図り―。子どもたちになつかれ、料理も掃除も手を抜かない完璧なヌヌに見えたルイーズがなぜ?事件の奥底に潜んでいたものとは!?2016年フランスのゴンクール賞を受賞した話題作。

サスペンスと思って読み始めたがそうではなかった。

二人の子どもに恵まれたものの弁護士のキャリアを諦めきれず鬱状態になる妻ミリアム。生まれてきた子どもと妻への愛情がないわけではないが、なんとなくまだ大人になり切れない夫ポール。
若夫婦が雇ったのは子どもに愛情を注ぎ家事もこなす完璧なヌヌ(ベビーシッター)のルイーズ。
最初は完璧なヌヌに心酔するミリアムだったが、子どもへの愛情をむき出しにするルイーズを脅威に感じて時に居心地の悪さを覚えたり、距離感に悩むようになる…。

雇う側と雇われる側。立場の違いがお互いの好意を捻れたものに変えていく。
ルイーズにはルイーズの生活があり悩みがあり人生がある。
バカンスに一緒に連れて行くほど親しくするのなら、なぜ彼女の話を聞かなかったのか。また、彼女のことをそれほど知りたくないのならなぜ連れて行ったのか。それは好意から出た行動だったのだろうが、それがなければ…と思わずにはいられない。

深刻な人ほど助けを求められないものだし、もしルイーズが助けを求めても結果は同じだったかもしれない。
でも追い詰められて常軌を逸していくルイーズがあまりにも哀れだ。そして若夫婦の失ったものはあまりに大きい。

格差のある人間同士の関わり方の難しさ、そしてわかりあうことの難しさに胸が詰まる思い。

神楽坂トンボロ落語

9/26(水)、カフェ・トンボロで行われた「神楽坂トンボロ落語会」に行ってきた。

・柳若、さん光、しん乃 トーク
・柳若「青菜」
・しん乃「星野屋」
~仲入り~
・さん光「幽霊の辻」


しん乃さん「星野屋」
3人のトークの時に謝楽祭の話が出たので、しん乃さんも謝楽祭に出た時の話。
「私、だいたいは師匠のお店を手伝っていたんですが、ある時占い師をやったことがあったんです。これが妙に当たると評判になりまして。結構お並びいただいたりして、お客様からいろんなことを相談されました。でも考えてもみてください。私のような人間に向かって”うちの会社は将来大丈夫でしょうか”とか”私はこの先どうなるでしょうか”とか…。私の方がよっぽど心配ですよ。一生前座だったらどうしよう、って」。
…ぶわはははは!おかしい!!笑い事じゃないけど大笑い。

また、芸協に移ってきて、何かの時に「私がニツ目のころに」と話をしたら、とある師匠から怒られました。「私がニツ目のころって…お前は真打か!」。
ぶわはははは。それもおかしい。っていうか、そういうことをネタにできるようになってほんとによかったね、しん乃さん。

そんなまくらから、落語に入ってびっくり。「星野屋」だ!フツウの前座さんだったら絶対に持ってない噺!

いやこれが意外にも(失礼!)よかったのだ。
旦那が店を潰してしまったから身を投げるつもりだと言うと、「私は今まで旦那のおかげで生きてきたんだから、旦那がいなくちゃ生きていけません」って言うんだけど、それが本気のようにも聞こえるしお芝居(宝塚!)のようにも聞こえる妙。
で、泣かせるようなことを言ったかと思うと、ケロっとしてみたり、そのバランスもいいし、なんといってもとってもチャーミング!それでいてちゃんと悪女でもあるという。
うわーー、なんかいいっ!面白いよ、しん乃さん。

 

さん光さん「幽霊の辻」
しん乃さんがまくらで夢の話をしたり、またその夢の話が自分で自分の死体を見るっていう内容だったりで、封じられた噺がたくさん!とさん光さん。
…たしかに…寄席でやったら怒られそう~。
それから、今年の夏もいいことがなにも…彼女ができませんでした、と。
彼女ができたらお化け屋敷に行きたい。非日常空間で会話をして…手をつないだりなんかして…お化けが出てきたらキャーって言って抱き着いたりして。あ、あたしが彼女に。…あ!今みんな「きもいっ!」って思いましたね!
…ぶわははは。いやいや思わないですって。

そんなまくらから「幽霊の辻」。
この噺、さん光さんで聞くの二回目なんだけど、楽しいんだなーさん光さんの「幽霊の辻」は。
前に違う人で聞いて引くほど怖かったんだ…そしてなんか許せない気持ちになったんだ、その時は。なんて嫌な噺!って思って。
さん光さんの「幽霊の辻」がなんで楽しいかっていったら、旅人に語るおばあさんのキャラクターがとてもかわいい。おどろおどろしい話をあのペタペタした喋り方で喋るから、怖いっていうよりばかばかしくて笑ってしまう。
あとさん光さん自身が怖がり屋らしいので、怖がらせる方より怖がる方に寄ってるから、見ていて不快にならないのかもしれない。そういう意味ではまくらが効いてるし、サゲがまくらとつながっているのもいいな。
楽しかった!